福島県いわき市のテーマーパーク「常磐ハワイアンセンター」で長年看板ダンサーとして人気を集めた小野恵美子さんの死去が報じられました。
この記事では小野恵美子さんの若い頃の画像や経歴、映画「フラガール」のモデル、逮捕の噂、家族や結婚、死因となった病気についてまとめました。
この記事の目次
小野恵美子のプロフィール
小野恵美子のプロフィール
生年 :1944年
没年月日:2023年8月4日(没年79歳)
出身地 :福島県いわき市(旧内郷町)
小野恵美子さんは、1966年に福島県いわき市常磐にオープンしたテーマパーク「常磐ハワイアンセンター(現在のスパリゾートハワイアンズ)」のフラダンスチーム「フラガール」の初代リーダーです。
2006年に公開され大ヒットした映画「フラガール」で、蒼井優さんが演じた谷川紀美子のモデルとなった人物としても知られています。
小野恵美子さんは結婚を機にフラガールを引退後は「レイモミ小野」の名義で後進の育成に情熱を注ぎ、地元いわき市でエミ・バレエスクールを主宰し教え子は2000人を数えました。また、自身の母校でもある常磐音楽舞踊学院で教授も務められていました。
2010年からいわき市で開催され、現在も東日本大震災の復興のシンボルとして注目され、多くの人々に笑顔と勇気を与えている高校生のフラダンスの全国大会「フラガールズ甲子園」は小野恵美子さんが考案したもので、こうした小野恵美子さんの活動により、いわき市は現在は「フラの町」として広く知られるようになりました。
こうした功績により、2009年にはいわき民報社からいわき民報賞が贈られ、2018年10月11日には、いわき市から市政功労者として表彰を受けています。
そんな小野恵美子さんですが、2007年にアルツハイマー型認知症と診断され、いわき市内の特別養護老人ホームで暮らしていました。
そして、2023年8月4日に79歳で亡くなった事が大きく報じられた事で、再びその功績が注目されています。
この記事ではそんな小野恵美子さんについて紹介していきます。
小野恵美子の若い頃① 小学校から高校までバレエを習っていた
写真正面から見て左が高校1年生の時の小野恵美子さん
小野恵美子さんの若い頃の活躍も注目されています。
小野恵美子さんは1944年に福島県内郷宮町の生まれで結婚前の旧姓は豊田でした。
内郷町は当時は炭鉱の街で、父親の佐市さんは常磐炭礦の労務・人事担当の幹部社員で、小野恵美子さんも常磐炭礦の職員住宅で成長しました。
小学2年生の時に炭鉱の子供達向けに開かれた「常磐バレエ教室」でダンスと出会い、中学時代から高校時代にかけて同スクールでバレエの腕を磨いています。
高校は福島県立磐城女子高等学校(現在の福島県立磐城桜が丘高等学校)に進学し、同校ではダンスクラブにも入部し、常磐バレエ教室での練習と両立させています。
小野恵美子の若い頃② フラガールズ初代リーダーとして長年活躍
常磐炭砿の東京本社での若い頃の小野恵美子さん(後列右から3番目)
高校卒業後、小野恵美子さんは父の働く常磐炭礦に入社し東京本社で庶務の仕事をしながら、「常磐バレエ教室」時代からの恩師である舞踊家の香取希代子さんの東京のバレエスクールに通っていました。
そして、会社の忘年会の余興でダンスを披露したところ、当時の中村豊副社長に絶賛され、1965年にこの中村豊氏の設立した「常磐音楽舞踊学院」に第1期生として入学。講師として招かれた日本のフラダンス界の草分けである早川和子さんに本格的にフラダンスとフラメンコを学びました。
第1期生のメンバーは小野恵美子さんを入れて18人で平均年齢は17歳と若く、ほとんどがダンス経験のない初心者でした。しかし、その全員が競争心に溢れ、同期達よりも少しでも上手くなろうと寝る前も惜しんで練習をする女性ばかりだったそうです。
