布川事件

布川事件の真犯人は?桜井昌司の冤罪の経緯と現在も総まとめ

1967年に桜井昌司さんと杉山卓男さんは大工の男性を殺害し、現金を奪ったとして強盗殺人罪で起訴され、1978年に無期懲役が確定し服役していました。

 

この記事では、「布川事件」の詳細や真犯人、冤罪とされた桜井昌司さんの現在について詳しくまとめましたのでご紹介します。

「布川事件」の概要

 

冤罪事件として代表的な「布川事件」

 

「布川事件」が起こったのは1967年8月30日の朝で、茨城県北相馬郡利根町布川にて独り暮らしをしていた大工の男性(当時62歳)が、仕事を依頼しにきた近所の人が8畳間で亡くなっているのを発見しました。

 

被害者男性の死亡推定時刻は8月28日19時~23時とされており、20時頃に不審な2人組を見たという近所の情報があったことから2人による犯行と警察は踏んでいました。

 

男性は両足をタオルとワイシャツで縛られて身動きができない状態にされており、首にはパンツが巻き付けられた上で口に押し込まれており、死因は絞殺による窒息死でした。

 

事件発覚時、男性の自宅玄関や窓は施錠されていましたが、勝手口がわずかに開いていたことから犯人はここから侵入したとみられており、室内は荒らされてはいないものの物色した形跡が残っており、男性が普段使用していた白い財布が無くなっていました。

 

また、男性は金貸し業をしていたため、現場から現金や借用書が盗まれた可能性があり、現場からは43点の指紋が採取されています。

 

室内を荒らされた形跡は無かったものの、白い財布だけが無くなっていたため強盗殺人として扱われました。

 

男性の自宅近所で殺害される直前の20時頃に不審な2人組を見たという目撃情報があり、捜査の末に1967年10月に桜井昌司さんと杉山卓男さんが別件逮捕され容疑がかけられました。

 

「布川事件」犯人とされた桜井昌司さんと杉山卓男さんのプロフィール

桜井昌司さんのプロフィール

現在も冤罪事件と戦い続ける桜井昌司さん

 

桜井昌司さんは1947年1月24日に栃木県塩谷郡塩谷村で生まれました。

 

父親は役所吏員で母親は野菜行商をしており、桜井昌司さんは茨城県立竜ヶ崎第一高校に入学したものの家庭内不和から中退し、その後は仕事にも就かずに放蕩生活を送っていました。

 

破天荒な生活を送っていた1967年10月10日の深夜に、桜井昌司さんは友人のズボンを1本盗んだということで逮捕され、茨城県警取手署に留置されました。

 

ズボンを盗んだことは事実のため桜井昌司さんはすぐに容疑を認めましたが、別件の強盗殺人の事件について取り調べを受け、30日間拘留される中で自白を強要されました。

 

10月15日に桜井昌司さんは「杉山と一緒に殺して金を盗った」と自白したため、翌16日に桜井昌司さんの兄の友達だった杉山卓男さんを逮捕しました。

 

杉山卓男さんのプロフィール

アウトローだった杉山卓男さん

 

杉山卓男さんは1946年8月23日に茨城県利根町で生まれ、父親は役所吏員をしていましたが早くに亡くなり、教員をしていた母に育てられました。

 

杉山卓男さんは桜井昌司さんと同じ竜ヶ崎第一高校へ進学したものの、無免許運転により退学処分となったため、その後は機械工として働いていました。

 

しかし、母親が亡くなった時期から荒れ始め、19歳の頃には乱闘事件を起こして保護観察処分を受けたり、暴力団の抗争に参加するなど日常的に喧嘩をしていました。

 

そのため、桜井昌司さんの供述をもとに16日に逮捕されたのは意外なことではなく、杉山卓男さんは別件逮捕として同年8月に起こしていた暴力事件について取り調べを受ける中で、強盗殺人に関わったことへの自白を強要されました。

 

杉山卓男さんは17日に強盗殺人を認めたため、桜井昌司さんと共に再逮捕されることになりました。

 

 

「布川事件」は冤罪だった~自白強要で無期懲役が確定

布川事件、自白と目撃証言だけで有罪が確定

 

自白と目撃証言だけで冤罪を着せた警察

 

現代では考えられないことですが、「布川事件」は事件を実証する証拠がほとんど無く、警察に強制された桜井昌司さんと杉山卓男さんの自白と、目撃証言だけで有罪に導いた事件でした。

 

 

以下は、警察が裁判中に明らかにできなかった証拠やねつ造された証拠などで、これらにより冤罪が当時から疑われていました。

 

警察は金品目的の強盗殺人と主張したが、何が盗まれたのかを一切明らかにできておらず、さらに白い財布についても供述調書が度々変遷して明確にされていなかった。

 

現場から43点の指紋が採取されたものの、桜井昌司さんと杉山卓男さんの指紋とは一致しておらず、警察は2人が入念に指紋をふき取ったせいだと主張したものの、物色された形跡がある金庫や机から多くの指紋が採取されたことについて説明できていない。

 

