2009年8月に大分県立竹田高校剣道部で顧問の坂本忠文から激しい体罰を受けた部員の工藤剣太さんが死亡するという事件がありました。
この記事では竹田高校剣道部の工藤剣太さん死亡事件の概要、顧問の坂本忠文の体罰と事件のその後、現在などについてまとめました。
この記事の目次
竹田高校剣道部の元顧問・坂本忠文の起こした体罰死亡事件の概要
2009年8月22日、大分県竹田市竹田にある県立高校・竹田高校の剣道部で、所属していた部員の工藤剣太さん(当時17歳)が朝から行われていた練習中に倒れて病院に搬送され、その日のうちに死亡する事件が起こりました。
工藤剣太さんの死因は熱射病による多臓器不全でしたが、この日の剣道部の練習場は気温が36度まで上昇した過酷な環境の中で行われており、この剣道部では伝統的に水分補給は最小限に止めるという間違った指導方針がとられていました。
さらに、事件後の調査で、剣道部顧問の坂本忠文が、死亡した工藤剣太さんに激しい体罰を加えていた事が判明しました。
竹田高校剣道部の体罰事件の経緯① 高温状態不十分な水分補給で激しい練習
その日の竹田高校剣道部の練習では、午前10時半頃に打ち込み練習が始まっていますが、練習場の高気温と水分補給の不足から熱中症の症状でトイレに嘔吐しに行く部員が続出しています。
顧問の坂本忠文は、そうした生徒を案ずるどころか、竹刀で腰を叩くなどの体罰を与えていたという事です。
竹田高校剣道部の体罰事件の経緯② 工藤剣太さんは1人激しい練習をさせられた
出典:https://assets.st-note.com/
死亡した工藤剣太さんは竹田高校剣道部の主将でした。そのため、顧問の坂本忠文は事さら厳しく指導し、他の部員らが終了した後も1人延々と打ち込み練習を続けさせられました。
工藤剣太さんは主将の立場もあり、ひたすら練習を続けたようですが、次第に意識が混濁し、壁に頭を何度もぶつけるほどふらつくようになったようです。
そしてついに、工藤剣太さんは「無理です」と言うと跪き、心配した他の部員らに起こされるも、竹刀を取り落としているのに、持っているように構える格好を取るなどの異常行動を取り始めました。
竹田高校剣道部の体罰事件の経緯③ 顧問の坂本忠文が倒れた工藤剣太さんに暴行
ところが、顧問の坂本忠文は「芝居やろうが!きついフリするな!」などと叫んで、工藤剣太さんを突き飛ばすようにしました。すると、工藤剣太さんはあらぬ方向へと走り出して壁に激突して頭から出血。「あーっ!」と叫ぶと崩れ落ちるようにその場に倒れました。
すると、顧問の坂本忠文は倒れた工藤剣太さんに馬乗りになり、「俺は熱中症の人間を何人も見ている、そんなのは熱中症じゃねぇ!」などと怒鳴りながら剣太さんに10数発の往復ビンタを浴びせています。このビンタは、壁にぶつかった時の傷跡から血が飛び散るほどの勢いだったという事です。
竹田高校剣道部の体罰事件の経緯④ 白目を剥いた工藤剣太さんを30分近く放置
顧問の坂本忠文からの体罰を受けても、工藤剣太さんは何の反応を示さなくなり、目を見開いて白目を剥いて倒れていました。この時、他の部員らが心配し、工藤剣太さんに水分を取らせようとしていますが、それも全部吐き出してしまう状態だったようです。
明らかに危険な状態であるにもかかわらず、顧問の坂本忠文はそのままの状態で工藤剣太さんを放置し、「じゃあ行くか」などと言って救急車を呼んだのは、工藤剣太さんが卒倒してから30分近くが経過した午後0時19分頃でした。
竹田高校剣道部の体罰事件の経緯⑤ 搬送先の病院で工藤剣太さんが亡くなる
病院に緊急搬送され治療を受けた工藤剣太さんでしたが、18時50分頃に病院で死亡が確認されています。死因は「熱射病による多臓器不全」と発表されています。
工藤剣太さんの両親は、顧問の坂本忠文に、なぜ意識がなく危険な状態の剣太さんを何度もビンタしたのかと問い詰めますが、坂本忠文は「気付のためにやりました」と、明らかな体罰行為をあたかも救命措置だったかのように言い訳を繰り返したそうです。
