伊達直人を名乗る男性のランドセル寄付は漫画のタイガーマスクが由来です。
今回は伊達直人・タイガーマスクの意味、漫画版とアニメ版の伊達直人の死因や最後、ランドセル寄付とタイガーマスク運動の広がり、正体やグリーンマスク、引退を紹介します。
この記事の目次
伊達直人・タイガーマスクの意味は2つ
伊達直人・タイガーマスクと聞いて、あなたは何を思い浮かべますか?
伊達直人やタイガーマスクは、もともとは漫画のキャラクターでした。
しかし、2010年以降はそこから派生したランドセル寄付などの「伊達直人」・「タイガーマスク運動」が有名になっています。
漫画のタイガーマスクの主人公
伊達直人は漫画のタイガーマスクの主人公です。
・作画:辻なおき
・出版社:講談社
・連載期間:1968年~1971年(全125話)
タイガーマスクは「ぼくら」、「週刊ぼくらマガジン」、「週刊少年マガジン」で、1968年~1971年に連載されていました。
主人公の伊達直人が、覆面プロレスラーのタイガーマスクとして苦悩・活躍する姿を描いている漫画で、アニメ化もされています。
タイガーマスク原作者の梶原一騎は、あしたのジョーや巨人の星の原作者でもあります。
タイガーマスク運動で寄付をする人々
出典:asahi.com
伊達直人は、孤児院などにランドセルを寄付する時のペンネームのようなものでもあります。
2010年、「伊達直人」を名乗る人物がランドセルを孤児院に寄付したことがニュースになり、孤児院にランドセルやその他のものを寄付する人が続出しました。
この伊達直人を名乗り、子供たちのためにランドセル等を寄付することを、「タイガーマスク運動」と呼ぶようになっています。
伊達直人・タイガーマスク(漫画・アニメ版)とは
漫画・アニメのタイガーマスクの主人公は伊達直人です。
伊達直人は「ちびっこハウス」という孤児院で生活していました。
動物園の虎の檻の前で喧嘩して勝ったことをきっかけに、悪役レスラーの養成機関「虎の穴」に入り、伊達直人は覆面レスラーの「タイガーマスク」としてプロレスデビューをします。
そして、孤児院の子供たちに自分と同じような苦しみを味合わせたくないという思いから、収入の一部を孤児院に寄付するようになりました。
しかし、虎の穴は伊達直人を裏切り者とみなし、刺客を次々に送り込んでくるようになります。
伊達直人は孤児院の「ちびっこハウス」の子供たちに恥ずかしくないプロレスラーになりたいと、悪役から正統派のレスラーへの転換を図ります。
悪役レスラーとして身についた反則技に苦しみながらも、世界タイトルマッチまでたどり着きましたが、タイトル奪取はなりませんでした。
再戦の日に、伊達直人は車に轢かれそうになった子供をかばって交通事故に遭い、そのまま死亡しました。
伊達直人・タイガーマスク(漫画・アニメ版)の死因は?最後が切なすぎる・・・
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タイガーマスクは最後の終わり方があまりにもあっけなく、そしてとても切ないんです。
伊達直人は、世界タイトルマッチ再戦の日、会場の周りを散歩している時、目の不自由な子供が三輪車で遊んでいるところにダンプカーが突っ込んでくるのを発見します。
伊達直人は子供を救いますが、そのまま車に轢かれてしまいました。
そして頭を強く打ち、頭から血を流しながらも、ポケットに入れていたタイガーマスクを川に投げ込み、そのまま死亡してしまいます。
タイガーマスクは川に沈んでしまったので、「伊達直人=タイガーマスク」というのは誰も知らず、「タイガーマスクは行方不明」という状態で終わるのです。
つまり、伊達直人の死因は交通事故になります。
ちなみに、アニメ版のタイガーマスクの最後は漫画版とは異なります。ただ、ハッピーエンドではありません。
アニメ版では世界タイトルマッチの再戦が行われますが、相手の反則で伊達直人はマスクを取らざるを得なくなります。
正体がばれたことに怒った伊達直人は、試合中に相手を殺害してしまうのです。そして、その後は海外へ旅立ちました。
漫画版とアニメ版は最後は異なりますが、どちらも子供向けの漫画・アニメとは思えないほど切なく悲しい最終回でした。
ただ、まだ漫画版で伊達直人が子供をかばって死んでしまう方が救いはあるような気がします。
伊達直人で話題のタイガーマスクはリアルプロレス界で健在
漫画のタイガーマスクは1971年に連載が終了しましたが、あまりにも人気が高かったため、実際のリアルプロレスにもタイガーマスクが登場しました。
1981年に新日本プロレスの「タイガーマスク2世」のタイアップ企画で、初めてタイガーマスクが登場したんです。
