宅間守e

宅間守の生い立ちから死刑執行まで!獄中結婚相手&母親や兄の末路も総まとめ

附属池田小事件の犯人である宅間守は死刑囚として一生を終えていますが、実は宅間守は獄中結婚をしており、更に宅間守の兄は自殺をしてしまったそうです。

 

今回は宅間守が起こした「大阪教育大学附属池田小事件」の概要、宅間守の生い立ちや家族(両親や兄)、そして結婚相手のことなど情報を総まとめしました。

宅間守が起こした「大阪教育大学附属池田小事件」とは

 

 

宅間守、児童8名を無差別に殺害

事件は2001年6月8日10時20分頃、大阪教育大学附属池田小学校に凶器を持った宅間守が侵入し、次々と同校の児童を襲撃したというものです。結果的に児童8名が殺害され、児童13名・教諭2名が傷害を負いました。

 

宅間守は、校長や別の教諭にその場で取り押さえられ、現行犯逮捕されましたが最後の一人を刺し終えた瞬間、凶器である出刃包丁を自ら落として、「あーしんど!」と呟いたそうです。その後、宅間守は殺人罪などで起訴されました。

 

 

宅間守、精神障がい者を装った言動を繰り返す

 

逮捕当初、宅間守は精神障害者を装った言動を取っていましたが、被疑者に対して起訴前と公判中に2度行われた精神鑑定の結果で、2度とも「情性欠陥者で妄想性などのパーソナリティ障害は認められるが、統合失調症ではなく、責任能力を減免するような精神障害はない」とされ、責任能力を認める結果が出ました。

 

宅間守は逮捕直後に「薬を十回分飲んだ。しんどい」と供述して医師の診察を受けたものの、宅間守が飲んだとされる薬は通院先の病院などを調べた結果、抗精神病薬「セロクエル」と抗うつ薬「パキシル」、睡眠剤「エバミール」の三種類と判明しました。

 

仮にこれらを10回分服用しても眠くなるだけで、奇怪な行動を起こしたりすることはないとされています。

 

また、宅間守の自宅を調べると睡眠薬や抗精神病薬など10数種類、約200錠の薬物が押収されることとなりましたが、これは宅間守が複数の病院に通院しては、医師に「眠れない」などと睡眠障害・不眠症を偽って薬を処方してもらい、飲まずにため込んでいたものだということがわかりました。

 

さらに、逮捕後に宅間の血液や尿を採取して仮鑑定した結果、精神安定剤の成分が検出されず、捜査員がこの事実を宅間へ突きつけると、「すみません。薬は飲んでいません。作り話でした」と偽証していたことを認めました。

 

 

宅間守、2003年8月に死刑判決を言い渡される

 

 

公判では「下関事件の模倣犯になりたかった」「命を以って償います」と初公判でのみ反省・謝罪の弁を口にしています。

 

そして2003年8月28日、大阪地方裁判所は被告人の宅間守に対して死刑判決を言い渡します。死刑判決を言い渡す場合には主文を最後に述べる慣例があるが、今回はそれを破って主文を先に言い渡しました。

 

また、すでに宅間守は開廷時に騒いだことで退廷命令を受け、拘置所職員によって連れ出されており、死刑判決を読み上げる裁判長の声を自ら聞くことはありませんでした。

 

公判中の宅間守の態度は悪く、あくびや貧乏揺すり、遺族や裁判長等を睨みつけたりする行為を行い、これに対し傍聴席からは「早く死ね」「一人で死ね」等の怒号が飛び交っていました。

 

 

宅間守、法廷内で暴言を吐き続けた

 

 

宅間守の公判は決してスムーズではなく法廷内の暴言が大きく目立つ公判となりました。

 

まず宅間守は法廷内に口笛を吹きながら入廷するところから始まり、「 こんな、結果のわかっとる、おもろない裁判に、ひまなヤツらがようけ来て、あほやのお~」 などと話しています。

 

他にも宅間守は法廷内で数々の暴言を繰り返しています

 

・「わしが殺したガキどもは、わしの自殺の為の踏み台の為に、生きていたんやな!ほんま、感謝しとる。 あのガキが8人死んでくれたから、俺が死ねるんやから 感謝せなあかん!死んでくれてありがとう!! でも、死刑になるだけやったら3人で十分やったな。残りの5人はおまけで感謝しといたる!」

 

・「あのくそガキに一撃を与えたんや、死ぬ前に世の中の厳しさが分かってよかったな、感謝せいよ。ワシはいままで散々不愉快な思いをさせられて生きてきた、でも、今日は、ほんま ワシは気分がええわ。」

 

・「人間なんて一瞬で死ぬんやで!。ワシの人生の幕引きの道連れに、 ガキが死んだだけや!、そやからワシには反省や申し訳ない気持ちはないし、 後悔もない!」

 

