麻原彰晃死刑囚

麻原彰晃(松本智津夫)の嫁と娘など子供情報!生い立ちから死刑執行まで総まとめ

「オウム真理教」教祖・麻原彰晃(松本智津夫)死刑囚は1995年3月20日に日本犯罪史で最悪のテロ事件「地下鉄サリン事件」を起こしました。

 

麻原彰晃死刑囚の生い立ちや家族、結婚した嫁と娘・息子など子供情報、そして起こした事件や死刑執行まで詳しく総まとめしましたのでご紹介します。

目次

「オウム真理教」教祖・麻原彰晃死刑囚の生い立ち&プロフィール

 

「オウム真理教」教祖・麻原彰晃とは

現在20代後半以上の人なら覚えているであろう日本史上最悪のテロ事件「地下鉄サリン事件」。麻原彰晃死刑囚は同事件んを起こした宗教団体「オウム真理教」の元代表であり教祖でした。その他いくつかの事件に関与し、死刑囚として東京拘置所に収監されていました。

 

麻原彰晃(松本智津夫)死刑囚についてのプロフィールはこちら。

 

本名: 松本智津夫(まつもと ちづお)
生年月日: 1955年3月2日
出身地: 熊本県八代市
ホーリーネーム: マハー・グル・アサハラ
ステージ: 尊師、神聖法皇
教団での役職: 代表(設立者)
関係した事件: 坂本堤弁護士一家殺害事件、松本サリン事件、地下鉄サリン事件など
判決: 死刑(控訴棄却)
現在の活動: 死刑囚

 

引用:Wikipedia – 麻原彰晃

 

麻原彰晃死刑囚は本名を松本智津夫と言いますが、この近代日本で最も凶悪なテロリストはどういう生い立ちを持って育ち、テロ思想に染まっていったのか。

 

オウム真理教の元教祖・麻原彰晃死刑囚について総まとめしましたのでご紹介していきましょう。

 

 

 

麻原彰晃死刑囚の生い立ち&経歴!家族情報もまとめ

 

麻原彰晃は障害者として生まれた

世間的にはあまり知られていないと思いますが、麻原彰晃の家系は目の先天性疾患を持った一族でした。

 

麻原彰晃死刑囚は熊本県八代市高植本町(旧八代郡金剛村)で1955年3月2日午前3時34分に生まれました。

 

実家は畳職人で麻原彰晃死刑囚は9人兄弟(6男3女)の第7子として誕生し、大家族の4男でしたが先天性緑内障を持って生まれており、左目はほぼ見えず、右目も1.0ほどしか視力がなかったそうです。

 

そして、12歳上の長男は全盲であり、5男も弱視と麻原彰晃死刑囚の家系は目の疾患を抱えやすい特性があったようです。

 

 

麻原彰晃の犯行動機はこの障害にあった?

「地下鉄サリン事件」で逮捕された後、麻原彰晃死刑囚が事件を起こした動機について「障害を持って生まれ差別を受け続けたことによる社会的復讐」だと言われています。

 

また、麻原彰晃死刑囚が爆弾ではなくサリンを使ったことも「視覚障害を引き起こすことからサリンを使ったのではないか」と言われており、自分の苦痛を人々に思い知らせたいという強い思いがあったと推察されています。

 

また、目の先天性疾患が「水俣病の影響だったのではないか」とも言われていましたが、事件後に全盲の長男に麻原彰晃死刑囚についてインタビューをしたところ、「水俣病患者として国に補助を申請したが却下された」と答えているようです。

 

 

麻原彰晃死刑囚の祖父は警察署長

麻原彰晃死刑囚の祖父は警察署長だった

稀代のテロリストの祖父が警察署長というのも皮肉な話ですが厳しい家系だったのかもしれません。

 

麻原彰晃死刑囚の父親は韓国生まれのため”在日朝鮮人説”が浮上したようですが、祖父が戦前に朝鮮半島に渡って警察署長をしていたため、在日説はデマであり日本人です。

 

父親は先述のように畳職人でしたが、需要の減退を受けて家計が厳しくなり麻原彰晃死刑囚を含む7人の子供も食べ物に困り、両親ともに働いていたものの貧困状態にあったようです。

 

麻原彰晃死刑囚は1961年4月に八代市立金剛小学校に入学しましたが、先天性緑内障による視覚障害があるため秋頃に熊本市出水町今(現・熊本市中央区水前寺)にある熊本県立盲学校に転校しています。

 

麻原彰晃死刑囚は片目は見えていたにも関わらず、学費から食費など生活費まで補助金が出る盲学校に入れられたことに反発していましたが、全盲の長男と弱視の5男とともに両親に捨てられたも同然であり、学校に両親が訪ねてくることは一度もない上に仕送り等も無く、成人してからもこの3兄弟だけ里帰りができなかったそうです。

