2007年発覚の「牛肉ミンチ偽装事件」で摘発されたミートホープの田中稔元社長の悪質さが話題です。
この記事では、田中稔元社長の経歴やミートホープ事件の概要、結婚した嫁や3人の息子、牛肉ミンチ偽装事件の詳細、告発者の赤羽喜六氏についてや真相、現在についてまとめました。
この記事の目次
- 田中稔は牛肉ミンチ偽装事件で摘発されたミートホープの創業者
- 田中稔の経歴① 中学卒業後に北海道の複数の精肉店で職人として勤務
- 田中稔の経歴② 独立してミートホープを創業
- 田中稔の経歴③ 牛肉ミンチ偽装事件(ミートホープ事件)で実刑判決
- 田中稔の結婚と嫁について
- 田中稔の息子① 長男はミートホープの元子会社・イートアップの社長
- 田中稔の息子② 次男はミートホープの元子会社・バルスミートの社長
- 田中稔の息子③ 三男はミートホープの専務で本事件でも逮捕されている
- 田中稔の創業したミートホープの牛肉ミンチ偽装事件の概要
- 田中稔のミートホープ事件の告発者である赤羽喜六氏について
- 田中稔を告発した赤羽喜六氏はその後「ミートホープ事件の真相」を出版
- 田中稔の牛肉ミンチ偽装事件後や現在
- まとめ
田中稔は牛肉ミンチ偽装事件で摘発されたミートホープの創業者
この記事で取り上げる田中稔氏は、2007年に発覚した牛肉ミンチ偽装事件で摘発された食品加工卸売会社「ミートホープ株式会社」の創業者で、牛肉ミンチ偽装事件発覚当時も同社の代表取締役社長を務めていた人物です。(人気プロレスラーの田中稔さんとは別人)
この記事では、このミートホープ元社長・田中稔氏本人についてや、田中稔元社長の手動で行われたとされている同社による牛肉ミンチ偽装事件(通称・ミートホープ事件)についてまとめていきます。
田中稔の経歴① 中学卒業後に北海道の複数の精肉店で職人として勤務
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ミートホープ株式会社の創業者で元社長の田中稔氏の経歴を見ていきます。
田中稔元社長は、1938年に北海道中川郡音威子府村の農家に6人兄弟の次男として生まれました。
中学校卒業後に、隣接する美深町の精肉店に丁稚奉公として住み込みで働き始めました。この精肉店での7年間の修行を経て、名寄市の精肉店に移り、ここで3年間勤務しています。
田中稔元社長はその後、苫小牧市の大手精肉店「成田屋」に移り、12年間働いて常務取締役にまで昇り詰めています。
田中稔の経歴② 独立してミートホープを創業
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田中稔元社長は、38歳だった1976年に独立して苫小牧市で「ミートホープ株式会社」を創業しました。
ミートホープ株式会社は創業当初は、食肉の加工と販売を中心に順調に事業を拡大させましたが、その後の牛肉ミンチ偽装事件発覚時の報道によると、田中稔元社長は少なくとも1995年以前から食肉偽装を指示していたとされ、そうした不正行為により利益により経営を急拡大した事が疑われています。(ミートホープが食肉偽装に手を染め始めたのはバブル崩壊後からだと言われている)
経営を拡大した田中稔元社長は、1991年7月には、苫小牧市に、ミートホープの連結関連子会社として、食肉小売業「株式会社バルスミート」を設立。
さらに、1995年11月には、ミートホープの連結関連子会社として、苫小牧市にバイキングレストラン「イートアップ」などを運営する「株式会社イートアップ」を設立しています。
田中稔の経歴③ 牛肉ミンチ偽装事件(ミートホープ事件)で実刑判決
その後も、田中稔元社長は順調にミートホープ株式会社を成長させ、2006年4月には「挽肉の赤身と脂肪の混ざり具合を均一にする製造器」の開発により、文部科学大臣表彰創意工夫功労賞を受賞しています。
