2019年1月、栗原勇一郎は実娘である心愛ちゃんを虐待し、死に至らしめました。その後逮捕され、2020年2月には公判が始まり、事件の全容が徐々に明らかになっています。
ここでは栗原勇一郎による心愛ちゃん虐待事件、生い立ち・大学と職業など経歴、実家の両親と妹など家族、結婚歴と離婚歴や嫁と子供、そして事件の判決から現在までをまとめました。
この記事の目次
- 栗原勇一郎による「栗原心愛さん虐待死事件」の概要
- 栗原勇一郎による「栗原心愛さん虐待死事件」の時系列…虐待内容と詳しい死因
- 栗原勇一郎による「栗原心愛さん虐待死事件」学校・教育委員会の対応の悪さも問題に
- 栗原勇一郎の実家と家族① 両親から異常なほど溺愛されて育つ
- 栗原勇一郎の実家と家族② 妹・紗栄子さんが語る兄の素顔
- 栗原勇一郎の生い立ちと経歴…小学生の時から弱い者いじめをしていた
- 栗原勇一郎の結婚・離婚歴…嫁・栗原なぎさとは再婚だった
- 栗原勇一郎に子供は3人…前妻との間に1人、栗原なぎさとの間に娘が2人
- 栗原勇一郎の現在…暴行の大半を否定/検察側は懲役18年を求刑するも懲役16年判決
- 栗原勇一郎による「栗原心愛さん虐待死事件」をまとめると…
栗原勇一郎による「栗原心愛さん虐待死事件」の概要
父親・栗原勇一郎が娘・心愛さんを虐待死させる
この事件では両親からの虐待という点はもちろん、それを取り巻く関連機関(市・児相・学校・教育委員会等)の対応の悪さも大きく報じられました。
事件発生日時:2019年1月
事件発生現場:千葉県野田市山崎のアパート(栗原勇一郎宅)
事件加害者:栗原勇一郎(父)と栗原なぎさ(母)
事件被害者:栗原心愛(娘)さん
容疑:暴行・強要・傷害・傷害致死罪(勇一郎)、傷害幇助罪(なぎさ)
栗原勇一郎による「栗原心愛さん虐待死事件」の時系列…虐待内容と詳しい死因
心愛さんの死因は、溺死と強い飢餓状態やストレスによる不整脈
引用:https://headlines.yahoo.co.jp
心愛さんの死因については以下のようには発表されています。
医師は死因について、溺死(できし)と強い飢餓状態やストレスによる不整脈だと証言しました。さらに、「相当の水量のシャワーで意識障害が起きていた」「考えが及ばないほどの飢餓やストレスがあったのではないか」と話しました。
心愛さん虐待死事件の時系列と虐待内容
事件の時系列
2008年 栗原勇一郎と栗原なぎさが結婚
2008年9月 心愛さん誕生
2009年9月 母親と心愛さんが母方実家(沖縄県糸満市)に戻る(産後うつとも家庭内DVとも)
2011年10月 栗原勇一郎・なぎさの離婚成立→その後も心愛さんは沖縄で育つ
2016年頃 なぎさが勇一郎を忘れられずに連絡を取り再交際。(メディアによっては、勇一郎の方からの執拗な復縁要請だったとも)
2017年頃 親族らから反対されるなか両親再婚、そして同居が始まる
2017年6月頃 次女誕生。なぎさの産後の体調が思わしくなく、入退院を繰り返す。
2017年7月 なぎさ「夫から暴力を受けている。心愛も恫喝されている」と親族に話し、親族が糸満市に相談。一方、勇一郎は「祖母が心愛を返してくれない」と児相に相談(→その後に母親と次女が入院している間、心愛さんは勇一郎と一緒に暮らす)
2017年8月 親族が心配の声を市に伝えるなか、勇一郎は娘2人を連れ千葉県野田市に移住(なぎさは入院していたため9月頃に遅れて合流)
