日本を代表する演出家の宮本亜門さんは、実家の家族がすごいと話題です。
今回は宮本亜門さんの経歴、家族(祖父・父親・母親・兄弟)や実家の喫茶店について、結婚歴や嫁・子供の有無、沖縄の自宅の売却状況、前立腺がんと現在をまとめました。
この記事の目次
宮本亜門は日本を代表する演出家
出典:bunshun.jp
宮本亜門
生年月日:1958年1月4日
出身:東京都中央区銀座
所属:ホリプロスポーツ文化部
血液型:O型
活動:演出家
宮本亜門さんは日本を代表する演出家です。
ミュージカルだけでなく、ストレートプレイやオペラ、さらには日本の伝統芸能である歌舞伎、能などの演出も手掛けていて、これまでに演出した作品は120本以上となっています。
日本国内はもちろん、ニューヨークのブロードウェイやロンドンのウエストエンドでもミュージカルを上映し、トニー賞にノミネートされるなど、海外でも評価されています。
宮本亜門の経歴まとめ
宮本亜門さんの経歴を見ていきましょう。
子供時代のこと
宮本亜門さんは1958年に東京都で生まれます。
実家が新橋演舞場の向かいにあり、母親も松竹歌劇団の出身者だったこともあり、演芸・芸能が身近にあり、幼少期から映画館や歌舞伎座、日劇などに通い詰めていました。
また、幼稚園時代から藤間流家元に日本舞踊を習い、小学生時代には茶道をたしなむようになり、仏像鑑賞を趣味とする少年でした。
中学生になると、お小遣いを使って京都や奈良に仏像を見に行くようになり、さらに美術鑑賞は西洋美術や建築物などに広がっていきました。
ただ、学校では趣味が合わないこともあり、友達がいなかったそうです。
玉川学園高等部に進学してからは1年間引きこもりの生活を送りますが、引きこもり生活の中でミュージカルやクラシックなどのレコードを聴き、演出家を志すようになりました。
そんな中、学校に通学するようになった宮本亜門少年は、演劇部にミュージカル「ゴッドスペル」を上演することを依頼して、そこで主演を務めます。
大学は玉川大学文学部芸術学科演劇専攻科に進学します。
4年生の時に、ミュージカル「ピピン」のダンサーのオーディションを受けて合格し、大学を中退して、芸能・演劇の世界に飛び込むことになりました。
ダンサー・振付師としての活動
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大学を中退して、1978年にミュージカルのダンサーとしてデビューし、1984年には「リトル・ショップ・オブ・ホラーズ」で振付師デビューをします。
その後もダンサーや振付師として活動し、ショーがあるクラブでアルバイトをしてお金を貯め、ニューヨークに毎年のように訪れました。
さらにダンススタジオをオープンさせて、資金を作ってから、ロンドンに2年間留学しました。
演出家&「違いのわかる男」
宮本亜門さんは1987年に「アイ・ガット・マーマン」で演出家デビューします。この作品は翌年に文化庁芸術祭賞を受賞しました。
その後も大地真央さん主演で「サウンドオブミュージック」などのミュージカルを上演。
1993年には、ネスカフェゴールドブレンドのCMに「違いのわかる男」として出演し、一般的にも「宮本亜門」という名前が知られるようになりました。
宮本亜門さんはただ単に才能のある演出家というだけでなく、ジャニーズアイドルを彷彿とさせるようなイケメンなルックスでも人気となりました。
海外でも評価される
1990年代後半には一時的にスランプに陥るものの、2000年代からは国内だけでなく、海外でも作品を上演するようになります。
・2008年:ミュージカル「Up In The Air」ワシントン・ケネディセンターで上演
・2010年:KAAT 神奈川芸術劇場の初代芸術監督に就任
・2010年:ミュージカル「ファンタスティックス」ロンドンのウエストエンドで上演
・2011年:「金閣寺」を神奈川芸術劇場、ニューヨークのリンカーンセンターで上演
・2012年:ミュージカル「ウィズ〜オズの魔法使い〜」演出
・2013年:「TEA: A Mirror of Soul」をカナダ バンクーバーオペラで上演
・2013年:市川海老蔵主演で「ABKAI」で歌舞伎演出
