1988年2月23日に愛知県名古屋市緑区で起きた世間を震撼させた「名古屋アベック殺人事件」。
「名古屋アベック殺人事件」の詳細や被害者遺族、犯人の現在について詳しく総まとめしましたのでご紹介します。
この記事の目次
「名古屋アベック殺人事件」の概要
「名古屋アベック殺人事件」は日本犯罪史上稀にみる残虐な事件
日本犯罪史上稀にみる残虐な事件
1988年は日本犯罪史上でも稀に見るような残虐非道な少年犯罪が2件起きており、一つが11月から起きた「女子高生コンクリート詰め殺人事件」、もう一つがこの1988年2月23日に起きた「名古屋アベック殺人事件」であり、カップルふたりの命をおもちゃのように弄びながら殺害した鬼畜ぶりから、初めて少年法が見直されるきっかけになり少年への死刑適用問題が議論されました。
「名古屋アベック殺人事件」は1988年2月23日から25日にかけて愛知県名古屋市緑区にある大高緑地で発生したことから「大高緑地公園アベック殺人事件(おおだかりょくちこうえんアベックさつじんじけん)」とも呼ばれています。
被害者のXさんとY子さんは午前4時頃にドライブデートで愛知県名古屋市緑区の県営大高緑地公園の第一駐車場に車を停めていたところを、以下の主犯格Aを始めとする6人の17~20歳の男女(男3人・女2人)に襲撃されて殺害されてしまいました。
・17歳の準主犯格のとび職少年B(本名:徳丸信久)
・20歳の成人の男C(本名:高志健一)
・19歳の無職少年D(本名:近藤浩之)
・17歳の無職少女E子(本名:龍造寺リエ→雪丸リエ)
・18歳の無職少女F子(本名:筒井良枝)
「女子高生コンクリート詰め殺人事件」と合わせて1988年に世間を震撼させ、少年法の改正が叫ばれるようになった「名古屋アベック殺人事件」の詳細についてご紹介しましょう。
「名古屋アベック殺人事件」の詳細…被害者は19歳男性と20歳の女性
被害者XとY子が少年Aらに強盗・暴行を受ける
この「名古屋アベック殺人事件」で被害者となったは、当時19歳の理容師・男性Xさんと、20歳の理容師見習い・Y子さんでした。
1988年2月22日午後10時頃にXが出かける
Y子は仕事から自宅に帰ると家族に友達と遊びに行くことを伝えて父親の車であるトヨタ・チェイサーに乗ってXを迎えに行き、2月23日午前4時30分頃に愛知県営大高緑地公園にドライブに行きました。
その頃、犯行グループの少年AらはAの所有する日産・グロリアとDが知り合いの暴力団員から借りた同じくグロリアの2台の車に分かれ、名古屋市港区にある金城埠頭でカップルの乗る2台の車をそれぞれ襲ってひとりに暴行して2週間程度の怪我を負わせ、計8万6000円余りを強奪していました。
少年Aらは「バッカン」と呼んで遊び半分にカップルを襲撃することを楽しんでおり、次のターゲットに定めたのが愛知県営大高緑地公園の第一駐車場に車を停車させていたXとY子でした。
2台の車で挟み撃ちをするように襲撃し、木刀を使って車の窓ガラスを叩き割るとXとY子を車から引きずり出して木刀や鉄パイプなどで顔や頭を殴りつけて2万円を奪い、さらに以下のような鬼畜の所業を加えています。
仕打ちはどんどんエスカレートしていった。Xは気絶するまで全身をめった打ちにされ、Yは素っ裸にされ輪姦および全身にタバコの火を押し付けられたあげく、最後は陰部にシンナーをかけられそこに火を押し付けられるなどした。2人が激しいリンチの末にぐったり倒れ込んでしまい、夜が明け周りが明るくなったため、放置すればすぐ見つかって大ごとになると恐れ、2台のグロリアに連れ込んだ。
被害者XとY子を殺害後に山中に埋める
弄ぶように殺害されたXとY子
少年Aらはぐったりして虫の息になっているXとY子をそれぞれの車に乗せて名古屋市内を回りながら、顔を見られていることから殺すことを決めました。
市内のカーホテルに二人を監禁すると、24日の午前4時30分頃にXだけを車に乗せて、愛知県愛知郡長久手町(現・長久手市)にある「卯塚緑地公園」内の弘道会の本家墓前に連れていき、少年AとBがビニール紐をXの首に巻きつけて左右から引っ張る形で絞殺し、遺体をグリロアのトランクに積み込みました。
