2018年3月3日、演歌歌手・北島三郎さんの次男・大野誠さんが、51歳の若さで亡くなり、孤独死だったと報じられました。
この記事では、北島三郎さんの次男・大野誠さんのプロフィール及び経歴、結婚して、子供はいるのか、死因についてまとめました。
この記事の目次
【北島三郎の次男】大野誠のプロフィールと経歴
大野誠(北島三郎・次男)のプロフィール
大野誠さんは、北島三郎さんの次男で、東京都出身、1966年9月5日生まれ(享年51歳)の作詞家・作曲家で、北島音楽出版の役員(常務取締役)も務めていました。
大野誠は北島三郎の次男
ちなみに、北島三郎さんの本名は、大野穣(おおのみのる)と言います。
北島三郎さんには、二男三女の5人の子供がいて、大野誠さんは、5人兄弟の2番目になります。
大野誠さんが役員を務めていた北島音楽出版は、父親・北島三郎さんが所属している北島音楽事務所の子会社です。
大野誠さんは、北島音楽出版の役員として、所属する歌手の楽曲の企画制作、著作権管理などの業務を担当していました。
Eテレ『おじゃる丸』の主題歌を作詞・作曲した大野誠
北島三郎さんの次男・大野誠さんは、元ミュージシャンで、ロックバンド「1st BLOOD」のボーカルとして、1988年8月に芸能界デビューしています。
デビュー当時の大野誠さんの芸名は、“MAKOTO”でした。
しかし、「1st BLOOD」は、アルバムを2枚リリースした後、解散しています。
その後、大野誠さんは、作詞家・作曲家に転身し、大地土子(だいちとこ)というペンネームで活動しています。
1998年には、10月から放送がスタートしたアニメ『おじゃる丸』(NHK Eテレ)のオープニングテーマ『詠人』(うたびと)、『夢人』の作詞・作曲を手掛けており、この歌を、父親・北島三郎さんが歌っています。
父親・北島三郎さんと大野誠さん
これは、デビュー当時の大野誠さんと父親・北島三郎さんとのツーショット画像です。
このアニメ『おじゃる丸』のオープニングテーマにおいて、作詞家・作曲家と歌手としてタッグを組んだことは、息子・大野誠さんにとっても、父親・北島三郎さんにとっても、念願だったのではないでしょうか。
【北島三郎の次男】大野誠は結婚してるの?子供は?
出典:https://geitopi.com/
生涯独身で子供もいなかった大野誠
北島三郎の次男・大野誠さんは、結婚しているのでしょうか。
大野誠さんは、画像を見てもらうとわかるとおり、なかなかのイケメンですし、あの北島三郎さんの息子さんですから、経済的に困ることもないですから、結婚していてもおかしくありません。
実際には、大野誠さんは結婚しておらず、独身で一人暮らしだったようです。
大野誠さんには、離婚経験もないことから、子供もいなかったようです。
【北島三郎の次男】大野誠の彼女に関する情報
2歳年上の半同棲中の彼女がいた大野誠
大物演歌歌手・北島三郎さんの次男・大野誠さんが、孤独死したというニュースは、世間に大きな衝撃を与えました。
孤独死は、大きな社会問題になっていますが、一人暮らしの高齢者に見られることが多く、大野誠さんのように、51歳の若さで孤独死するケースは少ないからです。
そんな大野誠さんの死が、孤独死じゃなかったという可能性が浮上しています。
というのは、2018年3月13日発売の女性週刊誌『女性自身』が、大野誠さんに、半同棲の彼女がいたことを報じているからです。
『女性自身』の記事によると、大野誠さんの彼女と言われているのは、2歳年上の女性です。
しかし、ここで疑問が生じます。
半同棲の彼女がいたのなら、どうして、自宅で倒れていた大野誠さんは、8日もの間、発見されなかったのかということです。
実は、その半同棲の彼女は、大野誠さんが亡くなったとき、実家に帰っていたのです。
大野誠さんは、その彼女を父親・北島三郎さんに紹介していたことから、家族はその存在をよく知っており、大野誠さんの葬儀にも参列したそうです。
彼氏である大野誠さんの突然の死に、彼女であるその女性は、大きなショックを受けていたそうです。
急逝から遺体発見までに数日かかったことや、大野さんが結婚をしていなかったことから複数のスポーツ紙は“孤独死”と報じていた。だが主人は首をひねる。「いやぁ、付き合っている女性がいて、ときどき何日とか、長い期間泊まっていましたよ。いわゆる“半同棲”という感じでしょうか。買い物なんかもいっしょにしていて、すごく仲が良かったです。大野さんが倒れたのは、恋人さんがいなかったときなのでしょうね」
【北島三郎の次男】大野誠が自宅で孤独死!気になる死因は病気?
