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矢島祥子医師の経歴や兄弟!大阪西成女医不審死事件の犯人と真相・謎8つも総まとめ

「西成のマザー・テレサ」と呼ばれた女医の矢島祥子さんですが、2009年に不可解な死を遂げたことでも話題となりました。

 

この記事では、矢島祥子さんの出身大学など学歴と経歴、実家の兄弟や家族、「大阪西成女医不審死事件」の犯人と真相、貧困ビジネスの闇などについてまとめてみました。

矢島祥子が不審死した「大阪西成女医不審死事件」の詳細

大阪西成女医不審死事件、女医・矢島祥子の不審死事件だった

 

 

「大阪西成女医不審死事件」とは、2009年11月16日に大阪府大阪市西成区内を流れる木津川・千本松渡船場にて、女医・矢島祥子さん(34)が水死体で発見された事件となります。

 

当初は警察より「過労による自殺」扱いされた矢島さんでしたが、遺体に他殺を示唆するいくつかの痕跡が残されていた他、現場検証で本人の指紋さえも採取出来ないほど自宅アパートが清掃されていたなど、不可解な点が多い事件でした。

 

矢島祥子の遺体に残されていた他殺を示唆する痕跡
・遺体に(首を圧迫されて窒息死した遺体に見られる)圧迫痕があった
・顔に窒息死したことを伺わせる溢血点があった
・頭頂部に(血流がある生存状態のみで発生する)こぶが出来ていた
・前頭部や右脛、右手などにすりむき傷があった
・遺体が死後硬直していた(水死体は関節が自由に動く状態にあるため死後硬直をしない)

 

そのため、不審に思った遺族たちが「大阪西成女医不審死事件」の再捜査を求める運動を展開したところ、2012年に「殺人・死体遺棄事件」としての捜査が開始されています。

 

この事件に関し、大阪府警察本部は女性の遺体を検視した結果、女性が死亡直前に知人に送った手紙等を根拠に、「過労による自死」と判断したが、2010年9月14日、再捜査要求、苦情申し立てが大阪府公安委員会に対して女性の遺族から行われる。2012年8月22日、遺族が提出した「殺人・死体遺棄事件」としての刑事告訴状が受理され、再捜査が行われることとなった。

 

引用:大阪西成女医不審死事件

 

 

矢島祥子の経歴や出身大学など学歴…実家の両親も医師で男兄弟が3人いた

矢島祥子、家族には医師やミュージシャンがいた

 

矢島祥子さんは、群馬県高崎市内にある矢島家の第三子(長女)として、1975年3月30日に生を受けています。

 

 

 

矢島家については、父・祥吉さんや母・晶子さんが共に群馬大学医学部卒の医師であった他、自宅敷地内で診療所を営むアッパーミドル家庭でした。

 

 

また、弟の剛さんは、「モーモールルギャバン」というロックバンドでドラム兼ボーカルを務めるミュージシャンでもありました。

 

矢島祥子の兄弟
・長兄:矢島敏さん
・次兄:矢島洋さん
・弟:矢島剛さん

 

ちなみに、「モーモールルギャバン」は、「大阪西成女医不審死事件」が起こる直前となる2009年11月11日に、アルバム「野口、久津川で爆死」にてメジャーデビューを果たしていたそうですね。

 

 

矢島祥子、医師を目指したきっかけとは?

 

 

矢島祥子さんは、両親に似て秀才だったらしく、中学を卒業後は県立高崎女子高校(偏差値68)に進学しています。

 

そんな矢島さんが両親と同じ医師の道を目指したきっかけについては、高校時代に発展途上国の難民キャンプで働く医師の特集番組を見て深い感銘を受けたそうですね。

 

その後医師を目指すこととなり、群馬大学医学部へ現役合格を果たしている矢島さんでしたが、群馬県下で4番目の高偏差値校である高崎女子高校とはいえ、医学部医学科の合格者数は年間一桁なため、相当な努力をされたのではないかと思われます。

 

 

群馬大学医学部進学後の矢島さんは、日本キリスト教団高崎南教会で洗礼を受けてクリスチャンになった他、マザー・テレサに会いにインドにまで足を運んだこともありました。

 

 

 

矢島祥子、「西成のマザー・テレサ」だった

 

群馬大学医学部時代の矢島祥子さんは、医療過疎地域を救うために内科や婦人科の勉強に勤しんでいたそうですね。

 

