元劇団四季の俳優で市川猿之助さんのスーパー歌舞伎出演でも話題になった下村青さん突然の訃報に衝撃が走っています。
この記事では下村青さんのこれまでの経歴、本名や実家の老舗菓子店、家族や結婚、市川猿之助さんとの関係や死因などについて改めてまとめました。
この記事の目次
下村青のプロフィール
下村青のプロフィール
本名・旧芸名 :下村尊則(しもむら・たかのり)
生年月日 :1964年1月19日
没年月日 :2024年8月15日(没年60歳)
出身地 :青森県三戸郡三戸町
身長 :178cm
血液型 :B型
下村青(しもむら・あお)さんは元劇団四季の舞台俳優で、圧倒的な個性と華がある役者として「演劇界の異端児」の異名で知られています。
劇団四季時代には、「コーラスライン」、「エビータ」、「キャッツ」、「ユタと不思議な仲間たち」、「ハムレット」などに出演し、「美女と野獣」のルミエール、「ライオンキング」のスカーで日本初演キャストを務めました。
1991年にロンドンデミニオン劇場で公演された「ジーザス・クライスト・スーパースター」ではヘロデ王の役を務め、現地でも高い評価を得ました。
2007年に劇団四季を退団した後も舞台俳優として人気を博し、「魔劇『今日からマ王!』」シリーズのフォングランツ・アーダルベルト役やミュージカル「忍たま乱太郎」シリーズの黄昏甚兵衛役など、いわゆる2.5次元俳優としても活躍し、盟友である歌舞伎俳優の四代目・市川猿之助さんが手がける「スーパー歌舞伎II『ワンピース』」、「スーパー歌舞伎II 『新版 オグリ』」や、「不死鳥よ 波濤を越えて -平家物語異聞-」、『「本朝廿四孝」〜奥庭の段〜《狐火》』など歌舞伎舞台にも出演し多才ぶりを発揮していました。
還暦を迎えた2024年も「ルードウィヒ・B 〜HEART SONG(運命の扉は開かれた)〜」でリヒノスキー侯爵役を務め、トークイベントにも出演するなど精力的に活躍されていましたが、同年8月15日に実家で死去した事が発表され、あまりにも突然すぎる訃報にファンや関係者に衝撃が走っています。
下村青は学生時代にバトントワリング選手として世界3位
舞台俳優として成功した下村青さんですが、実は学生時代にはバトントワリングの選手として活躍されていて、世界選手権3位、1983年の全米オープンバトン優勝という圧倒的な実績を残されています。
下村青さんは地元の三戸小学校でブラスバンド部に所属しトランペットやテナーサックスを担当していました。小学6年生の時に下村青さんはブラスバンド部として「全日本マーチングバンド・バトントワリング・全国大会」に出場して好成績を収め、その翌年のデンマークのコペンハーゲンで開催された「世界青少年音楽祭」でも銀賞を獲得しています。この時、下村青さんはアメリカのマーチングバンドのドラムメジャー(バトントワリングの指揮者)のカッコ良さに衝撃を受け、帰国後にその道を志しました。
高校進学ではバトントワリングが盛んな関西の学校への進学を希望しましたが、家族に反対されて諦めて地元の高校へ進学。しかし、1年生の秋にバトントワリング全日本選手権を見て納得のいく道へ進みたいと思い直し、家族や教師を説得して、3学期から日本体育大学荏原高校に転入。
当時、男子でバトントワリングをやっているのは珍しかったため、フジテレビの正月恒例番組「新春かくし芸大会」からのオファーがあり、毎年かくし芸を披露していたタレントの堺正章さんにバトントワリングの指導と振り付けをする事になりました。
堺正章さんはバトントワリングのかくし芸で最優秀個人賞を受賞し、その賞金を全て下村青さんに渡されたのだそうです。
この頃から芸能界は下村青さんの表現者としての才能に注目していたようで、作曲家の中村八大さんや作詞家の永六輔の指導のもと歌手になるための特訓を受けたりもしています。ただ、当時の下村青さんはバトントワリング一筋だったため歌手になる気はなく歌手の特訓は苦痛でしかなかったと後に吐露されています。
その後、下村青さんはバトントワリングの選手として世界的に活躍するようになり、全米選手権や世界選手権で欧米の各地に遠征。東京で開催された世界選手権では銅メダルを獲得しています。さらに、1983年の全米オープンでアジア人初のグランドチャンピオンに輝きますが、そのすぐ後に制度が変わって外国人の出場ができなくなります。これがきっかけとなって下村青さんはバトントワリングへの情熱が燃え尽きたと感じ、劇団四季の受験を決意されたそうです。
