オウム真理教の菊地直子ですが、無罪が確定となっています。
今回は菊地直子の学歴や結婚情報、菊地直子と高橋克也の関係性、菊地直子の現在や無罪の理由まで情報を総まとめしました。
この記事の目次
菊地直子の生い立ちと経歴~オウム入信から潜伏生活17年、逮捕まで
名前:菊地 直子(きくち なおこ)
生年月日:1971年12月9日
出身:埼玉県
菊地直子、父親は大学教員の厳格な家庭で育つ
埼玉県で出生、父親の仕事の都合で転居を繰り返した後に大阪市に居を定め、地元の小学校に通うこととなりました。
父は大学教員で大変厳格であり教育熱心な家庭であり、低学年からピアノを習い、外遊びをあまりしない子供であったそうです。
当時倍率約10倍の大阪教育大学附属天王寺中学校に入学し、バスケットボール部に所属と優等生タイプで成績はトップクラス、真面目でやさしく人望が厚かったそうです。
そんな菊地直子さんがオウム真理教とであったのが陸上競技で痛めた足の治療のためにヨガを始めた時のヨガ道場であったとされています。
しかし、本人は事実とは異なると否定しています。
菊地直子、高校卒業後オウム真理教へ入信
18歳の高校卒業後、1989年12月27日に家族の反対を押し切り、オウム真理教に入信し、1990年4月に大阪教育大学教育学部障害児教育課程に入学するものの、大学には一度も通学せず、4月20日より家出をし、5月19日にはオウム真理教に出家します。
出家後、最初に配属されたのは山梨県の富士清流精舎で、1日15時間くらいの修行を1ヶ月間続け、8月には修行施設としての受け入れ体勢が整った熊本県波野村へ行きます。
我が子を捨てて修行に勤しむ信者の子供を教育する「子供班」に配属されるが、このワークは菊地直子さんには非常なストレスだったようで「帰りたい」としばしば口にするようになっていたそうです。
菊地直子、特別指名手配となり逃亡
そして地下鉄サリン事件がおきると、土谷正実さんが中心となったサリン製造プロジェクトに関与した殺人及び殺人未遂の容疑で警察から特別指名手配となり、1995年6月頃には千葉県市川市のアパートに林泰男さんらと潜伏、同年11月までに名古屋市、京都市などを林らと共に転々とし、1996年11月には埼玉県所沢市のマンションに高橋克也さん、北村浩一さんら他の特別手配信徒と5人で潜伏していました。
1996年11月以降は足取りが途絶えるものの、1997年以降は高橋克也さんと川崎市のアパートに潜伏し、2007年3月から教団外の男性と共に暮らしていました。
菊地直子、逃亡生活17年でついに逮捕
2012年6月3日に「菊地に似ている女性を見かけた」との目撃情報が警視庁に寄せられ、それを受けて警視庁捜査一課が担当刑事を相模原市緑区の潜伏先に派遣。
張り込みを行った結果、潜伏先の住宅に女性が帰宅したのを確認して任意同行を求め、その時点では、捜査員が菊地であると確信出来なかったことから、警視庁本庁への身柄送致が行われた後、捜査官が照合作業を行った結果、女性が菊地本人であると確認されました。
そして、警視庁が殺人及び殺人未遂容疑で、菊地に対する逮捕令状を執行し、通常逮捕を行いました。
地下鉄サリン事件では処分保留となり、6月24日に3件のVXガス事件で殺人及び殺人未遂で再逮捕、3件のVXガス事件も処分保留となり、7月15日に東京都庁小包爆弾事件での殺人未遂と爆発物取締罰則違反容疑で再逮捕となりました。
菊地直子の学歴は?~最終学歴は大阪教育大学中退
菊地直子さんはプロフィールからもわかる通り、真面目な家庭で育ち、中学も倍率が10倍の大阪教育大学附属天王寺中学校を受験し入学しています。
その後、大阪教育大学附属高校を卒業し、大阪教育大学教育学部障害児教育課程に入学するものの、一度も通わず中退しています。
最終学歴は京都大学の薬学部卒と一部ではいわれていますが、実際は大阪教育大学教育学部中退が最終学歴と思われます。
