若い頃は俳優、晩年はタレントとしても活躍した岡田眞澄さんですが、死後に暴露された家族間トラブルが話題です。
今回は岡田眞澄さんの経歴や家族(両親や兄)、結婚した嫁や子供や離婚理由、死因、娘や息子の現在を紹介します。
この記事の目次
- 岡田眞澄とは
- 岡田眞澄の実家の家族① 父親は画家・母親はデンマーク人
- 岡田眞澄の実家の家族② 兄はE・H・エリック
- 岡田眞澄の実家の家族③ 姪はタレントの岡田美里
- 岡田眞澄の若い頃の経歴① フランスで生まれ第二次世界大戦中に台湾へ
- 岡田眞澄の若い頃の経歴② 日本に帰国・インターナショナルスクールに通う
- 岡田眞澄の若い頃の経歴③ 日活より俳優デビュー
- 岡田眞澄の若い頃のエピソード① 大物映画監督に枕を打診された
- 岡田眞澄の若い頃のエピソード② スターリンに似てると話題に
- 岡田眞澄の若い頃のエピソード③ 年上のフランス人女優と不倫
- 岡田眞澄の結婚・離婚歴:最初の嫁はヨネヤマ・ママコ
- 岡田眞澄の結婚・離婚歴:瑳峨美智子と婚約するも浮気がバレて破談に
- 岡田眞澄の結婚・離婚歴:11歳年下の女優・藤田みどりと再婚
- 岡田眞澄の結婚・離婚歴:最後の嫁は26歳年下の元CA
- 岡田眞澄の死因は食道がん
- 岡田眞澄の子供の現在① 息子が家族間の軋轢を暴露
- 岡田眞澄の子供の現在② 娘がミス・インターナショナル日本代表に
- 岡田眞澄の子供の現在③ 次男が自殺した理由を長男が明かす
- 岡田眞澄の子供の現在④ 娘はセント・フォース所属のフリーキャスター
- 岡田眞澄のまとめ
岡田眞澄とは
岡田眞澄(おかだ ますみ)
生年月日:1935年9月22日
出身地:フランス・ニース
岡田眞澄さんは、フランス生まれの日本の俳優・タレントで、俗に言うハーフタレントの走りでした。
若い頃は、映画では「嵐を呼ぶ男」、「太陽の季節」、ドラマでは「キイハンター」シリーズや「プレイガール」などに出演。
主演作は少ないですが、存在感あるルックスと演技力で、数多くの映画やドラマに登場しています。
そんな岡田真澄さんを人気芸能人へと押し上げたのは、主にタレント活動となっており、「仮面ノリダー」のファンファン大佐役などで、現在の中年層に絶大な知名度を誇っています。
ノリダー懐かしいなぁ~怪人にラッコ男にチョコボール男にビデオテープ男とかいたなぁ
— ろびぃ~@飯テロ野郎 (@CP9Ahetarenori) April 28, 2020
あと、忘れちゃいけないキングジョッカーとファンファン大佐 pic.twitter.com/dE4vqSky9m
また、「ミス・インターナショナル」の司会や「欽ちゃんの仮装大賞」の審査員役などでも活躍しており、お茶の間の人気者でした。
岡田眞澄の実家の家族① 父親は画家・母親はデンマーク人
岡田眞澄さんの父親は、画家の岡田穀さんです。
有名画家ではない穀さんでしたが、戦前はフランス・パリで修業をしていたらしく、デンマーク人のインゲボルグ・シーヴァルセンさんと知り合い、結婚。
シーヴァルセンさんは仕立て職人の娘でしたが、姉は人魚姫の銅像のモデルというエピソードもあるなど、美貌の持ち主だったことがうかがえます。
因みにこのコペンハーゲンの人魚姫の裸体モデルとなったエリーネ・エリクセンの妹インゲボルグ・シーヴァルセンは、岡田眞澄さんの母親だそう。写真左は岡田眞澄さんの母インゲボルグ・シーヴァルセンと父、岡田稔さん。写真右は岡田眞澄さんと母親。岡田眞澄さんと父親の稔さんってよく似ている。 pic.twitter.com/OAMKBPnvuc
— Green Pepper (@r2d2c3poacco) September 29, 2019
ただ、フランスでの生活は優雅なものとはほど遠く、自作の水彩画と生活必需品を物々交換するレベルの極貧生活だったそう。
また、商売道具を手に入れるお金すらなかった時は、絵具屋の店主に按摩をして絵具を分けてもらったこともあったとのことです。
そんな状況下でも現地の女性と恋に落ち、結婚までしているわけですから、父親は魅力的な人物だったと思われます。