警察が主張している2人の被害者宅への侵入方法が不自然であり、警察の供述調書では「勝手口の左側ガラス戸を開けると、奥の8畳間から被害者男性の顔が見えた」としているが、現場の勝手口には大きな食器棚が置かれており、警察の主張している左側ガラス戸から入るのは不自然極まり無く、さらに被害者男性の顔も見えない位置にあった。

 

上記の件について、被害者男性宅の図面を取り調べの際に桜井昌司さんと杉山卓男さんに見せて、誘導するように自白を取っていたため、現場の詳細な状況を把握できていない供述調書が出来上がったと思われる。

 

事件のあった8月28日に桜井昌司さんと杉山卓男さんに会ったという人物の証言を採用せず、警察はそれを28日以外の出来事と偽りアリバイを実証できないようにした。

 

桜井昌司さんと杉山卓男さんの供述調書では、「両手で首を絞め」となっていたものの、実際にはパンツを巻かれて絞殺されていた。

 

 

布川事件、1978年7月3日に2人の無期懲役が確定

 

取り調べでは強引な自白を迫られた

 

桜井昌司さんと杉山卓男さんは、10月23日に強盗殺人の容疑で再逮捕され、12月28日に起訴されました。

 

初公判において2人の弁護士は自白が取手警察署の刑事に強要されたものだと主張し無罪を主張しましたが、1970年10月6日に開かれた水戸地裁土浦支部での第一審では認められず無期懲役が言い渡されました。

 

2人の弁護側はこれを控訴しましたが、1973年12月20日に開かれた東京高裁での第二審では、他に犯人がいるとは思えないという理由から棄却され、さらに最高裁への上告も棄却されて1978年7月3日に2人の無期懲役が確定しました。

 

 

桜井昌司さん、杉山卓男さんが29年間投獄される

冤罪で29年も人生を奪われた2人

 

1978年7月3日に桜井昌司さんと杉山卓男さんは千葉刑務所に投獄されました。

 

桜井昌司さんと杉山卓男さんはそれぞれ、獄中生活の中で著名人や同じ冤罪の境遇にある人物と知り合っており、それが後に冤罪を晴らす活動の基盤となっていきました。

 

桜井昌司さんは詩を書いて雑誌に投稿していましたが、それが声楽家の佐藤光政さんの目に留まってコンタクトを求めてきたことで、その後作詞作曲した歌が佐藤光政さんの歌声でCD化もされました。

 

なお、桜井昌司さんは獄中の1977年と1992年に両親を亡くしています。

 

一方で杉山卓男さんは同じ冤罪を着せられた袴田事件の袴田巌さんや、「大森勧銀事件」の近田才典さん、銃殺事件を起こした「金嬉老事件」の金嬉老さんの他、「連続ピストル射殺事件」の永山則夫さんとは特に親しかったようです。

 

 

「布川事件」のその後~再審無罪確定と真犯人の真相

布川事件、2005年9月21日に再審開始が決定

仮釈放をされた後に無実を晴らす活動を開始した

 

桜井昌司さんと杉山卓男さんは、1996年11月に仮釈放されてから支援者団体「布川事件守る会」の支援を受けて2001年12月6日に第二次再審請求を水戸地裁土浦支部に申立てました。

 

獄中での再審請求は棄却されていましたが、無期懲役の罪から仮釈放されたこともあり2005年9月21日に再審開始が決定されました。

 

 

布川事件、逮捕から44年後の2011年5月24日に無罪が確定

警察は2人の無罪を否定する証拠が無かった

 

2011年5月24日に桜井昌司さんと杉山卓男さんの判決公判が行われ、強盗殺人罪について無罪が言い渡され、当時別件逮捕されていた窃盗罪や暴行罪について懲役2年・執行猶予3年の判決が言い渡されましたが、これはすでに効力を失っていました。

 

この裁判において検察側は、控訴審で新たな立証は困難として控訴を断念したため、無罪が確定しました。

 

これは警察が桜井昌司さんと杉山卓男さんに、当時自白の強要と証拠のねつ造があったことを暗に認めるものでした。

 

無罪を勝ち取るまでにかかった44年という歳月は、戦後の事件としては最長でした。

 

なお、「布川事件」の真犯人は現在までに全く情報が無く、不明のままとなっています。

 

 

桜井昌司さんと杉山卓男さんに1憶3千万円の刑事補償

 

2人は1憶3千万円の刑事補償を受け取った

 

2011年8月29日に、桜井昌司さんと杉山卓男さんは水戸地方裁判所土浦支部に、刑事補償法に基づいた補償を請求し、それぞれ1億3千万円(12500円×365日×29年)を受け取りました。

 

さらに、桜井昌司さんは2012年12月12日に冤罪の責任追及のため、国と茨城県を相手どり国家賠償請求訴訟を起こしました。

 

杉山卓男さんは国を相手取る裁判が長期化することが目に見えていたため、残りの余生を妻と子供のために使うことを決め、裁判には参加しませんでした。

 

 

布川事件、真犯人は誰なのか?

 

真犯人はまだ生きている?