・「わしが8人を死刑にすんのに10分かかっとらんのに、わし一人の死刑に2年近くかかって随分、ご丁寧な事やのー!!」

 

この様な暴言から、遺族の中には退場者も出ました。法廷内は「宅間死ね」などの怒号が飛び交っていました。

 

 

 

宅間守は死刑確定後1年で死刑執行される

 

 

宅間守の死刑確定後、控訴期限のうちに弁護人が控訴したものの、宅間守自ら控訴を取り下げ、死刑判決を確定させました。宅間守は主任弁護人に送った文書で、刑事訴訟法第475条第2項で規定された「死刑確定後の6か月以内の死刑執行」を訴えます。

 

宅間守は、死刑が6ヶ月以内に執行されないと精神的苦痛を理由とする国家賠償請求訴訟、および法務大臣・野沢太三に対する特別公務員暴行陵虐致傷罪での刑事告訴を起こす準備をしていました。

 

告訴した場合には、たとえ受理されなかったとしても手続きが滞って死刑の執行が遅れる可能性があったが、告訴の依頼を受けた弁護士によれば、実際に告訴の手続きを行うつもりはなかったそうです。

 

また、担当弁護士に届いた2004年の年賀状には「ケジメをつけるためにご協力お願いします」としたためており、宅間守は一刻も早い処刑を望んでいました。

 

死刑確定から約1年後の2004年9月14日8時16分、宅間守は大阪拘置所で死刑が執行されました。

 

結果的には宅間守の望んだ通りの早期執行となったのです。

 

執行当日の朝食は摂取することが許されなかったが、宅間守は執行直前に刑務官から受け取った煙草とリンゴジュースをゆっくり味わってから、拘置所の奥へ消えていき享年40歳で亡くなりました。

 

宅間守が最期に残し、妻が死刑執行後に刑務官から伝えられた言葉は「ありがとう、と僕が言っていたと、妻に伝えてください」だそうです。妻に対しては感謝の気持ちを表すまでには至ったものの、事件によって犠牲になった被害者の児童やその遺族への謝罪は最期まで一切ありませんでした。

 

 

宅間守の生い立ちや経歴~エリートに対して嫉妬していた

 

 

 

宅間守の生い立ちや学生時代

 

 

宅間守は1963年11月23日に生まれ、幼少時代の宅間守は度々問題行動を起こし、3歳の時点で三輪車で国道の中央を走って渋滞させたり、小学校では自分より強い児童にはいじめられていたが、自分より弱い児童に対しては徹底的にいじめるなどの子供でした。

 

更に猫等の動物を新聞紙に包んで火をつけて殺害した事もあったそうです。中学入学後も弱いものいじめは継続して行っており、本人が事件後鑑定医に語ったところによれば、「好意を抱いていた女子生徒の弁当に精液をかけた」こともあるそうです。

 

また、小学生の頃から自衛隊に強い関心を持っており、「将来は自衛隊入るぞ~」と大声で叫んだり、一人で軍歌を大声で歌っていたこともあり、高校生になっても周囲の同級生に「俺は自衛隊入るからお前等とは後少しの付き合いや」と発言していたこともあったそうです。

 

高校時代には停学処分を受けた際、反省文にも「自衛隊は内申書一切関係無しの一発勝負」等と綴っていたこともありました。様々なことから宅間守は幼い頃から「高学歴・高収入のエリート」に対する屈折した羨望、嫉妬を抱いていた様に思われます。

 

 

 

宅間守のその後

 

尼崎市内の工業高校を2年で中退した後、定時制高校に編入学するもすぐ退学し、数ヶ月間ガソリンスタンドでのアルバイトを経て1981年末、18歳の時航空自衛隊に入隊したが1983年1月に1年強で除隊させられています。

 

除隊の理由について、鑑定書は「家出した少女を下宿させ、性交渉した」ために懲罰を受けたと記述されています。

 

除隊後、宅間守は運送会社やトラック運転手、引越し業者等十数社転職を繰り返していたがいずれも数週間から半年以内で辞職しており、精神的に荒れ、家族に暴力をふるったり、傷害、暴行などに走り、また高速道路を逆走するなど非行を行うようになりました。

 

1984年にマンション管理会社に勤務していた時には家賃の集金と称して女性の部屋に上がり込んで強姦事件を起こし、事件後宅間守は母親を伴い精神科を受診、入院するが、入院中に5階から飛び降りて重傷を負ってしまいます。

 

この出来事の後、統合失調症の診断を下されています。

 

のちに母親に宛てた手紙によれば、入院したのは警察から強姦事件で追及されるのを回避するためで、5階から飛び降りたのは「親に嫌がらせをするため」であったといわれています。

 

