2012年10月に発覚した連続変死事件「尼崎事件」の首謀者として注目を集めた角田美代子ですが、その生い立ちには凄まじいものがありました。
この記事では、角田美代子の旦那や息子など家族や、「家族喰い」とも言われる背乗りの手口について現在までに明かされた情報を詳しくまとめました。
この記事の目次
角田美代子が起こした「尼崎事件」とは
角田美代子、8人を殺害・3人が行方不明となった殺人事件の首謀者
シリアルキラー・角田美代子
角田美代子は8人を殺害し、3名が行方不明となっている日本犯罪史上でも稀に見る凶悪連続殺人事件「尼崎事件」の首謀者です。
角田美代子は2012年に事件が発覚して逮捕されてから兵庫県警本部の留置所に投獄されるも、2012年12月12日午前6時20分頃に自身の長袖Tシャツを使って自殺しました。
この「尼崎事件」は角田美代子が血縁の無い6つの家族を複雑怪奇に縁組を繰り返したため、事件の全貌がわかりづらく、非人道的な事件ということも相まってテレビや新聞でも報道を自粛する傾向にありました。
そのため、「尼崎事件」は世間的な認知度は決して高くない事件ですが、角田美代子を主犯格とした10人あまりの共犯者らによる人権を無視した殺害方法は間違いなく日本の犯罪史でも”凶悪”の部類に入ります。
角田美代子というモンスターがなぜ生まれたのか、その生い立ちからご紹介していきましょう。
これが日本で最も意味不明な 「尼崎事件」の相関図。 うん、めちゃくちゃだ。 pic.twitter.com/50Q3Zca09R
— R (@RIM__P) 2017年8月31日
角田美代子の生い立ちと家族情報…父親譲りの洗脳術や在日韓国人の噂
角田美代子の両親は離婚していた
劣悪な環境でグレて育った角田美代子
角田美代子は終戦直後の1948年に、建設業を営んでいた両親の元に長女として生まれました。
左官をしていた父親を母親が手伝い、裁縫の内職をして家計を助けており、角田美代子には6歳上の兄と6歳下の弟がいました。
小学生時代に両親は離婚して父方に引き取られましたが、双方の親戚の家を転々としながら生活していました。
中学校時代までは”月岡”姓を名乗っており、父親が羽振りが良かったことから角田美代子は何不自由なく生活していたようです。
しかし、角田美代子は全く両親の愛情を受けて育たなかったことを当時の担任が語っており、父親はほとんど夜の街に入り浸っており、母親も全く気にかけなかったため角田美代子が補導されて警察のお世話になっても迎えに来たことはありませんでした。
中学生時代には角田美代子は同級生らに影で「女ボス」と呼ばれて恐れられるようになり、ほとんど学校に来なかったものの、たまに来ると柄の悪い仲間を引き連れていました。
報道では角田美代子は当時気が弱い泣き虫な性格をしていたと言われていますが、スナック経営を通して暴力団とつながったことで気が大きくなっていったようです。
なお、角田美代子の弟・月岡靖憲も「尼崎事件」に関与しており、2019年現在出所している可能性もあるようです。
ちなみに、角田美代子の実弟の月岡某はあと2,3年したら刑期終えて出所する。へたしたら短縮してもうシャバにいるかもしれない。
— ぶたげ (@Buri_goki) 2018年2月9日
角田美代子の父親もマインドコントロールに長けていた
角田美代子の父親を知る人の証言では、当時尼崎市には全国から素性不明の荒くれ者が集まってきていたようで、それら人夫を親方として束ねていたのが角田美代子の父親だったそうです。
古くから住む老人男性は、父親の仕事をこう語る。「当時の尼崎には、全国から体力自慢で素性のよくわからない荒れくれ者が集まっていた。そんな連中を自宅に住まわせ、手なづけるのが美代子被告の父親のような親方の役目です。普段から睨みをきかせ、圧倒的圧力で彼らを抑えこむ。もちろんいざとなったら恫喝や腕力も必要。恐怖心を労働者に植え付け、『あの人には敵わない』と思わせないと務まらなかった」
さらに、アメとムチの使い分けが求められた。
「冷酷さも必要です。労働者が汗水流して稼いだ日給は当時3500円ほどでしたが、そこから食事代や酒代といろんな名目で4割程度をピンハネするんですから。しかしいっぽうでは食事を与え、ときには酒も飲ませて慰労する。『人夫は生かさず殺さずで働かせるだけ働かせろ』というさじ加減が必要です。今の美代子被告がしていたことはまさに父親と同じ。彼女は幼いころから父親の姿を見てきました。そうして人心支配の英才教育を受けてきたのでしょう」(前出・古くから住む老人男性)
角田美代子の卓越した人間をコントロールするをする術は父親の姿を見て身につけた一方で、著書『モンスター尼崎連続殺人事件の真実』によれば、山口組系暴力団の大幹部であるMという男が人を支配する術を仕込んだと言われています。
角田美代子は在日韓国人だった?