51歳で自宅で孤独死をした大野誠
死亡から8日後に発見された大野誠
演歌界の大物歌手・北島三郎さんの次男で、亡くなっていた大野誠さんが発見されたのは、東京都調布市にある自宅でした。
倒れていた大野誠さんを発見したのは、北島三郎さんの長男で、北島音楽事務所の社長を務める大野竜さんだったそうです。
弟の大野誠さんと、1週間程度、連絡が取れなかったことから、自宅を訪れたところ、発見したそうです。
大野誠さんは、一軒家を借りて一人暮らしをしており、亡くなってから、数日が経過していたことから、孤独死と判断されました。
検視の結果によると、大野誠さんは、8日前の2018年2月23日に亡くなっていたということです。
その後、父親・北島三郎さんが喪主を務め、葬儀・告別式も行われました。
大野誠さんの突然の死を報じた多くのメディアは、その死因を病死と伝えていますが、大野誠さんの具体的な死因は何だったのでしょうか。
死因は心不全と発表された大野誠~お酒の飲み過ぎが原因か?
実は、亡くなった大野誠さんについては、以前から、体調が悪く、肝臓の調子が悪かったという兄弟、知人などの証言があると共に、大野誠さん自身も言っていたと言います。
北島音楽事務所の社長で兄の大野竜さんは、弟の大野誠さんについて肝臓が悪かったようだと語っています。
「去年から体調がよくなかった。肝臓が悪かったようだが、疾患があったという話は聞いていないし、入院もしていなかった」
また、東京都調布市の大野誠さんの自宅の近くにある酒屋の主人は、次のように証言しています。
「最近は自分でも体調のことを気にしていました。『どうも(肝臓の)調子が悪くてね。(愛飲していたウオッカよりも)度数が低い焼酎とかも飲んでみようかな』と言っていました」
これらの証言から、今回の大野誠さんの死因は、肝臓が悪かったことと関係がある可能性が考えられます。発表では心不全とのことですが、ウォッカを愛飲し、大酒のみだったそうなので、お酒で身体を壊してしまったのでしょう。
大野誠の突然の死を受け緊急会見をした北島三郎
緊急記者会見をした北島三郎
大野誠さんの突然の死を受けて、父親である北島三郎さんが記者会見を開きました。
―今の気持ちは―
「あの…。大事な、大好きな、かわいい自分の…。我が子が先に旅立ってしまったという。辛いですね。辛いです」
―今回、死因が心不全―
「(体調悪化は)僕はそういうのは感じなかったね。俺に隠していたのかな。嫁さんにも何も言わなかった。昔から1人で自分の思いのままに何かやったりするのが好きな子でしたから。いつの間にやら楽器弾くようになって、音楽やるようになって、歌を歌うようになって。ある時から私にアドバイスしてくれるようになった。息子であって、私の良き相方でもあったかな」
―息子さんの様子は?
「本当に…。眠っているよう」
―どんな言葉をかけた?
「いや、もう…。あまりに突然なんでね。こういうことしてみたいな、ああいうことしてみたいなと。彼は僕の歌をすごく、認めてくれる1人でした。親父はこういう歌をこういう風に歌ってくれればいいなと、期待みたいなものを、いつも持っていてくれた。息子でありながら、音楽のすごくいい仲間だった。彼の作った歌『おじゃる丸』もそうですけど、その他にも『友よ』とか、海をテーマにした歌もいっぱい作ってくれた。未発表のものもあるんですね。だから、あいつにいい恩返しをしてやりたい。世に出してあげたいなという気持ちですね」
子供に先立たれることほど辛いものはないでしょう。憔悴しきっている様子の北島三郎さんの悲しみは計り知れません。
まとめ
・大野誠は2018年2月23日に亡くなった。発見されたのはその8日後で一人暮らしの自宅での孤独死だった。享年51歳。
・大野誠の発表された死因は心不全。事件性はないが大酒のみで肝臓が悪かったことが原因とみられる。
・大野誠は独身で子供はいないが、2歳年上の女性と半同棲中だったと報道されている。
北島三郎さんの次男・大野誠さんについてまとめさせていただきました。
最愛の息子である大野誠さんが、51歳の若さで亡くなったことにより、大きなショックを受けた北島三郎さんは、多くの記者を前に、そのつらさを涙ながらに語りました。
しかも、大野誠さんが、亡くなってから、1週間ほど経ってから見つかり、孤独死していたという事実は、北島三郎さんや家族、2歳年上の彼女にとって、さらなる衝撃だったと思います。
大野誠さんのご冥福をお祈りいたします。
【関連記事】
・川越美和が孤独死…引退理由と結婚の噂~死因や今現在まで総まとめ
・飯島愛の死因・真相まとめ!エイズ・薬・病気など様々な説を検証
・明石家さんまの弟の死…壮絶な生い立ちから現在・年収を総まとめ