・2015年:上賀茂神社の式年遷宮での奉納舞台「降臨」を演出
・2016年:DRUM TAO「DRUM HEART」をニューヨークのオフ・ブロードウェイで演出
・2016年:能と3D映像を融合させた「幽玄 YUGEN: The Hidden Beauty of Japan」をシンガポールで上演
・2017年:朗読劇「Fanatic Artist Hokusai(画狂人 北斎)」をロンドンの大英博物館で演出
・2018年:オペラ「金閣寺」をフランス国立ラン歌劇場で演出
・2018年:「YUGEN 幽玄」をフランスのヴェルサイユ宮殿オペラハウスで演出
・2019年:フィギュアスケート×源氏物語「氷艶hyoen2019〜月光かりの如く〜」を演出
精力的に活動し、演出する作品の幅は広がり、新しい試みにもどんどん挑戦しています。
宮本亜門の家族① 祖父はエリート会社員
宮本亜門さんの家族、まずは祖父からです。宮本亜門さんの父方の祖父である俊三さんは、明治28年に香川県の裕福な農家に生まれます。
成績は優秀で、地元で進学校だった香川県立商業学校に進学し、飛び級をして早稲田大学商学科に入学します。しかも、運動も得意だったそうです。
祖父の俊三さんは、大学からの帰り道、飛び出してきた小さな女の子とぶつかってしまいます。そして、その女の子の母親である女性(宮本亜門さんの祖母のてるさん)に一目惚れ。
祖母は夫のDVで家を出て、女手一つで4人の子供を育てるシングルマザーでした。
一目惚れをした祖父の俊三さんは、祖母のところに「何か力になれないか」と熱心に通うものの、祖母は「年も離れているから」と不信感を抱いて申し出を断り、引っ越してしまいます。
それでも俊三さんは諦めず、引っ越し先を探して通い続け、一緒に住むようになりました。
そんな俊三さんは、早稲田大学を卒業後は大倉鉱業で働き始めます。
大倉鉱業は、帝国ホテルを創業させた大倉財閥の鉄鋼会社で、満州事変・日中戦争・太平洋戦争という時代もあって、鉄鋼産業は急成長し、俊三さんは取締役に昇進しています。
終戦後は財閥が解体されたことで、俊三さんは一時的に職を失いましたが、昭和21年には自ら起業し、朝鮮特需もあって、会社は急成長しました。
成績優秀で運動もできて、仕事もできる。恋愛は一途で情熱的。宮本亜門さんの祖父はすごい人だったんです。
宮本亜門の家族② 父親は駆け落ちして喫茶店経営/32歳離れた弟もいる
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宮本亜門さんの父親は、昭和2年に生まれた亮祐さんです。
父親の亮祐さんは、中学校から慶應の附属学校に通うエリートで、大学卒業後は父親(亜門さんの祖父)の会社に就職します。
俊三さん(亜門さんの祖父で亮祐さんの父)は、亮祐さんに会社を継がせようと思っていたようですが、父親と祖父は恋愛傾向が似ており、同じような道を歩むことになるんです。
亮祐さんは上野にあるすっぽん料理屋に出かけた時、店の女将さんに一目ぼれ。女将は粂川須美子さんという女性で、亮祐さんよりも12歳年上で、2人の子持ちのシングルマザーでした。
亮祐さんは須美子さんに猛アタックして、俊三さんに結婚を考えていると打ち明けました。すると、俊三さんは「結婚するなら、会社を辞めて、自分で食べていけ」と告げます。
亮祐さんは俊三さんの会社を辞めて、夫婦2人で新橋演舞場前に喫茶店を開きました。
父親の亮祐さんは宮本亜門さん曰く、次のようなタイプでした。
お金にも女性にもだらしなくて、昔は正直最も軽蔑する人、家庭を壊した人だと思っていたのですが、母が亡くなってから、父の背中がすごく小さく見えました。
お金にも女性にもだらしがない人だったようですね。亮祐さんは妻の須美子さんが亡くなった後に再婚しているので、宮本亜門さんには32歳離れた弟がいます。
父親の亮祐さんは2021年に94歳で亡くなられました。
RIP「ピンピン・コロリ」が親父の座右の銘。親父はその言葉通り、この写真の3日後、老衰で眠るように天寿をまっとうしました。身体がボロボロになっても、ユーモアを失わず、生きることの壮絶さと崇高さを教えてくれました。ブラボー親父、見事だったよ!