2017年11月 心愛さんが学校のアンケートに「お父さんから暴力を受けている」と回答→その後、児相が一時保護→同年末に解除され心愛さんは親類宅へ
2018年1月 一時保護された時点で対応に不満を持っていた勇一郎は、学校にアンケート開示を要求→心愛さんに書かせた同意書を持って、市教委がアンケートのコピーを勇一郎に渡す→その後、心愛さんは転校
2018年3月 心愛さんが親類宅から自宅に戻る
2019年1月 心愛さんが正月休み開けから登校せず。勇一郎は「沖縄にいる」と証言
2019年1月24日 心愛さんの遺体が見つかる
心愛さんへの虐待内容(※報道より。裁判で争われていない点も含む。)
・十分な食事と睡眠を与えない
・長時間、廊下に立たせる
・暴行して骨折させる
・冷水シャワー(冬場)
・年越しそばを美味しそうに食べないと言いがかりをつけ、風呂場に立たせる
・泣き叫ぶ姿や排泄物を持つ姿を動画撮影
・倒れる寸前までスクワット
・髪を引っ張る
・性的虐待の可能性も
・遺体の検死後、心愛さんの体には数十か所の皮下出血があった
栗原勇一郎による「栗原心愛さん虐待死事件」学校・教育委員会の対応の悪さも問題に
心愛さんは小学校のアンケートで虐待を訴えていた
心愛さんが父からの虐待を訴えたアンケート
事件の一つのキーとして語られる、心愛さんが通っていた小学校で行われていたアンケート。
これは主に”いじめ”について問われたアンケートでしたが、心愛さんは父親からの虐待について書いています。(以下、読みやすいように漢字に変換しているところも有)
心愛さんのアンケート記入:「お父さんに暴力を受けています。夜中に起こされたり起きているときに蹴られたり叩かれたりしています。先生どうにかできませんか。」
担任がアンケートを元に心愛さんから聞き取りし書き込まれた内容:「お母さんは味方してくれるが父は保護者だと言って母のいうことを聞かない。沖縄ではお母さんがやられていた。昨日叩かれた。頭・背中・首を蹴られて今もいたい。殴られるこぶし10回。」
このアンケートを受けた関連機関は即座に虐待の危険性を認識。児相はすぐに一時保護しました。しかし…。
勇一郎に開示された心愛さんのアンケート
一時保護に不満を持った栗原勇一郎は虐待を否定し、学校や教育委員会にアンケートの開示を要求。
心愛さんの書いた開示を認める同意書(※その後、心愛さん児相に開示同意書を書かされたという旨を伝えていた)を持ち寄り、再三教育委員会に詰め寄り、その後アンケートは開示された。
以上のアンケートのように、関連機関の対応の悪さが目につく今回の虐待死事件。アンケート以外にも、必要なタイミング(例えば最後に自宅に帰った後、最後の冬休みの後長期欠席が続いた時)での訪問がないなど、いろいろと問題がありました。
一連の対応を調査した県の検証委員会は報告書で、「基本ルールが徹底されておらず、適切な対応がなされていなかった」と関係機関の対応を批判。「勇気を持って(虐待を)訴えた心愛さんは、何としても守られるべきで、救える命だった」と結論づけた。
それ以外にも最初に心愛さんが一時保護された後からも「(関連機関の)介入機会は13回あった」との報道も…。
栗原勇一郎の実家と家族① 両親から異常なほど溺愛されて育つ
栗原勇一郎の父親は元航空整備士、母親・凪子さんは元CA
家族は虐待に気づいていた?