初犯の強姦事件では1985年に懲役3年の実刑判決が確定し、翌1986年春から1989年春迄奈良少年刑務所に服役し、1989年の出所後父親が宅間の私物を下取りに出しその金を本人に手渡しして父親から勘当されています。

 

1993年、30歳の時には非常勤の地方公務員になり市営バスの運転手やゴミ収集、小学校の用務員等を勤めていたが、この間も市バスの運転を務めている最中に乗客の女性に「香水の匂いがきつい」ことを理由に言いがかりをつけてトラブルを起こし懲戒処分を受けています。

 

1999年4月には小学校教諭等が飲む茶に精神安定剤を混入させる行為をしたとして分限免職されたものの、刑事処分は「責任能力なし」として受けませんでした。

 

その後再度職を転々とするが、その度に暴行事件等を起こした為長続きせず、2000年末頃から最終的に池田小の通り魔殺人事件で逮捕された当時は無職でした。

 

十数社の職歴の内ある程度長続きしたのは航空自衛隊と非常勤の地方公務員の2ヶ所のみであり、それ以外は何れもおよそ半年以内で辞職したり解雇されています。

 

 

宅間守は死刑廃止運動家の女性と獄中結婚

 

 

事件の概要や法廷での宅間守の態度などを見る限りどうしようもない人物像が浮かんでいますが、そんな宅間守、実は獄中結婚されているのです。

 

獄中結婚した相手は死刑廃止運動家の女性です。その女性とは文通を経て獄中結婚をし、晩年は宅間守自身の姓を女性の姓に改名しています。

 

この他にも愛知県出身の既婚女性から愛情の告白を受けており、その女性とも文通を行っていたそうで、最初は愛情や支援に対して頑なに心を閉ざしていた宅間守でしたが自分に対する理解者が現れるに連れて、少しずつ彼女に対して心を開いていきました。

 

 

実際に結婚した女性はクリスチャンで博愛主義者で「自分が宅間さんを何とかしたい」という気持ちから結婚したそうです。

 

宅間守が亡くなった時には「私の力足らずで彼を最後まで説得できず謝らせることができませんでした…」とメッセージを発しました。

 

 

宅間守の両親の人物像~父親と母親について

 

 

まず、両親の前に宅間守の家系を見ていきます。宅間守の先祖は旧薩摩藩の下級武士で宅間家の家計系では事件発生前まで代々誇りにしていました。

 

宅間家の男子にも代々受け継がれ法律や警察関係の仕事を行う者が多かったそうです。

 

武士だった宅間守の曽祖父は、明治維新の直後に丁髷を落として警察官に就任し、鹿児島県から奄美大島に渡った後、大阪・河内へ移住しました。宅間守の祖父は、宅間守の父親が17歳になった年の春に死去しています。

 

 

宅間守の父親の人物像

 

 

宅間守の父親は小学校で学歴を終え、宅間家一家の大黒柱として6人の家族を養ってきたそうです。

 

宅間守の父親は、宅間の祖父と幼い頃から自宅の庭で木刀を打ち合っていたといい「自分は薩摩武士だ」との強烈なプライドを生涯持ち続けていました。

 

父親によれば「誰にも迷惑をかけないというのは、大きな私のテーマでありました」と語っています。

 

また、「宅間家の男子は何代にも渡って厳しい修身教育を受けてきたため、真のサムライたれと教育された。ワシも父親に厳しくそれを仕込まれたし、どんな出身地や身分にも関係無く「教育勅語」というものがあった。これがあったから日本人はちゃんとしとったんですよ」と語っています。

 

父親は極めて平凡な頑固親父で、人生の勝利者にはなり得なかったけれども自分の人生にプライドを持っていたそうです。

 

ただそんな父親なので、家族全員に対して激しい暴力をふるう癖があり、宅間守自身も父親から厳しく接せられていました。

 

宅間守は暴力をふるう父親を憎悪し、寝ている間に包丁で刺殺してやろうと思ったこともあると後に述懐しています。

 

宅間守が自衛隊を退職して非行に走るようになると親子関係はさらに悪化し、取っ組み合いをして父親が宅間守を何度も石で殴打する出来事もあったそうです。

 

宅間守の母親の人物像

 

 

宅間守の母親は、家事、育児が苦手であり、家事のほとんどは父親が担当し、一種のネグレクト状態でした。

 

また、宅間守を身ごもった時、父親に「これはあかん」「おろしたい」と語っていたこともあったそうなので、身ごもった時に何かを感じ取っていたのかもしれません。更に母乳をあげることも嫌がっていたそうです。

 

宅間守が中学を受験する際には、「お前なんか産まれてこなければよかった」と罵詈雑言を浴びせられたとこともあり、それは事件後に宅間守のマンションから押収されたノートに書かれていました。

 