後に語られることになる岡田真澄さんのプレイボーイっぷりは、父親譲りだったのかもしれませんね。
岡田眞澄の実家の家族② 兄はE・H・エリック
岡田眞澄さんの兄は、タレントのE・H・エリックさんです。
E・H・エリックさんは岡田真澄さんの6歳年上で、日本における音楽バラエティ番組の元祖と言われている「夢で逢いましょう」や「歌のグランプリショー」などで活躍した人物でした。
また、洋楽アーティストの来日コンサートの司会を担当する機会も多く、ビートルズの来日公演の司会を任されています。
そんなE・H・エリックさんは、アムウェイの伝道師でもありました。
日本アムウェイにおけるE・H・エリックさんの地位は相当高く、販売実績や新規会員の獲得実績などから、「クラウンアンバサダーDD」のランクを得ていたとか。
E・H・エリックってビートルズ界隈では日本公演を語る上で欠かせない人って感じで好印象だけど、タレント引退した後はアムウェイを日本に広めまくってマルチ商法に加担してたのはやっぱいただけないよな… https://t.co/BxwT4pmacR
— よっしー part II (@TAKRL) November 11, 2021
岡田眞澄の実家の家族③ 姪はタレントの岡田美里
岡田眞澄さんの姪には、タレントの岡田美里(みり)さんがいます。
E・H・エリックさんの娘である美里さんは、若い頃はロサンゼルス五輪やF1中継などのスポーツキャスターとして活躍していた時期もありました。
また、タレントの堺正章さんの元妻としても有名です。
岡田眞澄の若い頃の経歴① フランスで生まれ第二次世界大戦中に台湾へ
岡田眞澄さんは、前述の通り、画家だった父親が海外修行中に母親と出会い結婚したため、フランスのニース生まれです。
フランスで赤貧生活に喘いでいた岡田家ですが、岡田眞澄さんが生まれた頃には、日本で父親の個展が開催されるようになっていたそうで、少しは生活がましになっていたかもしれません。
しかし、第二次世界大戦が勃発した影響により、親子はフランスを離れざるを得なくなります。
しかし、当時の岡田家は日本に生活基盤がなかったため、当時日本領だった台湾にいる弟一家の庇護を受けていたそうです。
そんな中、母親が白人だったことでスパイと疑われて特高警察にマークされたりと、散々な目に遭っていたそうです。
そのためか、両親は離婚し、母親は欧州へ帰国してしまいました。
岡田眞澄の若い頃の経歴② 日本に帰国・インターナショナルスクールに通う
終戦後の岡田家は、日本へ帰国し、東京・赤坂の引揚者住宅で暮らし始めます。
そして岡田眞澄さんは、セント・ジョセフ・インターナショナル・カレッジに通っていたと言われています。
その後の岡田真澄さんは、兄のE・H・エリックさんが芸能界入りし、日劇ミュージックホールの舞台に立つようになった影響を受け、バレエのレッスンを受けていた時期もあったそうです。
日劇ミュージックホールとは、コント55号らを産んだ浅草フランス座と並び昭和の裸体舞踊の全盛期を支えた劇場。上演されるレヴューは主にトップレスの女性ダンサーによるものであり、衣服を脱いでいく過程のあるストリップとは異なる。浅茅けいこ、あき竹城らは東京12チャンネル(テレビ東京)の山城新伍の番組『独占!男の時間』に出演し、トップレスでのダンスを披露した。
引用:日劇ミュージックホール
岡田眞澄の若い頃の経歴③ 日活より俳優デビュー
若い頃の岡田眞澄さんは、前述の日劇ミュージックホールの座長格だったコメディアン・泉和助さんの下で修行をしていた時期もありました。
最終的に役者の道を選んだ岡田真澄さんは、東宝の俳優オーディション「東宝ニューフェイス」に応募し、見事合格。
そのため、一時は東宝演劇研究所で演劇を学んでいましたが、その後、日活から役者デビューしました。
若い頃の岡田真澄さんは、かなり彫りが深い日本人離れした顔でしたが、「太陽の季節」や「狂った果実」、「嵐を呼ぶ男」など、日活の人気映画に多数出演。
また、俳優の菅原文太さんらと一緒に、日本初の男性専門モデル事務所の「SOSモデルエージェンシー」を立ち上げています。
岡田眞澄の若い頃のエピソード① 大物映画監督に枕を打診された
