川越美和さんといえば、「若くして孤独死をしていた」との週刊誌報道により、一躍注目を集める存在となりました。
この記事では、生前の川越さんの活躍などを踏まえて、川越さんが若くして芸能界を引退し、孤独死に追い込まれた原因についてまとめてみました。
この記事の目次
川越美和のプロフィール
本名:川越美和(かわごえ みわ)
出身地:鹿児島県錦江町
生年月日:1973年1月3日
身長:162cm
デビュー時期:1988年
最終学歴:明治大学付属中野高等学校卒業
最終所属事務所:フロム・ファーストプロダクション
1988年10月に、アイドル歌手として芸能界デビューを果たした川越美和さんでしたが、アイドル冬の時代へと突入しつつあった時代の流れには逆らえずに、歌手業でのブレイクは果たせませんでした。
川越さんが芸能人として成功を掴んだのは、歌手業と並行して始めた女優業となります。主要キャストを任されるほどの地位までは獲得出来なかったものの、人気ドラマ「HOTEL」シリーズに並木裕美役でレギュラー出演を果たしたり、大河ドラマ「毛利元就」におさい役で出演するなど、ドラマや映画を中心に、20年近く仕事が途切れない活躍を見せます。
成功したアイドルでもフェードアウトして行く30代となっても、女優として堅調に仕事を続けていた川越さんでしたが、2007年に突然の芸能界引退という形で、自らそのキャリアに幕を降ろすことになりました。
その後続報の途絶えていた川越さんでしたが、2017年5月に発売された「週刊女性」の記事により、2008年4月に孤独死していたことが明らかとなっています。
川越美和の同期デビューのアイドルたちは豪華だった?
川越美和さんがアイドルとしてデビューを果たした1988年は、バブル景気に湧く日本経済とは裏腹に、アイドル業界にとっては冬の時代が始まりつつあった時代でした。
川越さんと同じ1988年デビューのアイドルたちは、後に芸能界で大きな成功を掴んだ女性が多かったりしますが、その誰もがアイドル業では大成しなかったという共通点があります。
その他にも、名バイプレイヤーとしてお馴染みの女優・中山忍さんやバラドルとして一世を風靡した島崎和歌子さんなども、川越さんと同じ1988年にデビューをしたアイドルとなります。
田村さんの場合は、オリコンのTOP10ヒットが6曲あり、熱心な男性ファン獲得には成功したアイドルでしたが、一般層に認知されるようなヒット曲は出せず終いでした。
川越さんに関しては、田村さんと一緒に、第31回日本レコード大賞新人賞を受賞している有望株のアイドルでした。ですが、シングル13枚、アルバム6枚(内3枚がベストアルバム)をリリースしたものの、ヒット曲を飛ばすことは出来ずに歌手活動を終えています。
アイドル文化を廃れさせたガールズポップブーム?
歌手としての川越美和さんの不運は、当時の音楽シーンが、女性アイドルからアイドル的な要素を持った女性アーティストへの移行期だったがことが挙げられます。
俗に言う「ガールズポップ」と言われているブームですが、このブームにより「アイドルってダサい」的な雰囲気が世間に漂ってしまったことが、この時代の女性アイドルたちにとって大きな逆風となりました。
日本の商業音楽シーンでは、耳障りの良いキャッチーなメロディが必須でしたし、アイドルの歌謡曲だって、その時代時代の洋楽の流行を取り入れた楽曲が多かったりしましたからね。
また、日本のアイドル界には、昔から千差万別の個性あるアイドルたちがいました。1980年代中盤には、荻野目洋子さんのようにユーロビート調の楽曲でブレイクしたアイドルなどもいましたし、工藤静香さんのように、アイドルからアーティストへの転身に大成功をした方もいました。
ですが、バブル経済をきっかけに最盛期を迎えていた「リア充な若者文化」においては、外側がお洒落であることが重要だったりもしたため、1970年代から80年代にかけて隆盛を極めたアイドル文化は、「ガールズポップ」に代表される女性アーティストたちの隆盛により、一度は淘汰されることになりました。
ヒット曲のない川越美和だが代表曲はある?
