演技派女優の田中裕子さんですが、歌手の沢田研二さんとの不倫略奪騒動でも有名な人物となります。
この記事では、田中裕子さんの若い頃から現在までの経歴に加えて、沢田研二さんとの不倫略奪結婚の詳細や子供情報についてまとめてみました。
この記事の目次
田中裕子のプロフィール
名前:田中裕子(たなか ゆうこ)
生年月日:1955年4月29日
出身地:大阪府池田市
身長:160cm
所属事務所:アニマ出版
田中裕子、朝ドラ「マー姉ちゃん」の長谷川町子役で芸能界デビュー
田中裕子さんは、明治大学文学部演劇科在学中の1978年に新劇系の名門劇団「文学座」に入団した日本を代表する演技派女優のひとりです。
名門劇団に所属することとなった田中さんですが、舞台畑よりもドラマ・映画畑を中心にキャリアを積んでおり、1979年になると、NHK朝の連続テレビ小説「マー姉ちゃん」の長谷川町子役にて芸能デビューを飾っています。
「マー姉ちゃん」は、「サザエさん」でお馴染みの漫画家・長谷川町子さんの姉・毬子さんを主役にした作品であったため、田中さんはデビュー作で国民的漫画家その人を演じることになりました。
「マー姉ちゃん」は、視聴率30%台後半が標準だった当時の朝ドラの中でも、頭1つ抜けた成功となる42.8%の平均視聴率を記録しており、田中さんは幸先の良い女優デビューを飾ることが出来ました。
「おしん」は朝ドラ史上最高となる52.6%の平均視聴率を記録した作品で、同ドラマの最高視聴率は、田中さんが主人公を務めた第2部・太平洋戦争編(第186回)の62.9%だったそうです。
また、「おしん」は、日本のみならず中国やイスラム圏でも大ヒットとなった作品なため、田中さんにとって生涯の代表作にもなっています。
最近では広瀬すず主演のドラマ『anone』や2019年2月に公開された映画『ねことじいちゃん』などに出演しています。
田中裕子と広瀬すずは本当の親子みたい。 ちなみに田中裕子はもののけ姫でエボシ御前様の声をしてた人。声が美しいの年を重ねても変わらない。演技も素晴らしい。 #anone pic.twitter.com/mSQBIGvaF2
— ♡riria♡ (@_____riria) March 21, 2018
田中裕子の若い頃…女優・蒼井優に似ていると話題に
田中裕子、若い頃の色気がスゴイ
どちらかというと地味顔な田中裕子さんですが、若い頃の色気が凄まじかったとの評判も存在します。
田中さんの色気方面の代表作については、1983年2月に公開された映画「天城越え」の大塚ハナ役が挙げられます。
さらには、逆境や苦難に耐える女一代記であった「おしん」主演時にすら、田中さんに色気を感じたとの声も少なくありません。
おしん放送当時、田中裕子の色気に完全にやられてました。壇蜜より遥かにエロいと思われ。その後、東宝スタジオで着物姿でしゃなりしゃなりと歩く本人様をお見かけした時は口開けて見ちゃいました。女神を見た。もうオーラが違う。
— 平野 稔 (@cinedoub) 2013年1月6日
どうやら田中さんの色気とは、女優としての演技で発生していたわけではなく、元々その身に備わっていた天性のものだったようですね。
ちなみに、田中さんが1983年に出演していたサントリー「樹氷」のCMについても、色気が凄すぎると、時を経てネットで話題になっております。
乙類飲んでいても傍に一重まぶたを思えば「樹氷」を飲んでいる気分に。YouTubeで楽しむ懐かしの焼酎コマーシャル。子供時代は到底わからなかった田中裕子のアノ色気。「樹氷」に抱くイメージ。今となってはそれはそれは美しくて淫ら。
— JtheLock (@hglite) 2014年5月1日
田中裕子、若い頃が蒼井優にそっくりだった
1982年頃の田中裕子さん
蒼井優さん
田中裕子さんは、若い頃が女優の蒼井優さんに似ているといわれています。
右上に蒼井優の「午後の紅茶」のCMが出る度に、「あっ!田中裕子」って思う。田中裕子の風貌記憶が「マー姉ちゃん」の時で固定されてるようだ。@ http://twitpic.com/2perps