— 宮本亞門 自著「上を向いて生きる」(幻冬舎)発売中! (@amonmiyamoto) June 27, 2021
彼の息子だったことは誇りです(続く) pic.twitter.com/Dsirklb6Po
宮本亜門の家族③ 母親は元SKDダンサー
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宮本亜門さんの母親は粂川須美子さんです。須美子さんの実家は株の運用で稼いでおり、かなり裕福でした。
須美子さんは13歳の時に、母親と一緒に、松竹歌劇団(SKD)のレビューダンスを見に銀座の劇場に出かけ、SKDのダンスに魅せられます。
自分もSKDで踊りたいと思ってダンスや日本舞踊を習い、15歳の時にSKDに合格。しかし、1年後に実家が倒産して多額の借金が残り、SKDを辞めざるを得なくなってしまいました。
その後、結婚して2人の子供をもうけますが離婚。すっぽん屋の女将として働いていた時に、宮本亜門さんの父親と出会い、猛アタックを受けて結婚し、新橋演舞場前に喫茶店を開くのです。
宮本亜門さんを出産する際、出血が多かったために輸血をしたことが原因で肝炎になり、肝硬変を発症します。そのことで入退院を繰り返していました。
宮本亜門さんが21歳の時、ダンサーとしてミュージカルデビューした初日の朝に、宮本亜門さんの留守中に家に来て洗濯をしていた須美子さんは、意識を失って倒れてしまいます。
それを帰宅した亜門さんが見つけ、救急搬送しますが、翌日に脳溢血で亡くなりました。
宮本亜門の実家は喫茶店「茶房 絵李花」
宮本亜門さんの実家は、喫茶店「茶房 絵李花」です。新橋演舞場の向かいにあり、昭和30年に亜門さんの父親と母親が結婚後に開店させたお店です。
・営業時間:9時30分~18時30分
・住所: 東京都中央区銀座7丁目17−4 日産不動産ビル
・最寄り駅:築地市場駅、東銀座駅
今時のカフェというよりは、レトロな喫茶店で、和風ハンバーグや特製ミックスサンドが名物とのことです。
宮本亜門さんも時々はこのお店に顔を出していて、演劇ファンの間では宮本亜門さんのご実家として有名です。
撮影。久々に実家の茶房「絵李花」でナポリタン大盛り。僕のオススメです。#宮本亜門 #ナポリタン pic.twitter.com/1YdFCjWPop
— 宮本亞門 自著「上を向いて生きる」(幻冬舎)発売中! (@amonmiyamoto) January 19, 2017
宮本亜門さんのおすすめはナポリタン。
この喫茶店を開店させた亜門さんの父親・母親は他界されていますが、お店はまだまだやっていますので、宮本亜門さんファンは行ってみる価値ありです!
宮本亜門は結婚してない…結婚しない理由はトラウマ?
宮本亜門さんは結婚しているのでしょうか?
「そういえば、宮本亜門さんって家族や子供のことを話しているのを聞いたことがないかも」と思った人も多いと思います。
宮本亜門は生涯独身
出典:webdice.jp
宮本亜門さんは2022年で64歳になりますが、生涯独身で、今まで1回も結婚したことはありません。そのため、嫁もいませんし、子供もいません。
芸術肌ですし、独特の感性を持っていて、さらに独身で、有名になってから今まで熱愛報道などもなかったために、インターネット上では「ゲイ疑惑」が出ています。
ただ、今の時代はゲイだからと言って、別に驚くこともないですし、宮本亜門さんの恋愛指向で宮本亜門さんの業績・評価が変わるわけでもありません。
結婚せずに嫁・子供もいない理由はトラウマ?
