千代の富士(九重親方)が、2016年7月31日に逝去されました。
この記事では、千代の富士の死因である膵臓がんと激やせした姿、そして嫁・娘・息子など家族についてまとめています。妻は久美子夫人、長女は秋元優、長男は秋元剛、次女は秋元梢という名前です。
千代の富士(九重親方)のプロフィール
四股名:千代の富士 貢(ちよのふじ みつぐ)
本名:秋元貢
愛称:ウルフ、小さな大横綱
出身地:北海道松前郡福島町
生年月日:1955年6月1日
没年月日:2016年7月31日
身長:183cm
引退後は、九重部屋親方。
千代の富士は第58代横綱の元大相撲力士で、引退後は九重親方として後進の指導や日本相撲協会で理事職等を務めていましたが、2016年7月31日に満61歳で他界。
現役時代は「ウルフ」の愛称で親しまれ、その男らしく精悍な顔つきと肉体に女性人気も高かった千代の富士。力士として小さい体格ながらもほぼ全身筋肉で、ウルフのような鋭い目つきで相手を怯えさせ、優勝回数31回(大相撲記録3位)を誇る”小さな大横綱”でした。
1981年に”憎らしいほど強い横綱”と言われた北の湖を破り優勝、そして横綱に。
現役引退までに優勝回数31回、通算勝利数1045勝(歴代2位)、幕内勝利数807勝(歴代3位)、連勝記録53連勝(歴代6位)を記録。
1989年には、大相撲初の国民栄誉賞受賞。
そして、1991年に当時まだ新進気鋭であった貴花田(のちの貴乃花親方)との初対決で敗れ、その二日後に現役引退を表明。
引退会見での言葉は、「体力の限界…気力も無くなり、引退することになりました…以上です。」
千代の富士(九重親方)の死因は膵臓がん~激やせした姿も紹介
2016年7月31日に、相撲の歴史を彩った大横綱千代の富士(九重親方)が、膵臓がんのために逝去しました。
大相撲で優勝31度、角界で初めて国民栄誉賞を受けた元横綱千代の富士の九重親方、秋元貢(あきもと・みつぐ)さんが31日午後5時11分、膵臓(すいぞう)がんのため都内の病院で死去した。
また、多くの弔問客が訪れていることも伝えられています。
千代の富士の死因は膵臓がん…2015年に発見で激やせ、2016年に転移
千代の富士が膵臓がんを患っていたことが明らかになったのは、2015年9月のこと。この時にはすでに手術を受け、仕事にも復帰しています。
5月末に還暦祝いの横綱土俵入りを披露した親方だが、検査でがんが見つかり、7月の名古屋場所は「内臓疾患」との理由で休場。既に手術を受け、7月下旬に退院したという。
13日に両国国技館で初日を迎えた秋場所に2場所ぶりに姿を見せた九重親方は、「手術前より13キロやせた」と説明したが、今場所は通常通りに国技館に出勤する意向を示した。
それ以降は、酒豪だった千代の富士もお酒を控えていたと言いますが、2016年に入ってから他臓器へのがんの転移が明らかになります。
最近になってがんが胃や肺などに転移し、鹿児島県などで治療を続けていた。7月の名古屋場所は4日目の13日を最後に休場し、都内で入院していた。
2016年7月頃には、弱りきった千代の富士の様子が目撃されていました。
7月の名古屋場所では所属する監察委員室に初日から現れ、最近の力士の稽古不足などを鋭く指摘。口数も多く、元気いっぱいだったという。それが4日目になると様子が急変。居合わせた関係者によると、重い足取りで室内に入り、椅子に座ると机に突っ伏した。「きついなあ…。きついよ」と声を絞り出し、目を閉じた。「大将」と呼ばれ照れ屋で強がりで皮肉屋でもあったが、やせ我慢すらできないほど弱っていた。
千代の富士が激やせした写真
膵臓がんにより13kg以上も痩せたと言われています。
ファンからはずいぶん痩せたと驚きの声。
7月10日に初日を迎えた大相撲名古屋場所。場所中、修古館は九重部屋の宿舎として使われている。そこで若い弟子たちに激しく檄を飛ばしていたのは、幕内優勝31回、「ウルフ」の愛称で圧倒的な人気を誇り、国民栄誉賞も受賞した元横綱・千代の富士5 件の九重親方(61才)だった。
その朝、約30人のファンが九重部屋の朝稽古を見学に来ていた。年に1回の名古屋場所。毎年見に来るという地元のファンは「あそこに座ってるのが千代の富士かい。わからなかったよ。この1年で、ずいぶんやせたんだねえ…」とつぶやいた。今でも、その鋭い眼光は変わらない。ただ、筋骨隆々とした姿はそこにはなかった──。