1期生らは寮に住み、日曜を除いて毎日朝9時から夜17時までレッスンに励み、歴史や英会話、舞踊史、お茶、お花なども学びました。
そして、1期生18人は1人も欠ける事なく、1966年にいわき市常磐に開業した「常磐ハワイアンセンター」のフラダンスチーム「フラガールズ」のメンバーとなりました。
小野恵美子さんは初代リーダーに抜擢され、その後10年以上にわたって常磐ハワイアンセンターの看板ダンサーとして人気を集め、常磐炭鉱の閉鎖によって疲弊したいわき市の経済回復に大きく貢献しました。
小野恵美子は2006年のヒット映画「フラガール」のモデル
小野恵美子さんは2006年に公開され大ヒットした映画「フラガール」で、蒼井優さんが演じた準主役の谷川紀美子のモデルとしても知られています。
小野恵美子さんは映画「フラガール」の撮影にもフラダンスとフラメンコの指導・助言役として参加しています。
ただし、映画「フラガール」は、小野恵美子さんがモデルだと謳われているとはいえ、シナリオ自体は実際のエピソードからは大幅に脚色された別物なので、若い頃の小野恵美子さんを忠実に再現しているというわけではありません。
小野恵美子が逮捕の噂は完全なデマ情報で同姓同名の別人が原因
小野恵美子さんが逮捕されたという噂がネット上にあるようです。
この小野恵美子さんの逮捕の噂は完全なデマ情報で、2015年に起きた架空発注事件で同姓同名の女性が逮捕されている事から出てきたものです。
この女性は2015年の逮捕当時54歳と報じられており、小野恵美子さんの年齢とは全く一致しません。また、2015年当時小野恵美子さんはいわき市の特別養護老人ホームで過ごしていたため全くの別人です。
架空発注を繰り返して大手繊維メーカーの東レ(東京・中央)から約2300万円をだまし取ったとして、警視庁捜査2課は24日、同社の元医療用具製品課長、本間士朗容疑者(51)=東京都板橋区中台3、懲戒解雇=ら3人を詐欺容疑で逮捕した。(中略)同課によると、本間容疑者は東レから元妻の小野恵美子容疑者(54)=共犯として詐欺容疑で逮捕=の会社などに資料作成の代金を振り込ませ、自分に還流させて飲食代などに充てていた。
小野恵美子の家族① 両親と妹
小野恵美子さんの地元いわき市での家族は両親と妹が1人いた事がわかっています。
父親は常磐炭礦で労務・人事担当の幹部社員だった豊田佐市さん、妹は5歳年下の富美子さんで、子供時代には一緒に常磐バレエ教室でダンスを学んでいました。
小野恵美子の家族② 1976年に結婚した夫の英人さん
小野恵美子さんは1976年に小野英人さんという3歳年上の男性と結婚されています。
小野恵美子さんはダンスの恩師である香取希代子さんの従兄弟の知人で、食事会を通じて1975年初夏に知り合っています。
小野英人さんはいわき市議選に立候補したものの落選し、当時は不動産の仕事をされていました。小野恵美子さんは当時ちょうど、1度生活を変えたいと考えており、漠然と結婚をイメージされていたようです。一方の小野英人さんも次の8月の誕生日までに結婚相手を決めたいと自分に課していました。
互いに結婚を意識していた2人は自然と交際するようになり、何度かのデートを重ね、小野英人さんからのプロポーズで結婚を決められています。小野恵美子さんが32歳、小野英人さんが35歳の時でした。2人は1976年4月4日に結婚式を挙げられています。
2人の出会いのきっかけになった香取希代子さんは、2人の結婚にとても驚いたそうなのですが、結婚するにあたって小野英人さんに「結婚しても恵美ちゃん(小野恵美子さんの愛称)に踊りは続けさせてあげてね、恵美ちゃんのスタジオを出してほしいし、音楽舞踊学院にも助教授として残ってもらいたい」とお願いしてくれたそうです。
その約束通り、小野英人さんは結婚後も小野恵美子さんのダンサーとしての生き方を応援し、小野恵美子さんは結婚して半年後の1976年12月にはダンススクールを開業。ダンススクールの名前「エミ・バレエスクール」は小野英人さんが考えてくれたのだそうです。
