昭和中期に起こった「草加次郎事件」ですが、当時のスター芸能人たちも狙われた事件なうえ、物証もそれなりに残っていたのにも関わらず未解決に終わっています。
この記事では、「草加次郎事件」の詳細、真相と犯人像、冤罪や真犯人の噂などその後・現在までまとめてみました。
この記事の目次
草加次郎事件とは…最初の被害者は歌手・島倉千代子の関係者だった
「草加次郎事件」とは、1962年から1963年にかけて起こった連続爆弾物事件となります。
その後の愉快犯的テロリズムの先駆けとなったとも言われている「草加次郎事件」は、東京・品川区にあった歌手・島倉千代子さんの後援会事務所に、小包型の爆弾が郵送されたことから始まりました。
1962年11月4日に起こったこの事件では、後援会事務所の事務員が件の小包を開封したところ発火したため、全治2週間の火傷を負っています。
23歳の男性事務職員が封を開けると、中から細長い筒が出てきた。筒の中には紙が入っており、その紙を引っぱると筒が爆発した。筒から紙を取り出すと、中に仕込んであるマッチがこすれて火薬に引火する仕掛けになっていた。筒の裏には「草加次郎」と「K」と書かれていた。
引用:草加次郎事件
草加次郎事件の犯行一覧…まさに無差別テロ状態だった
草加次郎事件② ホステス宅にも小包爆弾が郵送されていた
「草加次郎事件」の2人目のターゲットとなったのは、東京・港区に住む41歳のホステス女性でした。
ホステス女性宅には、1962年11月13日になると、島倉千代子さんの後援会事務所に届いた小包爆弾と同じタイプの爆弾物が郵送されていたようですが、この時は運良く出火することはなかったと言われております。
爆弾物の筒の裏には「杉加次郎」とのサインがあったものの、鑑定の結果、前回の事件と同一人物による筆跡であることが判明しています。
草加次郎事件③ 有楽町ニュー東宝劇場も被害にあった
「草加次郎事件」では、1962年11月20日になると、東京・千代田区にある「有楽町ニュー東宝劇場」にも爆弾物が設置されています。
この時の事件では、3階ロビーに設置されていた円筒型のボール箱が爆発しており、19歳の女性客が全治1週間の火傷を負ってしまいました。
円筒型のボール箱には、乾電池と火薬が仕込まれており、衝撃が加わると電流が流れて爆発する仕組みになっていたそうですね。
ちなみに、この時も爆破物には「草加次郎」とのサインが残されていたと言われております。
草加次郎事件④ 日比谷映画劇場にも爆弾物が仕掛けられていた
「草加次郎事件」については、1962年11月26日にも東京都千代田区にある「日比谷映画劇場」で爆破事件が起こっています。
この時の騒動では、2階にある男性トイレの洗面台に前回の事件と同じタイプの爆破物が設置されていたそうで、47歳の女性従業員が誤って床に落下させてしまい、爆発することになりました。
「日比谷映画劇場爆発事件」では、爆破物より「草加次郎」とのサインの他にも犯人の物と思われる指紋が検出されるなど、大きな手掛かりが発見されていました。
草加次郎事件⑤ 電話ボックスにまで爆弾が仕掛けられていた
「草加次郎事件」に関しては、1962年11月29日になると、東京・世田谷区にある電話ボックス内で爆破事件も起こっています。
この時の事件では、25歳の男性会社員が電話ボックスの棚に置いてあった詩集を手に取りしおりを引き抜いたところ、本が爆発して全治5日間の火傷を負ってしまったとか。
本の真ん中には穴がくり抜いてあり、その穴にニクロム線を配線した電池と黒色火薬が詰められていた。しおりのような紙切れを引くと火薬が発火する仕組みになっていた。しおりのような紙切れには「草加次郎」と書かれていた。
引用:草加次郎事件
ちなみに、爆発した詩集には、犯人の物と思われる指紋も残されていたそうですね。
草加次郎事件⑥ 浅草寺も狙われていた
「草加次郎事件」に関しては、1962年12月12日になると、東京・台東区にある浅草寺にも爆弾物が設置されています。
この時の騒動では、浅草寺境内の切り株の上に置いてあった推理小説が電話ボックスの事件と同じ構造の爆弾物となっていたそうで、たまたま本を発見した警備員が全治1週間の火傷を負ってしまいました。
ちなみに、本に付いた指紋を完全に拭き取ることは難易度が高いのか、浅草寺の事件についても推理小説から犯人の物と思われる指紋が検出されたそうですね。
草加次郎事件⑦ おでん屋の店主が銃撃されていた
「草加次郎事件」では、東京・台東区にある上野公園にて、おでんの屋台を営む27歳の男性が銃撃されるといった騒動も起こっています。
1963年7月15日に起こったこちらの事件については、当初は的屋同士の縄張り争いの末の悲劇だと思われていたものの、後日に草加次郎より犯行声明があったそうですね。
事件から10日後の7月25日、上野警察署に1通の封書が届く。封筒の中には弾丸が一発入っているだけで、他に手紙らしいものはなかった。この弾丸は鑑識の結果、おでん屋台店主の体から摘出した弾丸と材質や大きさが同じであった。
封筒の裏には「草加次郎」と書かれており、前年の連続爆破事件で残された「草加次郎」の筆跡と一致した。
引用:草加次郎事件
ちなみに、被害者となったおでん屋の店主は、左肺に銃弾を受けた結果、全治3か月の重傷を負うことになりました。
草加次郎事件⑧ 女優・吉永小百合もターゲットにされていた
「草加次郎事件」では、女優の吉永小百合さんもターゲットにされていました。