 

両親に捨てられた境遇が麻原彰晃死刑囚にテロリストの思想を植え付けるきっかけとなったのは想像に難くないでしょう。

 

 

麻原彰晃死刑囚、盲学校で犯罪者の素質を開花

麻原彰晃死刑囚は盲学校でうっぷんをぶつけていた

両親に捨てられた麻原彰晃死刑囚はその腹いせとして、目が見えることを利用して全盲の生徒らを子分にして好き放題していました。

 

盲学校では権力者になれた麻原彰晃死刑囚は、質の悪いガキ大将となり暴力で従わせてお金を巻き上げたり食べ物や欲しいものを買わせたりと奴隷のような扱いをしていました。

 

麻原彰晃死刑囚は全盲の子供らに対して「目の見えないお前らを外に連れ出してやった」と言って日当を要求していました。

 

また、寮で消灯時間が過ぎても明かりを点けている麻原彰晃死刑囚に対して管理人が注意すると、「宿舎に火をつけて明るくしてやろうか?」と脅していたようです。

 

この頃から麻原彰晃死刑囚は完全に犯罪者となっていく下地は十分に出来上がっていたようです。

 

 

麻原彰晃死刑囚は表裏を上手く使い分けていた

麻原彰晃死刑囚は裏ではこうした悪どいことをしていましたが、多くの先生らには評判の良い優等生を演じていました。

 

麻原彰晃死刑囚は影では全盲の子供たちを虐げて搾取をしていましたが、表向きには目が見えることから全盲の子供たちに親切にしているように見せかけて、先生たちの間では”優しい明るい子”として知られており闇があるとは全く気がつかなったそうです。

 

しかし、麻原彰晃死刑囚は全盲の子供たちからうまく搾取を続けて卒業する頃には300万円を溜め込んでいたそうです。

 

この頃から麻原彰晃死刑囚には後に宗教家として人々を洗脳し搾取していくような人を操ることを当たり前に感じるような凶悪な思想が根付いていったのでしょう。

 

 

麻原彰晃死刑囚が優等生に見られた理由

影では全盲の子供たちを操り搾取を続けていた麻原彰晃死刑囚ですが、表向きには優等生に見られていたことには理由がありました。

 

麻原彰晃死刑囚は小学校時代から柔道に打ち込み、5年生の頃には児童会長を務めるような積極的な様子を見せていました。

 

しかし、中学校、高校時代に生徒会長や寮長に立候補した時には全て落選しているというので、思春期になってからは麻原彰晃死刑囚の性格の黒い部分が隠しきれなくなっていたのかもしれません。

 

この時の落選理由を麻原彰晃死刑囚は「先生らが仕組んだ陰謀」だと人のせいにして恨みを持つなど、明らかに精神的に異常な面を見せています。

 

麻原彰晃死刑囚は成績は可もなく不可もなくといった中途半端なレベルであったにも関わらず、「目の病気に苦しむ人を助けたい」という理由から熊本大学医学部を目指すようになりました。

 

しかし、この理由も表向きのもので、麻原彰晃死刑囚は実際は簡単に搾取できる全盲の人々を虐げるために目指していたのでしょう。

 

しかし成績がよくない麻原彰晃死刑囚が医学部に受かるはずもなく受験には失敗してしまいました。

 

麻原彰晃死刑囚、東大受験に失敗

麻原彰晃死刑囚は柔道2段だった

麻原彰晃死刑囚は柔道に打ち込み続け、視覚障害者としては珍しい柔道2段の腕前を持っていたようです。

 

この段位は後にオウム真理教が起こした凶悪事件の数々により講道館が麻原彰晃死刑囚の段位を剥奪しています。

 

学生時代から麻原彰晃死刑囚は中国の政治家・毛沢東や田中角栄などの思想に影響を受け始め、熊本大学にさえ受からなかったにも関わらず、東京大学法学部に入って政治家となり、内閣総理大臣になろうと思い始めました。

 

麻原彰晃死刑囚は自分を客観的に見る力が無く、妄想癖が強かったことが伺えます。

 

熊本県立盲学校を卒業すると、麻原彰晃死刑囚は東大を目指すために東京都江東区大島に上京し、その半年後に品川区戸越に移住しましたが、このお金は当然全盲の子供たちから搾取した300万円のお金だったのでしょう。

 

 

東大受験は無理だと悟った麻原彰晃死刑囚

いざ行動に移してみると東京大学に入ることの難しさに気づいたようで、麻原彰晃死刑囚は1年もせずに八代市の実家に戻り、熊本市春日の長男が経営していた漢方薬店で助手として働き始めました。

 

