「消えた芸能人」扱いされている千堂あきほさんですが、実は、結婚を機に東京を離れて北海道札幌で生活しています。
この記事では、千堂あきほさんの旦那と子供、若い頃とマネージャーによる怪文書事件、そして今現在についてまとめてみました。
この記事の目次
千堂あきほのプロフィール
本名:先名晃穂(さきな あきほ)
出身地:兵庫県尼崎市
生年月日:1969年4月5日
身長:164cm
デビュー時期:1990年
最終学歴:宝塚北高等学校
所属事務所:サキナヤ
千堂あきほさんは、1990年代にドラマやCMなどで活躍をしていた芸能人です。「東京ラブストーリー」や「振り返れば奴がいる」など、当時流行していたトレンディ・ドラマの中でも代表的な作品に出演していたため、30~40代の方にとっては、特に印象に残っている女優だと言えます。
元々は歌手として、1990年1月にデビューしていた千堂さんですが、学園祭の女王などと呼ばれ、熱狂的なファンの獲得に成功した一方で、当時流行していたガールズポップの流れには乗ることが出来ず、ヒット曲を飛ばせないなまま、1994年に歌手活動を停止しています。
2000年に一般人の男性と結婚をしたことを機に、故郷である関西へと戻って以降の千堂さんは、「ちちんぷいぷい」などの情報番組でコメンテーターとして活躍するなど、東京にいた頃に比べて仕事の幅を広げることに成功しました。
千堂さんは、2011年に関西から北海道札幌市へ移住していますが、北海道でも「みんなのテレビ」などの情報番組でコメンテーター業のレギュラーを獲得していますから、関東以外での千堂さんの活躍ぶりは、全盛期に引けを取らない状況だと言えます。
千堂あきほの旦那・先名孝亘は一般人だったが今は芸能関係者?
写真中央の男性が先名孝亘さんです。
千堂あきほさんと一緒に、仕事先に向かうこともあ
るようですね。
2000年の大晦日に千堂あきほさんと結婚した男性に関してですが、先名孝亘さんという方で、元々はスキューバダイビングのインストラクターをやっていました。
千堂さんと結婚後の2002年に、先名さんが代表を務める芸能事務所「サキナヤ」が設立されており、現在の先名さんの肩書に関しては、芸能事務所社長も含まれています。「サキナヤ」は、芸能マネジメント業務としては、千堂さんのマネジメントのみを取り扱う個人事務所という形態です。
「サキナヤ」は、先名さんの元々の職業であるスキューバダイビング関連の指導や講習会などの業務も展開している他、「Palma」という整体サロンも札幌市で営業していおり、千堂さん1人に負担が押しかからないようにと、かなり多角化されているようですね。
千堂あきほの子供は娘が2人…名前は非公開
千堂あきほさんには、現在2人の娘がいます。長女は2008年8月生まれ、次女は2011年4月生まれです。
多くの芸能人の家庭がそうであるように、千堂さんの娘たちの名前に関しては、現時点では公表されていません。千堂さんの娘たち自体は、千堂さんのオフィシャルブログなどにも(顔が映らないように)登場していますが、「長女」や「二女」という呼び名で統一されており、現在のところは、千堂さん側に娘たちの名前を公表する意思はないようですね。
千堂あきほが北海道に移住した理由は?
千堂あきほさん一家に関しては、北海道札幌市へ移住したのが2011年ということもあり、東日本大震災を機に北海道へ移住したのかと思いきや、実は次女を出産するために、2011年2月に一家揃って北海道へ移住していたようです。ちなみに、札幌市には先名孝亘さんの実家もあり、元々地縁があったようですね。
思い起こせば…二女の出産に伴い北海道へ来たのが2011年2月、その翌月3月に東北の震災でした。大きくなったお腹を抱えながら、揺れと、恐ろしい津波の映像に胸が苦しくなった事は今でも忘れる事ができません。そして震災から約1ヶ月後に二女が産まれました。毎年誕生日がくる頃になると、当時の事を鮮明に思い出します。
札幌市は、19世紀から整備が始まった近代的な計画都市なため、日本有数の人口を誇る大都市でありながら、緑が豊かで生活環境が良いことでも有名な街です。千堂さん一家の北海道移住には、都市部としての教育施設の充実度と自然環境の豊かさを併せ持つ札幌の街で子育てをしたいという、千堂さん夫婦の意向でもあったのかもしれませんね。
千堂あきほの若い頃① マネージャーによる怪文書事件
子宝にも恵まれて、ローカルとはいえレギュラー番組を抱える状況である千堂あきほさんは、芸能界の中でも勝ち組の部類に属すると思われますが、彼女の人生において、苦境な時期は何度かありました。
その中の1つに、1999年から2000年にかけて千堂さんを襲った「怪文書事件」が挙げられます。
千堂によると、最初の異変に気がついたのは1999年。自宅、事務所、友人宅に怪文書が出回るようになったのだという。その内容は「(千堂の恋人は)女に対してだらしがない」「何人もの女を中絶させている」といった誹謗中傷だったとか。
千堂あきほを襲った怪文書事件!自宅に盗聴器が仕掛けられていた?