— こぶらつゐすと (@cobratwist) 2010年9月17日
蒼井さんといえば、ドラマ「Dr.コトー診療所2006」の仲依ミナ役や映画「るろうに剣心」シリーズの高荷恵役でお馴染みな存在となります。
顔立ちも田中さんに似ている蒼井さんですが、実生活で人気俳優たちを翻弄する魔性の女ぶりが、一番似ている部分なのかもしれませんね。
田中裕子と旦那・沢田研二の馴れ初め…不倫略奪騒動に大バッシング
田中裕子の旦那・沢田研二のプロフィール
田中裕子さんといえば、人気歌手の沢田研二さんとの不倫略奪結婚でも有名な存在となります。
沢田さんは、GSバンド「ザ・タイガース」のボーカルとして1967年に芸能デビューを果たしており、当時のGSブームの波に乗り「君だけに愛を」や「シーシーシー」といったヒット曲を残しています。
「ザ・タイガース」解散後はソロ歌手に転向した沢田さんですが、累計のレコード売上が1500万枚を突破するなど、1970年代を代表するスーパースターでした。
1位:「時の過ぎゆくままに」91.6万枚(1975年)
2位:「勝手にしやがれ」89.3万枚(1977年)
3位:「危険なふたり」65.1万枚(1973年)
4位:「憎みきれないろくでなし」62.5万枚(1977年)
5位:「追憶」57.9万枚(1974年)
私生活では、1975年に「恋のバカンス」などのヒット曲で知られている「ザ・ピーナッツ」の伊藤エミさんと結婚した沢田さんでしたが、田中さんとの不倫騒動により芸能人生初の苦境へと追いやられることになりました。
田中裕子、沢田研二と映画共演をきっかけに不倫関係に
田中裕子さんと沢田研二さんとの馴れ初めは、1982年に映画「男はつらいよ 花も嵐も寅次郎」で共演したことがきっかけだったようです。
2人の出会いは、昭和57(1982)年と言われている。
「年末に公開された映画『男はつらいよ 花も嵐も寅次郎』で共演したのをきっかけに、2人の関係が様々な形で報じられるようになりました」(芸能レポーター)
兼ねてより沢田さんの大ファンだったという田中さんは、沢田さんが既婚者だったことは十二分に承知していたようですが、憧れのスターを前にした際に理性のたがが外れてしまい、禁断の関係に足を踏み入れてしまうことになりました。
芸能界にも沢田のファンという女性は多く、田中もその1人でした。エミさんとは違い控え目な田中と、沢田が恋仲になるのは自然だった。
沢田研二、田中裕子との不倫発覚で大バッシング
田中裕子さんと沢田研二さんの不倫騒動に関しては、ワイドショーでも話題のネタとなり、主に沢田さんが大々的なバッシングを受けるようになりました。
沢田さんがマスコミの不評を買ってしまった原因については、伊藤エミさんを自分のわがままにより芸能界引退させたのも関わらず不倫をしたことが、重大な裏切り行為だと認識されていたようですね。
「恋愛も御法度の時代にいきなり結婚でしたから、驚きました。それも年上。沢田が寝る暇もない忙しい時期。女性に求めたのは“癒し”と言われました。最初はエミさんに口説かれたという話でしたが、結婚発表時は沢田がメロメロでした。沢田は妻には家庭に入ってもらいたいタイプでしたが、それをエミさんは受け入れ、家庭に入って男の子も出産。幸せな結婚生活を送っていました」(元女性誌編集者)
「ザ・ピーナッツ」は、沢田さんが当時所属していた「渡辺プロダクション」の黎明期を支えた大スターでもあったため、テレビ・芸能業界内で怒りの声が大きかったのも当然のことだったのかもしれませんね。
沢田研二、18億円の慰謝料を支払い嫁・伊藤エミと離婚
急展開を見せたのは昭和61(1986)年。沢田が妻と一人息子を置いて家を出たことがわかったのです。判を押した離婚届を置いてきたとも言われ、約1年後に離婚が成立。沢田は、不動産を含めた総額18億円もの資産をすべて慰謝料として譲渡しての成立でした」(前出・芸能レポーター)