一度は働き始めた麻原彰晃死刑囚でしたがやはり東大入学の夢を忘れられず、1976年3月から受験勉強に専念するために熊本市黒髪町の学生街に下宿を始めました。

 

しかし、麻原彰晃死刑囚は勉強ができない現実を悟ったのかその2ヶ月後に再び長男の漢方薬店に戻ります。

 

この時、お店の従業員が全盲の長男を馬鹿にしたため麻原彰晃死刑囚は激昂して従業員の頭を殴打して怪我を負わせて裁判沙汰となり、略式起訴により1万5千円の罰金を命じられています。

 

 

それでも東大を諦められなかった麻原彰晃死刑囚

麻原彰晃死刑囚はどうしても東大に入りたかったようで1977年に再び上京して代々木ゼミナール渋谷校に入りました。

 

同校で勉強をするも麻原彰晃死刑囚は3度東大受験に失敗したことで完全に諦めました。

 

1978年に同校で知り合った石井知子(後の松本知子)と結婚し、麻原彰晃死刑囚は鍼灸師の資格を取得していたことから千葉県船橋市湊町に鍼灸院である「松本鍼灸院」を開業しました。

 

しかし、同年9月には鍼灸院の運営に行き詰まり廃業、麻原彰晃死刑囚は船橋市本町に診察室を兼ねた漢方薬局「亜細亜堂」を開業しました。

 

12月には船橋市新高根に新居を購入しましたが、麻原彰晃死刑囚は鍼灸師として人の病気を治すことができないことに気づき無力感に苛まれるようになります。

 

 

四柱推命、気学を学び始めた麻原彰晃死刑囚

麻原彰晃死刑囚は自分の運命を探るために四柱推命や気学を勉強しましたが、結局運命を知ったところで変えることができないと気づきやめてしまいます。

 

麻原彰晃死刑囚はその後模索を続け、台湾鍼灸や六壬などを経て奇門遁甲や仙道に没頭するようになっていき、元々は毛嫌いしていた宗教にも興味を持ち始めます。

 

この頃までは麻原彰晃死刑囚も正業により社会貢献をしたいと考えていたのかもしれません。

 

 

麻原彰晃死刑囚の嫁と子供について

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麻原彰晃死刑囚の嫁について

 

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出典:http://z-shibuya.cocolog-nifty.com/

 

前述のように、麻原彰晃死刑囚は1978年に代々木ゼミナール渋谷校で知り合った石井知子(後の松本知子)さんと結婚しています。

 

麻原彰晃死刑囚は嫁以外の女性とも子供をもうけており、子供は全部で12人いるそうです。麻原彰晃死刑囚と嫁がもうけた子供は女4人・男2人の計6人います。

 

 

麻原彰晃死刑囚の娘4人について

 

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出典:http://nikukyu-petsuki.c.blog.so-net.ne.jp/

 

長女:松本美和。1978年生まれ。ホーリーネームはドゥルガー。教団での地位は正悟師。省庁制の際には流通監視省大臣であった。スーパーでの万引き逮捕歴や銃刀法違反での逮捕歴あり。

 

次女:名前は不明。1981年生まれ。ホーリーネームはカーリー。2000年1月に長男を連れ去ろうとした事件で2月19日に逮捕され、保護観察処分となっています。その後も長男達の住んでいる龍ケ崎市に在る住居に時々遊びに来ていたといいます。

 

 

松本麗華

出典:http://f.st-hatena.com/

 

三女:松本麗華:1983年生まれ。教団での地位は麻原に次ぐ正大師でホーリーネームはアーチャリー。2004年3月に合格した和光大学から入学拒否されたとして提訴し、東京地裁は「入学拒否は違法」と認定、和光大学に30万円の慰謝料支払を命じた裁判がありました。2015年3月20日、地下鉄サリン事件から20年目の日に松本麗華名義で手記『止まった時計 麻原彰晃の三女・アーチャリーの手記』を上梓しています。

 

アーチャリー松本麗華の現在がかわいい?オウム麻原彰晃の三女の情報まとめ

 

 

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四女:名前は不明。1989年生まれ。2010年、ペンネーム「松本聡香」名義で著書『私はなぜ麻原彰晃の娘に生まれてしまったのか』(徳間書店)を刊行しています。ひかりの輪はこの著書に誤りが含まれているとしています。2014年のインタビューにおいても、自殺未遂が続いていることを明かし、「死にたいというよりも死ななくてはいけない」「オウム事件について知ってからは、幸せとか喜びを感じるたびに、オウム真理教は普通の人のそういう喜びを奪ってしまったのだなと感じざるをえない」と語りました。

 

 

 

麻原彰晃死刑囚の息子2人について

 

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出典:https://rr.img.naver.jp/

 