しかも菊地直子さんの場合は勉強が出来るだけではなく、運動も出来、オウム真理教陸上競技部代表で、東京国際女子マラソンと大阪国際女子マラソンに出場したこともある程です。
菊地直子はモテる?~逃亡生活で一般男性から結婚を申し込まれたことも
菊地直子、一般男性からプロポーズされ、オウム信者と打ち明けるも同棲は続行
菊地直子さんは逃亡生活の中で、高橋寛人さんと出会い愛し合うようになったそうです。
しかし、そこで菊池直子さんは、自分が菊池直子であることから結婚できないことを高橋寛人さんへ伝えることになります。
「知り合ってから半年後に何度も結婚を申し込んだところ、彼女から『私は結婚できない。実は菊地直子です』と打ち明けられた。冗談に『オウムの菊地?』と聞いたら、『ハイ』という答えが返ってきた。似ていないので信用できず、ネットで調べたら一致していた。二人で出頭しようと思ったができなかった」
二人はそのまま2007年3月に町田市内のアパートを借りて同居生活をスタートさせ、そのまま逃亡生活を始めます。
その生活の中で菊地直子さんは介護会社に入社し、同僚によると「人手が足りなくなりホームヘルパー2級の資格を取ってもらい、今年2月から週2回ほど働いてもらった。真面目で性格も明るく評判がよかったそうです。
同僚との「女子会」にも参加したりなど、逃亡生活をしながらも普通の生活を送っていたそうです。
菊地直子は美人?~整形した可能性も
菊地直子さんに関して調べていくと、菊池直子さんがとても美人だというワードを多く目にします。
実際同居生活の中で知り合った人もこの様に話しています。
二人をよく知る男性の住人は「食事をしていると、何もない皿があれば、取って出してくれる気のきく感じの人だった」と話し、女性の住人も「まるっきり分からなかった。報道よりもすごく美人だし、上品だし、控えめな人。すごくいいカップルでしたよ」と褒める。
美人なだけではなく振る舞いすらも女性らしく、かなり評判が良かったそうです。
また、美人ということに関しては整形ではないか?という噂もあがっています。
高校時代の菊地直子さんを知る女性は「整形したのかと思った。まるで別人のよう」というコメントも残しており、専門家も「特徴的だった団子鼻が細くなった。整形した可能性がある」とコメントしています。
そのことから整形説はかなり可能性が高いものとされていますが、一方では整形の可能性が低いという専門家もいます。
整形しているのかしていないのかはわかりませんが、人の性格は顔に出るといいますし、逃亡生活の中で愛を育み、そこで女として目覚めたのであればある程度愛嬌のある顔になっていくのも不自然なことではありません。
菊地直子とオウム男性信者との性生活が赤裸々に
菊地直子さんは逃亡生活の中で同棲をしていた相手とではなく、同じ男性信者との関係もあったそうです。
1996年11月、菊地直子さんが埼玉県所沢市のアパートに潜伏していることを捜査員がキャッチし、現場に踏み込んだところ、菊池直子さんには逃げられてしまったものの、菊地直子さんの手記が残されていました。
そこに書かれていたのは他の男性信者への思いなどでした。
「書き込みの大部分は、ほかの男性信者への思いや、自分との関係について綴られたものだった。特に、同じ逃亡犯の身だった平田信(被告)には明らかな愛情を抱いていたようで、平田への執着が文章の節々からうかがえた」
「彼女は、もてあまし気味の性欲を『邪悪心』と表現して何とか抑えようとしていた。男の優劣を教団内での地位で図っているような所があり、教団内ではかなり上の地位にあった林泰男死刑囚にも憧れていたようだ。他の女性信者への嫉妬心もあけすけに綴っていた」
この様に菊地直子さんは男性信者に対して恋心などを多く抱いていたそうです。教団の教義ではタブーとされていた男女の交わりについての描写も、そのノートには記されていました。
高橋克也との関係~菊地直子は「奴隷」だった?
