2015年に起こった「淡路島洲本市5人殺害事件」ですが、犯人・平野達彦の精神病による被害妄想が原因の何とも救いようがない事件でもありました。
この記事では、「淡路島洲本市5人殺害事件」の詳細と犯人・平野達彦の生い立ちと家族、その後や現在についてまとめてみました。
この記事の目次
「淡路島5人殺害事件」の概要
「淡路島5人殺害事件」とは、2015年3月9日早朝に、兵庫県淡路島の洲本市郊外で起こった連続殺人事件のことを指します。
「淡路島5人殺害事件」の概要については、当時40歳の無職だった犯人・平野達彦が、近所住民である平野浩之さん宅と平野毅さん宅に乗り込み、サバイバルナイフで5人を殺害することになりました。
・平野浩之さん(62)
・平野方子さん(59)※浩之さんの妻
・平野静子さん(84)※浩之さんの母
・平野毅さん(82)
・平野恒子さん(79)※毅さんの妻
事件唯一の生存者となった平野浩之さんの長女(32)は、平野達彦が自宅に侵入してきた際に、平野浩之さんがとっさの機転で家族たちに「逃げろ!」と叫んでいたため、近くの民家に逃げ込むことが出来たそうですね。
壮年の男が一方的な殺意を持って老人たちを襲撃した事件ということもあり、事件現場は文字通り血まみれになっており、通報を受けて駆け付けた警察官も「何人死んでいるのか分からない…」と漏らすほど凄惨な状況でした。
ちなみに、この惨劇の生みの親たる犯人・平野達彦は、返り血を浴びた状況で事件現場付近の路上にたたずんでいたところを現行犯逮捕されています。
「淡路島5人殺害事件」犯人・平野達彦の犯行動機の事件までの経緯
平野達彦、精神病が原因で被害者家族とトラブルに
「淡路島5人殺害事件」に関しては、犯人・平野達彦と被害者たちの間にご近所トラブルがあったことが判明しています。
父親と祖母が住む実家にて長らくひきこもり生活を送っていた平野達彦は、服用していた「リタリン」の影響で2005年頃より精神病を患うようになっており、同年の9月に器物破損事件を起こして警察沙汰になったこともあったそうですね。
息子の錯乱ぶりを心配した家族が福祉事務所に相談をした結果、淡路島内の病院に入院していた時期もあった平野達彦でしたが、症状の方は改善しなかったようで、2009年になると自身が「精神工学戦争」の被害者であるといった妄想を抱くようになります。
「『日本国政府・及びそれに同調する工作員らは一体となって、電磁波兵器・精神工学兵器を使用し個人に攻撃を加える』という行為、すなわち『精神工学戦争』を行っている」という思想を持つに至った。さらにXはそのような思想を前提として「自身やその家族も『精神工学戦争』の被害者であり、近隣住人は自分たちを攻撃する工作員である」との妄想を抱くようになった。
引用:淡路島5人殺害事件
その後の平野達彦は、自分を攻撃する工作員だと思い込んだ平野毅さん・平野浩之さん一家を威嚇するようになり、早朝にバイクのエンジン音を轟かせたり、被害者たちをジロジロ睨みつけて悪口を繰り返すといった行為を繰り返していたようですね。
平野達彦と被害者家族に親戚関係はなし
「淡路島5人殺害事件」の被害者家族ですが、苗字は同じ平野姓だったものの平野達彦との間に親戚関係はなかったと言われております。
被害者一家の1人の平野毅さんは、元々は洲本市職員をしていたそうで、定年退職後は畑いじりに興じる悠々自適な老後を過ごしていたうえ、自宅隣に孫夫婦と同居用の家を建築している最中でした。
妻・平野恒子さんとの夫婦仲も良かった平野毅さんは、町内会長を務めた経験があるなど、地元の相談役として頼られていた人格者でもあったそうですね。
もう1人の被害者一家である平野浩之さんも、地元の測量設計会社を定年退職後に土木事務所で嘱託職員として働いていた他、農業団体の役員をしているような名士だったとか。
妻・平野方子さんも訪問介護事業所で介護士を手配する業務についていたようで、夫婦そろって人望の厚い性格として知られていました。
また、母・平野静子さんも地元の保育園で給食の調理を担当していた他、趣味の短歌のグループに所属していたり老人会に積極的に参加したりと、非常に社交的な性格をしていたようですね。
平野達彦、被害者家族への誹謗中傷で逮捕される
一方的な被害妄想により平野毅さん・平野浩之さん一家に嫌がらせを続けていた平野達彦でしたが、そのまま放置されていたわけではなく、事件前にもトラブルが起こり続けていたようですね。
平野達彦は、2009年7月になると、嫌がらせに業を煮やした平野毅さんの孫・Aさんより反撃を受けて鉄パイプで殴りかかられることになり、警察が出動する騒動となっています。
この時の騒動はAさんが罰金刑を受けただけに終わったものの、この一件でより一層平野毅さん・平野浩之さん一家を逆恨みするようになった平野達彦は、ネット上で被害者たちへの誹謗中傷を開始することになりました。
