『黒革の手帖』などで知られる女優の山本陽子さんが2024年2月に亡くなられました。
熱愛が噂された2人が自殺するという波乱万丈な人生を生きた山本陽子さんの若い頃や、田宮二郎さん・沖田浩之さんとの熱愛関係、そして死去した現在などについてまとめてみました。
この記事の目次
山本陽子のプロフィール
山本 陽子(やまもと・ようこ)
生年月日: 1942年3月17日
出生地: 東京府東京市中野区
身長: 155cm
血液型: A型
職業: 女優
ジャンル: テレビ・映画・舞台
活動期間: 1964年 –
著名な家族: 山本 亜希子(姪・女優)
山本陽子、1984年版『黒革の手帖』で主役を演じる
山本陽子さんは、高校卒業後野村證券に勤務。1963年にアルバイトの女性が山本さんの応募書類を日活に送ったところ合格し、第7期日活ニューフェイスとして芸能界入りを果たしています。
若い頃の山本陽子
映画では吉永小百合さん・松原智恵子さん・和泉雅子さんの日活三人娘の人気に押され、なかなか芽の出ない時期を過ごしていた山本さんですが、テレビドラマに進出したことで人気が開花。
当初はその美貌から清楚なイメージの強かった山本さんですが、『となりの芝生』でそのイメージを脱却し、松本清張さん原作のドラマ『黒革の手帖』では悪女役を演じるなど、幅広い役を演じ女優としての地位を確立しました。
『黒革の手帖』の山本陽子
米倉涼子版『黒革の手帖』にも出演
山本さんは、米倉涼子さん版の『黒革の手帳』にも先輩ママ役として出演されていました。
1971年に森光子さん主演の『放浪記』で初舞台を踏んでからは、舞台女優としても精力的に活躍。
主演を演じた宇野千代さん原作の舞台『おはん』では、1994年にその演技で第19回菊田一夫賞を受賞。同舞台の公演回数は、400回以上を記録しています。
また、山本海苔店のイメージモデルを長年務めたことから、2010年に専属タレント契約の世界最長記録として『ギネス・ワールド・レコーズ』に認定。
プライベートでは外車好きで有名で、初めてポルシェ911を所有した日本人女性としても知られていました。
山本陽子の若い頃…田宮二郎との不倫愛と猟銃自殺
山本陽子、「白いシリーズ」で共演した田宮二郎と不倫関係に
山本陽子さんは、若い頃に田宮二郎さんと不倫関係だったと言われています。
田宮 二郎(たみや・じろう)
本名: 柴田 吾郎(しばた ごろう)
生年月日: 1935年8月25日
没年月日: 1978年12月28日(43歳没)
出生地: 大阪府大阪市北区
出身地: 京都府京都市
死没地: 東京都港区元麻布
身長: 180cm
血液型: B型
職業: 俳優・司会者
妻は元女優の藤由紀子。長男は俳優・テレビレポーターの柴田光太郎。次男は俳優の田宮五郎。俳優の南川直は父方の従兄。
引用:田宮二郎 – Wikipedia
山本さんと田宮さんは、白いシリーズで共演を果たしています。
1973年ドラマ『白い影』
田宮さん主演の「白いシリーズ」の第1作で、田宮さん演じる直江庸介と恋に落ちる看護師役を山本さんは演じています。
続く『白い滑走路』でも、2人は共演しています。
『白い影』の田宮二郎と山本陽子
田宮さんは1965年に『黒の爆走』『黒の超特急』などで共演した藤由紀子さんと結婚しており子供もいましたが、山本さんと不倫関係に発展したと言われています。
田宮さんは山本さんと共演後の1977年頃から経営失敗や製作・主演映画の失敗などが重なったことから多額の借金を背負っており、さらに大映時代の過労で結核を再発、多忙でもあったことなどで躁鬱病を患っていました。
そんな中、田宮さんの思い入れも強く代表作にもなった『白い巨塔』のドラマがスタート。
しかし、田宮さんの私生活は荒れていくようになり、会社ゴロから「金を払わないと山本陽子との不倫関係をマスコミに漏らす」などの脅迫電話がかかってくるようになったと言います。
『白い巨塔』
山崎豊子さんの医学界の腐敗を鋭く追及した社会派小説が原作。田宮さんは主役・財前五郎を演じました。
現在でも根強い人気があり、これまでに何度もリメイクされています。
田宮二郎、1978年に自宅で猟銃により自殺
