沖田浩之さんは、ドラマ「3年B組金八先生」などに出演した元アイドル・俳優でしたが、1999年に首吊り自殺をし亡くなりました。
ここでは、沖田浩之さんの自殺事件の真相や当時の状況などについてまとめています。
沖田浩之のプロフィール
芸名:沖田浩之(おきたひろゆき)
本名:置鮎広之(おきあい)
出身地:神奈川県川崎市
生年月日:1963年1月7日
没年月日:1999年3月27日(満36歳没)
身長:175cm
血液型:A型
出身高校:神奈川県立川崎北高等学校
学歴:青山学院大学経済学部経済学科中退
活動期間:1980年〜1999年
沖田浩之さんは、1980年代から1990年代に活躍した元アイドル・俳優です。1999年に自宅で首吊り自殺をし、享年36歳で亡くなりました。
竹の子族として活動したという過去を持ち、1980年から芸能界で活動。「3年B組金八先生」で知名度を高め1981年に「E気持」でアイドルデビューも果たしましたが、1984年には歌手活動をやめ俳優業に専念していくようになります。
デビューからいろいろと事務所移籍をし個人事務所にいたこともありましたが、のちに津川雅彦さんが代表を務める「グランパパプロダクション」に在籍していました。
沖田さんの代表的な出演作品には、ドラマ「3年B組金八先生」・ 「HOTEL」・ 「サラリーマン金太郎」、映画「私をスキーに連れてって」などがあります。
沖田浩之の自殺事件や死因の理由まとめ
沖田浩之の死因は窒息死…嫁が第一発見者、子供は2人
沖田浩之さんは、1999年3月27日に自宅にて首吊り自殺しました。死因は窒息死。遺書などはなく自殺原因・理由などは不明のままとされます。
自殺した沖田浩之さんの第一発見者は、1995年に結婚した嫁・千代子さんでした。
二十七日午前十一時四十分ごろ、川崎市高津区梶ケ谷二ノ八ノ二、俳優、沖田浩之
=本名・置鮎広之(おきあい・ひろゆき)=さん(三六)が自宅の二階自室で、寝間着
のひもで首をつっているのを帰宅した妻の千代子さん(三五)が見つけ、一一九番
通報した。沖田さんは同市内の病院に運ばれたが、まもなく死亡した。遺書などは
見つかっていない。神奈川県警高津署では自殺とみて調べている。
沖田さんは千代子さんと二人の子供の四人家族。千代子さんは午前九時ごろ、上の子
を幼児教室に連れて行き、帰宅すると玄関のドアにカギがかかっておらず、沖田さん
を呼んでも返事がなかった。二階の部屋に入ると沖田さんが首をつっていたという。
嫁・千代子さんは英語通訳をしていた女性で、一般人のため顔写真や詳細なプロフィールなどの情報はありませんでした。2人のお子さんについても同様です。
沖田浩之の自殺の理由…周囲の人が感じた異変とは?
自殺前後の沖田浩之さんの状況について、周囲の人が語った状況は以下の通りです。
津川雅彦さん。
沖田さんは自殺の前日、主役に選ばれた舞台のけいこを津川さん らとし、午後八時半ごろ帰宅したという。
津川さんは「久しぶりにはしゃいでいて、そんなそぶりは全く見せなかった。ただ、 とても繊細な男だし、役者としても期待したほどは成長していなかった。役者としての戦いに敗れたのではないか」と沈痛な表情で話していた。
武田鉄矢さん。
『3年B組金八先生』第2シリーズで共演した武田鉄矢は、沖田の告別式のインタビューで「いままで格好いい生き方してきた彼には辛かったのかもしれない」と語っており、自殺の原因は当時、仕事が減っていたことに悩んでの自殺ではないかと囁かれた。
かつては沖田浩之さんに憧れ、共演経験もあり、かつ奇遇にも自殺の1週間前に再会していたという武田久美子さん。
「10年くらい仕事でも会うことはなかったんですけど、3月の雪の日でした。友人の舞台を見に行ったら、沖田さんも来ていたんですよ。“お久しぶりです!”と挨拶したら“久美子ちゃん、相変わらずかわいいね”といってくれたのを覚えてます。
思いつめている感じとか変わった様子もなかったんですよ。亡くなったニュースを聞いたのはその1週間くらい後のことでしたから、本当に驚きました。突発的なことだったんじゃないかと思うんです。そうじゃなかったら、これから自殺を考えるような人が、雪の中わざわざ出かけて舞台を見に行こうとか思うでしょうか…」
自殺の1ヶ月前ほどに会い、沖田さんから電話までかかってきたという川上麻衣子さんは、当時自身の余裕がなかったことから冷たく対応してしまい、非常に後悔したといいます。
99年2月、当時33歳だった川上はパーティーの会場で久しぶりに沖田に再会。しかし、「ちょっと聞いてほしいことがある」と話しかけてきた沖田に対し、「明日の朝舞台で早くて」と会話を遮ってしまったのだとか。「とにかく軽くあしらってしまった」と後悔を口にする川上だったが、さらにそのパーティーの夜にも、沖田から電話がかかってきたことを打ち明けた。