栗原勇一郎の父親は成田空港に勤務していたJALの元航空整備士で、母親は元CAだったと言われています。
栗原家の実家は両親と勇一郎と妹の4人家族でした。
なお勇一郎の妹は虐待が起きていた当時に、実家に自分の息子とともに居住していたそうで、何度か心愛さんが実家預かりになった際に一緒に暮らしていたと言います。
栗原勇一郎の両親は息子をかばう発言を繰り返していた
栗原勇一郎の両親は、息子が職を転々とすることを咎めるでもなく資金援助をするなど溺愛していたといいます。
「沖縄に気分転換に行きたいと言っていたが、仕事もやめていたので引っ越し費用と生活費を貸し、月に15万円から20万円援助していました。総額は2000万円くらいだと思います」(裁判での母の証言)
勇一郎の父親(心愛さん祖父)は、息子をかばうような証言をしています。
祖父は心愛さんの体にあざがあることを、妻(被告の母)と娘(被告の妹)から聞いたという。「私は虐待を認めたくない気持ちが半分と、息子を通報するのに抵抗する気持ちが半分だった」「通報すれば、勇一郎被告が仕事を失い、家族は生活することもできなくなる」
さらに、母親・凪子さんも、息子をかばう発言を繰り返す異常なマインドの持ち主のようです。
「息子は孫以上に可愛い。私から(虐待を)疑われるのは勇一郎がかわいそうだと思った」などと、泣きながら証言。
さらには、
「児童相談所が(心愛ちゃんのことを)要保護児童とかハイリスク児童と教えてくれていれば」と行政に責任転嫁ともいえる証言をした凪子さん。
栗原勇一郎の実家と家族② 妹・紗栄子さんが語る兄の素顔
栗原勇一郎の妹・紗栄子さんは兄の二面性に気づいていた
勇一郎の妹は、約8ヶ月ばかり一緒に暮らしていた心愛さんを”娘”といい、とても可愛がっていたそうです。
妹は「私の…大事な大事な娘です」「心愛を返して…心愛を返して下さい!」涙ながらに被告に訴えた。
母親が勇一郎をかばう証言を続ける中、兄について、「自分より地位の高い人にはいい態度で接するが、低い人にはそうではない」
妹は心愛さんに虐待があったことをわかっており、「次何かあったら児相に通報する」と考えていたそうです。また、息子を溺愛してかばい続ける両親とは違い、妹は兄の二面性に気づいていたようです。現在妹は勇一郎と絶縁する方針だとのこと。
栗原勇一郎の生い立ちと経歴…小学生の時から弱い者いじめをしていた
栗原勇一郎、弱い者いじめをする一方で妹思いの一面も?
栗原勇一郎は、栗原家の長男として1977年に生まれました。両親はともに空港関係の仕事をしていたそうですので、経済的にはそこまで困窮した家庭ではなかったことが想像できます。
小学校・中学校は野田市の公立学校に通い、小学校は心愛さんと同じところに行っていました。小学校時代の勇一郎を知る人物によると、野球をやっておりユニフォーム姿で出かける姿がよく目撃されていたといいます。
同級生の証言では弱い者いじめをしていたとの証言もあります。
母や家族には“できた息子”でいた勇一郎だが、家族には見せない一面もこのころからあった。「小学校のときから数人の生徒と弱い者いじめをしていた。自分より弱い者には強く出るタイプ」 と、元同級生。
その一方で、妹思いだったとの証言もあり、二面性がみてとれます。
勇一郎容疑者は野田市で育ち、心愛さんが事件当時に通っていた市立小を卒業した。「妹をいじめるな」。幼い頃、下級生の男の子をしかりつけた姿を同級生の男性は覚えている。「妹思いで、弱い者いじめはしない。暴力を振るう姿なんて見たことがない」と事件のギャップに驚く。
栗原勇一郎、大学卒業後は職を転々としていた
中学卒業後は、私立高校を経て大学進学。卒業後は最初に空港関連の会社に就職しましたが、その後は東京や沖縄で職を転々としており、事件発覚時には「OCVB東京事務所の嘱託職員」として働いていました。
そこでの働きぶりはいたって真面目だったといいます。