1978年12月28日、『白い巨塔』放映残りの2話を残し、田宮二郎さんは43歳の若さで衝撃の自死を遂げてしまいます。
43歳の田宮二郎が、寝室で米国パックマイヤー社製の上下2連式クレー射撃用散弾銃を使って自身の心臓を撃ち抜いたのは1978年12月28日のことだった。
当時衝撃的だった自殺の理由には、「M資金詐欺被害」や「投資の失敗」、さらに「愛人トラブル」など複数の説が取り沙汰されたものの、未だ真相は謎のまま。
自殺の原因には「愛人トラブル」も囁かれましたが、山本さんは田宮さん亡き後の会見で不倫関係については否定しており、真相はわからないままとなっています。
後に、田宮さんの自殺は患っていた躁鬱病が大きな原因だったと伝えられています。
山本陽子は魔性の女…沖田浩之との21歳差愛と自殺
山本陽子、21歳年下の沖田浩之と熱愛宣言も破局
田宮二郎さんの死から数年後、山本陽子さんは沖田浩之さんと熱愛関係にあったとされています。
沖田 浩之(おきた・ひろゆき)
本名: 置鮎 広之(おきあい・ひろゆき)
生年月日: 1963年1月7日
没年月日: 1999年3月27日(36歳没)
出生地: 神奈川県川崎市
死没地: 神奈川県川崎市
身長: 175 cm
血液型: A型
職業: アイドル・俳優
ジャンル: テレビドラマ、映画など
活動期間: 1980年 – 1999年
沖田浩之さんは1980年代に社会現象となった「竹の子族」から、『3年B組金八先生』第2シリーズの松浦悟役で出演しブレイク。
1981年には歌手としてもデビューし、親衛隊がつくられるほどの人気を博していました。
『3年B組金八先生』の沖田浩之
山本さんと沖田さんの出会いは、1982年放送のドラマ『愛を裁けますか』で教師と教え子役として共演したことでした。
出会いのきっかけはドラマの共演だった。1984年には堂々の交際宣言。沖田さんは「僕にとって陽子さんはすべてです。恋人であり、結婚相手であり、そして母親でもあります…」とアツアツぶりを語ったものだった。人気絶頂のアイドルと美人女優とのホットな関係、21歳という年齢差もあって大きな話題となったが86年、沖田さんに2歳下の恋人がいると報じられ、山本が身を引く形でこの恋は終息した。
それをマスコミにリークしたのは、彼が所属していた事務所の社長です。
『故・宇野千代』さんのエッセイにもお二人の事は書かれています。
山本さんが沖田さんを連れてきた時、惚れ惚れするくらい「いい男」だったと…
分かれた原因は沖田さんの浮気を山本さんが許さなかった そうです。
1985年『二度目のさよなら』で再共演
山本さんと沖田さんは、交際宣言後にもドラマで恋人役として共演しています。
熱愛宣言していた山本陽子と沖田浩之
家へ出入りしていることは認めたものの、最初は熱愛関係を否定していた2人。
後に沖田さんの母親や宇野千代さんから仲を問われた山本さんは、「まじめに結婚したいと考えている」と答えたと言います。
沖田さんはその後年下の恋人の存在が噂されたことで山本さんと破局しており、1995年には一般人女性の千代子さんと結婚されています。
沖田浩之、1999年3月に自宅で首を吊り自殺
1999年、沖田浩之さんは自宅で首を吊り、36歳の若さで帰らぬ人となってしまいます。
『サラリーマン金太郎』第1部終了から僅か6日後の突然の悲報に、沖田自身が師と仰いでいた津川も絶句し「顔を洗って出直して来い! そう言ってやりたい」と涙ながらに語った。沖田と『3年B組金八先生』第2シリーズで共演した武田鉄矢は、沖田の告別式のインタビューで「いままで格好いい生き方してきた彼には辛かったのかもしれない」と語っており、自殺の原因は当時、仕事が減っていたことに悩んでいたとも、多額の借金を抱えていたとも報道された。
実は沖田さんは弁護士の祖父や企業経営者の父、父の生前から経営を引き継いでいた兄も自殺という自殺家系となっており、沖田さんの自殺については借金苦が大きな理由ではないかと推測されているようです。
◇連帯保証人の判子