ところが、その受賞からわずか1年後の2007年6月20日、内部の告発者によって、ミートホープの牛肉ミンチ偽装事件(品質表示の偽装)が発覚し、その後も次々と様々な方法を使った食品偽装行為が発覚。これによってミートホープ株式会社の事業継続は不可能になり、同年7月17日に自己破産を申請、翌2008年に倒産しています。
田中稔元社長は、この牛肉ミンチ偽装事件によって逮捕起訴され、2008年3月19日、不正競争防止法違反(虚偽表示)及び、刑法の詐欺罪にて、札幌地裁から懲役4年の実刑判決を受けました。
田中稔元社長はこの判決を、「早く罪を償いたい」として控訴せずに刑が確定し服役しました。現在は既に刑期を終えて出所しています。
田中稔元社長が主導したとされる、ミートホープ株式会社による「牛肉ミンチ偽装事件」については後半の見出しで改めて詳しくまとめていきます。
田中稔の結婚と嫁について
ミートホープ株式会社による「牛肉ミンチ偽装事件」の発覚時の報道などで、田中稔元社長には3人の息子がいる事がわかっています。
そのため、田中稔元社長が結婚していて嫁がいる事は間違い無いのですが、いずれのタイミングで結婚したのかや嫁がどのような方なのかなどの詳細な情報は不明です。
田中稔元社長の息子のうち長男の田中等氏は、牛肉ミンチ偽装事件が発覚した2007年当時40歳と報じられていたので、少なくとも田中稔元社長が嫁と結婚したのは、1967年より以前である可能性が高いようです。
また、田中稔元社長の嫁は2006年頃まで、ミートホープ株式会社の専務を務めており、役員退職時に退職金として約8000万円が支払われていた事が朝日新聞などによって報じられています。これは税金逃れだったとの指摘も出ていました。
06年3月期の売上高は、前期比約12%増の約16億4500万円。しかし、経常利益は約8500万円にとどまる。それまで専務だった田中社長の妻の役員退職金として約8000万円を支払うなどしたため、当期利益は最終的に赤字になった。
同社の元役員は「田中社長は『妻に1億円をやった』などとよく話していた。税金逃れだった」と指摘する。
田中稔元社長の嫁との間の息子については次の見出しでまとめていきます。
田中稔の息子① 長男はミートホープの元子会社・イートアップの社長
田中稔元社長の息子のうち、長男の田中等氏は、「牛肉ミンチ偽装事件」発覚当時はミートホープの取締役を務めており、この事件発覚を受けて開かれた記者会見の場では、父の田中稔元社長が「何かの肉が混ざったのかも?(知れないが意図的ではない)」などと、はぐらかそうとしているのを見て、強い口調で「社長、本当のことを言ってください」と、真相を話すように仕向けました。
この息子からの指摘を受けて、田中稔元社長が牛肉ミンチ偽装を認めるという展開になり、この場面は当時のメディアで繰り返し流されていました。
この、田中稔元社長の田中等氏は、当時、ミートホープの連結子会社「イートアップ株式会社」の社長も務めていました。田中等氏は、以前から父親の田中稔元社長が不正行為を行なっている事に感づいており、父が仕入れた適正でない肉(廃棄予定だった肉や消費期限切れの肉など)に対して「危ない、返品しろ」などと強く反発し、何度も父と殴り合いの喧嘩になっていたと、当時の一部メディアが報じていました。
「牛肉ミンチ偽装事件」発覚後も、田中等氏が経営する「イートアップ株式会社」はミートホープから切り離された上で、経営を続けました。2021年の現在も「イートアップ株式会社」は存続しています。田中等氏は誠実な経営を行なっており、焼肉・しゃぶしゃぶバイキングレストラン「イートアップ」は人気店となっているようです。
田中稔の息子② 次男はミートホープの元子会社・バルスミートの社長
田中稔元社長の息子のうち次男の田中竜也氏は、ミートホープによる「牛肉ミンチ偽装事件」発覚当時39歳で、ミートホープの監査役及び、同社連結子会社である食肉小売業「株式会社バルスミート」の社長を務めていました。