容疑者は2018年4月から同事務所で観光関連のイベント運営業務などに携わっていた。仕事ぶりは真面目で、職員ともコミュニケーションも積極的に取っていたという。
栗原勇一郎の結婚・離婚歴…嫁・栗原なぎさとは再婚だった
栗原勇一郎、最初の結婚も嫁へのDVが原因で離婚
栗原勇一郎の母親・凪子さんによると、栗原なぎさと結婚する前に1度離婚歴があることも判明しています。
大学を出た勇一郎は父に憧れJASの子会社に就職するも数年で離職。その後、都内のガス会社に就職するが’07年には離職。このころ、1度目の結婚をしている。
「なぎささん(33・心愛ちゃんの母=勇一郎とともに逮捕)とは2回目の結婚で、別れた先妻との間に子どもがいます。最初の結婚相手は、なぎささんのように見た目はおとなしいが勇一郎とよくケンカする気の強い面がある女性でした」(凪子さん)
勇一郎を昔から知る知人によると、「最初の奥さんは勇一郎の暴力が原因で逃げた」
栗原勇一郎と栗原なぎさの結婚と復縁
栗原なぎさ
出身地:沖縄県糸満市
生年月日:1987年頃
栗原勇一郎となぎさは、同じ旅行会社で働いていた時に出会い、2008年2月に結婚しました。
その後すぐに心愛さんが生まれましたが、2人は育児ノイローゼや家庭内DV問題等ですぐに別居となり2011年に離婚。なぎさは心愛さんとともに沖縄の実家に戻っています。
離婚後はなぎさ実家で普通に育っていた心愛さんですが、2016年に両親が復縁すると、2017年には勇一郎となぎさが再婚し次女が生まれました。
この時点で勇一郎からなぎさや心愛さんに対するDV・虐待を巡り一悶着ありましたが、勇一郎は家族を連れ千葉県に移住。そこで虐待死事件は起きてしまいました。
栗原なぎさも当初はDVの被害者だった
なぎさは当初DV被害者で、勇一郎から心愛さんへの虐待を制止するような言動を見せていたが…。
栗原勇一郎からのDVは当初、嫁のなぎさが被害者でした。しかし、徐々に心愛さんにもDVの被害が及んでいきます。
「旦那からされていたことはDVと違うと思った。旦那のことが好きだった」
さらに被告人質問で虐待を止めたかと聞かれると、「『これ以上やらないで』『通報する』と言ったが、胸ぐらをつかまれ、床に押し倒されて、馬乗りになってきて、苦しいと言うと、ひざ掛けを口の中に突っ込まれた」と述べた。
栗原なぎさ、心愛さんの傷害幇助罪で逮捕される
しかし、なぎさは心愛さんを助けることはなく、被害者でもありながら心愛さん虐待を幇助していた加害者として逮捕されています。
栗原なぎさは、心愛さんに対する傷害幇助罪に問われ、2019年6月に懲役2年6カ月保護観察付き執行猶予5年(求刑懲役2年)の判決が出ています。
この判決は、なぎさが勇一郎のDV被害者(また双極性感情障害を持つため、その影響を受けやすかった)という点が考慮された結果だとされます。
栗原勇一郎に子供は3人…前妻との間に1人、栗原なぎさとの間に娘が2人
栗原勇一郎となぎさの間に子供は娘が2人
2008年9月 心愛さん誕生
2017年6月 次女誕生
勇一郎から虐待を受けていたのは心愛さんだけで、妹は可愛がられていたそうです。
検察側「次女への虐待はあったのですか」
被告「ありませんでした」
裁判などで明らかになったところによると、心愛さんが生まれてからなぎさが育児ノイローゼになったため、勇一郎が本格的に家族と暮らし始めたのは2016年の復縁後だったといいます。
2016年というと心愛さんはすでに小学生になっていた頃ですので、そのことも影響していたのかもしれませんね…。
ちなみに、栗原勇一郎には前妻との間に子供が1人いるようですが、離婚後は交流も一切なかったようですね。
栗原勇一郎の現在…暴行の大半を否定/検察側は懲役18年を求刑するも懲役16年判決
栗原勇一郎、裁判で語った虐待動機
虐待をした栗原勇一郎の動機は?
