2015年に起こった「中野劇団員・加賀谷理沙さん殺害事件」ですが、犯人・戸倉高広のあまりに身勝手な犯行動機に世間の怒りが高まった一件でもありました。
この記事では、事件の詳細、犯人・戸倉高広の生い立ちや実家と家族、そして現在をまとめました。
この記事の目次
「中野劇団員殺害事件」とは
劇団員・加賀谷理沙さんが自宅玄関で殺害される
「中野劇団員殺害事件」とは、2015年8月に、東京都中野区のマンションの一室で当時25歳だった劇団員・加賀谷理沙さんの変死体が見つかった事件のことを指します。
加賀谷さんは、玄関付近に全裸の状態で倒れており、ひも状の凶器で首を絞められて殺害された痕跡があった他、口元や乳房などからは犯人の物と思われる唾液が検出されました。
一見すると強姦殺人事件のような手口と思われましたが、検死の結果、加賀谷さんが性的暴行を受けた痕跡などは発見されませんでした。
その後の警察の捜査によると、加賀谷さんの部屋からは、事件当日着ていたと思われる衣服や私物10数点がなくなっていたとか。
室内からは加賀谷さんのリュックサックやワンピース、エアコンのリモコンなど10数点のものがなくなっており、いずれも犯人が持ち去ったと考えられています」
ちなみに、加賀谷さんが暮らしていたマンション内にはダミーの防犯カメラしか存在せず、唯一人の出入りを確認出来るマンション前の防犯カメラにも、犯人らしき人物の姿は映っていませんでした。
異変に気が付いたのは交際していた劇団員の彼氏
「中野劇団員殺害事件」において、被害者・加賀谷理沙さんの異変に真っ先に気が付いたのは、当時交際をしていた「劇団FULL HOUSE」の団長・宇津木泰蔵さんでした。
宇津木さんは、「劇団FULL HOUSE」に移籍してきた加賀谷さんと2015年6月頃に知り合い、同年の7月から交際をスタートしたそうですね。
その後、事件に巻き込まれることとなった加賀谷さんが、劇団の稽古に顔を出さなかったりLINEに無反応となったことを不審に思った宇津木さんは、加賀谷さんのアルバイト先の居酒屋にコンタクトを取ることになりました。
宇津木さんからの連絡を受けた居酒屋の店長は、真面目な加賀谷さんがアルバイトや劇団の稽古を無断欠勤していることに一抹の不安を覚え、その日のうちに加賀谷さんの自宅マンションを訪ねることとなり、事件が発覚するきっかけとなったとか。
事件当初は元カレ犯人説が濃厚だった
「中野劇団員殺害事件」に関しては、被害者である加賀谷理沙さんと元カレの劇団員・Aさんとの間にトラブルがあったため、当初はそちらの線で捜査が進められていたようですね。
2人は事件の半年ほど前に別れていたものの、未練たらたらだったAさんは、その後も加賀谷さんへ付きまとっていたようで、酔った勢いで加賀谷さんのマンションを訪れて警察沙汰になったことまでありました。
7月中旬には、加賀谷さんが部屋の中で男性と激しく口論をしているとして、住民から通報があり、中野署員が出向く事態も起きていた。通報した男性は当時、酒に酔った様子の30代くらいの男性が部屋から出てきたのを目撃したという。
加賀谷さんは、アルバイト先の居酒屋に顔に痣を作って出勤したこともあったそうで、AさんにはDV疑惑なども向けられていました。
加賀谷さんの異性関連のトラブルには、その他にもマンション近くの公園で男性と口論になっている姿を目撃されていたとの報道もあったようですが、こちらの方は目撃者の勘違いだったとか。
とはいえ、捜査が進むに連れてAさんのDNAと加賀谷さんの体に付着していた唾液などのDNAがまったくの別物と判明するなど、事件は行きずりの犯行説が濃厚となって行きました。
「中野劇団員殺害事件」犯人・戸倉高広の逮捕までの経緯と犯行動機
近所に住んでいた戸倉高広が逮捕
「中野劇団員殺害事件」に関しては、加賀谷理沙さんの知人関連のDNAを検査しても遺留物のDNAと一致する型はなく、周辺住人や宅配業者を含めた1500人ものDNAが採取されることになりました。
そんな中で、事件直後に不審な動きを見せたためマークされていた人物の中に、戸倉高広という男がおり、警察が任意のDNA提供を求めたところ、遺留物のDNAと一致するといったサプライズが起こりました。
戸倉容疑者は事件当時、加賀谷さんの自宅近辺に住んでいた。しかし、事件発覚直後に東京を離れて福島県内の実家に戻るなど、不審な動きをみせていたという。
犯人・戸倉高広は加賀谷理沙さんのストーカーだった?