この息子の田中竜也氏については、当時の報道によるとあまり良い評判はなく、食肉偽装に関わっていたという証拠はないものの、開発担当者に質の低い肉を使用するように指示をしていたとの報道も一部メディアから出ていました。
田中稔の息子③ 三男はミートホープの専務で本事件でも逮捕されている
田中稔元社長の3人目の息子(三男)は、田中恵人氏で、ミートホープによる「牛肉ミンチ偽装事件」発覚当時は34歳で、ミートホープの専務取締役を務めていました。
牛肉ミンチ偽装事件発覚当時の週刊誌報道などによると、この三男の田中恵人氏は、調理師を目指して調理師学校に通ったものの、挫折して職を転々としていたようです。
牛肉ミンチ偽装事件発覚から見て、約3年ほど前に関東の食肉量販店で働いていたところを父親の田中稔元社長に呼び戻され、ミートホープの専務に就任したとの事でした。
この三男の田中恵人氏も当時の報道ではあまり良い情報は出ておらず、会議の時に父の田中稔元社長の隣に座って社員を見下すような態度を取り、独断で社員を異動させたりして社内の雰囲気を悪くしていたなどと書かれていました。
ミートホープによる牛肉ミンチ偽装事件が発覚した原因はこの三男が人事で社員を弄んだため、反発を招いた結果だとする見方も出ていたようです。
この息子・田中恵人氏も牛肉ミンチ偽装事件発覚後に不正競争防止法違反、及び、虚偽表示容疑で逮捕されています。
追送検したのは、田中社長のほか、三男で専務の田中恵人(よしひと)(34)▽総工場長の中島正吉(59)▽汐見工場長の岩谷静雄(64)の各容疑者=いずれも虚偽表示容疑で逮捕。
これらの田中稔元社長の息子らについての情報の多くは、あくまでも当時の週刊誌報道や元社員による告発によるものなので、どこまでが真実かはわかりません。
しかし、ミートホープによる牛肉ミンチ偽装事件を最初に報じた朝日新聞は、この息子達にも多額の役員報酬が支払われていた事などを報じており、当時は息子らにも一定の責任があるのではという声も強まっていました。
同社の元役員は「田中社長は『妻に1億円をやった』などとよく話していた。税金逃れだった」と指摘する。同社の5役員には息子らが名を連ねていて、毎年総額5000万円を超える役員報酬が支払われている。
田中稔の創業したミートホープの牛肉ミンチ偽装事件の概要
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田中稔元社長が主導したとされる、ミートホープによる「牛肉ミンチ偽装事件」の概要についても改めてまとめていきます。
ミートホープによる牛肉ミンチ偽装事件は、同社の元常務取締役であった赤羽喜六氏の告発によって発覚しました。
告発者の赤羽喜六氏は、ミートホープの常務取締役を務めていた当時から、自社の食品偽装に気がついており、匿名にて苫小牧保健所、市の学校給食センター、農林水産省北海道農政事務所などに告発を行いましたが、相手にされずに調査は行われなかったという事です。
2006年4月にミートホープを退職した赤羽喜六氏は、自身がミートホープの元役員だと明かした上で、農林水産省北海道農政事務所に赴き、不正な偽装がなされた食肉の実物を証拠として持参して調査を依頼しましたが、同事務所は、「あなたが混ぜたのかもしれない」、「所在不明のものは受けとれない」などとして、食肉の実物の受け取りを拒否し、調査やミートホープへの行政指導も実施されませんでした。
この件について、農水省は、同事務所に赤羽喜六氏が訪問した記録はあるが、食肉を持ち込んだ記録は残されていなかったとの回答をしています。
行政機関が対応してくれない事に失望した告発者の赤羽喜六氏は、メディアを頼る事にし、地元の北海道新聞とNHKに告発しましたが、両メディアともにこれを黙殺しています。
