1996年に9月に発生し現在も未解決の事件「柴又女子大生放火殺人事件」の被害者・小林順子さんに注目が集まっています。
ここでは小林順子さんが殺害された事件の概要や順子さんの生い立ちや高校、上智大学で英語を熱心に学んでいた件、彼氏や犯人像、事件の現在などについてまとめました。
この記事の目次
小林順子は「柴又女子大生放火殺人事件」(上智大学生殺害事件)の被害者
小林順子さんは、東京都葛飾区柴又で1996年9月9日に発生した未解決事件「柴又女子大生放火殺人事件」の被害者です。
ここではこの小林順子さんについてまとめていきます。
小林順子が殺害された「柴又女子大生放火殺人事件」の概要
1996年9月9日、当時21歳だった小林順子さんは、自宅に母と2人でいましたが、15時50分頃に母親が出勤するために家を出たため小林順子さんは自宅に1人残されました。
母親が自宅を出てからわずか45分後の16時35分頃、小林順子さんの自宅から出火が確認され、16時39分に隣家の住人が消防に通報。
18時にようやく火は消し止められ、消防隊員によって、2階の両親の部屋の父親の布団の上に横向きに寝かされ、頭から夏用布団をかぶせられている小林順子さんの遺体が発見されました。
つまり、小林順子さんは母親が家を出た15時50分から、火が出た事が確認された16時35分の間に何者かに殺害された事になります。
また、小林順子さんの遺体は、粘着テープで口を塞がれ、両手を粘着テープで両足をストッキングで縛られ拘束された状態でした。さらに、小林順子さんの首の右側を中心に6ヶ所鋭利な刃物で刺された傷が残されておりこれが直接の死因と診断されています。
さらに、事件後の捜査によって現場に残されていたマッチ箱と、小林順子さんにかけられていた布団からA型の血液が検出され、そのDNA型が一致する事が判明してます。なお、小林順子さんとその家族にA型の血液型の人はいません。
さらに、小林順子さんの家では犬は飼っていませんでしたが、順子さんを拘束するのに使われた粘着テープには3種類の犬の毛が付着していました。
そのほか、小林順子さんの足を縛っていたストッキングは特定の仕事現場(造園業や着物の着付け、電気関係、土木現場など)で使われる「からげ結び」という特殊な方法で結ばれていた事など、事件現場にはいくつかの重要な証拠が残されていました。
また、事件当日から数日前にかけて小林順子さんの自宅付近で不審者が数多く目撃されており、事件直前の16時頃に道路に立ち小林順子さんの家の様子を窺う40代くらいの男や、事件発生後の16時30分から40分頃に、雨が降っているにも関わらず傘もささずに事件現場付近から駅の方へと走っていく不審な男などが目撃されています。
そして、事件発生の約10日前には、小林順子さんは駅から自宅への帰宅途中に不審な男につけまわされ、一旦駅まで戻るという出来事があったそうです。
このように、数多くの証拠や不審者の目撃情報などがあったにも関わらず、事件から24年が経過した2020年の現在もこの事件は未解決のままになっています。
小林順子の生い立ち① 出身高校や子供時代などは不明
小林順子さんの生い立ちも注目されていますが、子供時代の情報はほとんど公開されていません。
週刊誌やテレビニュース報道によれば、小林順子さんはジャーナリストや映画監督など、世界で活躍する人物になりたいという夢を描いており、高校時代にはニュージーランドに留学するなど、英語の勉強に励んでいたようです。
小林順子さんの出身高校などは不明ですが、事件から現在まで毎年高校の同級生が、順子さんの誕生日会を開くために順子さんの両親の元を訪れるという事で、高校の同級生に順子さんが愛されていた事がわかります。
小林順子の生い立ち② 上智大学外国語学部英語学科で英語を学んでいた
高校卒業後、小林順子さんは上智大学の外国語学部英語学科へと進学しています。
小林順子さんは上智大学の英語学科の中でも特にレベルの高いクラスに所属し、かなり本格的に英語を勉強されていたようです。
小林順子さんは、上智大学1年の頃から、ボランティアサークル「サマー・ティーチング・プログラム(STP)」に所属し、小・中学生に向けて英語を教えたり、大学3年時にはゼミで東南アジアの調査に出かけたりと、かなり熱心に将来の夢に向かって努力されていたようです。
上智大学で当時、講師として小林順子さんの英文科の授業を担当していたという東郷公徳さん(現在は上智大学教授)は、小林順子さんの人柄について「真面目で親しみやすく下町出身の学生といった感じ」、「多くの友達に慕われていました」とコメントされています。
事件の2日後の1996年9月11日には、小林順子さんは1年間のアメリカ留学に出発する予定で、既にその準備を整えていました。そうした将来の夢も犯人によって打ち砕かれてし余った事になります。
小林順子の彼氏は?