若き日の岡田眞澄さんは、そのあまりの美男子ぶりから、欧州の大物映画監督から枕をしないかと持ち掛けられたこともあったそうです。
ちなみに、その映画監督とは、イタリア人映画監督のルキノ・ヴィスコンティさんだったとも言われています。
*☆Buona sera★Guten Abend☆*
— SandA@粗忽長屋 (@suzu1arbre) April 7, 2018
ルキノ・ヴィスコンティ監督と「華やかな魔女たち」「地獄に堕ちた勇者ども」「ルートヴィヒー神々の黄昏」「家族の肖像」等に出演した俳優ヘルムート・バーガー
美男子を見出し侍らせる天才監督と寵児#HelmutBerger& #LuchinoVisconti
#あなたが選ぶベストカップル pic.twitter.com/HFqUGQB2Ui
「若者のすべて」や「ベニスに死す」といった名作を手掛けているヴィスコンティさんは、バイセクシャルを公言している映画監督です。
映画「山猫」の構想を練っていた頃に、岡田真澄さんの美青年ぶりに目を付けたヴィスコンティさんは、「2か月間の同棲生活」を条件に岡田真澄さんに出演をオファーします。
しかし、同性愛の趣向はなかった岡田真澄さんはこの出演オファーを毅然と断ったそうで、当然岡田真澄さんの出演話は流れ、その結果、アラン・ドロンさんが代役に抜擢されました。
ちなみに、1963年に公開された「山猫」はカンヌ映画祭でパルムドールを獲得するなど、アラン・ドロンさんの出世作となっています。
アラン・ドロン。
— 加門七海 (@kamonnanami) May 10, 2017
好きも嫌いもなかったけど、ヴィスコンティの『山猫』で、彼が真の美形だと気づいた。
青い瞳が印象的に撮られていた。
もっとも、ヴィスコンティの手に掛かれば、皆、宝石のように美しく輝き出すのだけど。 pic.twitter.com/H47dKkMcaN
岡田眞澄の若い頃のエピソード② スターリンに似てると話題に
岡田眞澄さんは、ソビエトの最高指導者であったヨシフ・スターリンとそっくりだと言われていました。
左・岡田真澄 右・スターリン
— こいずみまり (@koizumimari1) February 7, 2016
この人たち絶対遠い親戚よね!! pic.twitter.com/RgXGkwf4YD
岡田真澄さんには、スターリンの死後数十年経ってからテレビの仕事でロシアに行ったところ、現地の老人から泣かれてしまったとのエピソードまで残っています。
実はスターリンと血縁関係があった?
岡田眞澄さんは、ヨシフ・スターリンとあまりにそっくりだったため、実は親戚同士だったとの都市伝説まであります。
こちらの都市伝説によると、2人があまりに似ているため、ロシアの専門機関がDNA検査を実施したといいます。
その結果、2人の家系図が調べ上げられ、岡田真澄さんのはとこのおじいさんの腹違いの息子とスターリンのおじいさんの兄弟のいとこが同一人物、という事実が判明したとのこと。
一見すると信じてしまいそうな都市伝説ですが、前述の通り、岡田真澄さんの母親はデンマーク人であり、スターリンはジョージア出身の人物でした。
そのため、交通網が発達していない時代に、両者が血縁関係になることは考えにくく、ネットの愉快犯が創作したデマと言えます。
ちなみに、身長の方は、岡田真澄さんが184cmでスターリンが162cmなので、似ていたのは顔だけのようです。
岡田眞澄の若い頃のエピソード③ 年上のフランス人女優と不倫
岡田眞澄さんは、4歳年上のフランス人女優・フランソワーズ・アルヌールさんと不倫関係になった過去があります。
アルヌールさんは1950~60年代にフランスで活躍した女優であり、代表作には映画「過去を持つ愛情」や「女猫」などがあります。
そんなアルヌールさんが1960年に来日したところ、岡田真澄さんが一目ぼれ。
当時、双方共に既婚者でしたが、モラルより情熱を優先するタイプの男性だった岡田真澄さんは、アルヌールさんと深い仲になりました。
その後、帰国したアルヌールさんを追いかけ、1961年に渡欧した岡田真澄さんでしたが、結婚には至らなかったようです。