ジュリーの凋落は、前妻を捨て田中裕子に走ったあたりだ。不倫の是非はとこもかく、あげまん・さげまん てホントにあるのだなと思った次第。
— 但馬オサム (@tajima_o) 2018年10月19日
田中裕子と沢田研二の結婚と子供について…8年越しの不倫愛が成就
挙式は89年11月12日に出雲大社で行われた。他の5組のカップルと一緒に、初穂料2万円の挙式だった。28日の都内ホテルでの披露宴も中継や取材はなし。宴の最後には「私は沢田さんという大好きな神様に会えたことを感謝します」という田中の日記が読み上げられた。
田中裕子、沢田研二の意向で仕事量をセーブしていた
結婚後の田中さんについては、大河ドラマ「飛ぶ如く」の西郷いと役や「蒼穹の昴」の主役・西太后など印象的な役柄も多数演じていますが、沢田さんの意向により仕事量自体はセーブしている状況です。
田中が結婚後に女優業を控えるようになったのは、沢田の意向と言われています。今は5億円ともいわれる横浜の豪邸で主婦業が中心の生活。
田中裕子、沢田研二との夫婦仲は良好だった
沢田も田中と結婚後はほとんど遊び歩くこともなくなり、仕事場と家庭の往復だけ。今も近所の居酒屋へ一緒に飲みに行くなど仲睦まじい夫婦。沢田もそんな田中に感謝するように、仕事のことも常に田中に相談。彼女が沢田の一番の理解者と言われています。
昔堅気なイメージも強い沢田研二さんですが、積極的に家事を手伝うなど、意外な一面もあるようですね。
ジュリーさんは家事も率先して手伝う方で、ゴミ出しは彼の仕事です。太っちゃったから、彼だと気づかない人もいるけど(笑い)」(近隣住人)
《結婚して良かったと思いますね。独身でいるのと、両方やってみられたら一番いいんでしょうが(笑)。多分結婚しないでこういう仕事をしていたらしんどかったと思います。背負う荷物も、一人だと大変ですが、結構助けてもらっていると思います》
田中裕子の現在…旦那・沢田研二のわがままドタキャン騒動に激怒
田中裕子の旦那・沢田研二がドタキャン騒動で話題に
10月17日に埼玉県のさいたまスーパーアリーナ(SSA)で開催予定だった沢田研二のコンサートが、開演30分前に突如、開催中止となった。会場では「契約上の重大な問題が発生したため」との説明が繰り返され、SSAに押し寄せたファンはがっくりと肩を落としていたという。
ライブ翌日の18日になって取材に応じた沢田は、9000人と聞いていた集客が実際は7000人だったと告白。「客席がスカスカの状態でやるのは酷なこと」「ボクにも意地がある」と胸の内を明かし、イベンター会社からは土下座で開催を懇願されるも、みずから中止を決断したと語った。
会場によってはこの手の署名活動を利用規約で禁止しているところもあり、沢田のツアーでも日本武道館やNHKホールでは署名ブースが設置されていなかったという。ここSSAの利用規定では署名活動禁止を明確にはうたっていないものの、禁止事項には《当社が不適当であると認めること》との定めが。そしてSSAの運営会社には東京電力が株主として名を連ねており、会場側が反原発の署名活動を禁止行為に該当すると認定した可能性があるというのだ。
田中裕子、沢田研二のドタキャン騒動に怒っていた
「日常生活での細かい夫婦喧嘩はあっても、お互いの仕事スタイルには口を出さないのが沢田夫妻の流儀。沢田さんが反原発ソングを歌っても、政権批判を繰り広げようとも、田中さんはずっと見守ってきました。でも今回は7千人のファンを置き去りにしたわけですからね。田中さんも今回のドタキャンについては怒っていたそうで、自分の音楽活動については唯我独尊の沢田さんもトラブルのいきさつについて奥さんに説明せざるをえなかったようです。
田中裕子についてまとめると…
・田中裕子は映画共演で出会った沢田研二と不倫関係となり、1989年11月に8年越しの交際を実らせ結婚した
・田中裕子と沢田研二の間に子供はいない
・田中裕子は現在もコンスタントに女優として活躍、沢田研二のドタキャン騒動の際は激怒したと報道された