元プロ野球選手の桑田真澄さんですが、現役時代の本人のスターぶりもさることながら、現在は息子のMattさんがタレントとして活躍し話題となっています。
この記事では、素行不良だった桑田真澄さんの若手時代のエピソード、父・母・兄弟、そして結婚した嫁と2人の子供(長男・次男)など現在までを総まとめしました。
この記事の目次
桑田真澄のプロフィール
名前:桑田真澄(くわた ますみ)
生年月日:1968年4月1日
出身地:大阪府
桑田真澄、盟友・清原和博との運命を分けたKKドラフト事件
桑田真澄さんといえば、PL学園のエースとして、1983年夏から1985年夏にかけて5大会連続で甲子園出場を果たし、2度の優勝と2度の準優勝を達成したことで知られている伝説的な野球選手となります。
同僚の清原和博さんと共に「KKコンビ」と呼ばれ、国民的スターとなっていた桑田さんですが、高校を卒業後の進路については、早稲田大学への進学を表明して受験勉強に打ち込んでいた他、東京六大学の試合観戦にまで行く熱の入れ様でした。
しかしながら、これらの行動はすべて読売ジャイアンツの伊藤菊雄スカウトが「KKコンビ」を二頭取りするために仕組んだ策略だったそうで、実際は読売ジャイアンツからドラフト2位での指名が内定していました。
とはいえ、そんな読売ジャイアンツ側の思惑に気が付いていた球団もあり、西武ライオンズが桑田さんの強行指名を匂わすデコイ情報を流すなど、水面下では情報戦が起こっていたようですね。
甲子園の通算本塁打記録を持つ清原さんに対しては6球団の指名が予想されていたため、「KKコンビ」のどちらも獲得出来ない可能性を憂慮した読売ジャイアンツ側は、ドラフト会議前日になると、当初のプランを変更して桑田さんの1位指名に転じることになりました。
そして迎えた1985年11月のドラフト会議では、事前の予想通り6球団に指名された清原さんは抽選の末に西武ライオンズへの入団が決まり、桑田さんは読売ジャイアンツに一本釣りをされるといった結果に終わりました。
桑田真澄の現役時代~女癖の悪さや野球賭博関与の噂も
「桑田が入寮で上京したとき、当時の正力(亨)オーナーの命令で東京駅に迎えに行き、ホテルでフランス料理のフルコースを食べた。巨人軍の選手として恥ずかしくないよう、テーブルマナーを教えろということだった。ところが桑田はナイフもフォークの使い方も手慣れていたし、食事が終わるとディスコに行きたいと言い出した。その世慣れた態度に、ははあ、これはこれまで思惑を持った周囲の人間に、相当遊ばせてもらっているなと思いました。金銭や供応に対して脇の甘さも感じました」
桑田真澄、アメリカ人モデル・アニータに暴露本を出版される
プロ入り2年目となる1987年には「15勝6敗 防御率2.17」の好成績を残し、最優秀防御率のタイトルを獲得するなど若くして球界のエースとなっていた桑田真澄さんでしたが、1989年8月になると、元カノから暴露本を出版されるといったスキャンダルが勃発します。
桑田真澄、野球賭博疑惑が浮上したこともあった
その中で、桑田が親しくしている会員制メンバーズクラブの社長に登板日を教えたらしい旨の記述や会員の勧誘に成功の報酬として現金をもらう記述があり、さらに同社長がかつて常習賭博罪で有罪判決を受けたことも明らかになったため、桑田が野球賭博に関与しているのではないかとの憶測を招き、その件も週刊誌やスポーツ紙等で騒がれることとなった
引用:桑田真澄
若手時代はスキャンダルの宝庫だった桑田真澄さんですが、1995年5月に右肘の靭帯の断裂という大怪我をしたことをきっかけに、イメージが一変することになります。
怪我の原因がピッチャーフライをダイビングキャッチした際に右肘を強打したことだったため、当初は「仮病」だの「わざと怪我をした」だのと意地の悪い言葉がスポーツ新聞に踊った桑田さんですが、復帰までに2年近くかかった重傷でした。
本来ならそのまま引退してもおかしくない状況の中で、手術後はひたすら2軍練習場で走り込みを続けていた桑田さんに対しては、この頃から求道者といったイメージが付き始めるようになりました。
ボールを投げられない期間が続いたが「下半身は鍛えられる」と桑田はただひたすらジャイアンツ球場で走った。桑田が走り続けた部分の芝は剥げ上がり、現在では「桑田ロード」と呼ばれ伝説となっている。
桑田真澄の結婚した嫁は元CA~息子・Mattの容姿から外国人嫁の噂も
桑田真澄の嫁・真紀さんは純日本人【嫁画像あり】
真紀さんは現在はMattとしてタレント活動を行う将司さんのマネージャーを務めているといい、2021年4月には子育てについて綴った著書「あなたはあなたのままでいい~子どもの自己肯定感を育む桑田家の子育て~」を出版しています。
出典:https://saikonowatchmuryogazo.blogspot.com/