Y子は生かしたままグロリアに乗せて6人のうちの一人の自宅で一泊し、Y子を強姦してから車に乗せ、少年Aが過去に働いていた経験がある三重県に入り、阿山郡大山田村(現・伊賀市)阿波の山林内で午前3時頃にXと同じ方法でY子を絞殺しました。
2日間も車で連れ回され、X共々木刀で滅多打ちにされた挙句目の前でXを絞殺されたY子は、最後には「もう私を殺して」と訴えたほどやつれ果て、犯人たちはそんなY子をパンティー一枚の姿にするとXにしたのと同様の方法で平然とロープで絞殺し、「アベックだから、面白半分でそんな姿にした」(取り調べでの供述)という理由で、穴の中にXの遺体を仰向けで下に、その上に下着1枚のY子の遺体をうつぶせに乗せ、2人とも両腕で互いの体を抱き合っている姿にして埋めた。
山林に死体を遺棄した少年Aら6人は名古屋市港区の市営南汐止荘にあるAの部屋に戻ってどこに逃亡するか相談していましたが、すでに愛知県警察捜査一課は捜索を開始しており、午後2時頃に自宅を突き止められて逮捕されました。
逮捕の決め手となったのはAらが乗っていたグロリアで、捜査員が名古屋市港区野跡3丁目の公園西側路上に停められていた破損したグロリアを不審に思い調べたところ、Y子のチェイサーの塗料が着いていたため、近隣に住むAのアパートを突き止めて任意同行を求めたところあっさりと自供しました。
「名古屋アベック殺人事件」の判決内容と犯人グループの現在
犯人グループ6人の逮捕と判決内容
初めて未成年のAに死刑判決が下る
成人だったCは殺人罪などの罪状で名古屋地裁に起訴されましたが、Aをはじめとする5人の未成年らも「犯行は悪質で刑事処分が相当」とする意見書とともに名古屋家庭裁判所に送られました。
主犯格のAが成人していたなら間違いなく死刑が確定していましたが、19歳の未成年だったことからAは「死刑にはならない」とタカをくくって余裕の表情を見せていたと裁判中に面会に訪れた母親が語っています。
「凶悪犯」として、世間の注目を浴びた中川受刑者。だが、犯行当時から死刑判決を受けるまで、自らの「罪の意識」は薄かった。中川受刑者の母親の君江さん(63)=仮名=は、息子の逮捕から10日後、移送先の鑑別所へ父親とともに面会に出向いた。テーブル席で対面した中川容疑者は、まるで何事もなかったかのように笑みを浮かべたという。
「たいしたことないって感じなんです。未成年だから処罰されることはない、という考えがあったんでしょう。『どうしたのか? 何があったのか』と尋ねても、ただ笑っている。ショックでした」
引用:来栖宥子★午後のアダージォ – 名古屋アベック殺人事件「謝罪 無期懲役囚から被害者の父への手紙」 生きて償う意味知る 月刊『世界』2009年8月号
Aの弟も兄に面会に行った際に、「車をちゃんと整備しておいてくれ」と言われたことを語っており、Aは少年法に守られてすぐに釈放されると勘違いしていました。
しかし、社会はAの犯した鬼畜の所業について「少年であっても死刑が妥当」という空気が強く、実際に判決で死刑判決が下ることになります。
6人に下った最終的に確定した判決は以下のとおりです。
・17歳の準主犯格のとび職少年B(本名:徳丸信久)…無期懲役(求刑死刑)
・20歳の成人の男C(本名:高志健一)…懲役13年判決(求刑無期懲役)
・19歳の無職少年D(本名:近藤浩之)…懲役13年(求刑懲役15年)
・17歳の無職少女E子(本名:龍造寺リエ→雪丸リエ)…5年以上10年以下の不定期刑
・18歳の無職少女F子(本名:筒井良枝)…同上
では6人の犯罪者についてそれぞれ現在までにどうなっているのかをご紹介していきましょう。
主犯格の少年A・小島茂夫の現在【無期懲役】
XとY子の殺害を提案し実行した少年A・小島茂夫
小島茂夫は裁判中の激しい追求と死刑求刑と一審での死刑判決に疲れきってしまい、「死刑でいい」と言っていたようですが、事件から18年あまりが経った2006年のインタビューに獄中で以下のように答えています。