 

 

布川事件は警察の違法捜査と偽証、検察による証拠隠しが2人の無実の男性を犯罪者に仕立てあげてしまいました。

 

桜井さんは、警察の自白強要と証拠捏造、検察の証拠隠しが冤罪をつくるとして、「検察が隠し持っている証拠が出てくれば、無罪になる事件がいっぱいあると思う」と話した。

引用:獄中29年、冤罪の「布川事件」で賠償金7600万円 検察の「証拠隠し」も違法認定

 

無実の罪を晴らした桜井昌司さんと杉山卓男さんですが、気になるのが真犯人の行方です。ネット上では、真犯人について様々な意見があがっているようですが、真相は闇の中です。

 

 

 

 

「布川事件」の現在~杉山卓男さん死去と桜井昌司さんの活動

杉山卓男さん、2015年10月に69歳で死去

 

 

杉山卓男さんは死期を悟っていた?

 

杉山卓男さんは無罪を勝ち取ったおよそ4年後となる2015年10月27日に69歳で死去しました。

 

葬儀は家族で済ませたことを弁護士が発表しましたが、杉山卓男さんは自分の死期を悟っていたため裁判を起こさず家族との最後の時間に使ったのかもしれません。

 

桜井昌司さん、国家賠償請求訴訟に勝訴

国に罪を認めさせた桜井昌司さん

 

桜井昌司さんは国家賠償請求訴訟において、違法な捜査で有罪としたことを国と県に認めさせ、2019年5月27日に勝訴しました。

 

裁判所は国と県に対して桜井昌司さんに7,600万円の支払命令を出しています。

 

桜井昌司さん、テレビに積極的に出演し法整備を訴えていた

 

AbemaTVに出演する桜井昌司さん

 

 

桜井昌司さんは取手署で取り調べを受けた当時に、もし違法な捜査や取り調べが個人責任を問われる法律があったなら、遅くとも控訴審判決で無罪が言い渡され、29年も無実の罪で服役することもありませんでした。

 

2019年9月27日に放送された番組『0.1%の奇跡!逆転無罪ミステリー【実録…やってないのに逮捕】衝撃冤罪4連発(テレビ東京系)』に出演し、警察の違法な捜査により29年も投獄され人生を奪われたこと、警察から補償金1憶3000万円が支払われたものの20歳から服役したため年金を受給できないことなどを伝えました。

 

 「捜査官がウソを言い、検察官が証拠を独占するやり方が冤罪(えんざい)を生む。それが許されないのは当たり前。裁判所が踏み込んで認定してくれて感謝している」

 判決後、弁護団と東京都内で記者会見した原告の桜井昌司さんは、逮捕から五十二年の「戦い」を振り返り、支援者の前でほっとした表情を見せた。捜査や公判の違法性が認められた点を挙げ、「検察官や警察官の個人責任を問う法律をつくるべきだ」と訴えた。

 

引用:東京新聞 – 「ウソや証拠独占冤罪生む」布川事件損賠判決 逮捕から52年 桜井さん捜査批判

 

桜井昌司さんは2019年3月に「冤罪犠牲者の会」を設立。「日本の司法変えていきたい」 と冤罪防止のために取り調べを可視化するための活動や、警察や司法など個人責任を問う法律の制定を求める活動などを続けています。

 

 

「布川事件」についてまとめると…

・布川事件の犯人とされた桜井昌司さんと杉山卓男さんは、29年に渡り無実の罪で千葉刑務所で服役していた

・布川事件は2005年に再審開始が決定、2011年5月24日に無罪が確定した

・杉山卓男さんは2015年10月27日に69歳で死去、桜井昌司さんは現在もテレビに積極的に出演し、法整備を求める活動をしている

・布川事件の真犯人は現在までわかっていない

 

無実を勝ち取るまで最も長い年月を要した「布川事件」についてご紹介してきました。

 

杉山卓男さんは亡くなってしまったものの、桜井昌司さんは「布川事件」の冤罪を晴らした経験が、今後も生まれるであろう冤罪に救済を与える役割を担っていくかもしれません。

 

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  1. 今ある板で飯塚事件の討論をしていますが、まあ有罪を言う人は「判決文を読め」ですね。 陪審員というものは、仕事の結果に責任を問われない判事さんには自由主義の社会の中で生活している実感がないから、一般の人、つまり自分の仕事に責任を負う人が証拠を見聞して、有罪無罪を決める。まあ、補完機能を求めているということですね。 警察も検事も判事も、「これだけ仕事したんだからそれなりの報酬」を求めて、証拠をつくったりするのでしょう。 奈良県での安倍元首相狙撃事件で思うのは、もういっそのこと警察署単位で警備会社を含めた「入札制」にするのもいいと思うようになりました。奈良県なら、大阪和歌山京都滋賀三重あたりでも入札できるようにしたらいい。 まあ公安委員を選挙で選ぶのもいいと思います。 昔から思うのは、日本の人権関係の教育です。 人権とは、国家権力に対抗する一国民の力のはず。なぜか差別の問題にすり替えられています。 悲惨なのは被害者には加害者ほどの権利を認めていないこと。どうかしてますよね。

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