岡崎聡子は1976年のモントリオール五輪に出場した元体操選手です。現役引退後はスキャンダルがいくつも報じられ、1995年には覚せい剤取締法違反で逮捕されています。その後も薬物への依存を断ち切れず、現在までに通算14回も逮捕され、有罪判決を幾度も受けました。
ここでは岡崎聡子の若い頃の画像や元旦那や子供家族情報、薬物歴、そして近況などをまとめています。
この記事の目次
岡崎聡子のプロフィール
名前:岡崎聡子(おかざきさとこ)
出身地:東京都
生年月日:1961年1月13日
出身高校:國學院高等学校
最終学歴:日本体育大学短期大学部中退
岡崎聡子、「和製コマネチ」の愛称で人気の体操選手だった
岡崎聡子は現役時代「和製コマネチ」の愛称で親しまれた元体操選手です。1976年の高校在学中にモントリオール五輪に出場し、団体8位・個人総合30位という成績を残しました。
大学進学後に怪我をし現役引退すると、学校を中退しタレントに転身。日本におけるエアロビクス普及に貢献しましたが、1980年代からは私生活のスキャンダルで世間を賑わせるようになりました。
まず1981年に元恋人から婚約不履行による慰謝料1000万円を請求され、過去の中絶、大麻疑惑なども暴露されます。1984年に結婚し妊娠すると妊婦ヌードを披露。
その後は子育てのため芸能活動から退きましたが、1995年を皮切りに2019年6月現在まで覚せい剤取締法違反で通算14回も逮捕をされています。
岡崎聡子の若い頃~体操選手引退後はタレントとして活動
現役時代の岡崎聡子
まだ幼いです。
若い頃の岡崎聡子
現役中は全日本体操競技選手権大会総合優勝(1976)やNHK杯体操選手権優勝(1976年、1977年)という実績を持つ有望な選手でした。
現役引退後はタレントに転身
タレントとしてはあまり売れませんでしたが、グラビアページやヌード写真なども出しています。
エアロビをする岡崎聡子
エアロビの本を出版したり、日本各地で普及活動につとめています。
だいぶ大人っぽくなった岡崎聡子
現役時代と比べると、ヘアメイクが変わったせいか、セクシーな感じに。
スキャンダラスにまみれた現役引退後の人生
・元恋人の暴露(慰謝料1000万円請求、中絶、大麻疑惑)
(※元恋人は飲食店経営ともホストとも)
・妊婦ヌード
・通算14回にも及ぶ覚せい剤取締法違反等による逮捕
なお岡崎聡子の現在の写真はありませんでした。
岡崎聡子には3度の結婚・離婚歴~元旦那には獄中結婚したヤクザも
岡崎聡子は、これまでに何回か結婚・離婚を繰り返しているようです。彼女の旦那情報が少ないため詳細まではわかっていませんが、まとめてみると以下の通りです。
一人目の旦那…1984年頃にファッションデザイナーの男性と結婚し2児をもうける。しかし夫側の資金繰り悪化により、1993年に家賃1年分(360万円※1月30万円程度の高級マンション)を滞納したことをスクープされる。1995年に夫婦揃って覚せい剤取締法違反で逮捕され、その後に離婚。この男性も一部メディアによると”怪しげな”と紹介されることも…。結婚当時の名前は衛藤聡子。
ちなみに芸能人の逮捕ニュースなどを見ると「本名〜〜」と併用されている事がありますが、2019年6月の岡崎聡子逮捕記事を見てもその記載がないため、現在は独身の可能性があります。
岡崎聡子に子供は2人〜息子が覚せい剤裁判で情状証人になっていた
岡崎聡子と子供
岡崎聡子は最初の旦那との間に子供が2人います。子供たちの詳細は不明ですが、1980年代に生まれた事を考えると、年代はともに現在30代ぐらいと考えられるでしょう。家庭を持っている子もいるそうです。
子供のうちの一人は、2009年に岡崎聡子の覚せい剤裁判に出廷。彼女は息子が出廷する事について反対でしたが、それでもやはり嬉しかったそう。
法廷では思った通り、息子は弁護士と検事からの質問に、緊張してカチンコチンに固まっていました。「小さい頃、お母さんがいなくなり、淋しかったでしょ。不安だったでしょ」と訊かれて、「はい」と答えるなど、司法のプロたちの手にかかって、すっかり悲劇の主人公を演じてしまっていました。本当なら「違法行為に関しては申し訳ありませんが、逮捕されて母親がいなくて苦労することはありましたが、それ以外では楽しい家庭でした。人もたくさん集まる明るい、いい家庭でした」とでも言ってほしかったと思いました。
私の両親には内緒で来たという息子の気持ちはうれしく思いました。私の薬物での逮捕は今回で5回め。薬物を始めてから合計すると10年くらい、生きている時間の半分くらいを獄中で過ごしていることになります。私がオリンピックにも出場した元体操選手であるため、逮捕のたびに報道され、家族には大きな迷惑をかけてきました。
2005年に裁判が開かれた際、岡崎聡子は「子どもたちに胸を張れる生き方をしたい」と語っていましたが、それが達成されることはそれから約15年間ありませんでした。
岡崎聡子の薬歴~再犯を繰り返し人生の半分以上が獄中生活に
岡崎聡子は1995年から2019年6月までの間に、覚せい剤取締法違反で通算14回も逮捕されています。
岡崎聡子、薬人生の始まりはアメリカでのコカイン
エアロビ修行中に薬に出会う
岡崎聡子が薬に手を出したのはアメリカにエアロビクス修行にいった時のこと。