ちなみに、岡田真澄さんがルキノ・ヴィスコンティさんに枕に誘われたのは、この時代の話だったと言われています。
岡田眞澄の結婚・離婚歴:最初の嫁はヨネヤマ・ママコ
岡田眞澄さんは1960年、1歳年上のパントマイマー・ヨネヤマママコさんと結婚しています。
山梨県出身のヨネヤマさんは、筑波大学卒の才女であり、日本におけるパントマイマーのパイオニア的存在でした。
また、紅白歌合戦にゲスト出場したり、アメリカのUCLAでパントマイムの講師をしたりしていた時代もあったといいます。
そんな一流パフォーマーと岡田真澄さんの馴れ初めは不明ですが、2年間の期限付き結婚という契約結婚だったようです。
また、どちらかが離婚したくなった場合、相手は受け入れなくてはならないとの契約まで婚前に結んでいたと言われています。
そんな2人の結婚生活は長くは続かなかったようで、前述の通り、岡田真澄さんが結婚早々にフランソワーズ・アルヌールさんの虜になってしまい、破綻状態に。
離婚時期は1961年との話なため、2年間の期限すら2人には長すぎたようです。
岡田眞澄の結婚・離婚歴:瑳峨美智子と婚約するも浮気がバレて破談に
フランソワーズ・アルヌールさんを追いかけて渡欧した岡田眞澄さんでしたが、スター俳優ではなかったため、すぐに金欠状態に陥ってしまったようです。
そのため、在仏の日本人女優だった岸恵子さんの元へ度々お金の無心に行き、さらに日本にいる知り合いにも借金の申し入れをしていたといいます。
岡田真澄さんもそんな状況を良しとはせずに、フランスで役者仕事を探し、「宝さがし」という映画への出演が内定していたそうですが、諸事情から制作が中止に。
まさにドツボにハマった状況に陥った岡田さんでしたが、お金の無心先の1つであった女優・瑳峨三智子さんが失恋し傷心状態だったことに目を付け、文通で口説き落とすことに成功。
大手を振って日本へ帰る口実を得た上に、帰国後は婚約発表会見まで開いています。
ちなみに当時、瑳峨美智子さんは、戦前の映画スター・月田一郎さんと伝説の名女優・山田五十鈴さんの娘であり、本人も人気女優でした。
そのため、逆玉状態となった岡田真澄さんでしたが、日本で開かれた映画祭関連の仕事で親しくなったフランス人女優・マリー・ラフォレさんを相手に浮気の虫が再発。
おまけに、浮気騒動がマスコミにバレてしまい大バッシングを受け、1964年には瑳峨美智子さんとの婚約を解消しています。
岡田眞澄の結婚・離婚歴:11歳年下の女優・藤田みどりと再婚
あまりにプレイボーイすぎて結婚には向いていないのでは?と思われた岡田眞澄さんですが、1972年に、11歳年下の女優・藤田みどりさんと再婚しています。
藤田みどりさんは、同じ劇団に所属する役者仲間であり、1971年に女優デビューしたばかりの若手女優でした。
この頃になると、岡田真澄さんも30代後半になっていたため、浮気の虫も少しは落ち着いていたようで、2人の間には3人の男の子が誕生。
結婚生活も1994年まで続くことになりますが、最終的には岡田真澄さんの浮気の癖がぶり返し、結局は離婚に至ってしまいます。
岡田眞澄の結婚・離婚歴:最後の嫁は26歳年下の元CA
出典:https://pixabay.com/
藤田みどりさんとの離婚後の岡田眞澄さんですが、1995年になると、26歳年下のCA・恵子さんと再々婚しています。
当時、既に還暦を迎えていた岡田真澄さんでしたが、1998年には、長女・朋峰さんも誕生するなど、夫婦仲は良好でした。
岡田眞澄の死因は食道がん
岡田眞澄さんの晩年に関しては、「午後は○○おもいッきりテレビ」にレギュラー出演していた他、深夜の人気バラエティ番組「サルヂエ」でMCを務めるなど、タレント活動は順調でした。
しかし、2005年に7月に食道がんが発覚。仕事をセーブして治療に専念したものの、同年秋にはリンパ節へがんが転移してしまいます。
その後の懸命の治療の甲斐もなく、2006年5月に岡田真澄さんは享年70歳で亡くなりました。
13 :名無しさん@6周年:2006/05/30(火) 00:08:09 ID:0XCEntU70