根強く語られてきた角田美代子が在日韓国人という説
角田美代子の出身地が兵庫県でも屈指のコリアンタウンと言われる尼崎市であったことや、義理のいとこで右腕だった共犯者・李正則の存在などから、角田美代子は在日韓国人だとする説が根強く語られてきました。
また、ネット右翼(ネトウヨ)など保守派のネットユーザーの間では、「日本人には無いメンタリティ」として嫌韓ヘイト的に在日韓国人認定をする傾向もあるようです。
説として信ぴょう性を感じさせる李正則の存在ですが、養子縁組をして角田美代子の義理のいとこになったことから、元々は日本人だと推察する説もあります。
李正則は角田の親戚と養子縁組をしているので日本の法律でいえば公的機関に名が出るのは本来は養子先の氏名ですね。
でも、マスコミの発表は何故か「李」の性。
これはそ角田美代子の親戚が少なくとも日本以外の国籍だと予測することが出来ます。
また、この仮定から李正則は日本人かもしれない可能性もあります。様は「どこで」養子縁組を届け出たかでも解釈は変わってきます。
李正則が日本人だとすれば、角田美代子の血縁に在日韓国人がいるという事実が不透明になってしまいますが、角田美代子が拘置所内で同じ房に入れられた幾人かの囚人の中で、唯一在日韓国人にだけ辛い心の内を吐露していたという証言もあるそうです。
この証言をしたのは角田美代子と同房に入っていた女性であり、角田美代子はこの在日韓国人に当然拒絶されるわけですが、今にも殺されそうな形相で睨まれ続けたため看守に頼んで房を変えてもらったそうです。
ここまで角田美代子に在日韓国人だと疑わせる材料が揃っていると疑わずにはいられませんが、事実として公表されたことは無いようです。
角田美代子は17歳で結婚しスナック経営をしていた
角田美代子は高校に通い始めても1年生の1学期目で中退しており、高校で知り合った同級生の兄と17歳の頃に1度目の結婚をしています。
しかし、結婚は長くは続かず角田美代子は1年もせずに離婚、その後20歳の頃にも結婚していますがすぐに離婚しているようです。
角田美代子は高校中退後に尼崎市内でスナック経営を始めており、19歳の頃には16歳の少女に売春を強要した罪で逮捕されています。
しかし、角田美代子はスナック経営をしながら少女たちを管理売春する中でヤクザとつながりを持っており、その関係で横浜の伊勢佐木町へ進出しました。
角田美代子はスナックで雇っていたとある女性をとても可愛がっておりママとして店を切り盛りさせていましたが、後に義理の妹となり「尼崎事件」の片棒を担がせることになります。
角田美代子は息子を溺愛していた…義妹に自分の息子を出産させる
義妹・角田三枝子は総額3億円を風俗で稼ぎ貢いでいた
角田美代子は上手く金づるを育てた
角田美代子の義理の妹となり「尼崎事件」に加担した角田三枝子ですが、角田美代子に言われるまま20歳から売春を始め、その後風俗店で働き始めても生活費を省いて収入の大半を角田美代子に送金していたことを語っています。
20歳のころから売春を始めた。25歳のときには約1年間、横浜市内のソープランドで働いた。すべては元被告の派手な生活を支えるためだ。知人には「ラウンジで働いている」とうそをつき続けた。1カ月あたりの仕送り額は生活費を差し引いた120万~150万円。稼ぎの大半を元被告に渡していた。
引用:産経WEST – ソープの稼ぎも貢いだ…尼崎連続変死〝キーマン〟 「お腹痛めて産んだ子」も美代子元被告に差し出した壮絶人生
角田三枝子は尼崎市外の風俗店に勤めだした時に角田美代子から離れられてホッとしたと語っていることから、暴力団をちらつかされて脅されていたことは間違いないでしょう。
角田美代子の最初の被害者は「尼崎事件」で加害者となった角田三枝子だということになります。
角田美代子の息子(次男)は義妹・角田三枝子の子供だった
息子・角田優太郎
角田三枝子も48歳までに総額3億円を角田美代子に貢いできたと語っていますが、その間に角田美代子を殺害しようと思い立ったこともあったようです。
