令和元年を迎え、平成元年の大みそかに開かれた近藤真彦さんと中森明菜さんの「金屏風事件(きんびょうぶじけん)」が再び注目を集めています。
この記事では、「金屏風事件」の詳細と「捏造されたデマ」と言われる真相について詳しくまとめました。
この記事の目次
近藤真彦と中森明菜の謎の記者会見「金屏風事件」とは
中森明菜、交際中だった近藤真彦の自宅で自殺未遂を図る
近藤真彦らジャニーズが中森明菜をハメたと言われる事件
令和元年に入り6月現在までに芸能界で激震が走るような事件は起きていませんが、平成元年(1989年)7月11日に当時23歳でトップアイドルだった中森明菜さんが1歳年上の近藤真彦さんの自宅マンションで自殺未遂を起こす大事件が起こりました。
当時中森明菜さんはオフで近藤真彦さんの六本木の自宅にいましたが、近藤真彦さんが仕事帰りに自宅に電話を掛けてもいるはずの中森明菜さんが出なかったため不審に思い急いで帰宅しました。
すると、中森明菜さんは浴室で血まみれになって倒れており、左肘内側の関節部に深さ2センチ、長さ8センチの重傷で神経にまで傷が達していました。
近藤真彦さんは119番をして救急車を呼び、中森明菜さんは慈恵医大病院に運ばれて、6時間に及ぶ手術の末に一命を取り留めました。
近藤真彦と中森明菜が大みそかに金屏風の前で公開謝罪会見
芸能界をはじめ世間を騒然とさせたということで、中森明菜さんは体調が回復した1989年12月31日に謝罪会見を開きましたが、会場には金屏風が設置されていた上に、交際中の近藤真彦さんが同席していたことから記者団は結婚記者会見だと勘違いしていました。
しかし、中森明菜さんが語ったのは自殺未遂をして騒動を起こしたことへの謝罪で、近藤真彦さんとの関係を否定していたことから、金屏風が設置されたのはジャニーズ事務所が中森明菜さんとの関係を断ち切るための罠だったと疑惑が持たれました。
自殺未遂騒動の後、中森明菜さんは所属していた事務所・研音を退社して、「金屏風事件」を画策したジャニーズ事務所のXと個人事務所を立ち上げたと言われていました。
しかし、それもXの策略であり、事務所立ち上げ直後にXは中森明菜だけを残して去ったことから、中森明菜さんは芸能界で宙に浮いてしまい、結果として干されたと言われています。
このトラウマがあるため、中森明菜さんは令和元年を迎えても芸能界に本格復帰できずに来たと言われるのが「金屏風事件」の全体像です。
「金屏風事件」中森明菜が自殺未遂した理由は近藤真彦の浮気?
中森明菜、近藤真彦と松田聖子のキス写真が原因で自殺未遂?
1980年代当時、中森明菜さんと近藤真彦さんはともにトップアイドルであり、歌番組やバラエティ番組、雑誌の表紙での共演が多く、世間では「絶対に交際している」と熱愛説が囁かれていました。
そうした中で、1985年1月に公開された映画『愛・旅立ち』では、初めて中森明菜さんと近藤真彦さんがカップル役として主演で出演し、いよいよ結婚説も囁かれるほど公認のカップルのように思われていました。
6年間以上交際していたと言われており、そのため中森明菜さんは近藤真彦さんと結婚したいと思っていたと言われていますが、反対に近藤真彦さんが結婚したくなかったため関係がこじれていったと言われていました。
当時、現場を取材したベテラン記者が振り返る。
「すぐに結婚したかった明菜と、結婚は30歳を過ぎてからという近藤の考えには温度差があったわけですが、すでに6年間も交際をしていた明菜にとっては、近藤に全てを捧げる覚悟を持っていたに違いない状況でした。
当時、明菜が結婚後の新居のために蓄えていた数千万円の資金を、近藤が自身のカーレースに使い込んだなど、明菜が騙されているという報道が多くありました。
その中でも一番、明菜の心を砕いたのが最大のライバルであった松田聖子と近藤の、ニューヨークでの密会キス写真を写真週刊誌に掲載されたことだった。これが自殺未遂の最終的な引き金となったと言われています」
中森明菜さんは結婚できずに精神的に追い詰められていた時に、近藤真彦さんがよりにもよって中森明菜さんのライバルアイドルである松田聖子さんとニューヨークでキスをしている写真が流出したため、ショックを受けて近藤真彦さんを恨むように自殺を図ったと言われてきました。
「金屏風事件」中森明菜はジャニーズのメリー喜多川にハメられた?