なお下の画像が坂本忠文の体罰画像として拡散されていますが、これは、別の剣道部(南大分ち中学校)で問題になった体罰シーンで坂本忠文の体罰シーンではありません。
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竹田高校剣道部体罰事件のその後① 坂本忠文への処分は停職6ヶ月のみ
続けて、竹田高校剣道部で起きた体罰死亡事件のその後の展開も見ていきます。
事件の経緯を見る限り、工藤剣太さんが亡くなった原因は、顧問の坂本忠文による強圧的な体罰行為によって、危険な状態に陥っているにも関わらず迅速な救護措置が取られなかったためである可能性が高いように感じられます。
明らかに顧問の坂本忠文には、刑事罰に問われるほどの重大な責任があるように思えますが、事件後に大分県教育委員会がこの男に下した処分は「停職6ヶ月」のみという、1人の生徒を死亡に至らせた重大な結果と比して極めて軽い印象を受けるものでした。
また、事件が発生した当時、練習場にいた副顧問に対しては「停職2ヶ月」の処分が下されています。この副顧問は坂本忠文に逆らえなかったようで、工藤剣太さんの両親に問い詰められた時には「止め切れませんでした」と答えるのみだったという事です。
竹田高校剣道部体罰事件のその後② 遺族による民事訴訟提起と刑事告訴
事件の翌2010年、工藤剣太さんの両親は、剣道部顧問・坂本忠文と副顧問に対して損害賠償を求める訴訟を大分地裁で起こし、同時に、2人を業務上過失致死および重過失致死容疑で大分県警に刑事告訴しています。
遺族が起こした民事訴訟の経緯
まず、大分地裁では、2013年に顧問の坂本忠文の過失は認められたものの、賠償金の支払いは坂本忠文個人に対してではなく、大分県などに命じられました(賠償金額は4600万円余り)。これは、公務員が職務上で他人に違法に損害を与えた場合は国や自治体が賠償責任を負うという「国家賠償法」に基づいた判決でした。
工藤剣太さんの遺族は、この判決を不服として福岡高裁に控訴していますが、これは棄却され、最高裁への上告も退けられ、坂本忠文個人への賠償は求めないという判決が確定しました。
顧問・坂本忠文と副顧問に対する刑事告訴は認められず
一方の刑事告訴については、大分県警が2010年12月8日に顧問の坂本忠文と副顧問を業務上過失致死容疑で書類送検していますが、最終的に不起訴処分となり2人は刑事罰には問われませんでした。
これを不服とした遺族側は、福岡高検に再捜査を申し立てますが、福岡高検はこれを却下。遺族側はさらに最高検に申し立てを行っていますが、ここでも2018年7月に再捜査要望を認めないとする決定が下されています。
工藤剣太さんの遺族は、なおも諦めずに2019年5月までに2度の申し立てを行いましたが、いずれも認められませんでした。
さらに、遺族は2019年8月20日に、保護責任者遺棄致死容疑で顧問の坂本忠文と副顧問の告訴状を大分地検に提出し受理されましたが、決定を覆す証拠はないとして、再び不起訴相当とする決定が2021年4月に下されています。
竹田高校剣道部体罰事件のその後③ 別の訴訟で坂本忠文個人に100万円の賠償命令
工藤剣太さんの両親ら遺族は、坂本忠文個人への損害賠償はなしという判決に納得しませんでした。工藤剣太さんの両親は「暴力的な指導を防止し、剣太さんのような被害者を2度と出さないために、顧問個人が賠償を支払うべき」という想いが強かったようです。
そうした想いから、工藤剣太さんの遺族側は、大分県などが遺族に支払った賠償金の一部を顧問の坂本忠文らに求償するよう求める別の訴訟を起こしました。
2016年12月22日、大分地裁はこの遺族らの訴えを認め、保険で保障された金額を除き、大分県が実質負担した200万円の半額にあたる100万円分の支払いを坂本忠文らに命じる判決が下されました。
2017年1月、県側はこの判決不服として控訴しますが、福岡高裁は一審の判決を支持し、控訴を棄却し、坂本忠文への100万円の支払いを再び命じています。
竹田高校剣道部体罰事件のその後③ 工藤剣太さんの遺族の活動で体罰指導者への厳罰化が進む