初代タイガーマスク:佐山聡(1981年~1983年)
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初代タイガーマスクは佐山聡です。華麗な空中殺法を武器にタイガーマスクブームを巻き起こしています。
二代目タイガーマスク:三沢光晴(1984年~1990年)
二代目タイガーマスクは、全日本プロレスの三沢光晴さんでした。
三沢光晴さんはヘビー級になるような重量級のプロレスラーでしたが、初代タイガーマスクの華麗な空中技を引き継がなければいけないことに苦しんだと言われています。
三代目タイガーマスク:金本浩二(1992年~1994年)
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1992年からは金本浩二がタイガーマスクとしてデビューしています。ただ、タイガーマスクとしての活動期間は非常に短いものでした。
2019年には妻へのDV容疑で逮捕されましたが、不起訴処分となっています。
四代目タイガーマスク:1995年~
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4代目のタイガーマスクは、最初から覆面レスラーとしてデビューしていて、現在でもまだタイガーマスクとして活動し、正体を明らかにしていません。
初代タイガーマスクの佐山聡の弟子で、直接指導を受けています。
伊達直人を名乗る男性のランドセル寄付が続出
伊達直人はランドセルを寄付する人の名義です。
漫画のタイガーマスクの主人公・伊達直人は、孤児院の出身で、孤児院の子供たちのために支援していました。
その行動を習う形で、孤児院にランドセルや子供たちに必要なものを寄付する時に、「伊達直人」を名乗る人が続出しました。
この伊達直人名義で孤児院にランドセル等を寄付する運動は、全国に広がり、その運動は「タイガーマスク運動」と呼ばれるようになりました。
伊達直人が群馬県で2010年からスタート
出典:ameblo.jp
ランドセル寄付の伊達直人が初めて現れたのは、2010年12月25日のクリスマスのことでした。
現在全国で多発している伊達直人による寄付は、「タイガーマスク運動」と呼ばれるようになってきている。2010年12月25日のクリスマスの朝、群馬の児童相談所に伊達直人名義でランドセル10個が届けられていたことから始まった。
「伊達直人」を名乗る30代の男性が、群馬県中央児童相談所にランドセルを10個をプレゼントしたんです。
ランドセルは群馬県中央児童相談所の玄関に置かれていて、当直の職員がに2010年12月25日の朝に気付いたとのことです。
そして、その児童相談所の所長は送り主が「伊達直人」であり、漫画・アニメの「タイガーマスク」のことだとピンときました。
そして、所長はこの伊達直人からのランドセル寄付は世間の注目を集めることになると思ったと語っています。
深代さんは県庁の広報部門に勤めた経験がある。これは注目を集めるだろうと思った。報道機関に発表すると、案の定、取材が殺到した。地元の新聞やテレビだけでなく、在京のワイドショーや週刊誌も大きく取り上げた。
マスコミがこの伊達直人からのランドセル寄付を大きく取り上げたことで、世間の注目を集めます。
そして、マスコミが大きく報じたことで、この群馬県の伊達直人のランドセル寄付は全国に広がっていったのです。
全国にタイガーマスク運動が広がる
2010年12月25日に群馬県の「伊達直人」がランドセルを寄付したと大きく報じられたことで、全国の児童相談所・児童養護施設に「伊達直人」を名乗る人たちからの寄付が相次ぎました。
岐阜や群馬などのほか、沖縄の施設でも同様のことが起きた。伊達直人の正体は不明で、不特定多数による行動との見方も出ており、ネットでは「日本も捨てたものではない」「素晴らしい行動」と称賛する声があがっている。
全国で寄付されたものは、ランドセル以外にも多岐にわたりました。
・現金
・商品券
・図書券
・プラモデル
・おもちゃ
・筆記用具
・紙おむつ
・食料品
・金塊
また、寄付をした人は「伊達直人」以外にも、「矢吹丈(あしたのジョー)」や「プリキュア」、「ルパン三世」などいろいろなキャラクター名義で寄付されるようになりました。
伊達直人のタイガーマスク運動の発端人物の正体は河村正剛
出典:jisin.jp
タイガーマスク運動が始まるきっかけになった伊達直人の正体は、河村正剛さんです。
河村正剛さんが自分がランドセル寄付の「伊達直人」であると正体を明かしたのは、2016年12月7日の「初代タイガーマスク35周年記念イベント」のリング上のことでした。