2022年10月には、Mattさんがゲスト出演した「週刊さんまとマツコ」に真紀さんも急遽出演しテレビ初顔出しとなりました。
出典:https://riokasama.com/
真紀さんは明石家さんまさんとマツコ・デラックスさんが絶賛するほどの美貌で、SNSにも「マスクしててもキレイなの分かる」「美しすぎる」など多くの反響が寄せられていました。
桑田真澄の子供(長男・次男)について
桑田真澄の長男・桑田真樹は独立リーグのプロ野球選手を経てゴルフの道に
桑田真澄さんの長男・桑田真樹さんに関しては、1992年8月10日に生まれています。
桑田さん同様に野球少年だった真樹さんは、中学時代はボーイズリーグでプレーをし、全国大会ベスト16に入ったこともありました。
その後は伸び悩み、桜美林高校時代は甲子園出場を逃した真樹さんは、進学先の桜美林大学でも野球部に入部しておりますが、レギュラーを獲得したのは大学4年時と苦労を重ねたようですね。
本来ならば野球は大学までといった経歴の真樹さんですが、プロ野球でプレーをしたいという強い思い入れがあったために、独立リーグに当たるBCリーグへ進むといった茨の道を歩むことになりました。
BCリーグでの真樹さんは、2018年までの通算成績が「190試合 打率227 本塁打8 打点60」と苦戦を強いられていたようです。
そんな真樹さんは2018年いっぱいで所属していた「滋賀ユナイテッドベースボールクラブ」を退団し、現在はゴルフに取り組んでいるとのことです。
桑田真澄、次男・Mattはハーフ顔の人気タレントに
桑田真澄さんには、1994年7月18日生まれの次男・桑田将司さんもいます。
近年はMattの芸名でモデルやタレントとして活躍中の将司さんですが、小学時代は野球に打ち込んでいた時期もあったそうです。
とはいえ、野球はあまり性に合わなかったと語る将司さんは、中学進学後は吹奏楽部に入部しており、堀越高校時代には「第52回東京都高等学校吹奏楽コンクール」で金賞を取ったこともありました。
その後は、楽器推薦で桜美林大学の芸術文化学群に進学した将司さんは、大学を卒業後は芸能人に転身しております。
堀越高校時代の桑田将司さん
将司さんといえば、昔とあまりに容貌の変化が激しすぎるために、ネット上では整形疑惑が囁かれていますが、本人はメイクによるものだと主張しているようですね。
桑田真澄の家族情報~義兄の借金13億円を肩代わりしていた
桑田真澄、父・桑田泰次さんは火災により67歳で死亡
桑田真澄さんの父親である桑田泰次さんに関しては、10代の頃はやんちゃな不良だったらしく、保護観察処分まで受けた過去があったそうですね。
そんな泰次さんも桑田さんが生まれて以降はスパルタな野球コーチに変身し、ワンツーマンで我が子を鍛えるようになりました。
毒親な部分があった泰次さんの育成方法はかなり極端なものだったそうで、小学時代は野球の練習のために桑田さんを授業に出席させないことも当たり前だったとか。
そのせいで、給食を食べるためだけに小学校に登校する日々が続いた桑田さんは、現在ではスパルタ練習(長時間練習)否定派となっています。
あまりにワンマンすぎた泰次さんは、妻・Aさんとも衝突することも多かったらしく、桑田さんがプロ入りした後は離婚の憂き目となってしまいました。
その後は静岡県浜松市に移り住んだ泰次さんは、喫茶店を経営しながら「浜松ジャイアンツボーイズ」という少年野球チームを運営していたそうですが、2010年1月に自宅兼店舗の火事により67歳の若さで亡くなってしまったそうですね。
ちなみに生前の泰次さんは、正月になると桑田さんが新年の挨拶にやって来る程度に家族との交流が続いていたと言われております。
桑田真澄、PL学園中退を踏み止まった母親の一言
桑田真澄さんの母・Aさんについては、破天荒すぎる父・桑田泰次さんとは違いごく一般的な女性だったようですが、挫折した桑田さんを叱咤して立ち直らせたエピソードが有名となっています。
桑田真澄の現在~巨人のファームチームの総監督に
現役時代からいずれは指導者の道に進むことを希望していたという桑田さんは、スポーツ庁参与の任期を終えた後、2021年1月に巨人の一軍投手チーフコーチ補佐として現場復帰を果たしました。
2022年からは投手チーフコーチを務めており、2023年からは巨人の下部組織であるファームチームの総監督を務めることが決定しているとのことです。
桑田真澄について総まとめすると…
・桑田真澄は姉の旦那が不動産投資で失敗した借金13億円を肩代わりした
・桑田真澄は1991年12月にキャビンアテンダントをしていた真紀さんと結婚した
・桑田真澄の長男はプロ野球選手として独立リーグに在籍した後ゴルフの道に進み、次男・Mattはハーフ顔のタレントとして活躍している