当時の登記簿謄本を見ると、兄が社長を務めていた「共栄不動産」は、川崎市役所の近くに5階建ての自社ビルを所有していたことが分かる。ところが、ここには極度額3億円もの根抵当権が設定されていた。また、実家は兄の言葉通り沖田が相続していたものの、地元の金融機関から8000万円の抵当権が設定されていたのである。
沖田さんの自殺の際、山本さんはコメントを求められ、涙を流しながら以下のように語っています。
「心からお悔やみ申し上げます…」。気丈に振る舞おうという必死の努力が伝わってくる。「彼は非常に優しくて、完ぺき主義者で、誰からも愛されて素晴らしい人間でした。いまは青春の1ページとして(沖田さんとの思い出を)残しておきたいです」と一気に語ると、目から涙があふれだした。
山本陽子の現在…2024年に急性心不全のため死去
山本陽子、70歳を機に熱海に移住
熱愛関係を噂された2人の男性が自殺という波乱万丈な人生の山本陽子さんですが、結婚歴はなく生涯独身を貫きました。
女優としての活動を続けながら、70歳には東京から離れ熱海の家を終の棲家とし一人で生活を送っていました。
山本さんは熱海での自由気ままな暮らしをとても気に入っていたようです。
「これは1人でいることの幸せでもあると感じています。連れ合いがいたりすると、生活のペースを相手に合わせなければならないし、自分だけでは決められないこともあるでしょう。夫婦で仲よく年老いていく幸せもあれば、何事も自分で自由に決めることができるという幸せもあります。私の人生の流れには、結婚はありませんでしたが、いまはこれでよかったのだと思っています。誰しもがそれぞれ、自分が過ごしやすい生き方を探し、それを貫くことがいちばんなんじゃないでしょうか」
山本陽子、急性心不全のため死去
2024年2月20日、山本陽子さんが急性心不全のため静岡県熱海市内の病院で亡くなられました。81歳でした。
亡くなる数時間前まで行動をともにしていたという山本陽子さんの甥で所属事務所の社長でもある日塔謙太郎さんは、山本陽子さんが帰宅直後に急性心不全を発症し急逝したことを明かしています。
突然ではございますが、令和6年2月20日、弊社所属女優、山本陽子が急逝しましたことをお知らせ申し上げます。亡くなる数時間前まで一緒におり、いつもと変わらぬ様子で帰宅の途へついたので、所属事務所代表であり、家族でもある私自身いまだに信じられません。死因は帰宅直後の急性心不全でした
出典:https://tver.jp/
山本陽子さんは同月2日に放送されたトーク番組「徹子の部屋」に高橋英樹さんとともに出演した際には、「健康である限り、いろんな役に挑戦したい」と語られていましたが、これが最後のテレビ出演となってしまいました。
2024年4月には舞台「そして誰もいなくなった」に出演予定だったとのことで、80代になっても精力的に活動されていた中での突然の訃報となり、関係者は大きな悲しみに包まれました。
出典:https://news.yahoo.co.jp/
57年にわたり山本陽子さんをイメージモデルに起用していた山本海苔店は、2024年3月に東京・日本橋本店で追悼展を行っています。
追悼展は「陽子さん、ありがとう。」がテーマ。企画した同社の担当者は「陽子さんがいたからこそ、弊社がここまで皆さんに認知していただくことができました。この57年の恩返しの思いを込めて、弊社でしか見せられない陽子さんの姿をお客様やファンの方々にご覧いただければと思い企画しました」と説明した。
山本陽子についてまとめると…
・山本陽子は1984年に21歳年下の沖田浩之と熱愛関係になるも1986年に破局、その後1999年に沖田浩之は首吊り自殺をしている
・山本陽子は生涯独身を貫き、70歳の時に熱海に移住して老後生活を楽しんでいた
・山本陽子は2024年に急性心不全のため81歳で亡くなった
20代から女優として活動を続け、田宮二郎さん、沖田浩之さんと熱愛関係が噂されるもその2人ともが自殺で最後を遂げてしまうという数奇な運命を辿った山本陽子さん。
生涯独身を貫きましたが、熱海へ移住してからは第2の人生も楽しんでいたようです。亡くなる直前まで元気な姿を見せていたとのことで、突然の訃報には世間からも驚きや悲しみの声があがっていました。ご冥福を心よりお祈り申し上げます。