「ボキャブラ世代」として一世を風靡したお笑いコンビ「デンジャラス」の安田和博さんですが、近年は構成作家としても活躍しているようです。
この記事では、安田和博さんの芸歴や年収、有吉弘行さんとの関係、美人と評判の嫁との結婚と子供、そして脳腫瘍の手術と病状をまとめました。
この記事の目次
安田和博は「デンジャラス」のツッコミ担当で近年は構成作家もしていた
安田和博さんは、お笑いコンビ「デンジャラス」のツッコミ担当して知られている芸人となります。
1990年代中盤にバラエティ番組「ボギャブラ天国」で一世を風靡したため、「ボギャブラ世代」としてもお馴染みな安田さんですが、近年はオバマ元大統領のモノマネで再ブレイクした相方・ノッチさんと違い、影が薄い状況が続いていました。
とはいえ、元々「デンジャラス」でネタ作りを主導していた安田さんは、実は人気バラエティ番組「有吉ベース」の構成作家を務めるなど、裏方業に進出して成功していたそうですね。
この記事では、そんな安田さんのこれまでの芸歴や結婚情報に加え、闘病歴などについても紹介させて頂きます。
安田和博の芸歴…元郵便局員で浮き沈みの激しい人生だった
安田和博、元々は郵便局員だった
安田和博さんは、1967年11月17日に東京都江戸川区に住む安田家に生まれて来ております。
幼少期から野球少年だった安田さんは、小学から高校まで野球をしていたようですが、運動センスの方はなかったらしく補欠続きでした。
都立葛西南高校を卒業後の安田さんは、いったんは郵便局に就職して2年ほど働いていた時期もあったものの退職し、芸人を目指して渡辺正行さん主宰の劇団「七曜日」に入団しています。
安田さんが「デンジャラス」の相方のノッチさんと知り合ったのも「七曜日」だったそうで、佐藤B作さん主催の「劇団東京ヴォードヴィルショー」に移籍した後も同僚となりました。
そんな2人が「デンジャラス」を結成したのは1989年となっており、同期には「雨上がり決死隊」などがいました。
安田和博、稽古先は中央公園だった
「デンジャラス」結成後の安田和博さんに関しては、郵便局で働いていた頃の貯金が尽きたこともあり、アルバイトを開始したそうですね。
蓄えがなくなって、バイトすることになり、相方(ノッチ)が「ガードマンは早くあがれる日もあるし、雨だと中止の時もあるから、割といいよ」と言うので、自分で探してガードマンを始めました。
でも、工事現場の通行止めをしている道で、看板の前でぽつんと立っているだけで、暇すぎました(笑い)。今みたいにスマホがあるわけでもないから、時間を潰すのに苦労して。
また、「とんねるず」が下積み時代に稽古場にしていたという理由で、東京都新宿区にある中央公園でネタの稽古をしていた時代もありました。
そんな「デンジャラス」がアルバイト三昧の日々から卒業するきっかけとなったのが、「太田プロダクション」への移籍でした。
芸人仕事だけで食べていく生活に憧れがあった「デンジャラス」が、所属条件に「月18万円の固定給」を要求したところ、「太田プロダクション」側があっさりOKしてくれたそうですね。
安田和博、「ボキャブラ天国」へ出た理由とは?
23~24歳頃に「太田プロダクション」に移籍した「デンジャラス」ですが、当時は「お笑い第三世代」を中心としたお笑いブームの最中だったため、期待の若手としてかなり売り込んで貰えていたそうですね。
そのため、1990年代前半頃の「デンジャラス」は、「クイズ!当たって25%」や「邦ちゃんのやまだかつてないテレビ」といったTV番組に出演し、学園祭に引っ張りだことなるなど忙しい日々を過ごしています。
予期せぬ盛況ぶりに歩合給にしなかったことを後悔もした「デンジャラス」でしたが、給料の方もしっかりと上がって行ったとか。
とはいえ、売り込み期間が終わり仕事が減り出すと、「太田プロダクション」から歩合給へ切り替えられてしまい、月5万円しか稼げない逆境も味わったそうですね。
そんな事情もあり、現状に危機感を抱いた「デンジャラス」は、当時ブームを起こしていたバラエティ番組「ボキャブラ天国」への出演を「太田プロダクション」に直談判することになりました。
「こりゃヤバイ」と焦って、事務所の人に、当時人気番組だった「ボキャブラ天国」に「出たい」と相談。芸人のコーナーばかりになる改編期のタイミングで、僕らを出られるようにしてくれました。これが大きかったですね! 冒頭の方で「ノッチです!」と言うフレーズもハマりましたし。
「ボギャブラ天国」出演後の「デンジャラス」に関しては、営業の仕事がばんばん入るバブル状態となり、年収も急上昇することになったそうですね。
安田和博、構成作家に転身した理由とは?