あー、ファンファン大佐とかのネタは漏れが厨房のときの話だから
もう17,8年も経っているんだなぁ。
ご冥福をお祈りしています。56 :名無しさん@6周年:2006/05/30(火) 00:27:54 ID:OMw6QJDk0
もうオカレモンも見れないんだな・・・・・・・・この人はバラエティに出ても浮かない俳優だったからな・・・・・・・
サルジエ降板したのも癌だったからなのかもしれないんだよな
なんか悲しいわ
岡田眞澄の子供の現在① 息子が家族間の軋轢を暴露
岡田眞澄さんは2006年に亡くなりましたが、死後もたびたびワイドショーで名前が挙がっています。
その理由として、2014年に、長男の岡田眞善さんが「爆報!THE フライデー」に出演した際、家族間の軋轢を暴露したからなんです。
岡田眞善さんは、岡田真澄さんの2番目の妻だった藤田みどりさんの息子です。
玉川大学を卒業後は、アパレルメーカーや番組制作会社などに勤務し、必要に応じてテレビやラジオ番組などへの出演もこなすなどタレント活動もしていました。
岡田眞善さんによると、生前の岡田真澄さんの生活は虚構に満ちたものだったようで、実際の私生活は極貧状態だったとか。
・人前で家族写真を撮る時はブランド品をレンタルしてセレブを装う。
・普段は軽自動車を利用し、パーティの時だけレンタルした高級車で会場入り。
・普段の食事はご飯にお味噌汁、おしんこ。
・眞善さんが小学生の頃は糊が買えず、ご飯粒で代用したことまであった
「仮面ノリダー」で再ブレイクした後は、仕事も増えて金回りも良くなったようですが、今度は遊びの虫が再発し、生活費も家に入れずに外で遊び歩き、ほとんど帰ってこなかったそう。
そのため、長年父親を怨んでいたという岡田眞善さんですが、闘病中の岡田真澄さんから「会いたい」と連絡があって以降は、過去の確執も氷解し、親子に戻れていたそうです。
岡田眞澄の子供の現在② 娘がミス・インターナショナル日本代表に
2018年、岡田真澄さんの長女・岡田朋峰さんがミス・インターナショナルの日本代表に選ばれたことで、再び岡田真澄さんに注目が集まりました。
岡田朋峰さんは、幼稚園から青山学院大学系列の学校に通う才女であり、当時は大学2年生。
この岡田朋峰さんの朗報に関しては、ネット上でも当初は好意的な意見が多く見られました。
103名無しさん@恐縮です2018/10/23(火) 20:13:38.53ID:4FXUhG9A0
「こんなに小さいともみを残して逝かせるなんて、神様はそんな残酷な事をなさるはずがない」って
ファンファンが亡くなる前に悔しそうに言ってたが、その娘さんがこんなに大きくなったのか。
この姿を見たかっただろうなあ…
128名無しさん@恐縮です2018/10/23(火) 20:20:44.60ID:GvzBL4YQ0
うわー
ファンファンが亡くなった後に
小さかったこの子と手を繋いで歩く後ろ姿を
写した写真があったなぁ
7歳ってもう13年も経つのかよぉ
俺たもう立たないのに
いや、ちょっと立つ
娘の活躍が新たなトラブルを生んだ
世間も好意的な反応を見せていた岡田朋峰さんのミス・インターナショナル日本代表選出の話題ですが、前妻一家にとっては決して喜べるニュースではなかったようです。
岡田眞澄さんは、藤田みどりさんと離婚する際、前妻一家に対してかなり酷い仕打ちをしていたと言われています。
「父は“映画を撮るために離婚したい。失敗したら莫大な借金を抱えてしまうから”と言ったんです。映画はお金がかかるから、慰謝料も養育費もいっさい求めないでほしいと言われ、母は応じる約束を交わしました。それなのに、一部の人たちには離婚の理由を“妻が出ていった”と話していたこともあったんです」
離婚を藤田みどりさんに申し入れる際、借金を背負わせるわけにはいかないから、という理由をつけた岡田真澄さんでしたが、それは嘘だったようです。
そのうえ、恵子さんとの結婚時には婿養子となり、本名は鑓田姓になっていました。
そのため、恵子さんとの間に誕生した娘・朋峰さんの本名は「鑓田朋峰」であり、勝手に岡田姓を名乗り、ミス・インターナショナルに出場したことに前妻一家側は憤りを隠せませんでした。
