2006年4月9日、5月17日に秋田県山本郡藤里町で2人の児童が殺害された「秋田児童連続殺害事件」ですが、犯人は最初の被害者児童の母親・畠山鈴香でした。
この記事では、同事件について犯人・畠山鈴香の生い立ちや父親・母親・弟など家族について、2人の子供を殺害した動機などについて詳しくまとめましたのでご紹介します。
この記事の目次
畠山鈴香が起こした「秋田児童連続殺害事件」とは
畠山涼香、何の罪もない我が子とその友達を殺害
鬼畜母親・畠山鈴香
「秋田児童連続殺害事件」は2006年4月10日に当時小学校4年生だった畠山鈴香の娘・畠山彩香ちゃん(当時9歳)が、自宅から10キロ離れた藤琴川の中洲で水死体となって発見され、同年5月18日午後には畠山鈴香の自宅2軒隣に住む米山豪憲くん(当時7歳)が約12キロ離れた米代川の川岸で遺体で発見された事件です。
畠山彩香ちゃんの事件について秋田県警察は、捜査本部を立ち上げて事件と事故の両面で捜査していましたが、早々に事故と断定して捜査を打ち切りました。
しかし、畠山鈴香は事故と断定した警察を批判し、畠山彩香ちゃんの捜索願のビラを自作して近隣で配布するなど、犯人だと分かった後から見れば異様な行動を見せていました。
2006年5月18日15時頃に、河川敷をジョギング中の男性が川岸から離れた道路脇の草むらの中に米山豪憲くんの遺体を発見し通報しました。
2006年6月4日に警察は畠山鈴香を米山豪憲くんの死体遺棄の疑いで逮捕し、畠山鈴香の自宅から大量の血痕や、米山豪憲くんのものとみられる体液が発見され、2006年7月18日に2児殺害の疑いで再逮捕しました。
2009年5月19日に検察は畠山鈴香の死刑を求刑しましたが秋田地裁により棄却され、無期懲役判決が確定しました。
畠山鈴香の呆れた犯行動機と殺害方法
畠山鈴香に殺害された実娘・畠山彩香ちゃん(当時9歳)
突発的に起きた怒りで畠山彩香ちゃんを殺害
2006年4月9日午後6時40分過ぎ頃、大沢橋を通りかかった時に泳ぐ魚を観たいと畠山彩香ちゃんが言ったため、早く帰りたかった畠山彩香は欄干のすき間から川面を見せ、暗くて魚が見えないことを教えました。
しかし、それでも魚が見たいと懇願する畠山彩香ちゃんに急激に怒りを募らせた畠山鈴香は、橋の欄干に座らせました。
川面まで12メートルほど高さがあることから、畠山彩香ちゃんは怖がって畠山鈴香に助けを求めて抱きつこうとしましたが、畠山鈴香は欄干から畠山彩香ちゃんを容赦なく突き落としました。
川に落ちた畠山彩香ちゃんは流されましたが、畠山鈴香は全く助けるそぶりも見せずにその場を後にしました。
その後逮捕された時に、畠山鈴香は留置場において「検事さんのネクタイが4日間同じで、笑いをこらえるのに必死だった」と語っており、畠山彩香ちゃんを殺したことへの反省や後悔、悲しみは微塵も感じられませんでした。
畠山鈴香に殺害された米山豪憲くん(当時7歳)
自ら娘を殺害しながら嫉妬で米山豪憲くんを殺害した畠山鈴香
畠山彩香ちゃんを殺害してから約1か月が経過した2006年5月17日午後3時過ぎ、畠山鈴香は2軒隣に住んでいた娘の友達だった米山豪憲くんに、「彩香の思い出に何かもらってほしいんだけれども」と声をかけて自宅に招き入れました。
畠山鈴香は生きている米山豪憲くんを間近で見ているうちに、「なぜうちの娘はいないのに、こんなに元気なのか」と、常軌を逸した思考回路で米山豪憲くんが憎らしくなり、自身が娘を殺害した嫌疑をそらすために殺害を決意しました。
畠山鈴香は米山豪憲くんの首に腰ひもを巻き付けて絞殺し、川岸から離れた道路脇の草むらに遺体を遺棄しました。
畠山鈴香、殺害動機を語ろうとしなかった理由
畠山鈴香は天国で1人の娘に友達を送った
畠山鈴香は逮捕後に米山豪憲くんの遺体遺棄について認めながらも、殺害動機については中々語ろうとしなかったのは、自分でも殺害の動機が整理できていなかったからだと言われています。
畠山彩香ちゃんが事故死として片付けられたことに憤慨して米山豪憲くんを殺害したのではないと否定していますが、2人を殺害しなければならなかった動機は畠山鈴香が自分自身を全くコントロールできない人格であることに加えて、娘を不器用ながら愛していたことが原因だと言われています。
おそらく、容疑者は娘を愛していたでしょう。しかしその愛情表現が不器用でした。また、力が足りませんでした。精神的に不安定で、また料理もできません。でも、そんなふうに良い子育てができない自分を責めていた部分もあったことでしょう。