 

大学を卒業後は、沖縄県立中部病院で研修医として働いていた矢島さんは、研修を終えた後は大阪淀川キリスト教病院に内科医として就職しています。

 

矢島さんのボランティア活動はこの頃から始まっていたそうで、大阪府大阪市西成区のあいりん地区にてホームレスの支援活動に従事していました。

 

その後、ボランティア活動中に「NPOヘルスサポートおおさか」の設立者である医師・黒川渡さんと知り合った矢島さんは、黒川さんが経営する「くろかわ診療所」に転職をすることになりました。

 

西成区鶴橋にある「くろかわ診療所」に転職した後の矢島さんは、より一層支援活動に取り組むようになり、給料やボーナスの大半を(ホームレスたちに無料配布する)寝袋の購入費用に充てていたと言われております。

 

そんな矢島さんの活動は、あいりん地区でも大変に好評だったそうで、「西成のマザー・テレサ」との異名までついていたとか。

 

 

矢島祥子「大阪西成女医不審死事件」の時系列…死後に木津川に遺体が投棄されていた

矢島祥子、「くろかわ診療所」で犯人に襲われた?

 

 

矢島祥子さんが巻き込まれることとなった「大阪西成女医不審死事件」ですが、事件発覚までの時系列は下記のようになっています。

 

〇2009年11月13日22時、診療所の他の医師が死亡女性医師の診療所勤務を確認。
〇2009年11月14日4時15分(天候:強い雨)、女性が警備システムをカードで作動させ、診療所を離れる。診療所のある商店街アーケード設置防犯カメラ(全8台)には女性は映っていない。
〇2009年11月14日4時16分、診療所警備システム警報が作動。  
〇2009年11月14日4時50分(警報作動から約30分後)、警備会社警備員が到着。診療所は無人。女性は知人にメールを送信。
〇同日、自宅近くの郵便ポストに、その知人(男性、63歳、元患者、女性死亡後に自らを元交際相手と称する。)宛に絵はがきを投函。 
〇2009年11月16日1時20分、第一発見者の釣り人が、着衣、立位、死後硬直状態の遺体を発見。

 

引用:大阪西成女医不審死事件

 

「くろかわ診療所」のセキュリティシステムについては、警備会社に電話をすれば警報が解除出来る仕組みになっていました。

 

当然ながらその情報は矢島さんも共有していたため、深夜に警報を放置したまま姿を消すことは不自然すぎる行動と言えました。

 

そんな事情もあり、遺族や同僚たちは、矢島さんが2009年11月14日の早朝に「くろかわ診療所」にて何者かに襲撃・拉致されたのではないかと推測する人間が多かったそうですね。

 

そのため、「くろかわ診療所」から失踪した後の矢島さんが、知人にメールを送ったり絵ハガキを投函したりしていたのは、犯人グループのアリバイ工作だったのかもしれませんね。

 

とはいえ、警察側は、遺族たちの捜査要請を保留し続けていたらしく、事件から1年近く過ぎた2010年10月11日になってようやく「くろかわ診療所」を任意捜査するといった低落ぶりでした。

 

 

矢島祥子、遺体が木津川に遺棄されたのは2009年11月15日深夜か?

 

2009年11月14日早朝に「くろかわ診療所」より失踪した矢島祥子さんですが、死亡推定時刻については、同年の11月14日午前中となっているそうですね。

 

ただし、遺族が矢島さんに連絡を取ろうとした結果、2009年11月15日の午後14時30分までは携帯電話の呼び出し音が鳴る状態だったことが判明しています。

 

件の携帯電話は、後に矢島さんが着ていた衣服のポケットから発見されているため、木津川に遺体が遺棄されたのは、2009年11月15日の午後14時30分以降ということになります。

 

 

また、後に遺族が支援者たちと共に木津川にダミー人形を流して実験をしたところ、数時間もあれば遺体は発見現場(千本松渡船場)より下流に流れてしまうことが判明したそうですね。

 

そのため、矢島さんの遺体が木津川に遺棄されたのは、発見時刻(2009年11月16日午前1時20分)よりも少し前となる2009年11月15日深夜、それも日付が変わる間近だったのではないかと思われます。

 

 

矢島祥子「大阪西成女医不審死事件」の謎8つ…矢島祥子が目にした貧困ビジネスの闇とは?