長男:名前は不明。1992年生まれ。四女と次男同様学校に籍を置くことが許されず、ほとんど学校に通わせて貰えなかったといいます。

 

次男:名前は不明。1994年生まれ。2006年に春日部共栄中学校に合格したものの、「麻原の息子」だという理由で入学を拒否されています。

 

息子2人の現在はどうなっているか不明ですが、麻原彰晃死刑囚の息子ということで学校に通わせてもらえなかったことから、だいぶ苦労していることはわかります。

 

 

 

麻原彰晃死刑囚がオウム真理教設立するまで

麻原彰晃死刑囚、宗教と出会う

「阿含宗」に入信した麻原彰晃死刑囚

麻原彰晃死刑囚は新興宗教「GLA」の教祖・高橋信次の書籍や増谷文雄などに翻訳された仏典から阿含経の存在を知り、1980年に根本仏教系の新宗教団体阿含宗に入信しました。

 

この頃、麻原彰晃死刑囚は保険料の不正受給が発覚して670万円の返還を求められていますが、これまで開業資金などはこうした犯罪により手に入れていたのでしょう。

 

1981年には麻原彰晃死刑囚は船橋市高根台に健康薬品販売店「BMA薬局」を開局しましたが、1982年に国に認可されていない薬品を販売したことで薬事法違反で逮捕されて20万円の罰金刑を受けています。

 

この麻原彰晃死刑囚の逮捕や宗教に没頭して家に帰らなくなっていったことにより妻の松本知子は精神的な異常が現れるようになっていきました。

 

 

3女・松本麗華の証言で明らかになった松本知子の精神異常

麻原彰晃死刑囚は阿含宗に没頭していき妻や家族への興味を無くしていったことで、松本知子は精神的な疾患が現れ始めます。

 

神経症の症状が出始めた松本知子は対人恐怖症や外出恐怖症に陥るようになり、強迫観念が強くなったことで外と家の中での精神状態に不安定さが顕著になっていきました。

 

麻原彰晃死刑囚とも度々些細なことで大喧嘩をするようになり、家出をしようとしても経済力が無く一人で生きていくことが困難なため部屋と玄関を往復するだけで結局家を出ていくことはできなかったようです。

 

3女は母親の味方だったことで家出に付き合うこともあったようで、夕飯の時間までに松本知子が戻らなければ麻原彰晃死刑囚はインスタントラーメンを作っていたようですが、ある時煮詰め過ぎて鍋を焦がしてしまったことからそれ以降長女に夕飯の支度をお願いしたそうです。

 

 

麻原彰晃死刑囚、”松本彰晃”と名乗る

”彰晃”の名前を与えられた麻原彰晃死刑囚

麻原彰晃死刑囚は1982年に経営塾をしていた西山祥雲に弟子入りをして”彰晃”の名前を与えられて”松本彰晃”と名乗り始めました。

 

麻原彰晃死刑囚は1983年の夏にそれまで信じていた阿含宗の教義が阿含経典の教えとかけ離れていることに気づいて脱会しました。

 

その後、麻原彰晃死刑囚は研究していた仙道やヨーガ、東洋医学などを掛け合わせた能力開発の指導塾「鳳凰慶林館」を設立し、この頃から”麻原彰晃”と名乗り始めました。

 

この”麻原彰晃”という名前には「阿修羅(アシュラ)・釈迦(シャカ)」という全く真逆の性質を持つ神の意味が込められており、麻原彰晃死刑囚の思想そのものと言ってもいい名前でしょう。

 

 

麻原彰晃死刑囚、「オウム真理教」の前身を設立

「鳳凰慶林館」を「オウムの会」と改名

麻原彰晃死刑囚は「鳳凰慶林館」をヨガ道場として「オウムの会」と改名し、株式会社オウムを設立しました。

 

この頃の麻原彰晃死刑囚は宗教的な狂気はまだ無かったようで、落ち着いたヨーガの指導者というイメージだったそうで、人を洗脳したり操ったりするような人間ではなかったようです。

 

しかし、直後に麻原彰晃死刑囚は一気に宗教色に染まっていくことになります。

 

1985年に麻原彰晃死刑囚は神奈川県の三浦海岸で修行をしていたところ、「アビラケツノミコト(神軍を率いる光の命)に成れ」と神からの啓示を受けたことで、同年秋には空中浮遊の神通力を手に入れたとしてオカルト雑誌『ムー』や『トワイライトゾーン』に投稿し掲載されました。

 

1986年には麻原彰晃死刑囚は宗教法人にすれば税金の免除を受けられることを知って「オウムの会」を宗教法人「オウム神仙の会」と改めました。

 

同年7月にはチベット・ヒマラヤにて最終解脱を遂げたとして、麻原彰晃死刑囚は自身の神格化を完成させました。

 

 