「母は、彼女がミス・インターナショナル日本代表として選ばれたとき、心の底から怒りと悔しさをにじませていました。“なんで岡田をやすやすと名乗れるの?”と信じられない様子でしたね。事情を知らないラジオのリスナーさんから“妹さん、出場おめでとう”なんてコメントが来たこともありました。彼女が“岡田”を名乗って活動すれば、そういった声を避けては通れないんですよ」
そんな複雑すぎる事情もあり、前妻・藤田みどりさんの長男である岡田眞善さんが一家を代表し、マスコミに怒りの告発をしています。
岡田眞澄の子供の現在③ 次男が自殺した理由を長男が明かす
岡田朋峰さんが岡田姓を名乗ることに異論を唱えた義兄の岡田眞善さんですが、岡田眞澄さんのこれまで明かされなかったスキャンダルも同時に暴露して話題になりました。
隠れたスキャンダルとは、前妻・藤田みどりさんとの間に生まれた三男の自殺問題でした。
岡田真澄さんの三男は、大学を卒業後、制作プロデューサーをしていたそうで、初となる全国規模の舞台興行をプロデュースする際、父である岡田真澄さんを頼ったそうです。
息子からの協力要請に快く応じた岡田さんは、三男がプロデュースする舞台演劇の主演にキャスティングされることになりました。
しかし岡田真澄さんは公演直前になって、「娘の幼稚園の運動会に行きたい」との理由で、舞台を降板するという信じられない行動に出ます。
そのせいで、舞台興行が大失敗に終わった三男は、総額で数億円もの借金を背負い、2004年に26歳の若さで失意の自殺をしてしまったと言われています。
“お母さんには何もしてあげられなかったけど、僕の遺族年金を使ってください。僕にできる最大の親孝行です”という遺書を残していました
さらに、岡田真澄さんは三男の葬儀にも出席しなかったようです。
岡田真澄さんが見せた冷酷すぎる裏の顔に対して、往年のファンたちの間でも失意の言葉が広がっていました。
49名無しさん@恐縮です2019/11/18(月) 23:25:06.21ID:0eZTAe5Z0
眞善さんやお母さん可哀想だよね
ただでさえ弟さんを、娘の運動会っていう理由で自殺に追いやったのに
父親の岡田真澄はファンファン大佐なんて言われて人気あったけど、ろくでなしの女好きの自分勝手な奴じゃん
マジで岡田姓を名乗る意味わからない
七光り欲しいだけじゃん
デリカシーにかけるし最低な母娘だよまったく
132名無しさん@恐縮です2019/11/19(火) 09:29:46.13ID:qgLAyUy/0
もともと岡田姓を名乗っていた元妻の家族からすれば、納得が行かないだろうな。
父親は元妻との家族を捨てて、名字を相手の女に合わせて「岡田」姓を捨ててまでして
別の女のところへ走ったのに、今さらその鑓田さんちの娘が「岡田」姓を名乗るっていうのはヘンだと思うわ
この娘が「岡田」姓だったことは一度もないはず。
ただ自分が岡田真澄の娘だとアピールして利用しようという魂胆があからさまだ
岡田眞澄の子供の現在④ 娘はセント・フォース所属のフリーキャスター
岡田一族の家族トラブルが明らかになったことで、華々しく芸能界デビューとはいかなくなった岡田朋峰さんは、大学を卒業後はフリーキャスターとしてセント・フォースに所属しています。
岡田朋峰さんは、もともとは女子アナ志望で、大学時代からテレビ局でアルバイトに励んでいたそうです。
ミス・インターナショナル日本代表で青山学院大学卒ともなれば、歴代の女子アナの中でもトップレベルの美貌と経歴ですから、本来はキー局に採用されてもおかしくありません。
しかし、「岡田真澄さんが父親」という出自を利用しようと岡田姓を名乗ったことが裏目に出てしまい、テレビ局側がスキャンダルを嫌って不採用になってしまった可能性もありますね。
岡田眞澄のまとめ
岡田眞澄さんは、数々の女性との間に浮名を流したプレイボーイであり、晩年はお茶の間の人気タレントとして活躍しました。
しかし、死後に息子が暴露したエピソードによると、私生活はボロボロで前妻家族はかなり苦しんでいたことが明らかになっています。
最後に岡田真澄さんのご冥福を祈りつつ、この記事のまとめを終了させていただきます。