そんな両親に対して宅間守は喧嘩をした際に、「ヤクザを使ってお前らの生活滅茶苦茶にしてやる」「死ぬまで苦しめてやる」と語っています。

 

結果的に母親は長期に渡って心を病み、長らく精神病院で暮らしました。

 

 

宅間守の兄は首を斬って自殺していた

 

 

宅間守には両親の他に兄弟が一人、兄が一人居ました。しかし破綻した実弟の存在に心を病んでしまい、起業の失敗を理由として小刀で首を斬って40代前半の頃に自殺をしてしまっています。

 

宅間守の兄に関しての情報はほとんどありませんが、この情報を見る限り兄は宅間守とは全く違う性格を持っていたことがわかります。

 

実兄ということで、同じ様な生い立ちや育てられ方をしていたとは思いますが、宅間守の様にトラブルを起こす様な性格でもなかったのでしょう。

 

比較的どこの家族の兄弟でもどちらかがやんちゃになればどちらかが物静かな性格になったりと、反対の性格になることが多いです。宅間守の兄も宅間守がやんちゃな分、物静かな方だったのではないかと考えられます。

 

更に起業の失敗と偽ってという部分から、ある程度社会的にも成功していた方なのではないかと考えられます。

 

 

宅間守に襲撃された池田小学校の現在~今も苦しむ事件関係者たち

 

 

この事件後の反響は多くありました。この事件により、学校側の対応不足や学校側の安全対策も指摘され、更に触法精神障害者に対する対応なども議論されました。

 

また、「宅間守 精神鑑定書」という本も出版されています。

 

本書は、宅間の公判鑑定を行った精神科医が裁判所に提出した鑑定書を、人名・組織名などを匿名・伏せ字にする以外ほとんどそのままのかたちで刊行したものという。

 

引用:浮かび上がる破格な人間像/『宅間守 精神鑑定書』

 

 

 

本来であればこの様な精神鑑定は出回ってはいけないものではありますが、この本の出版に関してこの様にコメントされています。

 

出版の理由を「社会に激しい衝撃を与えた事件。個人情報や守秘義務の問題は悩ましかったが、客観的な形で記録を残しておくべきだと決断した」と話す。

 

引用:宅間元死刑囚の精神鑑定を医師が公表

 

 

 

この事件でショックを受けたのは被害者だけではありません。事件を目の当たりにした副校長もショックを受けています。

 

当時の副校長は「子どもたちを守り切れなかった罪は死ぬまで許されない。」とコメントしているのです。

 

この様に事件をきっかけに何かを背負い込んでいる人は数多くいます。

 

そして現在では事件の起きた大阪教育大付属池田小学校では同日に祈りを捧げる様になっています。

 

同校では、事件が起きた午前10時10分過ぎから、「祈りと誓いの集い」があり、亡くなった8人の名を刻んだ塔の鐘が鳴らされ、全校児童約600人や遺族、保護者、教職員らが黙禱(もくとう)した。

 

引用:付属池田小事件16年、追悼の朝 「思い受け継ぐ」

 

児童代表の6年生3人は「当たり前に感じている毎日を過ごすことが、どれほど幸せなことなのか、そのためにどれほど多くの人が努力してくださっているのかを、付属池田小学校で過ごす中で気付くことができました」と述べ、「私たちが行動することで、安全で安心な学校や社会づくりへの第一歩となることを忘れずに成長していきます」と誓った。

 

引用:付属池田小事件16年、追悼の朝 「思い受け継ぐ」

 

この忌々しい事件を忘れずに風化させない為に祈りと誓いの塔を建てたそうです。

 

佐々木靖校長は「事件を決して風化させることなく、『祈りと誓いの塔』が建てられた深い思いを受け継いでいけるよう努力を続けます」とあいさつした。各学年の代表は自分で作った花かごを捧げた。

 

引用:付属池田小事件16年、追悼の朝 「思い受け継ぐ」

 

それぞれの想いがありますが、風化させてしまうにはあまりにも残酷すぎる事件ということがわかります。

 

 

 

まとめ

・宅間守は2001年6月8日、大阪教育大学附属池田小に侵入し児童を襲撃。児童8名が殺害され、児童13名・教諭2名が傷害を負った。

・宅間守は死刑廃止運動家の女性と獄中結婚している。


・宅間守は死刑確定から約1年後の2004年9月14日、大阪拘置所で死刑が執行された。

・宅間守の父は家族全員に対して激しい暴力をふるう癖があり、母は育児に対しネグレクト気味であった。また、兄は自殺をしている。

 

宅間守の生い立ちなどから、宅間守に同情する声も多く見られますが、どんな生い立ちでもこの事件は許されるべきことではありません。

 

今でも当時の傷跡を引きずっている方もいます。この事件を風化させないかつ、その傷が癒えることを願います。

 

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