金屏風会見は中森明菜を干す策略だった
金屏風はジャニーズ事務所が用意したものでは無かった
金屏風を背景に自殺未遂騒動について謝罪会見を開いた中森明菜さんですが、ジャニーズ事務所のXが画策した偽装会見だったと言われていました。
このXというのは当時の近藤真彦さんのマネージャーで、現在はジャニーズ・エンターテイメント社長を務める小杉理宇造さんです。
当時ジャニーズのトップアイドルだった近藤真彦さんを寵愛していたメリー喜多川さんは、中森明菜さんとの関係をよく思っていなかったため、破局させて中森明菜さんを芸能界から干すために仕組んだものだと言われています。
「会見の真相についてはさまざまな憶測が流れましたが、偽装会見を画策したのはジャニーズ事務所のX氏といわれています。当時、中森は近藤との結婚をエサに、近藤とそのマネジャーに1億円近い金を渡していました。しかし、近藤と松田聖子とのアメリカでのキス写真が流失したことでショックを受け、近藤の自宅で自殺を図ったのです。中森はその後、所属していた研音を辞め、X氏と個人事務所を設立しましたが、本格的に活動を再開する前にX氏は事務所を去ってしまい、ハシゴを外された中森は完全に芸能界で居場所を失ってしまったのです。すべては中森を芸能界から〝干す〟計画だったといわれています」(芸能記者)
メリー喜多川が中森明菜に脅しをかけた
メリー喜多川さんは中森明菜さんが会見に臨む前に、近藤真彦さんとの関係を否定するように脅しかけたと言われています。
金屏風前の会見で、メリー喜多川氏から「近藤さんとは関係なかったと言いなさい」と指示された中森は、涙ながらに近藤との関係を否定。近藤も白々しく中森の身体を心配する様子を見せたのだった。
これがきっかけで近藤真彦さんは世間からバッシングを受けることになってしまいます。
金屏風事件は、10代・20代の人にも知ってほしい。
— 希望の光 📎🖇 (@Smari44792440) June 13, 2017
メリーが事務所のTOPと言った近藤真彦と中森明菜さんの酷すぎる謝罪会見。
1人の歌姫の人生をメチャメチャにしてしまった。
華やかな裏では、こんなブラック事務所と言うことです。#金屏風事件 #ジャニーズ事務所を許さない
「金屏風事件」デマと真相~捏造されたデタラメ説も浮上していた
金屏風事件が捏造されたデマと訴えるブログが登場
ネット上では「金屏風事件」が捏造されたデマだと訴えるブログやデマだと訴えるためだけのツイッターも登場しています。
復帰会見後共演したMステ
— midoriko (@midorikori) January 9, 2018
1991年4月26日
「金屏風事件まとめサイト」のソースは2ちゃんねる
信憑性がないのは明らかだろう。
復帰後の2人は共演NGではない。
普通に歌番組で一緒に出演していた。
出演者 Mi-Ke PRINCESS PRINCESS たま 近藤真彦
光GENJI 中森明菜&関口誠人 pic.twitter.com/SHlJ2iEDa1
しかし、「どう考えてもこっちのほうがデマだと思う。しかしこの人アカウント幾つも作っていろんなところに同じ内容送りまくっていて、相当悪質。」などの意見もあるようです。