麻原彰晃死刑囚、家族は大切にしていた

麻原彰晃死刑囚は妻や娘たちは大切にしていた

 

最終解脱をした頃の麻原彰晃死刑囚は妻と3人の娘たちと貧しいながらちゃんとコミュニケーションを取っていたようです。

 

麻原彰晃死刑囚は家族全員で一つの部屋で寝て、食事は肉が買えないためグルテンを肉状にして代役したり、ホットプレートで野菜バーベキューをするなど普通の家庭のようなコミュニケーションをちゃんと取っていました。

 

しかし、自宅には宗教がや仏像が置かれた瞑想室があり、麻原彰晃死刑囚は毎日この部屋にこもって修行をしていました。

 

ちゃんとした祭壇を買うお金は無かったため、麻原彰晃死刑囚はちゃぶ台を祭壇に見立てていたようで、「形ではなく心が重要なんだ」と常々口にしていたようです。

 

この祭壇は麻原彰晃死刑囚の原点にもなっていたようで、後に「オウム真理教」として教団が大きくなってからも使用していたそうです。

 

東京都渋谷区でヨーガ教室を開いた麻原彰晃死刑囚は、ほとんど家に帰ることが無くなり、たまに帰ったとしても弱視のためテレビにくっついて野球中継を観ていたそうです。

 

 

麻原彰晃死刑囚、娘たちからは好かれていた

 

娘たちにとっては普通の父親だった麻原彰晃死刑囚

とはいえ、娘たちも麻原彰晃死刑囚の宗教的な影響を十分に受けていたからであり、次女などは麻原彰晃死刑囚が帰宅すると「太陽のない世界に太陽が来た」と発するなど一般的な家庭からすると異様だったことでしょう。

 

ほとんど世田谷区のヨーガ道場に住み込むようになっていった麻原彰晃死刑囚は、たまに家に帰ると3人の娘たちが大喜びで取り合いになっていたようです。

 

しかし、妻の松本知子は宗教にのめり込んで家庭を顧みない夫に不満を溜め込んでおり、顔を合わせればいつも麻原彰晃死刑囚に不満をぶつけていたようです。

 

妻に文句を言われても麻原彰晃死刑囚は言い返すことひとつせずにやり過ごしていたようですが、松本知子も宗教を信じている様子は無かったものの麻原彰晃死刑囚の宗教関連書の代筆をするなど協力的な面も見せていました。

 

麻原彰晃死刑囚は娘たちへ普通の父親としての役割も果たしており、「蚊に刺されると痒いけど、蚊も命を持っているんだよ。私たちも生まれ変われば蚊に生まれるかもしれない」と命の尊さを教えたり、発展途上国に家族旅行をしに行って、「世界には家に住めない子も食べ物を食べられない子もいるんだよ。食べ物を粗末にするのはやめようね」と正しい教えを持って教育をしていました。

 

 

麻原彰晃死刑囚、「オウム真理教」に改名

 

「オウム神仙の会」を「オウム真理教」に改名

1987年に麻原彰晃死刑囚は「オウム神仙の会」を「オウム真理教」に改名し、いよいよおかしな政治思想と宗教の狭間で狂気を帯びていきます。

 

麻原彰晃死刑囚は1987年に「オウム真理教」に改名すると、信者獲得のために大々的に布教活動を始めました。

 

それは自著やオカルト雑誌への広告掲載によるもので、麻原彰晃死刑囚は「オウム真理教」信者をどんどん増やしていくことになります。

 

そして、これらの弟子を年内に解脱まで導いたと麻原彰晃死刑囚は「オウム真理教」の宣伝に拍車をかけていきました。

 

1988年にはチベット仏教で最高位にあるダライ・ラマ14世と親交のあるチベット出身の政治学者であるペマ・ギャルポに近づき、麻原彰晃死刑囚は自身の修行で身につけた思想がどの程度のものなのかをチベット仏教の長老に見てもらいたいと打診しました。

 

それは受け入れられ、麻原彰晃死刑囚はチベットに赴いて現地で長老らと瞑想をしたところ、高く評価されたことでダライ・ラマ14世とも幾度か接見を許されています。

 

このことは「オウム真理教」の宣伝に使われ、麻原彰晃死刑囚はいよいよ教団を大きくしていきました。

 

しかし、実は麻原彰晃死刑囚は「オウム真理教」に改名する直前頃にはタントラ・ヴァジラヤーナやポアなど元の教えを都合よく”殺人肯定”の教えとして弟子に教えていました。

 

また、麻原彰晃死刑囚は教団員内に阿含宗のスパイが紛れていないか探偵に調べさせることもしていたようです。

 

 

 

 