そこで、赤羽喜六氏は全国紙や民放の大手テレビ局などに告発状を送付、これに朝日新聞が反応し、2007年春に同紙による調査が開始されました。
朝日新聞が、ミートホープ社のひき肉が使用された冷凍牛肉コロッケをDNA検査にかけた結果、牛ひき肉100パーセントと表示されていたにもかかわらず豚肉や鶏肉と「その他の肉」が検出され、同社による食肉偽装の事実が証明されたのでした。
この結果を受けて、朝日新聞は、2007年6月20日付の朝刊1面に「コロッケに偽装牛肉」との見出し記事を掲載。これによってようやく、ミートホープによる「牛肉ミンチ偽装事件」が明るみに出たのでした。
これをきっかけにして、テレビのワイドショーや週刊誌を含む、各メディアはミートホープによる牛肉ミンチ偽装事件をこぞって報道するようになり、社会を揺るがす一大スキャンダルへと発展しました。
その後の報道では、ミートホープが牛肉100パーセントと表示したひき肉にただ単に豚肉や鶏肉を混ぜていただけでなく、羊肉や廃棄予定だった肉、鳥インフルエンザの影響で価格が暴落した中国産鴨肉、牛や豚の心臓などの臓器、色を誤魔化すために牛の血、パンの切れ端などを混ぜていた事も判明。
さらには、オーストラリア産のものを北海道産と表示したり、ブラジルさんの鶏肉を国産と偽るなどの産地偽装。
挙げ句の果てには、溜めた雨水をそのまま肉の解凍に使用、冷凍食品の賞味期限改ざん、消費期限切れの肉やクレーム品として返品された肉を引き取って再出荷、悪臭を放つ腐肉を少しずつ屑肉に混ぜての販売、サルモネラ菌が検出されたソーセジをデータ改竄した上で小学校給食向けに納入するなど、悪質極まりないの不正行為が次々と報じられ、食品安全衛生法違反の疑いも強まりました。
これを受けて、田中稔元社長は不正競争防止法違反(虚偽表示)の容疑で北海道警察に逮捕起訴され、その後詐欺罪でも追起訴されました。
田中稔元社長はその後の裁判では、「半額セールで喜ぶ消費者にも問題がある」、「(値上げ交渉に応じない)取引先にも責任がある」などと責任転嫁の供述を繰り返し、起訴事実を認めながら、重要な質問には「わからない」と答えるなど、当事者意識を持っているのか疑問を抱かせるような態度を取り続け、これも一部のメディアによって強く批判されていました。
その後、田中稔元社長には懲役4年の実刑判決が下され、前述の通り田中稔元社長は控訴しなかったため刑が確定しています。
田中稔のミートホープ事件の告発者である赤羽喜六氏について
続けて、ミートホープによる「牛肉ミンチ偽装事件」発覚のきっかけを作った告発者である赤羽喜六氏についても見ていきます。
赤羽喜六氏は、1935年長野県の生まれで、牛肉ミンチ偽装事件発覚当時は72歳でした。
赤羽喜六氏は、長野県立上伊那農業高校を卒業後、法務省の長野地方法務局飯田支局で勤務を経て、長野県諏訪郡の三協精機製作所(現在の日本電産サンキョー)に入社し、同関連会社の三協商事の営業部長、三和興業常務取締役などを歴任された経歴を持ちます。
1978年、赤羽喜六氏は、北海道登別プリンスホテルなどを運営する野口観光株式会社に常務取締役として入社し、苫小牧プリンスホテルや室蘭プリンスホテルなどで総支配人を務めました。赤羽喜六氏はこの頃に田中稔元社長と知り合ったようです。
1995年、野口観光を60歳で定年退職した赤羽喜六氏は、その経営手腕に目をつけた田中稔元社長に請われて、ミートホープ株式会社に入社し、常務取締役に就任しました。
赤羽喜六氏はミートホープでは、その人脈の広さを活かして営業部の幹部として活躍し、本州への販路を拡大しました。営業幹部であった赤羽喜六氏は工場での生産に関わる立場ではなかっため、同社で不正偽装が常態化している事に気がつくのが遅れましたが、それを知ってからは、田中稔元社長に改善を求めていたようです。