角田三枝子は自身が学歴が低く不細工であることから自分の子供は欲しくないものの、角田三枝子の子供が欲しいと言っていたことから、角田三枝子は言われるがままに「尼崎事件」の加害者の一人である子供・角田優太郎を生むも、母性が目覚めて角田美代子を殺害しようと思ったようですが、子供のためにそれができませんでした。
その後、三枝子被告は元被告方に集金に来ていた行員との間に優太郎受刑者を身ごもり、元被告の指示を断れず、元被告になりすまして病院で出産した。33歳のときだ。出生届に母親として記載されたのはもちろん、元被告の名前だった。
「内心はすごく嫌だった。初めて美代子を殺そうと思った」。お腹を痛めて産んだわが子を差し出すことにはやはり抵抗があったが、「逆らったら優太郎に危害が加えられる」と思った。息子の身を案じ、自分は「同居するおばさん」に徹して生きた。
引用:産経WEST – ソープの稼ぎも貢いだ…尼崎連続変死〝キーマン〟 「お腹痛めて産んだ子」も美代子元被告に差し出した壮絶人生
結局、角田三枝子は角田美代子に自身が稼いできたほぼすべての収入となる3億円を貢いだばかりか、大切な子供まで奪われた挙句に「尼崎事件」に加害者として加担して殺人者となってしまいました。
ちなみに息子の角田優太郎は溺愛されて育ったといいます。
実子の優太郎容疑者は幼い頃、美代子容疑者が「この子はタレントにする」と言って学校にほとんど通わせず、高価なブランド品を買い与えるなど溺愛されて育った。瑠衣容疑者も美代子容疑者に「私の後継者にする」と寵愛(ちょうあい)されており、暴力のターゲットとなることはなかった。
ここまで不幸な人生も中々無いと思いますが、角田美代子に目をつけられた人間は多かれ少なかれこうした絶望を味わわされています。もちろん溺愛された長男も殺人に加担、2件の殺人罪で起訴され懲役17年の判決が確定しています。
角田美代子には遠縁の一家から養子にした息子(長男)いた
養子の息子・角田健太郎
角田健太郎は角田美代子に家庭を崩壊された遠縁の一家の子供だったそうです。その後、1999年に角田美代子の養子となり2005年に改名。角田優太郎と同じく溺愛されていたそうです。現在は3件の殺人罪で懲役21年の判決を受け服役中です。
角田美代子の旦那…内縁関係だった鄭頼太郎は在日韓国人
角田美代子、鄭頼太郎と結婚しなかった理由は2度の離婚が原因?
角田美代子には殺人にも加担した鄭頼太郎という内縁の旦那がいました。結婚しなかった理由は2度の離婚がトラウマとなり踏み切れなかったと、なんとも乙女な理由でした。
そんな折、美代子は知り合った東(鄭)頼太郎と内縁の関係となる。尼崎で育った二歳下の在日韓国人だ。頼太郎は中学卒業後、鉄工所、タクシー会社、運送会社など職を転々とし、美代子と知り合った際も同級生に「俺を食べさせてくれる女が現れた」と喜ぶ、うだつのあがらない男だった。
これを機に、美代子は母方の祖母と叔父が住む尼崎の家に拠点を置いて「東」と名乗り、頼太郎を養う。二度の離婚によって結婚を諦めながらも、ずっと家庭を持ちたいという気持ちがあったのだろう。
だが、三たび離婚して傷つくのはプライドが許さない。そこで言うことを聞く男と内縁関係を結んで「家族」を築いたのだ。
鄭頼太郎は通名を東頼太郎と名乗っていた在日韓国人で、3件の殺人罪で懲役21年の実刑判決を受けています。
角田美代子の犯行手口「背乗り」の恐ろしさ
「背乗り」とは他人の戸籍を乗っ取る行為
”背乗り”は他人の戸籍を乗っ取る行為
角田美代子は角田三枝子と生活しながら、鄭頼太郎という在日韓国人と内縁関係になり、4人で生活をしており、1980年頃から”背乗り”を駆使した「家族喰い」を開始します。
”背乗り”とは暴力団がよく使う犯罪歴を抹消するための戸籍ロンダリングのことを指し、養子縁組を利用することで別姓を名乗り、戸籍上で新たな人間として再登録される日本の法の抜け穴を利用した犯罪手法です。
角田美代子も元々”月岡”姓でしたが、犯罪歴をリセットするために離婚した母親方と養子縁組をして”角田”を名乗り始めたとも言われています。