「お宅は風俗店ですかという電話がひんぱんにかかるようになりました。ワケがわからず、電話が繰り返され、亡くなった両親も不安がっていました。そして知人が『ネットでも同じ内容の書き込みがあった』と言うのです。調べると、平野容疑者が書いていました」
そのため、2010年12月に名誉棄損容疑で逮捕されることとなった平野達彦ですが、取り調べ中に意味不明な言動を繰り返していたために、結局は不起訴処分となってしまったとか。
しかしながら、息子の言動を心配した平野達彦の母親が福祉事務所に掛け合った結果、兵庫県明石市内の精神科病院に措置入院されることとなり、被害者たちに束の間の平和が戻ったそうですね。
平野達彦、精神病院で治療を受けるも状況は改善せず
兵庫県明石市内の精神科病院に入院した後の平野達彦ですが、「妄想性障害」との診断を下され、2013年10月までの間に、1~2ヶ月程度の短期入院を3回ほど繰り返していたようですね。
この時期の平野達彦は、治療の都合上、明石市内のアパートで1人暮らしをしていたらしく、2014年7月まで病院に通院を続けていたと言われております。
明石市時代の平野達彦は、表向きは対人トラブルなどもなく、周囲には礼儀正しく大人しい印象を与えていたものの、相変わらず「精神工学戦争」に巻き込まれているとの被害妄想が続いていたようで、ネット上で他者を誹謗中傷する行為を続けていました。
そんな平野容疑者だが、自身が作成した「電磁波犯罪とギャングストーキングの実行組織と実行者一覧」という意味不明なリスト上にアップされているのが明石警察署小久保交番だ。グーグルマップ上のリストにはメモでこう書かれている。
管理ネット(kanri.net)の代表の平野達彦が自転車で帰宅途中、交番から出てきた警官がパトカーに乗って発進し、管理ネット(kanri.net)の代表の平野達彦に指立て行為!
(原文ママ、抜粋)
ちなみに、新たに誹謗中傷被害にあった明石警察署小久保交番は、2014年10月頃に、平野達彦が「駅前に止めていた自転車を盗まれた!」と被害届を提出しに来た交番でした。
その後、「止めていた場所を勘違いしていた」と被害届を取り下げた平野達彦でしたが、何故誹謗中傷被害を受けることとなったのかは、関係者にも心当たりがないとか。
平野達彦、経済苦で実家に戻った頃から精神病が悪化
明石市時代の平野達彦に関しては、生活保護で生活費を賄っていたと言われております。
とはいえ、金遣いが荒かったのか経済的に苦しい状況が続いていたようで、淡路島に住む母親の元へお金の無心にやって来ていたことも発覚しています。
平野達彦が、明石市を離れて淡路島に帰って来た理由についても家賃や光熱費の滞納が原因だったそうで、2015年1月頃にアパートを追い出されて再れで暮らすようになったとか。
実家に戻って来て以降の平野達彦は、カメラで近所を撮影しながら奇声をあげるなど、以前よりもさらに症状が悪化した状態になっていたようで、ネット上でも平野毅さん・平野浩之さん一家への誹謗中傷を繰り返していたようですね。
達彦容疑者のものとみられるSNSの投稿では、被害者側について「集団ストーカー犯罪」などと書き、一方的に中傷していた。批判はさらにエスカレート。「スパイリスト」として100人以上の名前を挙げ、中傷。面識のない地元の人にまで及んだ。
そんな息子の状況を不安視していた父親は、近隣住民に「息子を見かけたら110番してください」と頼んでいたとの報道もありました。
しかし、実家に戻ってきてから2ヶ月後の2015年3月9日早朝、事件を起こすことなりました。
「淡路島5人殺害事件」犯人・平野達彦の生い立ちと家族
平野達彦、高校中退後はひきこもり生活していた
平野達彦については、実家のある兵庫県・淡路島の洲本市郊外で生まれ育っており、幼少期に両親が離婚して父親に引き取られるなど、家庭環境には恵まれていなかったとか。
とはいえ、幼少期の平野達彦はごく普通の活発な少年だったようで、友達と一緒に釣りに出かけたりラジコン遊びをしている姿が近所の住民たちに目撃されていました。
そんな平野達彦の人生が暗転したのは、中学進学後にイジメに遭いひきこもりになったせいだとの報道もありますが、同級生たちはイジメの事実を否定しているため、ひきこもり原因などは不明となっています。
中学卒業後の平野達彦に関しては、地元を離れて神戸市にある村野工業高校にフェリーと電車を乗り継いで通学していたようですが、帰宅部だったうえ、印象に残らない大人しい学生だったそうで友達などもいなかったようですね。
そのため、高校2年時に村野工業高校を中退している平野達彦でしたが、何故中退したのかは学校関係者にも心当たりがないようで、「遠距離通学が大変だったのではないか?」と推測する程度に留まっています。
高校を中退後の平野達彦は、アルバイトなどをしていた時期もあったそうですが、長くは続かずに実家にひきこもる日々が続くことになりました。