下村青さんはバトントワリングのためにバレエを習っており、そこで習得した技術とバトントワリングを通じて身につけた表現力、何よりも強い情熱を持っていたため劇団四季の受験を一発で合格し舞台役者としての道を歩み始めています。
下村青の本名は下村尊則
出典:https://meguro.terminal-jp.com/
下村青さんの本名は「下村尊則(しもむら・たかのり)」さんで、以前はこちらの本名で役者として活動されていました。
下村青さんは、2016年4月に本名の「下村尊則」から現在の「下村青」に改名されています。
あ、そうそう。
重要な報告があります。
今まで本名で活動してまいりましたが、環境を一新するにあたり4月から《芸名》でスタートします。
下村青の実家は青森県三戸で下村菓子店を経営していた
下村青さんの実家は青森県三戸郡三戸町です。
下村青さんの実家は創業100年の老舗の菓子店を営まれていました。下村青さんの実家の菓子店は「下村菓子店」という名前で、三戸郡三戸町同心町に本家が、三戸郡三戸町二日町に双鶴堂下村菓子店を経営されていました。
実家の下村菓子店特製のお菓子をお送りできたら、どんなに嬉しいことでしょう
下村青さんの実家の下村菓子店ですが、コロナウイルス感染拡大の影響で本家の方は閉店しています。下村青さんが三戸町のPR誌の中で明かされていました。
二日町にある双鶴堂下村菓子店の方が現在も営業を続けられています。
下村青の家族…実家の両親は既に他界
出典:https://img.news.goo.ne.jp/
下村青さんの家族ですが、青森県三戸の両親は共に他界されているようです。
下村青さんは2012年にオフィシャルブログで「母が亡くなって三年目」と書かれています。下村青さんの母親は2009年頃に亡くなられたようです。
母が亡くなって三年目(二年間エッセイを書かせて頂いた雑誌レプリークの最終回に、母の手作りのマスコットのふくろうを、全国の読者のみなさんにプレゼントしましたねー)
また、下村青さんは2020年に下のYouTube動画を投稿しメッセージ欄に「父の訃報が届き、 舞台中でお別れに行けなかった私はこの詩を朗読して故郷へ送りました。」と綴られていました。
世界中で新型コロナウイルスの犠牲者の数が増えていく毎日。 かつて偶然手にした一冊の本 「a thousand winds」に心を惹かれたその頃、父の訃報が届き、 舞台中でお別れに行けなかった私はこの詩を朗読して故郷へ送りました。
下村青さんの父親の死因は明かされていません。
下村青さんの兄弟姉妹や親族など、それ以外の家族については情報が明かされておらず不明です。
下村青は結婚はしておらず生涯独身だったとみられている
出典:https://img.topics.smt.news.goo.ne.jp/
下村青さんが結婚したという情報は出ていません。
下村青さんは若い頃から劇団四季の看板役者の1人で、劇団四季を退団後も舞台を中心に人気を集めていた方です。60歳で亡くなるまでずっと第一線で活躍し続けていた方なので、仮に結婚されていたのならば大手メディアで報じられていた可能性が高いです。
結婚したことをあえて隠されていた可能性も完全には否定できませんが、今回、死去が報じられた際にも「親族」という表現は出てくるものの「妻」や「婦人」といった表現はなく、妻や子供の存在を示すような内容も報じられていません。
こうした事から、下村青さんは結婚はされておらず、生涯独身だった可能性が高いとみられています。
下村青は市川猿之助のスーパー歌舞伎や演劇プロジェクトでも活躍
下村青さんは歌舞伎俳優の四代目・市川猿之助さんと関係が深く、市川猿之助さんが手がけたスーパー歌舞伎に出演し、市川猿之助さんが立ち上げた演劇プロジェクト「猿之助と愉快な仲間たち」にも参加しています。
下村青さんは市川猿之助さんのオファーを受けて、2018年の「スーパー歌舞伎II ワンピース」に ブルック、エンポリオ・イワンコフ、ニューカマー・ケイの役で出演。2019年と2020年の「スーパー歌舞伎Ⅱ 新版 オグリ」には、フグ婆・女郎屋女将の役で出演されています。