その後も、小野恵美子さんと旦那さんの小野英人さんは仲睦まじい夫婦として人生を共にし、2007年に小野恵美子さんがアルツハイマー型認知症と診断され、いわき市内の特別養護老人ホームに入った後も小野英人さんが献身的に支えられていました。
小野英人さんは現在もご健在で、小野恵美子さんの葬儀の喪主も務められています。
葬儀は10日に家族葬で行う。喪主は夫英人(ひでと)さん。後日、お別れの会を開く予定。
小野恵美子の死因の病気はアルツハイマー型認知症(の終末期)
すでに触れているように、小野恵美子さんは2023年8月4日に79歳で亡くなられています。
小野恵美子さんの死因については「アルツハイマー型認知症終末期」と発表されています。
映画「フラガール」のダンサー役のモデルで、初代フラガールの小野恵美子(おの・えみこ)さんが4日午前6時30分、アルツハイマー型認知症終末期のため福島県いわき市の老人福祉施設で死去した。79歳。
小野恵美子さんの死因として発表された「アルツハイマー型認知症終末期」ですが、「アルツハイマー型認知症」という病気自体が死因となったわけではなく、アルツハイマー型認知症の終末期の症状が直接的な死因となったという意味合いのようです。
大阪、東京、愛知などに医療機関を展開するニューロテックメディカルのウェブページでは、アルツハイマー型認知症の終末期の症状について解説されており、同病気の最終的な死因としては誤嚥に伴う誤嚥性肺炎や、食思不振に伴う衰弱死が多いとされていると説明されています。
アルツハイマー型認知症の末期には、身体症状が顕著になります。
具体的には、筋肉の固縮や廃用による寝たきり、嚥下機能の低下、食思不振などです。
最終的な死因は誤嚥に伴う誤嚥性肺炎や、食思不振に伴う衰弱死が多いとされています。
小野恵美子さんの直接的な死因も誤嚥に伴う誤嚥性肺炎か食思不振に伴う衰弱死のいずれかである可能性が高いようです。
まとめ
今回は、福島県いわき市のテーマパーク「常磐ハワイアンセンター」のフラダンスチーム「フラガール」の初代リーダーで、10年以上にわたって同施設の看板ダンサーとして人気を集めた小野恵美子さんについてまとめてみました。
小野恵美子さんは、2006年公開のヒット映画「フラガール」で蒼井優さんが演じた谷川紀美子のモデルとしても知られている方です。
小野恵美子さんは若い頃は、小学2年生の時にバレエ教室に入ってダンスを学び始め、福島県立磐城女子高等学校にはダンスクラブにも入るなどずっとダンスに打ち込んでいました。
高校卒業後に入社した常磐炭礦の忘年会で披露したダンスが評判になり、当時の副社長・中村豊さんが設立したダンススクール「常磐音楽舞踊学院」に第1期生として入学。同じく中村豊さんが設立した「常磐ハワイアンセンター」のダンスグループのリーダーとして10年以上にわたって活躍されました。
ネット上には、そんな小野恵美子さんが逮捕されたとの噂が存在しますが、これは同姓同名の人物が2015年に逮捕された事から出たデマ情報です。
小野恵美子さんの家族については、生まれ育った実家の家族は両親と妹が1人で、自身の家族としては1976年に結婚した夫の小野英人さんがいます。
小野恵美子さんはこの小野英人さんとの結婚を機に「フラガール」を引退されましたが、その後もダンスを続け、自身のスクールを設立し、母校である「常磐音楽舞踊学院」にも教授として残り、後進の育成に力を注がれました。
その後、小野恵美子さんは2007年に脳の病気である「アルツハイマー型認知症」の診断を受け、いわき市の特別養護老人ホームに入所して暮らしていましたが、2023年8月4日に79歳で亡くなられています。死因については「アルツハイマー型認知症終末期」とのみ発表されています。