2016年3月に逮捕されることとなった戸倉高広ですが、逮捕直後は容疑を否認していたものの、最終的には「(事件当日に)街中で見かけた後、LINEのIDを交換したくなって後をつけた」と犯行を認めています。
これに対し、弁護側は、被告は加賀谷さんとラインのID交換をしたくてマンションまで追ったが、「悪魔だよ。倒さないとうつるよ」などの男の声が聞こえ、騒がれたため首を絞めたと主張。殺害後、「嫌がることをすれば息を吹き返すと思い、胸のあたりを軽く舌で触れた」などと主張している。
とはいえ、戸倉高広は加賀谷理沙さんのマンションから400m程度の距離に住んでいたうえ、元職場も加賀谷さんのアルバイト先の居酒屋より300m程度の近距離にあるなど、生活圏が被っている状況でした。
その他にも、加賀谷さんが見知らぬ男から付きまとい被害を受けたことを知人に相談していた過去があったため、「以前より一方的に加賀谷さんを知っており、狙っていたのではないか?」と疑っているネットユーザーたちもいるようですね。
「中野劇団員殺害事件」被害者・加賀谷理沙さんの生い立ち
加賀谷理沙さんに関しては宮城県出身の女性であり、県立名取北高校時代は、演劇部ではなく文芸部に所属していたそうですね。
俳句が得意な文化系女子だった加賀谷さんは、高校3年時に「第1回佐藤鬼房顕彰全国俳句大会」のジュニア部門にて、「佐藤鬼房奨励賞」を受賞した経歴まで持っていました。
高校卒業後は地元の宮城大学に進学した佐藤さんは、就活に成功し東京の企業へ就職しますが、女優を志し退職した後は、声優のキートン山田さんが主宰する「劇団ふりぃすたいる」に入団することになりました。
晴れて舞台女優となった加賀谷さんは、週4~5日間の稽古の合間に居酒屋やものまねパブでアルバイトをしており、将来の夢は「人を笑わせられる女優になりたい」だったとか。
その後、2015年5月に「劇団FULL HOUSE」に移籍することとなった加賀谷さんでしたが、前述の宇津木泰蔵さんという彼氏も出来るなど、公私ともに充実した日々を送っていました。
「中野劇団員殺害事件」犯人・戸倉高広の生い立ちと家族…実家は会計事務所を経営していた
戸倉高広、福島県の裕福な家庭に育つ
福島県西白河郡矢吹町に生まれた戸倉高広については、会計士をしていた祖父が地元で会計事務所を開業しており、俗に言う地元の名士的な裕福な家に育つことになりました。
会計士だった両親が祖父の事務所を引き継いでいたため、戸倉家の3代目として周囲から期待を集めていた戸倉高広でしたが、近隣住民からは「挨拶が出来ない」や「地域の催しものにも顔を出さない」といったネガティブなイメージが強かったようですね。
一方で、学校の方では優等生だったと言われている戸倉高広は、同級生からは「口数は少ないけど真面目」との評価を得ており、中学時代は学級委員長を務めた他、剣道にも打ち込んでいたとか。
戸倉高広、高校時代に挫折を味わっていた
中学を卒業後は地元の工業高校に進学した戸倉高広ですが、高校時代に難関資格である公認会計士試験に挑むも不合格に終わってしまったこともありました。
この頃になると、人並みに恋愛にも目覚めていた戸倉高広は、小中時代の同級生にラブレターを渡したこともあったようですね。
とはいえ、元同級生ながらもほとんど面識のない間柄だったのが災いしたのか、告白相手から気味悪がられてしまったとのエピソードも残っています。
その後の戸倉高広は、内部推薦で大学進学が決まっていたものの、自身の不祥事で内定取り消しになるなど、大きな挫折を味わうことになりました。
結局、大学進学には失敗した戸倉高広でしたが、地元で就職するといった選択肢はなかったのか、会計士を目指して上京する道を選んだようですね。
東京上京後の戸倉高広に関しては、当初は専門学校に通っていたものと思われますが、難関試験に合格することが出来ないままに、いつしかパチンコ店やゴミ収集の仕事などを転々とすることになり、会計士の夢についても断念してしまったとか。
戸倉高広、2015年6月に会社を退職していた
東京上京後は職を転々とし、いつしか会計士の夢も断念していた戸倉高広でしたが、2013年より都内の不動産会社に就職し、営業マンとして定職を得ていたようですね。
とはいえ、真面目な勤務態度ながらも営業成績は良くなかった戸倉高広は、上司から叱責される機会も多かったとの同僚の証言が残っています。