アイドル冬の時代にアイドルとしてデビューした挙句、歌がそれほど上手くはなかった川越美和さんでしたので、ヒット曲に恵まれない歌手人生となったのは、ある意味当然だったのかもしれません。
とはいえ、「ヒット曲がない=代表作がない」というわけでもないことが、歌手業の面白い部分でもあります。
ちなみに、川越さん版の「涙くんさよなら」は、「天までとどけ」シリーズの1期の他にも、4期から6期にかけて主題歌として再採用されているため、視聴者にとっては、歴代の主題歌の中でも特に印象深い楽曲となっていますね。
女優としては地味なバイプレイヤーだった川越美和
川越美和さんが若手女優時代を過ごした1990年代は、まさにテレビドラマ黄金時代でした。フジテレビの「月9ドラマ」を見るために、「月曜の夜になると街中からOLが消えていた」なんて逸話が残っているほど、テレビドラマが度々社会現象を起こしていた時代であり、今となっては隔世の感がある時代だったとも言えます。
1990年代に人気のあった濃い目な顔をした美人だった川越さんでしたが、アイドルとして一度失敗した身という経歴が響いたのか、流行ドラマの主要キャストを演じるなんてチャンスなども回って来ず、地道にドラマ出演を続ける日々となりました。
しかしながら、アイドルデビューから数えると、ちょうど20年目に当たる2007年まで女優としての需要が途切れなかったわけですから、「女優・川越美和」に対する周囲の評価は低くはなかったことは確かでしょうね。
川越美和の芸能界引退理由を探る
華やかではないものの、堅調な女優人生を送っていた川越美和さんですが、2007年に突如として芸能界引退をしています。
34歳という当時の川越さんの年齢を考えると、結婚を機に引退をする女性芸能人も珍しくなかったりもしますが、川越さんの場合は、メンタル面が原因の引退を示唆する気になる情報が寄せられています。
「あの頃のことは、よく覚えています。何しろ川越さんは撮影時、様子がおかしかったんです。ロケ現場で突然泣きだしたり、上の空だったり。心配したヘアメイクさんが声をかけたら、『裸にもされて、もうボロボロなんです』と言っていたと。結局、撮影途中で『辞める』と言いだしてしまい、事務所の人間とも音信不通状態。出演シーンを大幅カットすることになったんです」
女優業だけでもキャリア19年目となる中堅女優が、撮影現場で情緒不安定な姿を曝け出すというかなり異例な事態に対しては、芸能界でも様々な噂が流れていたようです。
川越美和が精神不安定になったのはBOSEと結婚出来なかったから?
川越美和さんが精神不安定化した理由に関しては、もちろん仕事(映画)でヌードを披露したせいではなかったようです。川越さんは、アイドル時代はグラビア活動などをやっていましたし、女優としては、若手時代から昼ドラの脇役などで地道にキャリアを築いて来た方ですので、汚れ仕事の類で根をあげるような女性ではありませんでした。
どちらかというと、精神が不安定になっていた時期に女優業を継続していた結果が、撮影現場での川越さんの奇行に繋がっていたようですね。川越さんが精神不安定になった原因に関しては、スチャダラパーのBOSEさんとの破局がその理由の1つとして挙がっています。
業界内では「スチャダラパーのBOSEと破局して精神を病んでいた」とか「向精神薬を飲みすぎて、体調をむしろ悪化させていた」などという話が飛び交い、聞こえてくるのは気の毒な話ばかり。その若すぎる死が、なお悲しくなってくる。
川越さんとBOSEさんとの交際に関しては、2人とも話題性のある芸能人ではなかったこともあり、当時でも週刊誌などで交際・破局がスクープされるようなことはありませんでした。そのため、どのような経緯で交際し、破局したのかは公になっていない特徴があります。
しかし、芸能界の激しい競争を生き抜いて来た女性が、ただ恋人と破局しただけで精神を病むということは考え難いと言えますよね。BOSEさんは、ゲス不倫の話題で世間を騒がすことが多い音楽業界の人間ですから、川越さんが何かしらショックを受けるような裏切り行為の末、破局に至ったという事情でもあったのかもしれませんね。
川越美和は芸能関係者に騙されて多額の借金を背負っていた?
川越美和さんの引退理由となったと思われる精神面の不調に関しては、借金トラブルが原因となったのではないかという噂もあります。
こちらも、当時川越さんが話題性のある芸能人ではなかったという事情から、週刊誌などでも報道されていないトラブルであったため、詳細は不明となっています。ただし、川越さんがとある芸能関係者の連帯保証人になった結果、多額の借金を背負ってしまったことは、疑いようのない事実のようですね。
もしかすると、この借金問題のせいでBOSEさんとの仲が破局し、「泣き面に蜂」の状況になったことで、川越さんが余計に精神を病んでしまったのかもしれません。
芸能界引退後の川越美和は貧困に喘いでいた?