大阪西成女医不審死事件の謎① 矢島祥子は貧困ビジネスの闇に直面していた  

 

生前は「野宿者ネットワーク」という団体に所属し、大阪市西成区あいりん地区にてホームレスの支援活動をしていた矢島祥子さんですが、貧困ビジネスにて弱者を食い物にする悪党たちと対立していたそうですね。

 

 

貧困ビジネスとはご存じの通り、ホームレスや生活困窮者のための生活保護制度を悪用したビジネスの総称であり、宗教団体や左翼団体、暴力団といった各種勢力がごっちゃまざとなり、利権を食い漁る構造となっています。

 

あいりん地区における貧困ビジネスには、住居を斡旋して生活保護費をピンハネする従来型のビジネスの他に、医師と結託して健康体なホームレスに薬を大量処方したり入院させたりし、医療費を貪るタイプのビジネスもあったと言われております。

 

当然ながらホームレスに処方された薬は、貧困ビジネスの元締めが回収して転売するケースが多かったそうですね。

 

すべてが貧困ビジネスの利権というわけではなく、真剣に貧困者救済に勤しむ団体も存在していましたが、当時の西成区全体で年間で600億円以上のお金が生活保護費に流れていたとか。

 

矢島さんが所属していた「野宿者ネットワーク」は、そういった貧困ビジネス利権とは一線を画した組織だったため、あいりん地区内でも疎む勢力が存在していました。

 

特にマザー・テレサに憧れていた矢島さんは、弱者を食い物にする存在に強い憤りを覚えていたらしく、貧困ビジネスの闇を追求していたとの情報も存在します。

 

「彼らはホームレスを病院に紹介して、バックマージンを貰っている。ホームレスはカネになる。入院させてもいい。確保して住まわせてもいい。日本国籍持ってるホームレスなら生活保護で一発や。その件を女医さんが問い詰めたらしい。そこに同席していたのが佐藤ともう1人、何処かに消えた奴や。それは死んだ佐藤に聞いた。女医さんが殺された少し後にな。女医さんは釜ヶ崎と縁を切れと言ったらしい」

 

引用:「アイツは変なとこに首突っ込んだ」関係者も謎の焼死…西成マザーテレサ不審死事件【短期連載3】

 

矢島さんには、その他にもあいりん地区での貧困ビジネスの実態を告発しようと考えていたそうで、マスコミに接触までしていたそうですね。

 

 

 

大阪西成女医不審死事件の謎② 事件直前の矢島祥子は身の危険を感じていた

 

 

西成区あいりん地区にて横行する貧困ビジネスの闇を追求していた矢島祥子さんですが、「大阪西成女医不審死事件」以前より身の危険を感じていました。

 

矢島さんが周囲に「殺されるんじゃないか…」とこぼすほど身の危険を感じた原因には、「大阪西成女医不審死事件」の起こる数日前くらいから、何者かに付け回されている気配を感じたことが大きかったようですね。

 

そのため、矢島さんは、2009年11月12~13日は自宅アパートには戻らずに友人宅に泊めてもらうなど自衛もしていたとか。

 

矢島さんが失踪当日も早朝まで「くろかわ診療所」に残り続けていた背景には、セキュリティのしっかりした場所で夜を過ごしたいといった事情でもあったのかもしれませんね。

 

ちなみに、矢島さんは西成区から去ることも予定していたらしく、長兄に「西成は危険だからもう辞めたい」「兄の家にしばらく居候して良いか?」と相談までしていたと言われております。

 

 

大阪西成女医不審死事件の謎③ 防犯カメラには何が映っていたのか?

 

「大阪西成女医不審死事件」では、街中に設置されていた防犯カメラに失踪当日の矢島祥子さんの姿が一切映っていないという不可解な状態でもあったそうですね。

 

この不可解な現象の真相については、「くろかわ診療所」のすぐ横に脇を逸れる小道があったため、矢島さんはそのルートで犯人たちに拉致されたのかもしれませんね。

 

 

また、「大阪西成女医不審死事件」では、(「くろかわ診療所」から自転車で5分程度の距離にあった)矢島さんの自宅アパート横のマンションの防犯カメラ映像も警察に押収されていました。

 

しかしながら、警察は押収した防犯カメラ映像に対して「機器の故障で何も映っていなかった」と発表しています。

 

とはいえ、マンション管理人は故障の事実はないと主張しているそうですね。

 

2009年11月14日早朝に「くろかわ診療所」で拉致された疑いが濃厚な矢島さんだけに、失踪当日に自宅アパート横のマンションの防犯カメラに映っている可能性は低いと言えます。

 

一方で、押収した防犯カメラ映像に本当に何も映っていなければ警察側が嘘をつく必要もないため、事件に関連の疑いがある人物たちの映像くらいは映っていたのかもしれませんね。

 

 

大阪西成女医不審死事件の謎④ 黒川医師は何を知ったのか?