自宅は、地元の元議員から脅し取ったものらしい。 これは、やっぱり旧姓月岡だった美代子が、「月岡美代子」の名前で何か事件を起こすか、銀行から金でも引っ張った挙句、新たな金づるを模索すると同時に「キレイな身柄」を手に入れて事件を起こすために「角田美代子」の戸籍を乗っ取ったんじゃないだろうか。 ホント、もう滅茶苦茶過ぎて意味わからない。何書いて良いのかわからなくなってくるよ。 」
そんな感じなのですが
この角田美代子は在日で本名は「リ・ユンヒ」なので、養子縁組をした在日の「李」とも兄弟の様な間柄ではないのかなと
角田美代子もまた普通の一般家庭に脅しを使って入り込み「家族喰い」を繰り返す中で、血縁関係にない人間の養子縁組を繰り返して複雑な擬似親族関係を築き上げていました。
角田美代子は仲間の荒くれ者を大勢呼び寄せて6つの家族を支配しており、角田美代子の周りの男は金髪で太っていたことから近所からは「金髪デブ集団」と恐れられていました。
角田美代子は「北九州監禁連続殺人事件」を模倣していた?
「尼崎事件」とよく似た事件で2002年に福岡県北九州市で起きた「北九州監禁連続殺人事件」があります。
角田美代子の犯罪の師匠でもあり密かに愛していたという山口組の大幹部・Mという人物は、この「北九州監禁連続殺人事件」をよく研究しており、それを角田美代子に伝授したと言われています。
始まりは、たった20万円の借金からであった。角田美代子がまず恩を着せ、貸しを作る。タイミングを見て難癖をつけ、恫喝する。さらに親分的な役割に徹し、社会生活の場から切り離していく。その後は異常な執拗さで、何度も迫る。誰も気づかないところで無力化と断絶化のプロセスが開始し、徐々に相手に対する優越性が確立されていく。
これを著者は、以下のような図式にまとめている。
優しさ・しつこさ・難癖 → 恫喝 → (虐待 → 無力化)n ✕ 断絶化 → 心理的支配・ロボット化
驚くのは、岡島が何度となく訪れるターニングポイントにおいて、いずれも自分にとって最も事態が丸く収まり、最も速やかに「平和的解決」につながると思った行為を選び続けたに過ぎないということだ。その積み重ねから、やがてロボットのような存在に成り下がり、美代子の犯罪行為を幇助する羽目へと陥っていく。
引用:HONZ – こうして角田美代子は、人間をロボット化させた! 『尼崎事件 支配・服従の心理分析』から見えた戦慄のメカニズム
「尼崎事件」の角田美代子らの手口は「北九州監禁連続殺人事件」にとても似ていることからも模倣したのは間違いないようですが、被害が6つの家族に拡大したのは角田美代子が父親譲りの手配師としての能力が高かったためかもしれません。
角田美代子の現在~自殺してこの世を去っている
角田美代子は2012年12月12日、留置所にて自殺しています。享年64歳。重要なニュースにもかかわらず、北朝鮮のミサイル発射や衆議院選挙などのニュースもあったためあまり報道されませんでした。
角田美代子は刑務官や同部屋の容疑者がいるなか、自殺した。異変を察知した巡査長が、当直の職員とともに部屋の中に入り、首にTシャツの袖を巻いて意識をなくしている角田を発見。人工呼吸を施したが、搬送先の病院で死亡したという。
角田美代子についてまとめると…
・角田美代子は幼少期、両親の愛情を受けず親戚の家を転々としながら生活していた
・角田美代子は養子の長男と角田三枝子に出産させた次男を溺愛していた
・角田美代子は2度の離婚がトラウマとなり、内縁の旦那・鄭頼太郎と籍を入れなかった
・角田美代子の背乗りの手法は「北九州監禁連続殺人事件」を模倣していた
日本犯罪史上最悪のサイコパスとも言われる角田美代子が誕生した背景について総まとめしてきました。
戦後日本では在日韓国人・朝鮮人による凶悪犯罪が蔓延ったため現代まで続く在日差別が生まれたと言われていますが、角田美代子もまた在日韓国人だった可能性が高いため日本人への復讐の意味もあったのかもしれません。