竹田高校剣道部体罰事件のその後、それまではスポーツ指導の現場での体罰は「指導の一環」だという理屈によって許容されてきましたが、工藤剣太さんの遺族らの活動がきっかけとなり、厳罰化の流れが生まれています。
2021年2月には兵庫県宝塚市の中学校柔道部の元顧問が、部員に対する体罰行為が傷害と認められ、懲役2年執行猶予3年の有罪判決が下され、同年7月にも、熊本県の公立中学バレーボール部の指導者が部員の顔面を蹴って打撲を負わせたとして逮捕されるなど、実際に体罰指導者が摘発される事例が増えてきています。
竹田高校剣道部の元体罰顧問・坂本忠文の現在…県立爽風館高校勤務への異動が確認されている
竹田高校剣道部で体罰が原因となった死亡事件を引き起こした元凶である顧問の坂本忠文ですが、この事件後も変わらず教育者として普通に生活しています。
2018年3月に、大分県教育委員会が発表した県立高校の一般教職員の人事異動を伝えるリリースから、坂本忠文が竹田高校剣道部での体罰死亡事件を起こした後に、「香ケ地青少年の家」という県運営の施設で勤務した後、大分県立爽風館高校に配属された事が確認されています。
▽爽風館[通] (香ケ地青少年の家) 坂本忠文
この事から、坂本忠文は現在も教職員として公立高校で勤務している可能性が高いと見られています。
体罰顧問の坂本忠文が現在も教師を続けている事に対する怒りの声も多数
竹田高校剣道部の元体罰顧問である坂本忠文が、現在も変わらず教育者として過ごしている事について怒りを覚えるという声も出ているようです。
竹田高校剣道部顧問だった坂本忠文
— はる (@__yumeno_naka__) September 15, 2021
この殺人犯は停職6ヶ月とたった100万の慰謝料で全てチャラで、現在は爽風館高等学校で勤務しているとの噂
人殺しておいてよく教師続けられるね
悪いとか思ってないし反省もないんだろうな
え、おかしい。教師免許剥奪で刑務所行きでしょ
剣道指導者をしていた者として、坂本忠文元顧問の行為は『殺人』であり、決して許されるものではないと思います。
— 鬼副 長 (きぞえ ながし) (@nagashikizoe) July 25, 2018
現在も大分県立爽風館高校に勤務しているとか・・・ https://t.co/78ybNxVffI
猛暑なので熱中症に気をつけるように大分県立香々地少年自然の家で勤務され、その後大分県立爽風館高校に勤務される体育教師の坂本忠文さんを激励したいな
— 清田太陽a.k.a瑠偉 パパは清田育宏でした。 (@michiyoship) August 20, 2020
しかし、生徒に爽風を与えないで死なせて、「爽風館」勤務って部活もブラックならギャグセンもブラックすぎでは? https://t.co/a7NIQDrLrU
まとめ
今回は、2009年8月に大分県立竹田高校の剣道部で発生した部員の工藤剣太さんの死亡事件と、工藤剣太さんが死亡する前に顧問の坂本忠文が行なっていた体罰などについてまとめてみました。
その日、竹田高校剣道部の練習場は36度を計測するほどの猛暑でしたが、剣道部主将だった工藤剣太さんは、ほとんど水分補給を許されないまま顧問の坂本忠文から激しい練習を課され、ついに意識が混濁して卒倒しました。
しかし、顧問の坂本忠文は倒れた工藤剣太さんに馬乗りになり、10数発も往復ビンタをするなど激しい体罰を加えた挙句、白目を剥いて倒れた状態の工藤剣太さんを30分近くも放置しました。
工藤剣太さんその後、病院に救急搬送されましたが、その日のうちに熱射病による多臓器不全により死亡しました。
工藤剣太さんの遺族はその後、坂本忠文らに賠償を求める訴訟や、刑事罰に問うための刑事告訴を行いましたが、「国家賠償法」などを根拠に個人への賠償は認められず、刑事的にも不起訴処分となりました。
しかしその後も、工藤剣太さんの遺族は諦めずに賠償を求める闘いを続け、最終的には坂本忠文に100万円の賠償金負担を命じる判決が下されています。
体罰顧問として批判を集めた坂本忠文ですが、現在も教員を続けており、2018年3月からは大分県立爽風館高校に勤務しているという情報が出ています。