オウム真理教・麻原彰晃死刑囚が起こした事件

麻原彰晃死刑囚、ついに始めての殺人を犯す

麻原彰晃死刑囚、信者を始めて殺してしまう

1988年には「オウム真理教」の信者だった男性が同じ教団の信者らに殺されてしまう事件が発生しました。

 

いつものように「オウム真理教」の総本山である富士山総本部で修行をしていると、一人の男性信者が大声を上げて暴れ始めました。

 

そのため麻原彰晃死刑囚は「頭を冷やさせろ」と他の信者に命令し、その信者は暴れている男性を風呂場に連れて行って頭を掴んで強引に浴槽の水に沈めました。

 

しかしやりすぎてしまい男性は意識不明に陥り、麻原彰晃死刑囚は自らのエネルギーを送るという不可思議な行動を取るも意味は無く、そのまま男性は死亡してしまいました。

 

この事件がきっかけとして、麻原彰晃死刑囚は「ヴァジラヤーナに入れというシヴァ神の天啓」と受け取り、目的達成には殺人を厭わなくなっていきます。

 

この頃、麻原彰晃死刑囚は体調を著しく壊し始めており、周りに対して常々「死にたい」と漏らしていたそうなので、ある意味殺人事件を繰り返したのは”道連れ”だったのかもしれません。

 

 

麻原彰晃死刑囚、「坂本堤弁護士一家殺害事件」を起こす

 

”麻原彰晃”の名前が世間に知れ渡った「坂本堤弁護士一家殺害事件」が起きる

麻原彰晃死刑囚は1989年に「オウム真理教被害者の会」の発起人だった坂本堤弁護士の一家4人を惨殺するという凶悪事件を起こし、世間に衝撃を与えました。

 

被害者の坂本堤弁護士は「横浜法律事務所」に当時所属しており、とある母親から息子のオウム真理教脱会について相談をされたことがきっかけで「オウム真理教被害者の会」を立ち上げることになります。

 

オウム真理教の男性信者が殺された事件も起きたばかりで、被害相談が後を立たなかったことから坂本堤弁護士は週刊誌『サンデー毎日』でも「オウム真理教の狂気」というコーナーで取材を受けるようになります。

 

坂本堤弁護士を敵とみなした麻原彰晃死刑囚は、坂本堤弁護士のみならず妻と幼い子供の3人を信者を使って強襲し、一家を惨殺してしまいました。

 

麻原彰晃死刑囚は逮捕後に、一家を惨殺した理由について「幼い子供を生かしておくのはむしろ残酷だと考えた」と語っています。

 

 

麻原彰晃死刑囚、国政選挙に出馬

 

1990年に真理党代表として出馬した麻原彰晃死刑囚

麻原彰晃死刑囚は「坂本堤弁護士一家殺害事件」で世間から犯人として疑いの目がかけられているにも関わらず、のうのうと衆議院議員選挙に出馬しました。

 

麻原彰晃死刑囚は東京で最も激戦区と言われた4区から出馬し、街頭でオウムソングを歌うなど痛々しい選挙活動をしていました。

 

オウム真理教の麻原彰晃死刑囚による「尊師のマーチ」 YouTube動画

 

 

この「尊師のマーチ」をきっかけとして「オウム真理教」のテーマソングの数々はネタとしてインターネットを中心に現在まで語り継がれることになりました。

 

飛沫候補と言われていたことに腹を立てていた麻原彰晃死刑囚でしたが、得票数は1783票とまさに飛沫のように消えてしまいました。

 

しかし、この選挙での惨敗が麻原彰晃死刑囚のテロリストとしての社会への憎悪に火がついてしまい、「社会に負けた」「選挙管理委員会にハメられた」と逆恨みをしてしまいます。

 

麻原彰晃死刑囚は「マハーヤーナ(正攻法)」では世の中は救済できないと判断して「ヴァジラヤーナ(テロ活動)」を行うことを決意し、ボツリヌス菌やホスゲン爆弾などを用いた大量殺戮テロを計画するようになります。

 

 

麻原彰晃死刑囚、殺人兵器の開発に着手

 

武器開発を始めた麻原彰晃死刑囚

国政選挙で惨敗して恥をかいたことで社会に逆恨みをし、麻原彰晃死刑囚は大量に殺人するための武器の開発に乗り出しました。

 

後に「地下鉄サリン事件」で使われたサリンは”第六サティアン”などと呼ばれる田舎に建設された「オウム真理教」の施設で作られました。

 

しかし、1991年にオウム真理教が国土法違反事件を起こしたことから、麻原彰晃死刑囚は武器開発がバレるの恐れて一旦中止し、正攻法での”救済”に戻すことで目くらましをしました。

 