「ボキャブラ天国」で一山当てることとなった「デンジャラス」ですが、バブルは長続きせずにまた仕事がない状況へ逆戻りすることになりました。
そんな安田和博さんにとって転機となったのが、2000年代初頭頃に「ダチョウ倶楽部」の肥後克広さんにラジオ番組の収録に誘われたことでした。
肥後さんの善意に甘えることもなく、自分も何か番組に貢献しようと考えた安田さんは、周囲に内緒でハガキ職人もどきの活動を開始していたそうですね。
でも、ただスタジオの中で笑い屋的にしているだけじゃ情けないから、リスナーからのハガキコーナーに僕は内緒でペンネーム投稿し始めたんです。そしたら番組で何度も読まれ、スタジオや収録後の飲み会で「あのハガキ、僕のです」と何度か打ち明けると、ダチョウさんが僕に笑いを書く才能があると勘違いして(笑い)。
その結果、お笑いのセンスを見込まれた安田さんは、肥後さんがリアクション芸のDVDを作る際の構成作家に抜擢されることになりました。
安田和博の全盛期の年収は?…構成作家は意外に稼げなかった
「ボギャブラ世代」として一世を風靡した安田和博さんだけに、最盛期の年収についても気になるところです。
安田さんが最も稼いでいた時期は、「ボキャブラ天国」に出演していた1990年代中盤から後半頃だったらしく、月給が200万円を超えていました。
近年の安田さんの年収については、構成作家として活躍しているものの、番組1本あたりのギャラの相場が10万円程度なうえ、「有吉ベース」の放送頻度も年十数回程度なっています。
そのため、芸人業の収入と合わせても「ボギャブラ世代」ブームの頃には遠く及ばないレベルなのではないかと思われます。
安田和博と有吉弘行の関係性…元々は竜兵会の飲み仲間だった
安田和博さんといえば、ラジオ番組「有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER」にて、2011年頃より有吉弘行さんと共演していることでもお馴染みです。
安田さんの時何が嬉しいって、有吉さんが自由に楽しくやれてるのが嬉しい。♡ #snd
— mizuki@サンドリ韓ドラ垢 (@amam_kzkz) November 7, 2021
レギュラーアシスタントを置かない「有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER」のスタイル上、不定期アシスタントの1人に過ぎない安田さんですが、毎年年末に番組内で行われる「アシスタント総選挙」では1位の常連化しています。
そんな2人の関係性については、元々「ダチョウ倶楽部」の上島竜兵さんを囲む「竜兵会」の仲間同士でした。
そのため、飲み会などで頻繁に顔を合わせる機会があったことでお互いの人柄を熟知しているため、現在のような名コンビになることが出来たそうですね。
もともと上島(竜兵)さん絡みで有吉とかと飲んでいるその延長みたいな空気感ですから。有吉はもう、売れる前から本当に失礼なやつで(笑)。いつも人を小馬鹿にしてましたけど(笑)。それについて僕がツッコミを入れる、そのくだりのまま。飲み屋かラジオか、“場所”が違うぐらいの認識しか僕にはないです。
安田和博の結婚情報…嫁・香澄は19歳年下で猫バス似だった(顔画像あり)
安田和博、嫁・香澄との馴れ初めは?
安田和博さんは、2012年1月に猫バス似の19歳年下の一般女性・香澄さんと結婚しています。
2人の馴れ初めについては、安田さんがテレビに出演している姿に一目ぼれした香澄さんが、当時流行していたSNSサイト「mixi」内の安田さんの公式アカウントにメッセージを送り付けるといった逆ナンパでした。
その後、「mixi」内でのメッセージのやり取りを経て文通にまで発展した2人は、やがて実際に顔を合わせることになりました。
とはいえ、実際に会ってみた香澄さんは茶髪にギャルっぽい恰好をしていたため、安田さん側も未成年かと心配になったそうですね。
そのため、何度も年齢確認をした後に一緒に飲みに行くことになったとか。
19歳の年齢差があったことで話はまったく合わなかったという2人でしたが、互いに東京都江戸川区出身だった偶然から地元話で盛り上がることが出来たたため、以降もちょくちょく会う関係に発展しました。
ちなみに、2人が交際を開始したのは2009年頃かららしく、交際して半年後には同棲に至ることになりました。
安田和博、子供は2人生まれていた
44歳で初めての結婚を遂げた晩婚タイプの安田和博さんですが、香澄さんが若かったこともあり妊活には成功しており、2013年に長男が生まれた他、2015年には長女が生まれています。
ちなみに、安田家の子供たちは2人ともキラキラネームとなっており、香澄さんが自ら名前をつけた長男が華太(かぶと)くん、長女が夏音(かのん)ちゃんと言うそうですね。
安田和博は脳腫瘍という病気になっていて手術した
安田和博、2020年に脳腫瘍の摘出手術を受けていた
晩婚ながらも子宝に恵まれて幸せな家庭を築いている安田和博さんですが、2020年には難病も患っています。
安田さんが患った難病については脳腫瘍だったらしく、右腕が脱力してリュックが背負えない異変が起こったため、病院でMRI検査を検査を受けたところ発覚したそうですね。
ちなみに、体に異変が出るだけあり腫瘍自体はかなり大きく育っていたものの良性だったため、手術自体はスムーズに終わったと言われております。
また、術後の回復も順調だったため、2週間程度で病院を退院することになりました。
安田和博、脳腫瘍の後遺症は?
52歳にして人生初の大病を患うこととなった安田和博さんですが、気になるのは手術後の後遺症の有無です。
安田さんの術後の体調については、「有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER」のリスナーたちも心配している状況だったりします。
20名無しさん@恐縮です2021/01/17(日) 10:03:53.76ID:r5nnb7BH0
頭の手術の方はもう大丈夫なんだろうか
安田いなくなったら有吉寂しがるだろうし
元気で居て欲しい
とはいえ、現在のところでは、言語障害が出たり手足に障害が残ったとの話も出て来ていませんので、予後は悪くない状況と言えます。
安田和博についてまとめてみると…
安田和博さんに関しては、お笑いコンビ「デンジャラス」として一世を風靡した後に落ち目になった時期もあったものの、近年は構成作家業にも進出して活躍中な芸人ということになります。
安田さんの今後より一層の活躍を祈りつつ、この記事のまとめを終了させて頂きます。