爆弾物こそ郵送されなかった吉永さんですが、1963年5月から9月にかけて、草加次郎より自宅に7通もの脅迫状が送りつけられ、現金を要求されていたそうですね。
とはいえ、草加次郎は指定日時になっても現金受け渡し現場に顔を出すことはなかったそうで、数百人単位の捜査員を動員して張り込ませていた警察の努力も空振りに終わってしまったとか。
実際、小百合の父親が犯人の指定した上野の喫茶店に出向いたが、犯人は現れなかった。急行列車から指定場所に現金を投下する指示もあったが、お金の受け渡しはなかった。
草加次郎事件⑨ 地下鉄でも爆破事件が起こった
「草加次郎事件」では、1963年9月5日になると、営団地下鉄(現:東京メトロ)まで標的にされています。
この時の事件では、「営団地下鉄銀座線」の車両内に時限爆弾が設置されていたそうで、京橋駅に停車中に爆発をした結果、乗客10人が負傷することになりました。
「営団地下鉄銀座線爆破事件」に関しては、時限爆弾の時計の裏ぶたに「次は10日後」との犯行予告も存在したようですが、その後に草加次郎が再度の犯行に及んだとのニュースはない状況です。
草加次郎事件は模倣犯も出現した…渋谷東横デパートが爆破された
有名人や商業施設を次々に襲った無差別テロ事件である「草加次郎事件」だけに、模倣犯も出現しています。
「草加次郎事件」における代表的な模倣事件については、「渋谷・東横デパート爆発脅迫事件」が挙げられます。
1963年7月から8月にかけて起こったこちらの事件に関しては、「渋谷東横デパート(現:東急百貨店東横店)」が現金を脅迫され、トイレなどの施設を爆破された騒動となります。
〇1963年7月24日
・渋谷東横デパートに現金500万円を要求する脅迫電話
・捜査員が張り込むも指定された現金受け渡し現場に犯人は現れなかった
・西館9階の男子トイレが時限爆弾により爆破されるも怪我人なし
〇1963年8月11日
・何の予告もなく東館屋上が爆破されるも怪我人はなし
〇1963年8月14日
・渋谷東横デパートに届いた速達小包が爆発して職員が負傷
・速達小包には現金を要求する脅迫状も入っていた
・現金受け渡し現場に犯人は現れずに以降は脅迫もストップ
「渋谷・東横デパート爆発脅迫事件」では、犯人は草加次郎を自称していた一方で、脅迫状の筆跡も使用していた爆弾物の構造も違っていたため、模倣犯であることが濃厚となっています。
とはいえ、「渋谷・東横デパート爆発脅迫事件」においても警察は犯人を逮捕することが出来ず、未解決事件で終わってしまいました。
草加次郎事件のその後…1978年に迷宮入りしていた
「草加次郎事件」に関しては、警視庁はのべ1万9000人もの人員を投入して決死の捜査に当たっていたと言われております。
そのため、特に前科がなくても火薬や爆弾の知識を有しているだけで捜査対象となってしまったらしく、草加次郎候補としてリストアップされた人物は9600人にも及んだそうですね。
しかしながら、指紋という決定的な物証が残されていたのにも関わらず、犯人を特定することは出来なかったため、「草加次郎事件」は1978年9月5日に時効を迎えて迷宮入りしています。
草加次郎事件の犯人像とは?…社会に不満を持った若者だった?
警察の捜査の手から逃げ切り、見事に時効を勝ち取った草加次郎ですが、犯人像については15歳から30歳くらいまでの男性であり、東京・台東区の西部か常磐線沿線在住ではないかとの説が流布されています。
・社会に不満を持った失業者か受験生
・ガンマニアで機械いじりが得意で科学的な知識が豊富
・前科はなく表向きの素行は良好
草加次郎が突然犯行を中止した理由については、「営団地下鉄銀座線爆破事件」にて多数の被害者が出たことに罪悪感を感じたのではないかとの憶測も存在します。
しかしながら、おでん屋の店主を銃撃して重傷を負わせた攻撃性を踏まえると、草加次郎にそんな良心が残されていたかどうかは疑問となります。
そのため、草加次郎が突如として犯行を取りやめた理由に関しては、再就職が決まったなどといった私生活の変化で、社会への不満が解消されたのかもしれませんね。
草加次郎事件の冤罪と真犯人の噂とは?…草加事件との誤認だった
「草加次郎事件」は、たまたま名称が似ていた「草加事件」と混同されてしまった結果、冤罪事件だったとの噂まで発生してしまったそうですね。
「草加事件」については、1985年7月に埼玉県草加市で起こった女子中学生殺人事件となります。
こちらの事件では、草加市内に住む少年たちが犯人として逮捕されたものの、物証やアリバイの観点から冤罪であったことが明らかになっていますが、結局のところ真犯人は捕まらずに時効を迎えています。
草加次郎事件の現在…創作物の題材としての需要は少なかった
「草加次郎事件」の現在に関しては、昭和を代表する有名未解決事件なのにも関わらず、漫画「東京事件」や小説「水の眠り灰の夢」の題材となった程度に留まっており、ドラマや映画化はされていない状況です。
「草加次郎事件」がドラマや映画の題材にならなかった理由については、吉永小百合さんや島倉千代子さんといった大物芸能人が標的とされたため、芸能界内でも配慮があったのかもしれませんね。
草加次郎事件についてまとめてみると…
「草加次郎事件」に関しては、犯人が指紋や筆跡といった物証を残していたにも関わらず、警察の捜査の手を逃れ続けた未解決事件ということになります。
防犯カメラがあれば、犯人もすぐに捕まっていたと思われるだけに、まさに時代に恵まれた事件だったと言えます。