それまでは顔出しや本名を明かさずに、マスコミの取材には答えていましたが、2016年の初代タイガーマスクのイベントで、名前と顔を明かしたのです。
河村正剛さんは母親を早くに亡くし、父親は絶縁状態だったので親戚の家で生活することになり、ランドセルを買ってもらえず、辛い子供時代を過ごしたとのことです。
母親の記憶がないという、つらい経験を静かに語る河村さん。母の死後、母親の親戚の家に引き取られたため、父親の記憶もない。というのも、母親が父親と別居していた期間に別の男性との間にできたのが河村さんだったからだ。
そんな経験もあり、伊達直人としてランドセルを寄付する前から、児童養護施設に寄付をしていいたと話していました。
河村さんは都内で働いていた25年ほど前、当時の自宅近くにある児童養護施設を調べ、匿名で毎月1万円を届け始めた。その後、施設側からの要望もあり、施設を訪ねて子どもと一緒に遊んだり、クリスマスプレゼントを贈ったりしていた。
今まで顔・本名を明かさなかったのに、2016年になって顔出し・本名を公表したのは、タイガーマスク運動が下火になってきてしまったからとのことです。
「ここ最近、『タイガーマスク運動』も徐々に下火になり、縮小してきてしまった。今回、その火を絶やしてはいけないということで、河村さんが『子供たちのためなら顔も名前も公表してもいい』と英断してくれたのです」(佐山さん)
伊達直人の正体である河村さんは、本当に子供たちに幸せになってもらうための行動をしてきたんですね。
緑色の伊達直人・グリーンマスクの正体は青汁王子
2022年2月になると、タイガーマスク・伊達直人ではなく、「グリーンマスク 緑色の伊達直人」を名乗る人物から、全国の児童養護施設にランドセルが続々と寄付されました。
ランドセルは宅配便で届き、伝票には東京都内の店舗から商品を送ったことを示す記載があった。同封の手紙には「ささやかな品ですが子供たちへお届けください。一人でも多くの子供達が笑顔になりますように」とのメッセージが書かれていた。ランドセルの箱の中には、子どもたちに宛てた手紙も入っているという。
引用:「緑色の伊達直人」から 善意のランドセル 浜松市児童相談所に届く|あなたの静岡新聞
タイガーマスクではなく、グリーンマスク。伊達直人ではなく、緑の伊達直人。果たして、この人物は一体誰なのでしょうか?
実は、このグリーンマスク(緑の伊達直人)は青汁王子だったのです。青汁王子とは、青汁のネット通販で成功した実業家で、本名を三崎優太さんと言います。
最初は自分がグリーンマスクであることを秘密にしていましたが、2022年2月25日にYouTubeで正体を明かしました。
思ったよりも大きなニュースになって、これ以上騒ぎを大きくしたくなかったので、自分が「グリーンマスク 緑の伊達直人」であると公表したそうです。
このグリーンマスク(青汁王子)の行動は、批判も多くありました。「最初から公表する予定だったんじゃないの?」、「売名行為でしょ?」、「時期的に見て税金対策?」などなど。
確かにその可能性はありますが、それでも1000万円以上をかけてランドセルを全国の児童養護施設に合計で235個を送ったのはゆるぎない事実です。
どんな動機であろうとも、素晴らしい行為であり、一般人には真似できない規模でランドセルを寄付したのは本当にすごいですよね。
伊達直人は引退した?
2021年には「伊達直人引退!」のニュースも流れました。
伊達直人が引退というのは、4代目タイガーマスクが現役を引退するのではなく、品川区の伊達直人さんが現役を引退するようです。
ところが、今月21日に届いた商品券に同封されていた手紙に「私も現役を引退することになりました」と記されていたという。文面には「これまで同様とはいかないかもしれませんが、親御さんと一緒にくらせない子どもたちのために少しでも何かできたらと思います」などとつづられていた。
この品川区の伊達直人さんは、2012年からクリスマスの時期になると、品川区の児童養護施設「品川景徳学園」に商品券などを送っていたとのこと。
この品川区の伊達直人さんは、現役を引退しても、「少しでも何か出来たら」と言っているので、これからもできる範囲で子供たちの支援を続けていくのかもしれません。
伊達直人のタイガーマスク運動は、今後も1人1人が可能な範囲で継続していくと良いですね。
伊達直人・タイガーマスクのまとめ
伊達直人・タイガーマスクの2つの意味や漫画のタイガーマスクの最後・死因、タイガーマスク運動と最初にランドセルを寄付した伊達直人の正体、グリーンマスクや引退をまとめました。
河村正剛さんから始まった伊達直人のタイガーマスク運動が、これからも続いていくことを願います。