6月の終わりに撮影された千代の富士の写真がこちらです。かなり痩せていることがわかります。
九重親方(千代の富士)と pic.twitter.com/ZxrP2hByUw
— terucapone (@terucapone) 2016年6月25日
千代の富士の死因「膵臓がん」とはがんの中で最も難しい病気
千代の富士の死因である膵臓がんの概要はこちらから→膵臓がん がん情報サービス
膵臓は胃の後ろにあり、体内の消化を助ける働きと血糖値調節のホルモンを生成する臓器。膵臓がんは、この内部に存在する”膵管”にできることが多いと言います。
そして膵臓がんの特徴として言えるのが、非常に難しい病気であるということ。
すい臓がんは、「早期発見しにくい」「転移しやすい」「治療が難しい」「生存率が低い」と悪条件が4つもそろい、「最悪のがん」と呼ばれる。国立がん研究センターの最新の統計によると、すべてのがんの「5年生存率」の平均が62.1%なのに、すい臓がんは7.7%と、あらゆるがんの中で最も低い。2番目に低い胆のう・胆管がんが22.5%だから、いかに群を抜いて悪質かがわかる。ちなみに「10年生存率」になると4.9%まで下がる。
記憶にあたらしいところから言えば、ジャーナリストの竹田圭吾さん、スティーブ・ジョブスさん、坂東三津五郎さんなど著名人もこの病気で亡くなっています。
膵臓がんは再発率が高い病気でもありますが、そのために行われるのが薬物治療だと言います。
がん自体の「性質」が悪質で、術後の再発率が高い。がん細胞がすい臓内にとどまる1期で診断・手術をしても再発するため、5年生存率は41.3%。胃がんのそれは97%であり、数字からも厳しさが知れる(全国がん(成人病)センター協議会生存率共同調査2016年2月集計)。
再発を抑えるには、手術後に残ったがん細胞をたたく抗がん剤による薬物療法(術後化学補助療法)が行われる。
※一般的には薬物療法が全身療法、放射線治療・外科療法が局所療法。
よって膵臓がんの場合でもその進行度によって、治療方法を変えるそうです。
全患者のうち手術で完全に助けられるのは2割程度、術後化学療法を行えばさらに1割程度を救える。がんが膵臓内にとどまっていれば「局所を攻める放射線治療も選択肢」だそうだが、肝臓、リンパ節、腹膜に広がった場合は適応外だ。
最初の段階では医師から薬物療法を勧められたという千代の富士でしたが、セカンドオピニオンを受け、選んだのは放射線治療と報じられています。
決断に迷った九重親方が頼ったセカンドオピニオンが、「UMSオンコロジークリニック」(以下、UMS)だった。
「親方はまず、UMSで治療が可能かどうか、病気の画像データなどを持参して相談したそうです。病院側は“抗がん剤を多量に使用しなくても治療する方法がある”と提案した。そこで、今年に入ってからこの施設で治療を受けるようになったそうです」(前出・相撲関係者)
UMSでは全国でここしか行われていない「四次元ピンポイント照射療法」という放射線治療の一種を施している。また、女優の樹木希林(73才)が治療に通っていたことでも知られる。
この治療法については、一般的な放射線よりも強い力で治療するものだそうです。
「九重親方が行っているのは、放射線治療の中でも、重粒子線治療と呼ばれるものだそうです。従来のエックス線より深い場所に、より強いエネルギーをピンポイントで与えられる先進医療で、実は北の湖理事長も亡くなる直前まで、同じ病院で同じ治療を受けていたそうです」
そして千代の富士がセカンドオピニオンを受け治療法を選択した理由は、抗がん剤の強い副作用を含め、これからの人生を考えた上での決断だったとも言われています。(※一般的に抗がん剤はがん細胞だけではなく、正常なものまで攻撃するため副作用が強いと言われます。)
「がんが見つかっても、転移があっても、決して諦めない精神力が親方らしい。UMSには今年の年明け頃から通い始めて、数か月に1度、1週間程度泊まりがけで鹿児島に通っているそうです。治療費は交通費や宿泊費など含めて200万円ほどだと聞いています。とにかく家族のために、そして少しでも元気な状態で生きて、相撲界のために後進を育てたいという一心。まさに現役時代さながらの不屈の闘志でがんと闘っているんです」
