日本を代表する映画監督の是枝裕和さんですが、韓国国籍の噂があります。
今回は是枝裕和さんのプロフィールや身長、家族、韓国との関係、生い立ちや学歴(早稲田大学)や経歴、映画の代表作、年収、結婚した嫁や子供をまとめました。
この記事の目次
是枝裕和は日本を代表する映画監督
出典:realsound.jp
是枝裕和
生年月日:1962年6月6日
出身:東京都練馬区
所属:制作者集団「分福」
活動:映画監督
是枝裕和さんは東京都練馬区出身の映画監督です。
ドキュメンタリー番組のディレクターを務めた後に、映画監督としてデビューしました。
家族をテーマにした作品が多いことや、企画・脚本・監督・編集を全部自らが行うことことが特徴です。
是枝裕和さんの映画は国内はもちろん、海外でも高く評価されていて、是枝監督の映画作品はヴェネツィア国際映画祭やカンヌ国際映画祭の常連となっています。
是枝裕和の身長
出典:waseda.jp
是枝裕和さんの身長は165~170cmと思われます。映画監督ですので、芸能人のようにプロフィールで身長を公開しているわけではありません。
ただ、舞台挨拶で芸能人の隣に立っている画像から、おおよその身長を推定することができます。
まずは福山雅治さん(身長181cm)との画像。
次に、万引き家族の舞台あいさつで、山田裕貴さん(身長178cm)の隣に立っている時の画像。
これを見ると、福山雅治さんとは15cmくらいの身長差で、山田裕貴さんとは10cmくらいの身長差に見えます。
ここから、是枝裕和さんの身長は165cmから170cm程度と推測できるのです。
是枝裕和の実家の家族
是枝裕和さんの実家の家族構成から見ていきましょう。
・父親
・母親
・姉(9歳上)
・姉(6歳上)
・是枝裕和
是枝裕和さんは6人家族でした。9歳年上の姉と6歳年上の姉とは、年齢が離れていたため、兄弟という感覚はなかったとのことです。
姉たちとは年が離れているので、姉弟(きょうだい)という感覚はないですね。ボロボロの長屋でしたよ。
祖父は奄美大島出身
是枝裕和さんは鹿児島県にルーツを持つ方です。
曾祖父は鹿児島県出身で、鹿児島から奄美大島に移住したそうです。そして、是枝監督の祖父は奄美大島で生まれました。
この祖父は台湾に渡っています。祖父が台湾に渡ったのは、1920年以前のことでした。
戦後には是枝裕和さんと一緒に住んでいますが、是枝監督が物心ついたころには、すでに認知症になっていたとのことです。
祖母はすでに亡くなっていて、両親と9つ上と6つ上の姉2人とぼけちゃった祖父と僕の6人家族でした。
父親は台湾生まれ
父親は大正9年(1920年)に台湾で生まれて、台湾で育っています。当時の台湾は日本統治下にありました。
太平洋戦争が始まると、是枝裕和さんの父親は日本軍に召集され、中国に出征します。そして、そこで終戦を迎えました。
軍隊での生活は是枝監督の父親にはかなりきつかったようで、毎日殴られていたそうです。
そして敗戦濃厚の情報が入ると、上官たちは部下を残してみんな逃げ出してしまい、是枝監督の父親たちが途方に暮れているところに、ソ連軍が侵攻してきて、シベリアに抑留されます。
父は生まれた台湾で召集され、戦地でシベリアに抑留され、敗戦から3年後に初めて本土の土を踏んだ。是枝はいうなれば、日本近代棄民の末裔なのである。
シベリア抑留が終わり、ようやく父親が日本に帰れたのは敗戦から3年後の1948年でした。
ただ、「日本に帰国」と言っても、台湾生まれの父親はこの時初めて日本の地を踏んだのです。
しかも、当時の日本は「シベリアで抑留されていたソ連帰り」というだけで偏見の目で見られ、ソ連帰りで共産党の教育を受けているのではないか?と見られることが多かったようです。
当時、「シベリア帰り」って、向こうで共産党教育を受けているから、戻ってきたら組合活動をするんじゃないかと思われていて、すごく嫌がられていたというのは後になって知りました。だから父親はまともに就職できず、いろいろな仕事を転々としています。僕が小学生ぐらいのときは、町工場で働いていましたけど博打(ばくち)が好きで…(笑)。
しかも、博打が好きだったために、父親は生活力があるタイプではありませんでした。
母親は裕福な家出身
是枝裕和さんの母親は、埼玉県川越市にあったタバコ卸売業をしていた家に生まれています。実家は羽振りが良く、4人兄弟の末っ子で、上3人はみんな男という家庭でした。
しかし、両親は早くに亡くなってしまい、結婚した兄の家に居候して銀行の仕事に通っていたとのことです。
そして、台湾出身でシベリア帰りの父親とお見合い結婚します。
父親は「結婚相手」としては条件は悪かったものの、母親も早くに両親を亡くしていたため、良い条件の相手とお見合いすることはできなかったようです。
真面目だけが取りえということで父と結婚したのに、「全然、真面目じゃなかった」って、ずっと怒っていましたね。
母親は映画が好きで、是枝裕和さんは母親によく映画に連れて行かれていたと話していました。
是枝裕和の国籍は韓国ではなく朝鮮籍?