沖田からの生涯2度目の電話。しかし、川上はその電話にも冷たい態度を取ってしまう。「元気なかったけど、どうしたの?」と、パーティー会場での川上の様子を心配し、電話をしてきた沖田に対し、川上は、「元気がないって言われるのが一番私は嫌なことだったので」と当時を振り返り、さらに「冷たく答えたと思いますね。『全然そんなことない、元気だよ』って」と続けた。そして、「私が何ごとも気づかずに電話を切ってしまって、1カ月もしないうちに、ヒロ君が亡くなってしまうんですよね」と、沖田が自ら命を絶った日のことを語り始めた。
99年3月27日、川上に沖田の訃報が伝わる。「え、この間電話で話したばっかりなのに」と驚きを隠せなかったという川上。当時、舞台公演の最中だった川上のもとに取材陣が詰めかけ、そこで、大勢の記者の質問に応えることになった。実際の記者会見の映像では、「まだ実感できない。信じられないとしかいいようがない」と答える川上の姿があった。沖田の自殺の予兆に気づくことができなかった川上は、「もしかしたら、『元気ないけどどうしたの』というのは、彼が聞いてほしかったことなのかなって思ったんですね」と当時のことを思い返し、「『元気なかったから大丈夫?』って彼が私を気づかってくれていたことに対して、冷たく切ってしまったっていうのが、私にとっては最悪のことでしたね。気がつけなかったことが悔しいですよね」と、その思いを吐露し、悔しさをにじませた。
以上のように沖田浩之さんは自殺にあたり遺書を残すことなく、また周囲の人間たちもそのような素振りを感じるところが少なかったようです。
ただ当時の仕事状況や津川雅彦さん・武田鉄矢さんの言葉からは「仕事の悩み」があったのではないかと言われることもありますが、真相はやはりわからないままです。
沖田浩之の家族には自殺者が多いことも関係?父親と兄も自殺していた
1999年にわずか36歳の若さで亡くなった沖田浩之さんですが、彼の家族には同じように自殺者が多く、沖田さんの祖父、父親(1996年)、お兄さん(2002年)も同様に自殺しています。
沖田さんが、涙ながらに話したのが両親の死のこと。父親(享年71)は不動産、ゴルフ会員権などを扱う会社を経営していたが、経営をまかせた長男(沖田さんの兄)の乱脈ぶりとバブル崩壊で多額の債務を抱え平成8年9月、「自分の生命保険で、会社の損失を補填してほしい」と首をつったという。翌年12月には、母親(享年62)ががんで死去。「今覇気がないんですよね。(中略)おやじが死んだ時よりも、おふくろが死んだ方が衝撃が大きいですよ」と、沖田さんはショックを隠しきれない様子だったという。
両親の保険金は会社の負債を埋めるため、すべて長男に渡したが、長男は金を会社に入れず、責める沖田さんに、長男は「俺が死んだら保険金が入るから、死ねばいいんだろ」と反発。弁護士だった祖父も、担当事件絡みで正当性を主張するために自殺しており、兄だけは自殺させたくない、と沖田さんは思っていたという。
しかし、1年後に沖田さん自身が首をつって自殺。長男も今年4月、首をつった(享年43)。
近親者だけでも3人(本人含めれば4人)もの自殺者が出ている沖田(置鮎)家です。
またこういった曰くありげな事柄は、ほかの側面から語られることもあります。
まず1980年代に沖田浩之さんが恋人関係にあった山本陽子さんに関連して。
78年12月28日に猟銃で自ら命を絶った田宮二郎(享年43)は、晩年に山本陽子(74)と男女の関係にあったのではとささやかれた。山本は田宮没後の会見で否定したため、真相は藪の中。
それから21年後、自宅で首をつったのが沖田浩之(享年36)である。沖田と山本は21歳差を超えて恋人宣言をしたこともあったが、くしくも山本は、2人の“関わったオトコ”を失ったことになる。
(沖田浩之さんは1995年に一般女性と結婚し二児を設けていますので、かつての恋人と関連づけるのは少しどうかと思いますが…)
それからドラマ「HOTEL」の出演者・スタッフに関連して。
石ノ森章太郎原作の漫画をドラマ化した、『HOTEL』(TBS系)は1990~02年にわたって放送された人気ドラマである。しかし、出演した関係者達が次々と災難に見舞われることから、続編が制作できないといわれる。
まず、主演の高嶋政伸は、モデルの美元と結婚したが価値観の違いを理由に別居、ドロ沼裁判を経て離婚している。松方弘樹は愛人問題が発覚し、仁科亜希子と離婚。菊池桃子も西川哲の女性問題や多額の借金を理由に離婚。さらに沖田浩之は複雑な家庭問題や借金苦などから36歳という若さで首吊りを図り自殺をしている。また、制作に関わったスタッフも急死や左遷などの不吉な出来事が続くことから、呪われたドラマといわれている。
ドラマ「HOTEL」の話については、都市伝説的な話ではありますが、確かに何事かの不運に見舞われる人が多いですね。
もちろんいずれも沖田浩之さんの自殺原因と直接関連付けて考えることが難しいですが、近親者の自殺、特に母親の死(1997年頃でこれは病死)には相当ショックを受け、その後に兄との金銭面での仲違いもあったと言いますので、精神的に負担になっていた部分があるのではと感じてしまいますね。
沖田浩之の自殺の真相は借金苦だった?