芸能人が怪文書をバラ撒かれる事件ともなれば、思い当たるのはまずは仕事上のトラブルです。興行の世界には闇が付き物ですから、一般社会では早々にないような形でトラブルの報復をされるケースもあります。
けれど、本人が中傷されたわけでもなく、また仕事上のトラブルに思い当たりもなかった千堂あきほさんは、当初はこの事件をファンによるストーカー事件ではないかと思っていたようです。
しかし、自宅での会話内容まで反映された怪文書の内容を不審に思った千堂さんが、自宅に盗聴器が仕掛けられていることを疑い調査してみると、驚愕の事実が発覚します。
盗聴器発見機で自宅を調べたところ天井裏から盗聴器が2つ発見された。このため警察とともに隠しカメラなどを仕掛けて捜査したところ、犯人は「私の所属していた事務所のマネジャーだったんです」と、00年6月に自身のマネジャーが逮捕された事件の真相を明かした。
マネージャーの犯行動機は千堂あきほの妊活休業を阻止するため?
「怪文書事件」の犯人として逮捕された千堂あきほさんのマネージャーですが、その犯行動機に関しては、何とも自分本位な理由を白状しています。
当時の千堂さんは既に30歳を超えており、結婚した場合はすぐに妊活に入ることは予想出来ました。そのため、このタイミングで千堂さんが結婚をして、仕事を休業したり、事務所を辞められては困ると考えたマネージャーが、千堂さんと恋人を別れさせるために「怪文書事件」を起こしたというのが、この事件の真相でした。
ちなみに、当時の千堂さんの恋人=先名孝亘さんであることは言うまでもありません。とんでもない芸能界の闇を見せつけられた2人ですが、愛が揺らぐことはなく、マネージャーが捕まった2000年の大晦日に無事結婚を果たしています。
千堂あきほの若い頃② 怪文書事件が解決の後は不妊治療
マネージャーによる盗聴や怪文書被害を受けた身となれば、どんなにメンタルの強い人物でもショックは大きく、人間不信に陥っても仕方がないことだと思います。
実際、千堂あきほさんが自身の口からこの事件を語るようになったのは、事件から十数年が経過してからです。結婚後、関西に戻って先名孝亘さんと個人事務所を設立したことも、この事件とは無関係ではないでしょうね。
千堂さんが、PTSDなどで芸能活動停止状態にまで追い込まれなかったのは、ひとえに先名さんの支えがあってのものだと思います。けれど、千堂さん夫婦にとって本当の苦難の道は、「怪文書事件」解決後に待っていました。
7年に及んだ千堂あきほの不妊治療!その結果は意外なものに?
千堂あきほさん夫婦の苦難…それは夫婦仲の話ではなく、足掛け7年に及んだ不妊治療のことです。31歳から37歳までの間、千堂さんは芸能活動と並行して不妊治療に当っていました。
多くの女性がそうであるように、不妊治療を開始したからといっても、すぐに子宝に恵まれるわけでもなく、先名孝亘さんとは、「不妊治療をしても子供が出来なければ2人きりで暮らそう」と話し合ったうえで始めた不妊治療でしたが、千堂さんは次第に精神的に追い詰められて行きます。
育てたいのか、産みたいのか、わからなくなったというつらい時期を送るようになり、千堂は37才で不妊治療をやめた。そして、やめてしばらく経ったとき自然に子供を授かった。「不妊治療をしていたころは、純粋に子供が欲しいというだけでなく、ひとつの所有物を絶対欲しいというような別の感情が湧いてきて、自分でも怖かったです」そう振り返る。
千堂あきほが不妊治療を乗り越えられた理由とは?