それでも腐らずに深夜まで接客の特訓をして営業成績改善を図っていた戸倉高広ですが、内気で口数の少ない性格が営業職には致命的に向いていなかったため、成功を掴むことは出来ませんでした。
その後の戸倉高広は、2015年6月になると、同僚に「結婚して、彼女の実家の飲食店で働く」と言い残し、会社を退職したそうですね。
戸倉容疑者は転職先について、「彼女の父親が飲食店などの仕事をしているので、そこで働く」と説明。「八王子にマンションもあるので、そこに住む」とうれしそうに話していたという。
戸倉高広に、本当にそんな交際相手がいたかどうかは不明となりますが、退職後に結婚をしたとの情報はないため、恐らくは会社を辞める口実だったものと思われます。
戸倉高広、事件前から福島に帰郷予定だった
会社を退職後の戸倉高広に関しては、2015年7月中旬頃に、都内在住の友人に「うだつが上がらないから故郷に帰る」とLINEで伝えていたようですね。
そのため、「中野劇団員殺害事件」以前から福島に帰る予定だった戸倉高広ですが、無職の身でありながら、その後1ヶ月以上も東京に残り続けた理由については、本人の供述がないため不明となっています。
ちなみに、戸倉高広が福島に出戻ったのは、事件直後の2015年9月になってからでした。
「中野劇団員殺害事件」犯人・戸倉高広の現在…無期懲役の実刑判決により服役中
戸倉高広、裁判では心神喪失を主張
戸倉高広は、「中野劇団員殺害事件」の公判において「悪魔の声が聞こえた」と主張し、心神喪失による減刑や無罪を狙っていたようですね。
その時「早く倒さないと危ない」と“悪魔の声”が聞こえたという。加賀谷さんが後ずさりをした時には「首だよ。コードを使えば」という声が聞こえたともいい、扇風機のコードで絞殺。遺体の背中には尻尾が見えたという。
実際の話、精神鑑定により「回避性人格障害」があったことは確認されている戸倉高広ですが、あくまでコミュニケーション能力や社会適応に問題が生じる類の障害に過ぎず、殺人事件を誘発してしまうような障害ではありませんでした。
その他にも、「中野劇団員殺害事件」における戸倉高広は、事件現場にまったく指紋を残してしない状況だったうえ、加賀谷さんの口元などに付着した自身の唾液をボディーソープで洗い流してもいたようで、隠蔽工作を試みた形跡もありました。
そのため、東京地裁での第一審でも戸倉高広の責任能力は認められており、2018年3月になると、「わいせつ目的の自分本位な犯行」として無期懲役判決が下っています。
戸倉高広、上告が棄却されて無期懲役が確定
「中野劇団員殺害事件」では、2019年4月になると、最高裁にて戸倉高広側の上告が棄却されて無期懲役が確定しています。
東京都中野区のマンションで2015年、劇団員の加賀谷理沙さん=当時(25)=が殺害された事件で、殺人などの罪に問われた戸倉高広被告(40)について、最高裁第1小法廷(山口厚裁判長)は15日付の決定で、被告側の上告を棄却した。無期懲役とした一、二審判決が確定する。
被告側の主張が認められず、逮捕から3年ほどでスピード決着した「中野劇団員殺害事件」でしたが、身勝手な犯行動機で加賀谷理沙さんを殺害した戸倉高広に対しても「永山基準」が適応されたことに関して、不満に思っているネットユーザーたちも多いようです。
東京・中野で劇団員の加賀谷理沙さんが殺害されたあのむごい事件、戸倉高広被告が無期懲役とは甘すぎる・・・「一人殺したら無期懲役、二人殺したら死刑」の基準、なんとかできないものか https://t.co/ihtR7VQTGx #加賀谷理沙 #戸倉高広 #無期懲役 #死刑 #中野 #劇団員
— あらやまはじめ (@Arayamahajime) March 8, 2018
「中野劇団員殺害事件」についてまとめると…
・戸倉高広は福島県西白河郡矢吹町の出身で、祖父・両親が会計士をしている裕福な家庭に育った
・戸倉高広は高校時代に公認会計士試験に不合格となり、その後上京するも会計士の夢は断念し不動産会社で働いていた
・戸倉高広は現在、無期懲役の実刑判決により服役中である
「中野劇団員殺害事件」とは、劇団員・加賀谷理沙さんが、戸倉高広にわいせつ目的で殺害された事件となります。
加賀谷さんのご冥福を祈りつつ、この記事のまとめを終了させて頂きます。