 

「大阪西成女医不審死事件」が起こった後に、不審を感じて独自調査を開始した人間は遺族以外にもいました。

 

矢島祥子さんが勤務していた「くろかわ診療所」の所長・黒川渡さんもその1人でそうで、自身の人脈を駆使して「大阪西成女医不審死事件」のことをかなり真剣に調べていた時期もありました。

 

しかしながら、そんな黒川さんもある時を境に事件を追うことを断念し、矢島さんのことも口に出さなくなったと言われております。

 

黒川さんは、同時期にとある団体の嘱託医も辞めたそうなので、独自調査の結果、真相に近いところまでは辿り着いていたのかもしれませんね。

 

 

ちなみに、黒川さんが設立した「NPOヘルスサポートおおさか」は、大阪府堺市を拠点に活動をするNPO団体だったため、基本的にはあいりん地区の貧困ビジネス利権とは無縁な団体だったとか。

 

大阪西成女医不審死事件の謎⑤ 怪しすぎる自称恋人の極左活動家

 

 

「大阪西成女医不審死事件」では、あいりん地区在住の自称恋人の老人まで登場しています。

 

矢島祥子さんと生前交際していたと自称した老人については、極左団体に所属する事件当時63歳の活動家・Aでした。

 

Aは、「くろかわ診療所」から姿を消した後の矢島さんからメールや絵はがきを受け取った人物であり、周囲に自殺説を吹聴していました。

 

ちなみに、Aが矢島さんの自殺説を唱えた理由については、貰った絵はがきに「元気で長生きをしてください」と書いてあったからだとか。

 

当然ながら、2人が生前交際していたとの情報は、矢島さんの知人や遺族たちでも知らないことでした。

 

そのため、実際のところは、Aは矢島さんの元患者の1人という程度の関係性だったようですね。

 

 

そんなAが突然矢島さんの恋人を自称し始めた理由については、当時生活保護を受けていた手前、マスコミを相手に小遣い稼ぎをしたかったのかもしれませんね。

 

そして自称元恋人の男性はここでいきなり居直った。
「それよりも今回の謝礼はいくら貰えるんだよ。東京のテレビ局はちゃんと金を払ってくれたぞ。だから俺は喋ったんだ。生きていく上には金は絶対に必要だ、それくらいわかるだろ。こっちは好意で話してやってるんだ。それなのに謝礼も渡さないのか。反対に失礼だろうが。いくら出すんだよ」

 

引用:「カネはいくら出す?」自称元恋人の信じられない言葉…西成マザーテレサ不審死事件【短期連載4】

 

Aに関しては、事件の黒幕に依頼された目くらまし役との説もネット上には存在しますが、ここまで露骨に怪しい人物の言うことを真に受ける人間も少ないでしょうから、工作員としては機能しないように思われます。

 

 

大阪西成女医不審死事件の謎⑥ 佐藤豊は何故焼死したのか?

 

 

矢島祥子さんには、一緒にボランティア活動を続けていた相方・佐藤豊さんもいたそうですね。

 

佐藤さんは、過去に矢島さんに命を救われた立場であったそうなので、元ホームレスの男性だったのかもしれませんね。

 

事件後の佐藤さんは、矢島さんの無念を晴らすためにマスコミの取材を受けて自分の知っている情報を提供し続けていた他、事件報告会なども主催して「大阪西成女医不審死事件」を風化させないように努力していました。

 

当然ながら、そんな佐藤さんの活動を疎ましく思う勢力もいたそうで、身の危険を感じるほどの脅迫まで受けていたとか。

 

そんな佐藤さんも2012年8月7日に、西成区花園北にある自宅アパートで火事が起こり、64歳の若さで焼死しております。

 

佐藤さんの急死については、「大阪西成女医不審死事件」の黒幕に暗殺されたとの説もネット上では囁かれ続けている状況です。

 