栗原勇一郎は当初虐待を否定していましたが、その後認めています。
はい。虐待です。大事な、大好きな自分の娘に夜中、長い時間立たせたり屈伸をやらせる必要は、全くありませんでした
また裁判のなかで、栗原勇一郎は心愛さんを虐待した理由について話しています。
虐待を認めた被告は弁護人から理由を問われると「言ったことを最後までやらせようという気持ちが強く、心愛にやらせようとした。(やり過ぎという思いは)あった」と涙で声を詰まらせながら話した。
その一方で「心愛が自ら立っているとか屈伸するとか言ったからさせた」「暴れたから押さえつけた」などと女児の言動が発端だったと主張。「(殴ったり蹴ったりは)していない」と具体的な暴力行為は改めて否定した。これに対して検察官が「責任を女児になすりつけているのでは」と問いただすと「事実を述べただけで、心愛が言ったからこうなったと思っているわけではない」と弁解した。
上記引用のなかで自身の虐待行為について、「心愛が○○したから」とどこかでその責任を心愛さんになすりつけているかの印象を受ける勇一郎の言動。虐待を認めつつも終始そんな雰囲気を感じる供述が多いです。
〜事件の裁判詳細〜
・【野田小4虐待死、被告人質問2日目詳報】(1)涙ながらに思い出話すも、虐待行為の多くを否定
・虐待は今なお続いている~野田市小4虐待死事件で父親の裁判始まる
母親の栗原なぎさは、勇一郎の虐待動機を以下のように分析。
勇一郎被告が虐待をした理由について、「心愛は正義感がとても強い子なので、心愛の性格そのものが、勇一郎にとって気に入らなかったのではないか」と話した。
栗原勇一郎、検察側の求刑は懲役18年
2020年3月9日、千葉地裁にて裁判員裁判が結審し、従来の量刑傾向を大幅に超える比類なき重い事案として検察側は懲役18年を求刑しました。
「心愛さんや妻に責任を押し付けるなど反省の態度はみじんも感じられず、今なお心愛さんへの虐待が続いている」としたうえで、従来の量刑傾向を大幅に超える比類なき重い事案とし、懲役18年を求刑しました。
栗原勇一郎は「罪について争わない」考えを示す一方、暴行の大半を否定しているとか。
そして3月19日、裁判員裁判では懲役16年の判決が下されました。
心愛さん虐待死、父に懲役16年 「凄惨で陰湿」―六つの罪全て認定・千葉地裁
栗原勇一郎による「栗原心愛さん虐待死事件」をまとめると…
・栗原勇一郎の家族構成は、元航空整備士の父親、元CAの母親と妹の4人家族で、両親から異常なほど溺愛されて育った
・栗原勇一郎は栗原なぎさと結婚する前に1度結婚しており、子供を授かるもDVが原因で前妻とも離婚していた
・栗原勇一郎は2008年に栗原なぎさと結婚し長女・心愛さんを授かるも離婚、その後2016年に復縁し、2017年に次女が誕生している
・栗原なぎさもDVの被害者であったが、心愛さんへの虐待を止めなかったとして傷害幇助罪で逮捕された
・栗原勇一郎に対して検察側は懲役18年を求刑していたが、懲役16年の判決となった。
子供が一番信頼するべき存在のはずの親に裏切られ、死ぬほどの虐待を受けるなんて信じがたい事件ですが、日本では決して珍しいニュースではありません。
心愛さんに関しては、関連機関や周囲の大人たちの対応が後手に回ったことも、悲しい結果を引き起こす一因になったとされます。今後、こんな事件を見聞きしないような世の中になればと思います。