私が最初に薬物を体験したのは、アメリカのロサンゼルスにエアロビクスの勉強に行っていた時でした。最初はアメリカにいる時だけ使っていました。コカインもやるようになりました。そのうち日本でも、つきあっていたのが六本木の水商売の人だったこともあり、入手もできました。仕事が終わると一服、という感じで、アルコールと同じ感覚で使っていました。気持ちがパッと明るくなるし、活力も出る。もちろん性的な部分での快楽もありました。
彼女がエアロビクスに進出したのは現役引退後。それを考えると、1980年代にはすでに手をつけていたことが推察できます。
岡崎聡子、最初の逮捕はオウム事件がきっかけ
1995年にオウム事件の余波で発覚
1995年、世間はオウム事件一色で各地には検問が敷かれていました。岡崎聡子はその検問中に車内で受けた職務質問で覚せい剤所持が発覚し、一緒にいた当時の夫(一人目)とともに逮捕されました。
当時「1年前からやっていた」と容疑を認めています。
1995年4月、大麻取締法違反で1回目の逮捕となった。逮捕翌日には自宅が家宅捜査され、夫とともに逮捕。覚醒剤の反応も認められ、再逮捕されてしまう。このとき夫婦は「1年ほど前から注射していた」と使用を認めている。
岡崎聡子、その後も再犯を繰り返す
14回の逮捕、6回の有罪判決
最初の逮捕後、岡崎聡子は服役→逮捕→服役…を繰り返し現在に至ります。
逮捕回数は2019年までに14回にのぼり、そのうちの約半分は証拠不十分で不起訴になっているといいますが、有罪判決を6回受けています。
こうも再犯を繰り返すとだんだん実刑も長くなっていき、2014年に6回目の有罪判決を受けた際には懲役3年6か月の実刑判決が下されました。岡崎聡子本人が手記で記していましたが、人生の半分近くの時間を刑務所で過ごしているというのも本当になってしまうかもしれません。
岡崎聡子は自身の薬物依存について手記で以下のように触れています。
ちょうどタバコやアルコールと同じで、薬物とは一度その効用を知ってしまうと、なかなか知らなかった頃には戻れないものだと思います。よく薬物依存者はいろいろな症状が出てくると言われますが、私の場合は精神的依存はありますが、身体面では何の影響も現われませんでした。恐らくその辺は個人差があるのではないでしょうか。
刑務所での「薬物離脱教育」、昔は「薬害教育」と言いましたが、私は毎回必ず受けています。でも役に立っているかは疑問です。
薬から逃れられないのか…
岡崎聡子は刑期を終え出所しても、保身からか普通の生活というよりも自分の薬物歴がバレても”大きな影響がない環境”で過ごしてきたと言います。
2001年に仮出所して医療検査会社に就職するも、2回ほどの遅刻で失職。知り合った男性の家政婦として働いたが、この人物も覚醒剤で逮捕された元受刑者だった。2004年にはこの男性と2人で覚醒剤に手を付け、再び逮捕。2005年10月8日の東京新聞によると、このときの裁判で「自分の過去が相手にばれたとき、傷つかないような人間関係を選んでいました」
2013年に再び逮捕され実刑を受けた際も、岡崎聡子は暴力団関係者の男性と同居し一緒に逮捕されたというのだから、2005年から何の進歩もなかったといえるでしょう。
さらに岡崎聡子と同じ刑務所に入っていた他の受刑者によると、「(岡崎に)薬をやめる意識はない」とまで暴露されています。
09年、5度目の逮捕で刑に服した福島刑務支所で同房だった女性のブログには、岡崎容疑者とのこんなやり取りが書かれている。「聡子ちゃんは下ネタが大好きだった。体操の選手だっただけにいろいろな体位を要求されるという。基本はヤクザの親分格としかしないそうだ。全く薬をやめるという意識はないようなので今日もどこかでどっかの親分とシャブをうって遊んでいるのであろう」
岡崎聡子の現在や近況~覚せい剤で通算14回目の逮捕
2019年5月頃、岡崎聡子は14回目の逮捕。
岡崎聡子被告は、2019年4月下旬、落とし物をしたとして、東京・杉並区内の警視庁の交番を訪れた際、様子がおかしかったことから、警察官が調べたところ、覚せい剤を使っていたことが発覚したため、緊急逮捕された。
岡崎聡子はこれまでに14回逮捕され、うち6回で有罪判決(その他は証拠不十分等で不起訴処分)。2019年5月頃に逮捕された件で罪が認められれば、14回の逮捕で7回の有罪判決となります。
〜これまでの有罪判決〜
・1995年5月→懲役1年6ヶ月、執行猶予3年
・1995年8月(執行猶予中)→懲役1年6ヶ月
・2000年→実刑
・2005年→実刑
・2009年→実刑
・2013年→懲役3年6ヶ月
岡崎聡子を取材した記者によると本人は「治療に取り組む」と言っているそうですが…。ここまで依存が進んでいれば15回目の逮捕もあるでしょう。
岡崎聡子についてまとめると…
・岡崎聡子は3度の結婚離婚歴があり、最初の旦那との間に子供が2人いる
・岡崎聡子は人生の大半を薬に支配され、1995年の逮捕を皮切りに通算14回逮捕されている
岡崎聡子は、これまでも幾度となく反省の弁や治療に対する前向きな発言をしてきましたが、それが叶えられることは残念ながらありませんでした。
岡崎聡子の薬物歴はすでに30年以上に及びます。体に染み付いてしまった薬物をどうやって取り払えるのか、これはもう本人の意思だけではどうしようもない領域にあるように見えますね。