千代の富士(九重親方)の嫁・娘・息子など家族まとめ
千代の富士の嫁:久美子夫人
千代の富士は1982年に、生涯の伴侶 久美子夫人(旧姓進藤)と結婚しています。
千代の富士の嫁 久美子夫人画像。
1982年に婚約した時は、二人揃って会見を開いてとてもきれいな奥様です。
横綱の嫁といった感じで、和装がお似合いですね。
千代の富士と久美子夫人の結婚式画像。
娘とCM出演されたこともあったそうです。
久美子夫人は夫の大相撲引退後にともない、相撲部屋の女将さんもされていますので、美しいだけではなく、夫同様に非常に強い人だったのかもしれません。九重親方が亡くなられた直後も、毎年恒例で行っていた部屋の北海道合宿開催を決断しています。
師匠の急逝のため、部屋では一時中止も検討された。だが、おかみである久美子夫人の強い意向で開催が決定。部屋関係者によれば、これが最後の北海道合宿となる可能性もあるという。
千代の富士と嫁の間には子供が4人
千代の富士と久美子夫人の間には、4人の子供が生まれています。
1983年7月に長女の優さん、1986年頃に長男の剛さん、1987年7月に次女の秋元梢さん、1989年2月に三女の愛ちゃん。しかし末娘であった愛ちゃんは、生後4ヶ月で急死しています。
愛ちゃんは乳幼児突然死症候群で短い生を終えた。葬儀から2週間で名古屋場所だった。体重が4キロ減り、北勝海とのけいこでも簡単に腰から落ちた。首から数珠をかけて場所入りした。「そうすれば、愛が見守ってくれる気がしたんだ」。
あまりに悲しい出来事でしたが、千代の富士は直後にあった名古屋場所で優勝を果たしています。(1989年7月場所)
そして、こちらが2015年頃の秋元家 家族画像です。
真ん中に千代の富士、後ろの左から秋元梢さん、剛さん、優さん、久美子夫人といった並びになっています。
かなりの美形一家!
秋元家画像。(2015年)
お父さんの体格がすごい…!
お子さんたちについては、もう少し詳細にご紹介していきます。
千代の富士の娘:秋元優(長女:第一子)
秋元優さんは千代の富士の長女で、Instagramなどを拝見する限り妹の梢さん同様モデルをされているようです。
2003年から2014年頃までは、Faline Tokyoというショップにも務めていた経歴を持ちます。
2004〜2014年3月、Faline Tokyo. 勤務。
引用:U Akimoto
千代の富士の息子:秋元剛(長男:第二子)
秋元剛さんも、青山にあるアパレルショップADDITION ADELAIDEでディレクターを務めるかたわら、モデルとしてストリートスナップに登場することもあるおしゃれボーイです。
ストリートスナップ @Street of Daikanyama, Tokyo
千代の富士の娘:秋元梢(次女:第三子)
名前:秋元梢
生年月日:1987年7月27日
身長:165cm
所属事務所:レプロエンタテイメント
モデルとして有名な次女の秋元梢さんは、テレビでもよく見かけますね。ファッション雑誌「Gina」の専属モデル、東京ガールズコレクションのランウェイに登場したこともある人気モデルです。
兄弟の仲が良さそうな姿は、秋元梢さんのSNSでも拝見できます!
なんだか、秋元家の家族構成でざわざわしてる人が沢山いるみたいなんですが、、、
— 秋元梢 (@Akimoto_Kozue) 2014年9月20日
秋元優、秋元剛、秋元梢は本当の兄弟です👩👦👧w
(2人とも@uakimoto、@gooooomenでインスタやってるよー🙋✨) pic.twitter.com/VFcwFbuF9p
また秋元梢さんは父親の死に関連して、Twitterを更新しています。
今日、7月31日17時11分に、父が膵癌で亡くなりました。
— 秋元梢 (@Akimoto_Kozue) 2016年7月31日
最期は苦しむ事なく、家族全員に看取られて、息を引き取りました。
今まで父を応援してくれた皆様に感謝申し上げます。
父の娘に生まれて、幸せです。
秋元梢
ご冥福をお祈りいたします。