芸能界引退後の川越美和さんですが、不動産会社のテレアポとして働いた時期もあったようですね。時給1400円で歩合給もあるという雇用条件なうえ、社宅マンションも用意されていたという話なので、借金問題さえなければ、女性1人が暮らしていく上では不自由しない環境だったと言えます。
芸能界で20年間生き残って来た人間だけあり、川越さんのテレアポ営業成績に関しては、優秀なものだったという話が残っています。一方で、マンションの住民にも分かるように借金返済の催促が来ていたなどの証言もあり、芸能界で背負ってしまった負の遺産が、川越さんの第2の人生の足を引っ張り続ける日々が続いていたようですね。
結局は、半年ほどでこの不動産会社を辞めたと言われている川越さんですが、社宅となっていたマンションを退去する際に、今度は「原状回復」のトラブルに巻き込まれることになります。一般人でも良く巻き込まれるトラブルですが、マンションの「原状回復費用」として川越さんに請求された額は、80万円ほどだったと言われています。
川越さんは犬を飼っていたため、壁紙や床の傷などが問題視され、そのような多額の請求をされた模様です。借金返済のために、芸能人時代に買ったブランド品までネットオークションで売り出すほど困窮していた川越さんにとっては、とても支払える請求額ではなかったため、実家の両親まで巻き込んでのトラブルに発展してしまった騒動となりました。
「彼女じゃ埒があかないので実家の父親に電話したら“勘当した”って言うんですよ。お酒を飲んだり金使いが荒かったりといろいろあったようで、“次に会うときは骨を持って帰るときだ”って断られてしまったんです」
ですが、この時には既に借金の取り立てなどによるトラブルのせいで、川越さんと実家とは絶縁状態となっていたようであり、川越さんにとって頼る先は1つもないという、孤立無援な状況が確認されただけの結果に終わりました。
この騒動をきっかけに、川越さんの精神状態は極度に悪化してしまった模様であり、以降の川越さんは、向精神薬漬けの日々を送ることになってしまったと言われていますね。
川越美和の最後は孤独死?その死因は?
その後の川越美和さんの人生は、坂道を転がることに抗う気力もないまま、あっという間に最後を迎えることになりました。
荒んだ生活となり、メンタルにも支障をきたした川越。クリニックで処方された10種類ほどの薬を飲む生活で、実家からも“勘当状態”だったという。追われるように08年、羽田空港のほど近くに引っ越したが、その1週間ほどのち、室内で川越の遺体が見つかったという。
不動産会社の社宅マンションを出た後の川越さんに関しては、品川区のアパートに数ヶ月住んでいたものの、家賃滞納で追い出されたとの情報があるため、生活保護などは受けていなかった模様ですね。
そして、大田区の木造アパートに移り住んで来たと言われている川越さんですが、その時点でガリガリにやつれていたという情報が寄せられています。向精神薬の副作用に関しては、食欲の増加で激太りすることなどが挙げられますから、当時の川越さんに関しては、経済的な事情から満足に食事も取れなかった状況だったのだろうと推測出来ます。
川越さんが孤独死をしていたのを発見されたのは、大田区のアパートに引っ越して来てから1週間ほど経った、2008年4月だと言われています。死因に関しては、心不全だと言われていますが、状況を考慮するに、食事も満足に取れない経済状況による衰弱死に近い状況だったのではないでしょうか?
発見者はアパートの大家さんであり、異変を感じて警察と一緒に踏み込んだという話なので、おそらくは異臭などが漂っていたのだと思われます。発見時の川越さんは、死後3~4日経過した状況だったという検死結果が出ているようですね。
川越美和の墓は錦江町にある?実家は現在誰も住んでいない?
死後の川越美和さんに関してですが、大田区役所から連絡を受けた鹿児島の両親が、遺体などを引き取りに来たそうですね。川越さんの遺骨に関しては、鹿児島県錦江町にある川越家の菩提寺にお墓が建てられており、そこに安置されています。
娘が孤独死をしてしまったショックからか、川越さんのお父さんは、川越さんの死から3年後に亡くなってしまったとの週刊誌の取材記事があります。川越さんのお母さんに関しては、川越さんの姉の嫁ぎ先に引き取られて、現在でも存命という話です。
川越さんの実家に関しては、残された姉妹全員が嫁いでしまったため、現在では誰も住んでおらず、解体されて売りに出されているとの情報があります。川越さんのお墓に関しては、近所の親戚が世話をしてくれているようで、きれいに整備されていることが「週間女性」の取材により明らかになっています。
まとめ
何一つ救いのない結末を迎えた川越美和さんですが、創作の世界とは違い、これが現実社会の残酷さということなんでしょうね。
川越さんに借金を押し付けたという芸能関係者に関しては、実名を暴かれることすらなく、現在も平穏無事に生きているのだと思うと、憤りすら感じる部分もありますが、こういった闇が深い社会こそが芸能界なのだと言えるのかもしれません。
今はただ、川越さんのご冥福を祈る以外に、我々に出来ることはありませんね。