沖田浩之さんの自殺原因は、当時の状況からいろいろと憶測が言われますが、2016年2月に週刊新潮が沖田浩之さんが実兄の連帯保証人になっていたことを報じています。
「沖田君が亡くなった原因は、はっきり言って借金の問題ですよ」
と、断言するのは沖田の叔父である。沖田は99年の3月27日に、神奈川県川崎市内の自宅で縊死(いし)している姿を家族に発見された。
東京・品川区の桐ヶ谷斎場には多くのファンや取材陣が押しかけた。そのため親族たちが一息つけたのは、すっかり日が暮れてからのことだったという。
「私たちが棺桶に花を入れながら、それぞれ別れを惜しんでいた時のことです。突然、お兄さんが堰を切ったように泣き出して“俺に責任があるんだ。浩之には借金の連帯保証人になってもらっていた”と言ったのです。何も知らされていなかった私たちも驚きましたが、沖田君の奥さんも全く知らされていなかったようで、相当ショックを受けた様子でした」
当時の登記簿謄本を見ると、兄が社長を務めていた「共栄不動産」は、川崎市役所の近くに5階建ての自社ビルを所有していたことが分かる。ところが、ここには極度額3億円もの根抵当権が設定されていた。また、実家は兄の言葉通り沖田が相続していたものの、地元の金融機関から8000万円の抵当権が設定されていたのである。
先の芸能記者が解説する。
「葬儀からしばらく経って、謄本をもとに、この点を問い質した記者もいたのですが、お兄さんは“あくまで書類上のこと”との主張を繰り返した。彼も、沖田の死から3年後の02年4月に自ら命を絶ちますが、自分が弟に借金を背負わせていた事実は最後まで認めず仕舞いだったのです」
あくまで真相を胸に秘め続けた沖田の兄。その理由は己の無力を恥じた世間への見栄か、或いは純粋な弟への思いやりだったのか。
先の叔父が後を引き取る。
「後から聞くと、お兄さんは、会社を引き継いだ途端に不動産事業を拡大しようとして大失敗をしたそうです。堅実な商売に徹した父親のようにはいかず、時流を読むこともできなかった。バブル経済の崩壊という大きなうねりの中で、弟に連帯保証人の判子を押させてしまったのですね」
情報をまとめると、これまでは両親の保険金・会社・借金などの遺産は全て沖田兄に渡り、実家だけ沖田さんが相続したとされていました。また生前の沖田さんのインタビューを元にした報道では「長男は金を会社に入れず、責める沖田さんに、長男は「俺が死んだら保険金が入るから、死ねばいいんだろ」と反発。」というやりとりがあったことが明かされ、兄弟が仲違いしているような描写もあります。
ただ2016年2月の週刊新潮では、沖田さんが兄の借金の連帯保証人になっていたという新事実が発覚。そういったことからも沖田浩之さんの親戚は、借金が原因だったのでは?という見方をしているようです。
また上記と同じインタビュー記事では、「弁護士だった祖父も、担当事件絡みで正当性を主張するために自殺しており、兄だけは自殺させたくない、と沖田さんは思っていたという。」としていますので、意見が対立することこそあれど連帯保証人になるぐらいですし、沖田さんはお兄さんのことをいろいろと心配していたのではないでしょうか。結局二人とも自殺によって亡くなるなんて、悲しい結末です…。
まとめ
沖田浩之さん本人が何事か語ったわけではないので、自殺の真実は永遠にわからないままですが、当時の状況や2016年2月の週刊新潮報道からは借金・家族問題などが有力視されているようです。
ただ沖田さんは1995年に結婚したばかりで幼い子供2人いて、また周囲の人間がそこまでの異変を感じなかったという点もありますので、なぜという部分はやはり残りますね。