出典:sankei.com
是枝裕和さんの国籍は韓国ではないか?という噂がありますが、韓国籍ではありません。
是枝裕和さんは朝鮮籍です。これは自分で告白しています。
昭和後期に生まれた私に唯一存在する戦争の爪痕といえば、私が親から受け継いだ朝鮮籍という記号です。これは「植民地時代に帝国臣民として朝鮮半島から日本に渡り、戦後も日本に暮らす人」を意味しており、私は法律的には無国籍です。
朝鮮籍とは日本統治時代に朝鮮半島から日本にやってきて、そのまま日本に住んでいる人たちの中で、韓国籍を選んでいない人のことです。
是枝裕和さんのルーツは鹿児島ですので、コリアンではありません。
しかし、父親が日本統治下の台湾出身で、戦後にシベリアから日本に来たという複雑な生い立ちを持っているため、「朝鮮籍」に分類されたのでしょう。
是枝裕和さん自身もおっしゃっていますが、是枝裕和さんは法律的には無国籍となるので、パスポートは持っていません。
パスポートを持たずに世界中を旅し、時には別室に連れていかれ「お前は何人なんだ」と質問をされる度に、私は自分の祖先の過去を思い出します。
是枝裕和さんはおそらく「再入国許可証」をパスポート代わりにしていると思われます。
韓国映画を撮ったから韓国籍と勘違い?
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是枝裕和さんのルーツは朝鮮半島・韓国にはありません。朝鮮籍ではあるものの、ルーツは鹿児島・奄美大島・台湾にあります。
それなのに、なぜ韓国籍という噂が出るのでしょうか?
2.韓国映画を撮ったから
朝鮮籍と韓国籍の違いがイマイチ分からない人は多いと思います。朝鮮籍と聞いて、韓国出身と思いこむ人は少なくないでしょう。
また、是枝監督は2021年に韓国映画の「ベイビー・ブローカー」を撮影しています。韓国人俳優を起用して韓国映画を撮ったことから、韓国籍と思われるようになったのでしょう。
是枝監督が韓国映画を撮影した理由は、撮りたい役者が韓国にいたからとのことです。
今回は、撮りたいと思う役者さんがたまたま韓国にいただけ。役者ありきです。
引用:「ベイビー・ブローカー」なぜ海外俳優? 是枝裕和「撮りたい役者が韓国にいただけ」(1/2)〈週刊朝日〉 | AERA dot. (アエラドット)
韓国人だから、韓国映画を撮ったということではないようです。
是枝裕和の生い立ち
是枝裕和さんは子供の頃、経済的に苦しい生活を送っていました。
時代的には昭和40年代でしたが、水道が引かれていなかったので、共同の井戸があって、生活用水は井戸水なんですよ。だから僕もバケツで井戸水をくんで、それを風呂おけに入れて薪(まき)でたいてという、ひと昔前の生活を送っていた。便所はくみ取りでしたが、一応家の中にはありましたね。
9歳までは練馬区の長屋のような場所に住んでいましたが、9歳になると清瀬市にある清瀬旭が丘団地に引っ越します。この清瀬旭が丘団地で28歳まで過ごしました。
子供の頃は優等生で、小学校の頃はリレーの選手に選ばれていました。
また、東京オリンピックの男子バレー金メダルに感動して、中学・高校ではバレー部に入り、高校では部長も務めています。
是枝裕和の学歴は早稲田大学卒
是枝裕和さんの最終学歴は早稲田大学卒業です。
・大学:早稲田大学第一文学部
高校まではバレー部に所属していましたが、小説家になりたいと思い、早稲田大学第一文学部に進学します。
しかし、大学にはあまり行かなくなり、山田太一や倉本聰、向田邦子などのシナリオを読み、映画・映像作品に興味を持つようになりました。
大学の周辺の映画館が、基本的に僕の居場所になっていった。その頃、何となく「映像かな」という思いも芽生えてきて、脚本を読んだり、というのが10代の終わりから、20歳くらいの時期ですね。
大学時代には年間300本の映画を見ていたとのことです。
なお、大学は1年留年したものの、無事卒業しています。
是枝裕和の経歴
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是枝裕和さんは大学時代に、映像制作と小説家の両方に興味を持っていました。
進路を迷っていましたが、第一志望で憧れの会社だった日本初の独立系テレビ番組制作会社「テレビマンユニオン」に内定をもらったため、入社を決めました。
最初はADとして、次のような番組を担当していました。
・そこが知りたい
・遠くへ行きたい
・世界ふしぎ発見!