 

大阪西成女医不審死事件の謎⑦ 矢島祥子の自宅アパートを清掃した男がいた

 

「大阪西成女医不審死事件」では、週刊誌の取材の結果、事件発覚前に矢島さんの自宅アパートを清掃した男・Bの存在も明らかになっています。

 

 

Bに関しては、当日になって日給10万円の条件でとある組織から仕事を依頼されただけの日雇い労働者だったそうですね。

 

Bが矢島さんの自宅アパートに着いた頃には、既に5人(男2人女3人)の人間が部屋の清掃を始めていた一方で、そのうちの3人(男2人女1人)はすぐに外へ出て行ったとか。

 

その後、7~8時間かけてBらが本棚の本の表紙まで1冊ずつ清掃した結果、部屋は矢島さんの指紋すら検出出来ないピカピカの状態となりました。

 

・矢島さんの部屋の中(テレビの裏、本棚の天板、ドア敷居の上、書籍等にまで)にはいっさいのホコリが無く、現場検証では矢島さんの指紋すら非検出だった(西成署発表)

 

引用:「10万で頼まれた」ついに関係者の証言…西成マザーテレサ不審死事件【短期連載2】

 

前述の通り、矢島さんは事件数日前から自宅には帰宅しておらず、アパートが「大阪西成女医不審死事件」の拉致・殺害現場となった可能性は低い状況です。

 

そんな状況下でこのような工作をした組織が存在するということは、一見すると不思議な感じもします。

 

そのため、もしかすると黒幕組織が都合の悪い書類を持ち出すために矢島さんのアパートを物色した結果、自分たちが部屋に侵入した痕跡を隠す必要性でも生じたのかもしれませんね。

 

 

大阪西成女医不審死事件の謎⑧ 矢島祥子は覚せい剤の売人とトラブルがあった

 

 

矢島祥子さんは、生前にあいりん地区で活動する覚せい剤の売人との間にトラブルもあったそうですね。

 

矢島さんが売人とトラブルになった理由については、支援しているホームレスに覚せい剤を売りつけていた売人がいたという話になっています。

 

とはいえ、売人一派が矢島さんを殺害した場合は、警察が捜査を躊躇するようなこともないでしょうから、この時のトラブルと「大阪西成女医不審死事件」は関係がないように思われます。

 

 

矢島祥子「大阪西成女医不審死事件」の真相と犯人とは…あいりん地区の闇が原因か

 

 

「大阪西成女医不審死事件」では、警察側は自殺事件との建前とは裏腹に、当初は左翼同士の利権をめぐる内ゲバ殺人との見通しを立てていたとも言われております。

 

とはいえ、矢島祥子さんはご存じの通り、あいりん地区の闇を目の当たりにした結果、弱者を食い物にする貧困ビジネス是正のために行動していた人間となります。

 

そのため、矢島さんを疎ましく思っていた人間は、あいりん地区の生活保護利権を貪る既得権益者(左翼団体や宗教団体、暴力団など)全体であったと言えます。

 

「大阪西成女医不審死事件」が、当初は自殺事件として処理されそうになっていた背景には、暴くと警察ですら無事では済まない、アンタッチャブルすぎる事情があったことは間違いありません。

 

 

 

矢島祥子「大阪西成女医不審死事件」の現在とは?…未解決事件化しつつあった

 

 

「大阪西成女医不審死事件」に関しては、2021年5月現在、事件の進展はない状況です。

 

また、遺体遺棄罪については、2012年11月に公訴時効まで成立してしまうことになりました。

 

ただですら心労が嵩む状態にある遺族たちですが、2018年に矢島祥子さんの次兄である矢島洋さんが心臓発作で急死してしまうなど、不幸はさらに続いたとか。

 

とはいえ、善良な女医が非業の死を遂げた「大阪西成女医不審死事件」は、いつまでも人々の記憶に残り続けており、解決を願う声がネット上でも絶えない状況にあります。

 

 

 

 

矢島祥子「大阪西成女医不審死事件」についてまとめてみると…

 

 

「大阪西成女医不審死事件」に関しては、現代日本の闇に触れてしまった善良な女医・矢島祥子さんが殺害された事件となります。

 

矢島さんのご冥福を祈りつつ、この記事のまとめを終了させて頂きます。

 

 

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