この頃に各国を訪問して教えを説いて周り、その活動内容や教義についてテレビ朝日では『朝まで生テレビ』『TVタックル』、フジテレビでは『おはよう!ナイスデイ』、日本テレビでは『とんねるずの生でダラダラいかせて』などに出演してビートたけしさんやとんねるずの木梨憲武さん、石橋貴明さんら有名芸能人や、田原総一朗さんなど著名な文化人との対談をして知名度を大きく上げていました。

 

 

麻原彰晃死刑囚、社会にテロ攻撃を開始

 

いよいよテロリスト活動を再開した麻原彰晃死刑囚

しばらく正攻法で目くらましをしていたオウム真理教は、麻原彰晃死刑囚の「すべての魂をポア(殺す)するぞ!」の掛け声に応えて武器開発再開やテロ活動を本格化させていきました。

 

麻原彰晃死刑囚は1992年頃から武器開発を再開させ、1993年頃からはそれまで出演していたメディアも切り離して行き、信者に命令して殺戮兵器を使ったテロの指令を下し始めます。

 

オウム真理教に敵対する人間の暗殺を企て、麻原彰晃死刑囚は弟子たちを動かして「薬剤師リンチ殺人事件」を起こし、炭疽菌を噴射できるトラックを走らせて敵対勢力とみなしていたフリーメイソンの建物に炭疽菌をばらまくなどテロ行為を始めました。

 

 

実は統合失調症だった麻原彰晃死刑囚

三女の話では麻原彰晃死刑囚はこの頃から統合失調症を患っており、まともな精神状態ではなかったそうです。

 

1994年頃から麻原彰晃死刑囚はそれまで放置していた3人の娘たちに過剰にスキンシップを図るようになり、特にお気に入りだった三女にはキスをしたり抱きしめたり、遊園地や食事など頻繁に連れて行くようになったそうです。

 

最も麻原彰晃死刑囚の近くにいた三女の話では、この頃「いっそ死のうかな」と麻原彰晃死刑囚がつぶやいていたそうで、幻覚や幻聴にも悩まされていたことを語っています。

 

アメリカ軍により毒ガス攻撃を受けているという妄想に取り憑かれ、ホテルに泊まれば窓にはきっちりと目張りをし、ヘリコプターが上空を飛べば「毒ガス攻撃だ!」と慌てて退避するほど麻原彰晃死刑囚の精神状態は混乱していたようです。

 

 

 

 

麻原彰晃死刑囚、「地下鉄サリン事件」を起こす

1995年に起きた日本史上最悪のテロ事件

麻原彰晃死刑囚は弟子の村井秀夫、井上嘉浩らとリムジン内で警察による強制捜査を延期させる方法として地下鉄にサリンを撒いて混乱を起こす方法で意見がまとまりました。

 

オウム真理教による初めてのサリン事件は「松本サリン事件」であり、1994年にオウム真理教の土地取得を巡って起きた裁判を延期させるために麻原彰晃死刑囚が指令を下し、8人の死者と600人の重軽傷者を出す世間を震撼させるテロとなりました。

 

そして、麻原彰晃死刑囚はついに1995年3月20日に「地下鉄サリン事件」を起こし、12人の死者と数千人の重軽傷者を出すという戦後最も凶悪と言われるテロ事件を起こしました。

 

同年5月16日には山梨県西八代郡上九一色村(現・南都留郡富士河口湖町)のオウム真理教の施設である「第6サティアン」内で、麻原彰晃死刑囚は秘密の小部屋に隠れていたところを見つけられて「地下鉄サリン事件」の首謀者として逮捕されました。

 

麻原彰晃死刑囚逮捕の決め手となった情報は弟子の遠藤誠一の情報であり、「1階と2階の間の部屋に隠れている」という通り、階段天井部分に作られた大人1、2人がようやく入れるような空間に麻原彰晃死刑囚は960万円と寝袋を持って隠れていました。

 

 

 

麻原彰晃死刑囚、裁判により死刑が確定…2018年7月6日に死刑執行

 

日本犯罪史史上最も多い傍聴希望者が殺到

麻原彰晃死刑囚は17件の事件で立件され、26人の殺人容疑や逮捕監禁致死が1人、武器製造などの罪状で起訴され、48席の傍聴席への傍聴希望者が12292人も応募が殺到しました。

 

麻原彰晃死刑囚は2004年2月27日に東京地裁により死刑判決が言い渡され、2006年9月15日に最高裁判所にて死刑が確定しました。

 

麻原彰晃死刑囚は1996年3月27日に警視庁本庁舎から移送され、2018年現在も東京拘置所に収監されています。

 

2010年12月3日に発売された週刊誌「FRIDAY(フライデー)」に弟子でオウム真理教幹部であり、後にオウム真理教が「Aleph(アーレフ)」と改名した際に代表だった上祐史浩が麻原彰晃死刑囚の人物像について語りました。