治療中に鬱病にかかる女性もいるくらいに、精神的な負担の大きな不妊治療ですが、千堂あきほさんがそれを乗り越えて治療を続けて来られた理由に関しては、やはり夫である先名孝亘さんのサポートがあってこそでした。
先名さんは千堂さんを色々な方面からケアするために、「日本さくら式お手当て療術法」という整体を自ら学び、千堂さんにストレス緩和のためのマッサージを施し続けた他、気分転換のために、夫婦揃っての食事などにも積極的に出かけていたようですね。
結果的には、不妊治療中に子供を授かることは出来なかった千堂さんですが、夫婦の絆という部分に関しては、より強固なものになったんじゃないかと思います。
千堂あきほの現在の活動
色々な苦難を乗り越えて、母としても芸能人としても活躍を続けている千堂あきほさんですが、子育てや仕事に関して、自身が悩み経験したことを多くの人たちに伝えようと、女性団体主催のトークショーなどに顔を出す機会も増えていますね。
芸能人として成功しただけではなく、人間として色々な困難を乗り越えて来た千堂さんだけに、女性としてママとして色々と語れる言葉を持っているのだと思います。
出典:https://news.yahoo.co.jp/
「今が一番、人間らしく生きている」と語る千堂あきほさん。2016年頃にヘアードネーションをして以来髪の毛は短くしているそうです。
2021年のインタビューで、現在の自身の様子について語った千堂あきほさん。現在は札幌にある夫・先名孝亘さんの実家で、千堂さん夫妻、娘2人、夫の母、夫のめい2人、合わせて7人でにぎやかに生活しているそうです。
中学校1年生の長女と小学校4年生の次女とは、それぞれと1対1で向き合うようにしていると、多感な年頃の子供を持つ母親としての顔も覗かせていました。
現在、お仕事以外はごくごく普通の主婦の生活です。毎朝6時に起きて食事の支度をし、子どもたちにご飯を食べさせて8時頃に送り出す。それから洗濯、掃除、午後には買い物……。食育を考えて、車で15分のところに200坪の畑を借りてトウキビ(トウモロコシ)やジャガイモ、ダイコンなど野菜作りをしているので、2、3週間に1回ぐらい夫の畑仕事も手伝っています。楽しみはママ友と喫茶店でお茶すること(笑)。もともと子どもが好きで、6、7年の不妊治療の後、自然妊娠で子どもに恵まれたということもあって、今、母として、主婦としての生活がすっごく楽しいです。
母親、主婦としての生活が楽しいと語る千堂あきほさんですが、現在も札幌で情報番組などに出演しており、タレント業も継続させています。
北海道に来たときは、ラジオ番組が続いていたので月1回、日帰りで放送局のある大阪へ通い生放送に出演していましたが、北海道には知人もいないし、もう東京にいたときのようにガツガツ仕事する年齢でもないので、芸能活動はあまりできなくなるかなあ、と思っていました。それでも、子育てに良い環境の札幌で流れに任せて生きるのもいいかなあ、と。ところが3、4年したら北海道ローカル局の情報番組でコメンテーターのお仕事をいただけて、2年前には北海道漁協女性部応援大使に任命していただき、去年春からNHK北海道の情報番組「おはよう北海道」「ひるナマ!北海道」で「千堂あきほの浜めし」というコーナーに出演させていただいています。
東京でバリバリ仕事をしていた当時は気合を入れて“千堂あきほ”を作っていたとのことですが、現在は自然体に近い姿で視聴者の前に出られていると明かしていました。全盛期の頃は、本当の自分とのギャップに葛藤があり、肉体的にも精神的にも疲弊してしまっていたとも告白しました。
現在は家庭での生活を大切にしながら、自分のペースで仕事ができているようですね。「今が一番、人間らしく生きているかもしれません。」とも語っていました。
芸能人はメディアで見る機会が減ると様々な憶測が流れてしまうものですが、千堂あきほさんの場合は札幌の地で充実した毎日を送っているようです。
まとめ
バブルの残り香が漂う1990年代の東京という華やかな街で、芸能人として大活躍をしていた千堂あきほさんだけに、地方でローカルタレントをやりながら子育てに奮闘する現在の姿は、かつては想像出来なかった姿だと言えるかもしれません。
虚実が混ざった芸能の世界だけに、何がその芸能人の本当の姿なのかは、一般人である我々には見えない部分が多いかと思いますが、千堂さんのように、地にしっかりと足をつけて幸せな家庭を築いている女性の姿は、素晴らしいものではあることは言うまでもありませんね。