ADの日々はとてもつらいものでした。
毎日がつらかったですね。もう毎日辞めたいと思っていました。とくに、ある番組の現場がひどくて。パワハラ(パワーハラスメント)というか、怒鳴ったり、殴ったりするんですよ。僕の友人も殴られて辞めていきました。
その後、ドキュメンタリー番組のディレクターとして、「しかし… 福祉切り捨ての時代に」・「もう一つの教育〜伊那小学校春組の記録〜」などを製作します。
テレビマンユニオン在籍中の1995年からは映画監督として活動するようになり、2014年には製作者集団「分福」を立ち上げて独立し、さらに映画製作や本の執筆などに取り組んでいます。
是枝裕和の映画代表作
是枝裕和さんの映画の代表作は、これまでの作品全部と言えるかもしれません。
→ヴェネツィア国際映画祭 金オゼッラ賞など
・1999年:ワンダフルライフ
→ナント三大陸映画祭 グランプリなど
・2001年:DISTANCE
→第16回高崎映画祭 最優秀作品賞
・2004年:誰も知らない
→第77回アカデミー賞外国語映画賞部門・日本代表作品など
・2006年:花よりもなほ
→第21回高崎映画祭 最優秀作品賞
・2008年:歩いても 歩いても
→第56回サン・セバスティアン国際映画祭 脚本家協会賞など
・2008年:大丈夫であるように -Cocco 終らない旅-
・2009年:空気人形
→第24回高崎映画祭 最優秀作品賞
・2011年:奇跡
→第59回サン・セバスティアン国際映画祭 最優秀脚本賞
・2013年:そして父になる
→第66回カンヌ国際映画祭 審査員賞
・2015年:海街diary
→第39回日本アカデミー賞 最優秀監督賞、最優秀作品賞、優秀脚本賞、編集賞など
・2016年:海よりもまだ深く
→第26回フィルムズ・フロム・ザ・サウス映画祭 シルバー・ミラー賞(最高賞)
・2017年:三度目の殺人
→第41回日本アカデミー賞 作品賞、監督賞、脚本賞、編集賞など
・2018年:万引き家族
→第71回カンヌ国際映画祭 パルム・ドールなど
・2019年:真実
→第76回ヴェネツィア国際映画祭のコンペティション部門でオープニング作品
・2022年:ベイビー・ブローカー
是枝監督の映画作品のタイトルを「1つも聞いたことがない」という人はいないでしょう。世間一般的に特に有名なものは、次の4作品かもしれません。
・そして父になる
・海街diary
・万引き家族
「誰も知らない」では、柳楽優弥さんがカンヌ国際映画祭で最優秀男優賞を最年少で受賞して大きな話題になりました。
「そして父になる」では福山雅治さんの新たな一面を引きだした映画です。
「海街diary」は人気漫画作品の実写化で、綾瀬はるかさん、長澤まさみさん、夏帆さん、広瀬すずさんという4人の人気女優の魅力を最大限に引き出して話題になりました。
「万引き家族」は、カンヌ国際映画祭のパルム・ドールを受賞し、日本でも大ヒットしました。
是枝裕和の年収とは?
是枝裕和の年収は発表されていないので、わかりません。しかし、日本を代表する映画監督の割には、意外と年収は低い可能性があります。
なぜなら、日本の映画業界はスタッフの年収が低いからです。
団体の名称は「日本版CNC設立を求める会」(通称:action4cinema)。日本の2019年の興行収入は2600億円と過去最高益だった。一方、業界で働く人の現状を見ると、年収300万円未満が6割以上を占め、大部分は映画だけでは生活できない。
引用:日本映画、最高益でも働く人の6割は年収300万円未満…是枝監督ら共助目指し新団体<役所広司さん動画>:東京新聞 TOKYO Web
是枝監督は、映画スタッフの待遇改善のための活動をしています。
さすがに、是枝監督くらいのネームバリューがあれば、年収は1000万円は超えているはずです。
しかし、「日本を代表する映画監督&海外進出もしている」割には、それほど年収は高くない可能性が高いんです。
近年、是枝裕和さんが海外進出しているのは、自分を含めた映画スタッフを待遇改善の目的もあるのかもしれません。
是枝裕和は結婚している?嫁や子供は?
是枝裕和さんは現在結婚して、お子さんもいらっしゃいます。
Q12
家族ができてから変わったことがありますか。
結婚したのが8年前、子どもが生まれたのが3年前。子どもが生まれてからは早起きになりました。というか、二度寝をする習慣がつきました(笑)。4時くらいに寝て7時にいったん子どもに起こされて、もう一度寝ています。
引用:監督クローズアップ 是枝裕和監督 | LOCATION JAPAN.net ロケ地から、日本を元気に!ロケーションジャパン
2018年の記事ですから、結婚したのは2010年頃で、お子さんが生まれたのは2015年頃と思われます。
是枝裕和のまとめ
是枝裕和さんのプロフィール・身長、家族、韓国国籍の噂、学歴(早稲田大学)・経歴、映画の代表作、年収、結婚した嫁や子供をまとめました。
是枝裕和さんのこれからの作品に期待したいですね。海外作品も良いですが、また日本映画も見たいですね。