「一審で死刑判決を受けた当時のわたしは、ある意味でもう人生を投げていて、どうせ悪くされるのなら思い切り悪のまま死んでいくしかないと思い、生きることに対して執着はほとんど持っていませんでした。被害者のお二人にたいしても可哀想なことをしたという気持ちはあったものの、自分でやっておきながらほんとにまるで他人事のような気持ちしか持っていなかったことも事実です。たとえて言うなら、小さな子どもが何か悪いことをしていて親に見つかって怒られたから、意味も分からずただ謝るという、ほんとうにその程度のものでした」(2006年7月1日付)
引用:来栖宥子★午後のアダージォ – 名古屋アベック殺人事件「謝罪 無期懲役囚から被害者の父への手紙」 生きて償う意味知る 月刊『世界』2009年8月号
そして、小島茂夫は裁判中に自暴自棄になっていた時に面会した母の「親だから先に逝かせてもらう」という言葉を真摯に受け止め、獄中で模範囚となっていきましたが、罪を認めて深く反省することができた理由は母親の存在があったからだと語っています。
小島茂夫は獄中から被害者であるY子の父親に手紙を送り続けており、次第に更生していっていることを感じた父親も返信の手紙で小島茂夫の体を気遣うような言葉を送っています。
「今年も残り少なくなりました。健康の様子何よりです。私も年と共に弱くなり、昨年に続き今年は2回長期入院致しまして、返事も出さず失礼致しました。Aの供養代はありがたく仏前に供えさせていただきます。時々刑務所内の放送を見ることがあります。大変だなと思いますが、罪は罪としてそれに向かって立派に更生してくれることを願っています。寒さに向いますが、くれぐれも身体に気を付けてください」(原文のまま)
引用:来栖宥子★午後のアダージォ – 名古屋アベック殺人事件「謝罪 無期懲役囚から被害者の父への手紙」 生きて償う意味知る 月刊『世界』2009年8月号
自分の娘が無残に殺した相手を気遣うというのも異様な手紙に感じますが、この父親は死ぬまで小島茂夫を憎み続けるより、更生して行っている殺人犯を許し、見守ることで悲しみを乗り越えられたのかもしれません。
なお、小島茂夫は獄中で一度くも膜下出血で入院しているようですが、無期懲役ながら模範囚として頑張り続けられる理由は、いつか社会復帰を果たせると信じているからだと語っています。
準主犯格の少年B・徳丸信久の現在【無期懲役】
少年A・小島茂夫と同様に事件を主導した鬼畜・徳丸信久
小島茂夫と同様にXとY子の殺害に加担した徳丸信久も死刑求刑がされていましたが、未成年ということで無期懲役で刑が確定しました。
徳丸信久は岡山刑務所に現在も収監中ですが、小島茂夫と違い近況について詳しくは語られていません。
なお、徳丸信久の両親だけは公判にも出席せず、被害者家族との調停の場にも姿を見せずに賠償金を支払う意思を見せなかったため現在までに逃げ続けているようです。
成人の男C・高志健一の現在【2000年頭に出所】
唯一成人で顔が報道されたC・高志健一
高志健一は6人のメンバー中で唯一の成人だったことから顔写真が割れていました。
高志健一は2000年頭頃に13年の刑期を終えて岡山刑務所から出所しましたが、被害者遺族への謝罪などは一切行っておらずその後逃げており、両親も親権放棄をしたため賠償金の2000万も未払いとなっています。
犯行当時唯一成年だったCも、出所直後に行方をくらまし、Yの遺族との調停に応じたはずの2000万円の賠償金を全く払わず、Xの遺族とは調停不調となっており、その両親も親権放棄を決め込んで、調停の席にすらつかないという有様だった。
少年D・近藤浩之の現在【出所後に妻子をもうける】
徳丸信久は出所して妻子をもうけていた
懲役13年の判決を受けた近藤浩之は、2000年頭頃に岡山刑務所から出所したものの、その後被害者遺族に謝罪も賠償金の支払もせず逃げ続けています。
DはXの両親に各500万円、Y子の遺族に1000万円を出所6か月後から支払うことで調停に至っていたが、少なくとも2003年8月時点まで全く支払いに応じておらず、現住所なども秘したまま結婚して妻子をもうけ、平穏な生活を送っていた。Dの両親も調停不調となっていた。
近藤浩之は大阪府岸和田市に住んでいるという情報がありますが、現在は別の地域に引っ越している可能性もあります。
近藤浩之は雑誌のインタビューを受けていますが、まったく反省の色がない様子でまるで他人事のようにあっけらかんと答えていたようです。