中森明菜が自殺未遂をした本当の理由
事件を見てきた人が語る「金屏風事件」の真相
中森明菜さんと近藤真彦さんが臨んだ謝罪会見の動画は、現在までに悪意のある編集がされており、真相の部分についてカットして、近藤真彦さんが悪く見えるような編集がされていました。
しかし、当時タイムリーに謝罪会見を見てきたネットユーザーの話をまとめると、中森明菜さんと近藤真彦さんの語った内容は以下のようなものでした。
・中森明菜が近藤真彦の部屋で自殺を図った理由は、最も信頼をしている人に一番に見つけて欲しかったため。
・中森明菜は謝罪会見に臨むまでの間、近藤真彦が励まし続けてくれたと語った。
・近藤真彦は今後も中森明菜が必要とするまで支えていくことを語った。
・中森明菜と近藤真彦は婚約や結婚の予定は無いと明かした。
・これからはお互いに世間にオープンにできる恋愛をしたいと語った。
そして、中森明菜さんが自殺を図った本当の理由については、1995年に発刊された雑誌雑誌「マルコポーロ」1995年1月号の中で、「中森明菜激白」というインタビュー記事で明かされていたようです。
そんな一方で、家族は私に内緒で事務所から毎月お金をもらったりしていた。
変な話だけど、事務所と家族はどんどん絆が強くなってゆくのに、私と家族の気持ちは離れてゆく一方だったんです。
近藤さんのことは私はもう何とも思ってません。
・・・(中略)・・。
五年前の騒動のときは、自分が今まで生きてきたのは一体何だったのだろう?
そんな絶望感でいっぱいで・・・。
会社に対しても、家族に対しても、とにかく人間が誰も彼も信用できなくなったんです。私が一生懸命にやってきたのは一体何だったのか?ってそう思ったときには、もう、正直、恋愛どころじゃなかったです。
もう少し真剣な恋愛してたり、結婚とか中身の濃い何かがある相手がいたら、あんなふうにはならず、どうにかなったのかもしれないけれど、私はもう独りぼっちだった。
だから、あんなことも出来たんだろうし。
中森明菜さんは自殺未遂騒動から数ヵ月後に正式に近藤真彦さんと別れたことを語っていますが、全く未練は無かったようで以降芸能界と距離を置くようになった語っていたようです。
また、中森明菜さんは自身について女性週刊誌が面白おかしく脚色して書いていることも皮肉っていたようです。
記者会見の金屏風はホテル側が勝手に準備していた
金屏風は中森明菜の復帰を祝い、ホテルが準備したものだった
週刊誌やマスコミが金屏風が立てられていたことから、結婚会見だと勘違いしたと言われ、会見では中森明菜さんが近藤真彦さんとの関係は無いとし、婚約も結婚の予定も無いと語ったことから破局会見とも言われていました。
しかし、金屏風が立てられていたのは中森明菜さんが自殺未遂から復帰したことを祝うためにホテル側が準備したともいわれています。
また、近藤真彦さんは元々中森明菜さんの復帰会見に出席する予定はありませんでしたが、会見前に中森明菜さんが挨拶に来たため、近藤真彦さんは責任から同席することを決めました。
ジャニーズ事務所は記者会見に関わっていなかった?