宮本亜門さんは結婚しておらず、嫁も子供もいません。
この理由はゲイだからという噂もありますが、高校時代のトラウマが関係しているのでは?という噂もあるんです。
宮本亜門さんは中学生の頃は友達ができず、さらに高校受験のストレスで太ってしまい、15歳の時に世の中に失望して自殺を思い立ちます。
当時、付き合っていた恋人とは「同じ死生観を持っている」と思っていたために、その恋人と「同じ時間に死のう」と約束しました。
そして、亜門少年は近所の薬局に睡眠薬を買いに行き、それを服用して自殺を図ります。しかし、なぜか翌朝スッキリと目覚めてしまったんです。
実は、薬局の店員が怪しんで、睡眠薬ではなくビタミン剤を亜門少年に渡していたんです。亜門少年はビタミンたっぷりの状態でスッキリ目が覚めたというわけですね。
死ぬことなく目が覚めたことに驚いて、同じ時間に死ぬ約束をしていた恋人に電話をしたところ、恋人に「本気だったの?冗談だと思った」と冷たく言い放たれたそう。
「同じ死生観を持っていると思ったのに・・・」と亜門少年はショックを受けたことで、人間不信になり、引きこもりになってしまいました。
このような経験があるために、宮本亜門さんは今でも女性不信で、結婚しなかったのかもしれません。
宮本亜門さんは子供はいませんんが、子供のようにかわいがっている存在がいます。その存在とは、ペットの犬です。
保護犬活動に力を入れていて、現在は2代目の保護犬ビート君と一緒に暮らしているようです。
宮本亜門は沖縄の自宅を売却
沖縄に豪華な自宅を持っていた
宮本亜門さんは沖縄県に豪華な自宅を持っていました。那覇空港から沖縄県南城市の海沿いにある超豪華な自宅で、スーパーオーシャンビューが魅力の家です。
宮本亜門さんは1990年代前半に初めて沖縄を訪れた際、その土地に魅せられ、1996年から20年以上、沖縄に住み続けていました。
1年の3分の1を沖縄、3分の1を東京、残りの3分の1をニューヨークという生活を送っていたそうです。
売却することを発表
出典:pinterest.jp
宮本亜門さんは、沖縄県にある自宅を売却することを2017年4月13日の「ダウンタウンDX」で発表しました。その後、5月6日の「おかべろ」でも同じ情報を発表しています。
ただ、「この家と土地を、この自然を、愛してくれる方に是非、お譲りしたいと思います」と語り、転売などせず、きちんと住んでくれる人に売却したいと思っていたようです。
売却額は発表されていませんが、10億円程度ではないかと噂されています。
売却は比較的早い段階で決まったようで、2018年8月時点では、「高岡社長」という実業家が宮本亜門さんの自宅を購入していたようです。
高級ホテルからケータリングしたホームパーティーの様子が「沖縄で元宮本亜門さんの家にて! | 竹末浩一」に載っていて、かなりのセレブ実業家が宮本亜門さんの自宅を買ったようですね。
売却の理由は多忙のため
出典:scontent.fktm8-1.fna.fbcdn.net
宮本亜門さんが、20年以上住んでいた沖縄の豪邸を売却した理由は、多忙だからでした。
仕事が忙しくて、なかなか沖縄に行くことができなくなってしまったから、無人の家にしておくよりは、沖縄を愛して、家を大切にしてくれる人にお譲りしたいということなのでしょう。
宮本亜門は前立腺がんで手術していた
出典:jisin.jp
宮本亜門さんは2019年、TBSの「名医のTHE太鼓判!」で前立腺がんのステージⅡであることが判明しました。
人間ドックを受けたところ、骨盤MRIで影が認められ、詳しく検査したところ前立腺がんだったそうです。
ただ、その2年前に「再検査」を勧められていたのに、仕事を理由に再検査を受けていなかったとのことですから、検査がいかに大切なのかがわかりますね。
宮本亜門さんは幸運にもステージⅡで、がんは前立腺の中だけで転移もなかったため、2019年5月に手術でがんを全摘して、完治したとのことです。
宮本亜門の現在
宮本亜門さんは前立腺がんの治療後すぐに、精力的に活動を再開しています。
手術をした約2か月後の7月には、フィギュアスケート×源氏物語「氷艶hyoen2019〜月光かりの如く〜」を演出しています。
また、2021年には「宮本亞門演出 モーツァルト『魔笛』」の再演が行われ、2022年には「#フィガロの結婚」の再演も決定。
また、演出だけでなく、新しい才能を探す「NEXTアーティスト」や保護犬など幅広く活動されています。
宮本亜門のまとめ
宮本亜門さんのプロフィールや経歴、家族(祖父・父親・母親)や実家の喫茶店、結婚歴や嫁・子供の有無、沖縄の自宅売却状況と前立腺がんの手術、現在の活動をまとめました。
年齢を重ねて、さらにバイタリティを増していく宮本亜門さん。今後の活動にも注目していきたいですよね。