菊地直子さんは逃亡生活の当初は、同じオウム手配犯だった高橋克也さんと行動をともにしていましたが、その二人の関係に関しても調べてみました。
すると高橋克也さんと菊地直子さんとの関係は良い関係ではないことがわかりました。
「高橋に『無理矢理行為を強要された』という趣旨の書き込みをしている。内容から、所沢市のアパートに潜伏していた時にそのような出来事があった可能性がある。そんなこともあってか、彼を軽蔑しきっていたようだ」
菊地容疑者と克也容疑者は、新横浜や川崎のホテルを転々とした。捜査関係者が語る。
「当然、男と女だから、泊まるたび、克也容疑者は菊地容疑者に行為を迫った。菊地容疑者はそれで精神的にイヤになっていったようだ」
「菊地容疑者の行為嗜好は本来、素直で淡泊。ところが克也容疑者は自分勝手な行為ばかりする。菊地容疑者は素直な性格から、その要求を‥‥たとえ変な要求でも何でも、受け入れていたということだ」
変態的行為も、まさに言われるがまま。菊地容疑者は克也容疑者の性欲の奴隷と化した、「ドM妻」だったことになる。
ここからわかる様に、高橋克也さんと菊地直子さんの逃亡生活では、逃亡生活とは名ばかりの菊池直子さんに対する奴隷の日々が続いていたのです。
菊地直子が無罪になった理由とは?
本題の菊地直子さんが無罪となった理由に関しては詳しくは明かされておらず、事実はまだ不明です。
噂とされているのは「疑わしいが、確定証拠がない」からではないか?と言われています。
17年間ほど逃げていた理由としては無罪なのに捕まりたくないという気持ちが強かったからだそうです。
この無罪に対してネット上では…
菊池直子無罪ってまじかよ
— ノンヒロ (@imagasaikou467) 2017年12月27日
こんばんわ菊池直子の無罪は、どうも引っかかるなーとは、思ってます、やっぱり、『知らなかった』』中身が農薬だと思ったと言ってるのと、逃亡していたのが、第3者目線では、引っかかりますね
— Ogi.8888 (@OgiLINEan94n) 2017年12月28日
菊池直子氏の無罪判決にかなり驚いている。オウム真理教と言えば、恐怖のイメージしかなく、彼女についてもかなり報道されていて、交番にすら写真が貼ってあったのだが、無罪となると、今までの彼女の失われた時間や受けた不利益、また受けている不利益はだれが補償するのだろう・・できるのだろうか。
— Hasesaki (@Hasesaki) 2017年12月27日
爆弾娘こと菊池直子元信者が無罪になるらしいけど、何のために17年間も逃亡していたんだろうと思う。当時、裁判をしたら無罪になるかどうかは誰も分からないけど。
— さといつ (@satoitsu) 2017年12月28日
無罪に関してはネット上でも沢山の見方があります。そもそも何故無罪かというのが詳しく明かされていないということもあり、困惑している人も多いでしょう。
菊地直子の現在は?
無罪確定した菊池直子さんは現在は自由な生活をしているようです。
しかし、無罪を許していない人もいるので、細かい情報などは出回っていません。
しかし地下鉄サリン事件に対する猛省は忘れていないようで、自分を逮捕した警察やマスコミの過去の報道に関しても特に怒りを向けるコメントもしていません。
この無罪を受け止め、この先菊池直子さんがどの様に生きていくのかは誰も知る由もないですが、自由になった今、空白の時間を埋めれる様に生活していけることを願います。
まとめ
■地下鉄サリン事件でサリン製造プロジェクトに関与した殺人及び殺人未遂の容疑で警察から特別指名手配となり、1995年6月頃より日本各地を高橋克也さんらと逃亡生活を開始。2007年には一般男性の高橋寛人さんと同棲し、結婚を懇願されるほどの仲になった。
■2012年6月3日に「菊地に似ている女性を見かけた」との目撃情報があり、逃亡生活17年で逮捕される。その後、無罪が確定し釈放された。現在の様子は不明。
世の中を大きく揺るがした菊池直子さんの無罪確定、今だに無罪の理由がはっきりとわかっていないので、納得出来ない人もいるかもしれませんが、逃亡生活も楽なものではなかったでしょう。
逃亡生活の中で知り合った人のコメントなどを見ると、元々の性格はとても良い人だというのがわかります。
釈放された現在は、日本のどこかで普通に生活されているのでしょうか?
無罪が確定したからには、いい行いをして生きていく様にと願うのが私達の出来ることでしょう。