メリー喜多川も小杉理宇造も会見に関わっていない
中森明菜さんの謝罪、復帰会見はジャニーズ事務所が仕組んだものではないため、メリー喜多川さんも小杉理宇造さんも関わっていなかったという説もあるようですが、真相は不明です。
中森明菜の後見人・木村恵子が書いた暴露本はデマ
木村恵子は中森明菜に訴えられて敗訴した
中森明菜さんは1992年4月から1993年5月までの約1年間、木村恵子さんというディレクターを母親と慕い、後見人だと言われていました。
しかし、喧嘩別れした後に木村恵子さんは中森明菜さんの「金屏風事件」を受けての暴露本を出版しており、1994年に「哀しい性(さが)」、1995年に「中森明菜―激しさと寂しさの果ての狂気」という2冊を書いていました。
しかし、中森明菜さんはデタラメだとして訴訟を起こして勝訴しました。
木村恵子さんが中森明菜さんと親しかった期間は1992年4月から1993年5月の約1年間であり、中森明菜さんが自殺未遂を起こしたのがそれ以前の1989年7月であることを考えると、木村恵子さんが内部事情に詳しくかけるはずが無いのも頷けるでしょう。
しかし、木村恵子さんが本にしたためた中森明菜さんに関するデマは、週刊誌にとっては格好の材料となったようで、さらに捏造が加えられて現在まで伝えられてきました。
近藤真彦、アイドル雑誌で自殺未遂事件の真相を語る
当時の中森明菜には近藤真彦の存在が不可欠だった
当時の中森明菜さんは家族との関係も最悪で、仕事の関係者からも裏切りを受け続けたことで誰も信用できなくなっていたため、唯一心から信頼できるのは近藤真彦さんだけだったようです。
そして、近藤真彦さんは1990年から91年にかけてアイドル雑誌「明星」で連載されたエッセー「もう一杯分話そうか」の中で、中森明菜さんの自殺未遂事件について語っており、男気のある対応をしていたことがわかります。
事件があったのは僕の部屋だという事は間違いないし、その点は何を言われても仕方ない。
当時、彼女は精神的にも肉体的にも弱り切っていて、その頃頼れるのは僕しかなかっただろうと思う。
彼女があそこまで追い詰められてるっていうことは想像できなかった。
悩みを聞いたりしてはいたけど、仕事の悩みにしても僕が解決してあげられるような事じゃなく、聞き役に回ったりもしたが、やっぱりそんなに力にはなれなかったと思う。それが残念だった。
女の子っていうのは想像する以上にもろくて折れやすいもんだと知った。救急車を呼んだ時は、これでマスコミに騒がれるという事は冷静に判断できたけど、
マスコミうんぬんよりとにかく彼女の事が心配だった。
彼女の姿を見て、僕はこの子を白紙の状態、何事もなかったように元のままの状態に戻してあげなきゃと思った。
あの事件に関しては、非常に微妙な問題だから加害者も被害者もない。
ただ僕は彼女に元気な元の姿に戻って欲しいと思っただけ。
近藤真彦さんは誠心誠意、中森明菜さんを大切にしていたにも関わらず、週刊誌をはじめとした外野が捏造記事ではやし立ててきたため、現在までに対極的な”最低男”に仕立て上げられてしまいました。
なお、近藤真彦さんは上記のエッセーの中で、報道の恐ろしさは知っていたものの、事件の内容について捏造されていったことについて、心の底から呆れていたことを明かしています。
金屏風事件は、10代・20代の人にも知ってほしい。
— 希望の光 📎🖇 (@Smari44792440) June 13, 2017
メリーが事務所のTOPと言った近藤真彦と中森明菜さんの酷すぎる謝罪会見。
1人の歌姫の人生をメチャメチャにしてしまった。
華やかな裏では、こんなブラック事務所と言うことです。#金屏風事件 #ジャニーズ事務所を許さない
今回の騒動で、金屏風会見のツイ沢山見る。当時見た者として、中森明菜さんがドンドン破滅に向かってしまった事、今でも人間不信でいる辛い明菜さん。彼女の人生を壊した人物は何食わぬ顔で又人の人生を狂わそうとするのが人として理解できない。#SMAP #金屏風事件 #ジャニーズ事務所
— lanlan📎ななにー毎月第1日曜日AbemaTV (@lanlan201608) August 25, 2016
「金屏風事件」について総まとめすると…
・中森明菜と近藤真彦は平成元年大みそかに金屏風の前で記者会見を開いたことから、「金屏風事件」と呼ばれている
・「金屏風事件」はマスコミや周辺人物により捏造されたデマ説もしている
・「金屏風事件」以降、中森明菜は芸能活動から完全に干された状態になった
平成元年に世間を騒がせた「金屏風事件」のデマと真相について総まとめしてきました。
「金屏風事件」はまさに週刊誌やマスコミの怖さが分かる事件でしたが、令和元年を迎えた現在も中森明菜さんの芸能界復帰は強く願われています。
しかし、中森明菜さんはディナーショーでは芸能界に本格復帰したい気持ちはあるようですが、テレビ局からのオファーが無いと自虐していたこともあるようです。
オファーが無いわけは無いと思いますので、今後中森明菜さんがテレビで姿を見せる日は来るかもしれませんね。