その後、下村青さんは2021年に市川猿之助さんを中心に旗揚げされた演劇プロジェクト「猿之助と愉快な仲間たち」にも参加し、第1回公演「朗読劇 天切り松 闇がたり~闇の花道~」、第2.5回公演「新説 堀部安兵衛」、第3回公演「ナミダドロップス」などに出演されています。
2023年の「市川猿之助奮闘歌舞伎公演」にも加わり、「不死鳥よ 波濤を越えて -平家物語異聞-」で宰相武完役、「御贔屓繋馬」で女非人・熊手のお爪役を務めました。
下村青と四代目・市川猿之助の関係
下村青さんと歌舞伎俳優の四代目・市川猿之助さんの関係も話題です。
下村青さんと市川猿之助さんがいつ頃から交流持たれていたのかはわかりませんが、下村青さんは劇団四季時代から歌舞伎に興味を持ち、市川猿之助さんも劇団四季のファンだった事から、かなり若い頃からお互いに注目されていたようです。
下村青さんは2004年のインタビューで自身が歌舞伎に興味を持ったきっかけについて市川猿之助さんの「義経千本桜・四ノ切」を観た事を挙げていますが、これは四代目・市川猿之助さんではなく、その伯父である三代目・市川猿之助さん(2023年に亡くなった二代目・市川猿翁)を指しています。
日舞を習うと同時に歌舞伎などにも興味を持ち、かなりはまって観ていたとも。
「最初にきっかけとなったのは、市川猿之助さんの『義経千本桜・四ノ切』です。
最初に観た作品が堅苦しく難しい話だったら違っていたのかもしれませんが、何て面白いのだろうと何度も観に通いました。
ただ、このように下村青さんは歌舞伎への興味を盛んに公言されていました。
そして、下村青さんが劇団四季を退団し舞台俳優として幅広く活動するようになると、劇団四季のファンだった市川猿之助さんの方から下村青さんに声をかけ、スーパー歌舞伎への出演が決まったという事です。
退団後は芸名を下村尊則から下村青に変え、四季ファンだった市川猿之助に誘われて、スーパー歌舞伎2「ワンピース」「新版オグリ」などに出演した。
下村青の死因は調査中と発表
2024年8月16日、下村青さんの公式Xにて、個人事務所の「アランブルー株式会社」の名義で下村青さんが8月15日に亡くなった事が発表されました。
ファンの皆さま、関係者各位
— 下村 青 Official (@ao_shimomura) August 16, 2024
これまで下村青を応援してくださった皆さまにご報告させていただきます。
下村青は2024年8月15日午後4時ごろ、実家で旅立ちました。
詳しいことは現在調査中でございますので、追ってお知らせいたします。…
下村青さんは帰省中だった実家で亡くなったという事ですが、死因は発表されていません。
ただその後の報道で、下村青さんが実家のベットに横たわって亡くなっているのを見つけたのは親族で、死因は現在調査中である事が明かされています。
下村さんの個人事務所によると、下村さんは町内の実家に帰省中の15日、ベッドに横たわっているのを親族が見つけた。60歳だった。死因は調査中で、遺族の意向により葬儀は近親者のみで執り行われる。
ネット上では、下村青さんの死因について、自殺ではないか、突発性の病気ではないかといった憶測が飛んでいる状況ですが、下村青さんの死因について公式に発表された情報は現在の時点では調査中という事以外は何もなく全て根拠のない噂なので妙な噂は広めないように注意しましょう。
まとめ
今回は、元劇団四季の俳優で、退団後は市川猿之助さんとのスーパー歌舞伎や、2.5次元俳優としても幅広く活躍した下村青さんについてまとめてみました。
下村青さんは60歳を迎えた2024年も精力的に活動されていましたが、2024年8月に亡くなった事が発表されあまりにも突然の訃報に衝撃が走っています。
下村青さんの本名は下村尊則さんで、以前は本名で活動されていました。
下村青さんの実家は青森県三戸で「下村菓子店」を経営されていました。実家の家族については両親は共に他界されている事が明かされていますが、兄弟姉妹や親族については情報がありません。結婚の有無も不明ですが、生涯独身だった可能性が高いとみられています。
下村青さんは市川猿之助さんとは盟友のような関係で、市川猿之助さんの手がけるスーパー歌舞伎や、演劇プロジェクト「猿之助と愉快な仲間たち」にも参加し多くの作品で共演されています。
下村青さんの死因は現在「調査中」とのみ報じられていて詳しい事はわかっていません。