平野達彦、父親は地域では面倒見もよく人望もあった人物
平野達彦の家族情報に関しては、父親はボランティア活動にも積極的で面倒見の良い性格をしており、「淡路島5人殺害事件」後ですら悪口を言う人もいないほど地域では慕われていた人物でした。
一時期は仕事の都合で淡路島の外で暮らしていたこともあったという父親でしたが、2005年頃より祖母の介護のために実家に戻って来ていたようです。
平野達彦、母親は息子の精神病の治すために奔走していた
出典:https://hiranotatuhiko.blog.ss-blog.jp
平野達彦の幼少期に離婚して家を出て行ったと言われている母親についても、1990年代中盤頃には淡路島に戻っていたようで、両親揃って息子の精神病と向き合っており、福祉事務所の相談員と連携を取りながら状況の改善に当たっていました。
また、平野達彦には弟もいたようですが、幼少期は兄弟揃って仲良く遊んでいたとの近隣住民の証言がありますが、成人後は家を出ており疎遠となっていたとか。
平野達彦のツイートが発掘されて共産党員説が浮上したことも
平野達彦に関しては、本名でツイッターにも興じていたようで、「淡路島5人殺害事件」後に過去のツイートが発掘されています。
平野達彦のツイートやばw
— SHITパイセン (@SHIT_PAISEN) March 11, 2015
かなり電波な左の翼の方www
出典:http://cdn-ak.f.st-hatena.com
出典:https://livedoor.blogimg.jp
「淡路島5人殺害事件」犯人・平野達彦の現在…逆転無罪判決で服役中
平野達彦、第1審では死刑判決が下る
逮捕後の平野達彦については、5人もの人命を奪ったことに対する罪の意識もなく、相変わらず「自分は精神工学戦争に巻き込まれた被害者だ!」と主張し、遺族たちを激怒させていたようですね。
一方で裁判員裁判ともなった神戸地裁での第一審は粛々と進み、精神鑑定を担当した精神科医が「薬剤性の精神障害こそあるが、障害が犯行に与えた影響はなかった」との主張を展開するなど、平野達彦にとって逆風が吹き荒れることにもなりました。
神戸地裁での第一審では、下記の3点から平野達彦の責任能力と犯行の計画性が認められ、2017年3月になると死刑判決が下っています。
・犯行直前にインタ-ネットにて殺傷方法を下調べしていた。
・犯行2~3ヶ月前に凶器のサバイバルナイフを購入していた。
・犯行時ボイスレコーダーを所持し被害者たちとのやり取りを記録していた。
平野達彦、第2審で心神耗弱を認め無期懲役判決
神戸地裁での死刑判決後は、即座に控訴していた平野達彦ですが、大阪地裁での第二審では再度の精神鑑定が行われており、2020年1月に逆転の無期懲役判決を勝ち取っています。
27日の判決で大阪高裁は、平野被告が「ささいな出来事から被害者が自分を攻撃する『工作員』と確信していたことは、妄想というほかない」と指摘。
そのうえで、「行動を制御する能力が弱まっており、心神耗弱状態だった」として、1審の死刑判決を破棄し、無期懲役を言い渡した。
その後、2020年2月になると、検察側が上告を断念しているため、平野達彦の無期懲役が確定することになりました。
一方的な被害妄想で5人もの人間の命を奪った平野達彦が無期懲役となったことに対しては、ネット上でも批判の声が殺到しております。
これはもう事実上、死刑制度廃止って事だろう?
— フォトン (@photon2039v2) January 27, 2020
司法の暴走というか反乱だね。日本はもう法治国ではない。
淡路島5人殺害、死刑破棄し二審は無期懲役 | 2020/1/27 – 共同通信 https://t.co/JkEiPRVl6Z
被害者遺族は事件後に地元を離れ暮らしていた
「淡路島5人殺害事件」後の遺族たちについては、平野毅さん・平野浩之さん一家共に地元の集落から離れて、いずこかへ移住しているとの情報が存在します。
元々、平野達彦の父と遺族たちは親交があり、数十年来の付き合いとの話なため、事件後に顔を合わせるのが辛いといった事情などもあったのかもしれません。
ちなみに、犯人・平野達彦の父親は事件後もそのまま実家で暮らしているそうです。
「淡路島5人殺害事件」についてまとめると…
・平野達彦が幼い頃に両親が離婚し、父親に引き取られ生活していた
・平野達彦は服用していたリタリンの影響で2005年頃から精神病を患った
・平野達彦は第1審で死刑判決が下るも、第2審で心神耗弱が認定され無期懲役となった
一方的な被害妄想により5人もの人間を殺害した平野達彦ですが、無期懲役判決が下り、現在は服役中の身の上ということになります。
「淡路島5人殺害事件」の被害者たちのご冥福を祈りつつ、この記事のまとめを終了させて頂きます。