1999年に発行された「新潮45」でのこの事件についての記事では、小林順子さんには彼氏がいたことが書かれています。
ただ、小林順子さんの彼氏がどのような人物だったのかについては不明です。
また、特にこの彼氏の事件への関わりなども言及されていないので、彼氏が関わっての痴情のもつれによる犯行というのは疑われていないようです。
小林順子を殺害した犯人は?
小林順子さんを殺害した犯人はいまだに捕まっておらず、手がかりすらない状態が続いていますが、事件現場の状況などからいくつかの犯人像の説が上がっています。
顔見知り犯人説
小林順子さんが殺害されていた現場には、父親が使用していたスリッパが揃えられて残されていました。この事から、犯人は顔見知りの人間で、小林順子さんが家に招き入れたのではないか?とする説が出ています。
また、当時、小林順子さんの部屋には留学のために準備していたトラベラーズチェックや、十数万円の現金がありましたが、それはそのまま残されていたため、物取りの犯行の可能性は低いと見られており、これも犯人は顔見知りではないか?とする説につながっています。
ストーカー犯人説
事件の10日前、小林順子さんは深夜午前0時頃に不審な男に後をつけられている事や、小林順子さんがアメリカへと留学する2日前に殺害されている事などから、犯人は小林順子さんに一方的に好意を寄せていたストーカーではないかとする説も囁かれています。
警察も犯人はストーカーではないかと疑っており、この事件で「ストーカー」という言葉が初めて捜査用語として使用されています。
現場付近で目撃された不審な男
事件当日から数日前にかけて、小林順子さんの自宅付近では不審な男が何度も目撃されています。
特に、事件発生の直前に道路に立ち、小林順子さんの家をじっと見つめていたという不審な男は、似顔絵や身長約160cmで痩せ型、黄土色のレインコートに黒ズボン姿だったといった特徴が公開され、情報提供が求められています。
この他にも、数日前に付近の住宅に男が入ろうとして追い返された、家の前でライターをいじっている怪しい男がいた、不審な男が「ふざけんな、ぶっ殺すぞ!」などと叫びながら軍歌を歌って自転車で走り去ったりといった不審者情報が数多く上がっています。
これらの不審者の目撃情報は、推定年齢が20代から60代までとかなり幅があり、これらが全て同一人物であるかどうかは微妙かもしれませんが、タイミングから考えてもこの不審車の中に犯人がいる可能性は十分に考えられます。
また、小林順子さんを拘束するために使用したと見られる粘着テープには複数の犬の毛がついており、犯人は複数の犬に囲まれて生活していたのではないかとの推測もされています。
ただ、これだけの情報がありながら、未だ犯人の手がかりはつかめていません。
小林順子が殺害された「柴又女子大生放火殺人事件」の現在
小林順子さんが殺害された「柴又女子大生放火殺人事件」の捜査は現在も続けられているようです。
2020年8月、事件から24年ぶりに警察から小林順子さんの遺品が遺族に返却された事がニュースになっています。
警察から返却された小林順子さんの遺品は、日米貿易摩擦など国際問題についてのレポートや、上智大学でのサークルの仲間たちからの寄せ書き、残されていたフィルムから現像された約400枚もの写真、高校時代にニュージーランドに留学した時の感想文などだったそうです。
小林順子さんの両親や家族は、現在も犯人の逮捕のため情報提供を求める活動を続けられているという事です。
まとめ
今回は、1996年9月9日に発生し未だ未解決の殺人事件「柴又女子大生放火殺人事件」の被害者・小林順子さんについてまとめてみました。
小林順子さんは、事件発生の直前に母親が出かけ、自宅に1人でいるところを何者かに殺害され、その後犯人は自宅に火をつけて逃亡、事件から24年が経過した現在も犯人は捕まっていません。
小林順子さんは、将来はジャーナリストや映画監督として海外で活躍したいとの夢を持ち、高校時代から留学し、進学した上智大学では外国語学部英語学科で英語を熱心に学び、殺害される2日後にはアメリカに1年間留学する予定でしたが、その夢は何者かによって無残に打ち砕かれました。
一刻も早く、小林順子さん殺害の犯人が捕まる事を祈っています。