Dはインタビューに対し「事件にばかり引きずられていてもアレでしょう、前に進めないと思う」「娘が同じ目にあったら許さないと思う。許さないんじゃないでしょうか」「賠償金については親が示談したが、親とも連絡をとらなくなって、忘れてるというかそれで終わってる」「被害者の墓参り?行く時間がないので難しいね」などと答え、事件への懺悔や賠償の意思を示さず、自己主張のみを前面に出した回答を行っている。
少女E・雪丸リエの現在【出所後に3度の結婚】
龍造寺リエは結婚して雪丸リエになっていた
事件当時の名前は龍造寺リエだった少女Eは、2000年頭に岡山刑務所を出所して3度の結婚をし、現在は「雪丸リエ」という名前になっているようです。
雪丸リエは出所後、「被害者遺族に土下座をして謝りたい」と語っており、XとY子の両親に500万円ずつ支払うことが調停で決まっていたものの、それぞれ約22万4000円を払った後に住所を変えて行方をくらませました。
雪丸リエの現在の近況についてはとあるブロガーがまとめていますが、どこまで信ぴょう性があるかは不明です。
龍造寺リエ・・・98年出所。
夫の暴力に耐え切れず一時フィルターに駆け込む
&賠償金を踏み倒すがその後の足取り↓
雪丸リエ(旧姓・龍造寺)の近況
住所:愛知県名古屋市港区新茶屋2-1615-1
現在、夫、長男(Y氏の子)、三男、夫の母親の五人暮らし。1996年 Y氏と結婚。Yリエと名乗る。
1997年 離婚・長男出産
2000年 H氏と結婚。Hリエと名乗る。
2001年 次男出産
2007年 離婚。次男はH氏が引き取る
2008年 雪〇を名乗る。雪〇リエ
2009年 三男出産雪丸(龍造寺)リエ 1970.07.12 現在47歳
引用:行方不明者捜索!/阪神ファンが – 【行方不明】賠償金未払い,雪丸(龍造寺)リエ(47)【名古屋アベック殺人事件】
少女F・筒井良枝の現在【出所後に示談屋の男と結婚】
筒井良枝は示談屋の男と結婚していた
筒井良枝も雪丸リエと同様に2000年代頭に岡山刑務所を出所すると示談屋をしていた男と結婚しました。
筒井良枝は被害者遺族との調停で決まった賠償金を完済する前に行方をくらませて、その後現在まで逃げ続けています。
結婚した示談屋とは別居していると言われていますが離婚をしたかはわかりません。
日本のだと女子高生コンクリ事件、名古屋アベック事件、大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件とかがエグくて悲惨ですよね…
— ゴゴプラ牛丼 (@GogopIata) 2019年1月14日
ここら辺はただ単に欲に身を任せたクズ達って印象しかないですけど酒鬼薔薇聖斗とか大阪姉妹殺人事件とかの犯人は全く殺す理由が違うので見てて別の怖さがあります
485.「少年法」で守られた名古屋アベック殺人事件の犯罪者共、出所しても遺族にろくな対応をせず逃亡。これがサンセンをして更生したとでも言うのか?法はおかしい
— 漢字のあれの1級その5 (@kanken1kyuu_5) 2019年1月8日
綾瀬コンクリート事件のクズが
— ぶりおじさん (@seriole13oncle) 2018年8月24日
また殺人未遂で捕まったって。。
もう
一生牢屋にぶち込んどけや。
いろいろ殺人事件を読み漁ったけど
綾瀬コンクリート事件と
名古屋のアベック殺人事件
はツートップで胸糞悪い。
涙が出る。
んで、社会に対しての憤りが湧いてくる。
「名古屋アベック殺人事件」について総まとめすると…
・被害者遺族は賠償金の大半を支払われておらず、Xの父、Y子の母は若くして亡くなった。
・犯人グループの主犯と準主犯格以外はすでに出所、賠償金も払わず「子を持つ親」としてのうのうと生きている。
1988年に発生した鬼畜の少年らによって引き起こされた「名古屋アベック殺人事件」について総まとめしてきました。
日本の現在の司法では被害者だけが異常に不利になっているため、犯人グループは賠償金を踏み倒しても逮捕されることはありません。
現在も収監されている小島茂夫と徳丸信久以外は逃げ得状態になっていますが、その人生は全員が散々なものになっているようです。