 

それによれば、麻原彰晃死刑囚は人の心を読むことに非常に長けており、超能力に見える能力もあったものの、人格が幼稚で能力と一致しない人物だったそうです。

 

そのため、麻原彰晃死刑囚のテロを起こした動機は完全に社会への”逆恨み”であり、弱視で苦しんだ幼少期からの憎悪をそのまま持って育ってしまったことから数多くのテロ事件に繋がったようです。

 

 

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出典:https://twitter.com/FIFI_Egypt/

 

そして2018年7月6日に死刑が執行されました。

 

松本・地下鉄両サリン事件などで計29人の犠牲者を出した一連のオウム真理教事件をめぐり、死刑が確定していた教祖の麻原彰晃(しょうこう)死刑囚(63)=本名・松本智津夫(ちづお)=ら7人の死刑が6日午前に東京拘置所などで執行されたことが、関係者への取材で分かった。教団が起こした事件の死刑囚は計13人おり、執行は初めて。上川陽子法相が命令した。平成7年5月の麻原死刑囚の逮捕から23年。犯罪史上類を見ない一連の事件は大きな節目を迎えた。

ほかの6人は、早川紀代秀(68)=福岡拘置所▽井上嘉浩(48)=大阪拘置所▽新実智光(54)=同▽土谷正実(53)=東京拘置所▽遠藤誠一(58)=同▽中川智正(55)=広島拘置所-の各死刑囚。

 

引用:麻原彰晃死刑囚ら7人死刑執行 早川・井上・新実・土谷・中川・遠藤死刑囚

 

 

 

 

 

麻原彰晃死刑囚の遺言「遺体と遺品は四女に引き渡したい」

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死刑が執行された麻原彰晃死刑囚ですが、関係者の話によると、「遺体と遺品は四女に引き渡したい」という遺言を残していたようです。

 

共同通信や毎日新聞などマスコミ各社は7日から8日かけて、麻原死刑囚が刑が執行される直前に自らの遺体を、四女に引き渡したいと拘置所職員に言い残していたと報じた。いずれも関係者の証言だという。

<読売新聞> 関係者によると、元死刑囚は東京拘置所で刑を執行される直前、担当官から「遺体と遺品を誰に受け取ってほしいか」と問われると、「四女」と答えた。さらに、担当官が四女の名前を告げて確認すると、元死刑囚はうなずいたという。

 

引用:麻原彰晃死刑囚「遺体を四女に」と発言? 妻らは反発「精神状態からすればあり得ない」

 

しかし、これに対して、麻原彰晃死刑囚の嫁と三女は反発をしています。

 

麗華さんは「父が東京拘置所の職員と意思疎通ができなかったという客観的事実からも、作られた話ではないかと感じております」と疑問視。引き渡しに関しては、妻も上川陽子法相に遺体引き渡しの要求書を7日に提出している。

 

引用:松本智津夫元死刑囚の三女、遺体引き渡しの話は「作られた話ではないかと感じております」

 

四女は遺骨を引き取ることに「身の危険を感じる」と発言していましたが、その後、「麻原彰晃死刑囚の遺言を受け入れる」と発言しています。

 

四女によると、麻原彰晃死刑囚と最後に接見できたのは自分だけだったので、信頼されていたのではないかということです。

 

私は自分が他の親族に比べて実父から愛されたとは最後の言葉を踏まえても思いません。ですが、かなり信頼してくれていたのかもしれないというのは思い当たる節があります。実は知る限り彼と最後に接見できたのは私だったからです。

 

松本元死刑囚はおそらく最後は一人の人として葬られたいのだと思います。

 

引用:麻原彰晃・元死刑囚の“遺言”を「受け入れる」。四女の松本聡香さんが声明(全文)

 

 

 

 

「オウム真理教」教祖・麻原彰晃死刑囚についてまとめると・・・

凶悪な「地下鉄サリン事件」をはじめとした数々の殺人事件を起こした「オウム真理教」の元教祖・麻原彰晃死刑囚について総まとめしてきました。

 

麻原彰晃死刑囚の狂気の根源は先天性緑内障によって両親に捨てられたことに端を発していますが、一時期は意外にもある程度まともに生きていたようにも思えます。

 

しかし、「オウム真理教」が大きくなったことで権力を握り、麻原彰晃死刑囚はいよいよ国家転覆の妄想が肥大化していきテロリストになったようですね。

 

カルトだと危険視される新興宗教は「オウム真理教(現・アーレフ)」以外にもあるため、今後このようなテロ事件が起こらないことを祈りたいものです。

 

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  1. 松本智津夫の次女は松本有布 。 松本有布には子供がいて松本飛鳥です。
  2. 長男は 松本鏡暉 次男は松本璽暉

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