しかし、田中稔元社長はその諌言を受け入れなかったため、赤羽喜六氏は行政機関への告発を始めています。ところが、既に触れたように行政機関は匿名の告発を相手にせず、次第に赤羽喜六氏は精神を病み、ミートホープに入って5年目の2000年頃からは、抗うつ薬や睡眠導入剤を常用するようになったそうです。
そして、2006年4月に赤羽喜六氏はついにミートホープを退社し、自身の立場を明かした上で改めて告発を開始し、2007年春になってようやく、朝日新聞が調査に動き、ミートホープによる「牛肉ミンチ偽装事件」発覚へとつながりました。
告発者としてミートホープ社の不正が明るみに出るきっかけを作った赤羽喜六氏でしたが、その後は非常に苦しい思いをされたようです。
かつての取引先からは「偽装を知っていて売りつけたのか」と強い批判を受け、嫁には告発する事自体を「世間の恥だからやめてくれ」と猛反対され、嫁の親族からも「親族の恥」などと批判を受け、別居の末に2009年に離婚。
現在、赤羽喜六氏は北海道を離れて出身地である長野県の生家で暮らしているそうです。
赤羽喜六さん(81)はいま、長野県の生家で暮らしている。妻と離れ、住み慣れた北海道を離れて既に8年。
赤羽喜六氏は、ミートホープ事件から10年後の2017年に取材を受けた際に、仮に10年前に戻れるとしたら告発はしないと言い切られていました。それほど、告発後に受けた苦しみが大きかったという事なのでしょう。
10年前に戻ったら告発などしない、と赤羽さんは言う。
「あの時はね、やはり勇気があったと思う。(会社が)こんなことしていいのか、と。すべてが偽装だったんだから。でも、今になってみればね、『バカなことをしたな』という気持ちが強いね。社会的には意義があったかも知らんけど、本人の利益を考えたらだめですね。後悔したって仕方がないけど、返り血が大きすぎますから」
田中稔を告発した赤羽喜六氏はその後「ミートホープ事件の真相」を出版
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ミートホープによる「牛肉ミンチ偽装事件」の告発者である赤羽喜六氏は、2010年にこの事件の真相を詳細に綴った書籍「告発は終わらない ミートホープ事件の真相」を発表されています。
この「ミートホープ事件の真相」には、そのタイトルの通り、事件の真相がかなり詳細に、かつ生々しく記され、当時の赤羽喜六氏の苦悩もよく伝わってくる内容となっています。
田中稔の牛肉ミンチ偽装事件後や現在
田中稔元社長は、ミートホープによる「牛肉ミンチ偽装事件」のその後、懲役4年の実刑判決を受けて服役していましたが、現在は既に刑期を終えて出所しています。
2022年の現在は84歳前後のはずですが、今どのように過ごしているのかは明らかになっておらず不明です。
まとめ
今回は、2007年に発覚した「牛肉ミンチ偽装事件」と、同事件で摘発されたミートホープの元社長・田中稔についてを中心にまとめてみました。
田中稔元社長は、中学卒業後から食肉業の世界で働き、1976年に独立して「ミートホープ株式会社」を設立した経歴を持ちます。
田中稔元社長はミートホープ社を順調に成長させましたが、バブルが崩壊した頃から食肉偽装をはじめとする、様々な不正行為に手を染めていたと見られており、同社の拡大はそうした行為によって得た利益によるものだったようです。
田中稔元社長は、ミートホープ社の役員を嫁や3人の息子らで固めた同族経営の体制を敷き、不正が外部に漏れないよう画策していたと見られます。
しかし、同社の常務取締役であった赤羽喜六氏が告発に踏み切り、長年の苦闘の末、2007年にようやく朝日新聞が調査に乗り出したことにより、その不正が明らかにされました。
この事件により、田中稔元社長は懲役4年の実刑判決を受けましたが、現在はすでに刑期を終えて出所しています。現在、田中稔元社長は80歳を超えていますが、どのように過ごしているのかは明らかにされておらず不明です。