そして、娘が死亡します(詳細は不明ですが)。容疑者は激しく悲しみます。娘への愛、そして悲しみ。それなのに、周囲は自分が期待しているようには動いてくれない。焦り、怒り。容疑者は自分の気持ちをどう処理したらよいのかわからなくなっていたのかもしれません。
娘と今回の被害者男児が遊ぶときには、自分の娘に「お前は大きいんだから、待っていて上げるんだよ」と話していたそうです。
娘の49日法要においても、娘が亡くなり、となりの仲良しだった男の子が亡くなり、娘に「待っていてね」と語っています。
「彩香、豪憲ちゃんがくるまで待っていてね」
この思いが犯行の動機にあったような気がします。
はずみで殺してしまった我が子の友達である米山豪憲くんの元気な姿を見ているうちに、畠山鈴香は歪んだ母性から苦痛を感じてしまい、天国の畠山彩香ちゃんが寂しくないようにと極めていびつな愛情から殺害に及んでしまいました。
畠山鈴香の逮捕前の異常行動と不審な言動
畠山鈴香、不幸な母親から一転し疑いの目が向けられる
短期間に1件隔てた家の子供が亡くなり疑いの目は畠山鈴香に向かった
畠山彩香ちゃんが事故死と警察に断定された直後は、畠山鈴香に同情の声もありましたが、その後のオーバーな行動や不審な言動が続いたことから、次第に疑いの目を向けられるようになりました。
そして、米山豪憲くんが殺害されたことでその疑いは決定的なものになり、狭い田舎の町の近しい家の子供が2人も立て続けに不審死を遂げたことから、畠山鈴香が逮捕されるのは時間の問題でした。
畠山鈴香、逮捕前は積極的にマスコミの取材を受けていた【動画あり】
畠山鈴香の取材時の異常な行動を収めた動画
畠山鈴香がテレビ局の取材に対して、畠山彩香ちゃんの死亡原因について苦し紛れにごまかそうとしている様子が動画で分かります。
畠山鈴香はその雰囲気や話し方から普通ではないという印象を強く与えますが、容疑者として疑われていた頃に実家前に報道陣が集まった際に絶叫する様子が世間の注目を集め、通常は逮捕後に報道が沈静化しているところ畠山鈴香の異常性を追い求める報道合戦が続きました。
畠山鈴香、「犯罪被害者給付金」目的で娘を捜すビラ配り
殺害された畠山彩香ちゃんの死因について当初は事故扱いで処理されていました。しかし、「犯罪被害者給付金」目的だった畠山鈴香は、事故扱いされたことに不満を抱きビラ配りを開始。その様子が全国のニュースでも放送されることになりました。
死因を事故ではなく他殺にすることにより、給付金を貰おうとしていたようです。
@blue4plus1 畠山鈴香もそうでしたが、こういう親は普段日頃は蔑ろに扱っておきながら、子供が死んだら(鈴香は親自身が手を下したのですが)犯罪被害者給付金目当てで、いけしゃあしゃあと悲劇の親ヅラしたりすることもままあるんですよね。可愛がれないなら産むなと思います。
— 木琴ウルフ (@monkeyman_1_2) August 21, 2015
畠山鈴香の壮絶な生い立ちと家族について
畠山鈴香は父親からの虐待やいじめを受けて育った
畠山鈴香は小学校高学年頃から父親から暴力を受けており、中学校に入ると殴る蹴る、髪を引っ張って引きずり回すといったように虐待がエスカレートしていきました。
そのため、初公判での弁護士の冒頭陳述では、父親による虐待が畠山鈴香の解離性障害を引き起こしたと述べています。
また、小学校時代から「ばい菌」「心霊写真」などと呼ばれ酷いいじめに遭っていたこと、友達がいないことを苦にして周囲の気を引こうと文房具を万引きをして配ったこともあったと述べられ、高校時代にはいじめの対象から逃れるためにリーダー格のパシリを買って出るなど処世術も身につけていたと述べられました。
しかし、高校時代にも畠山鈴香は深刻ないじめに遭っていたようで、卒業時の寄せ書きでは畠山鈴香に対して辛辣な言葉が多数寄せられていました。
「会ったら殺す!」
「あと二度と会うことはないだろう。じゃーな」
「ひゃ~な。帰ってくんなョ。」
「bye2 一生会わないでしょう」
「bye2 目の前に来んな!!」
「やっと離れられる。3年間はちょっと…」
「秋田から永久追放」
「仕事やめで秋田さかえってくるなョ。」
「もうこの秋田には帰ってくるなョ」
「いつもの声で男ひっかけんなよ!」
「あれッ!? おめいだったった~(お前いたのか)」
「戦争に早く行け」
「いままでいじめられた分、強くなったべ。俺達に感謝しなさい。」
引用:Twitter
また、畠山鈴香の将来像として「自殺・詐欺・強盗・全国指名手配・変人大賞・女優・殺人・野生化」などと予想されていました。
畠山鈴香は高校で盗みにより停学処分を受けていたことも公判で述べられ、小学校時代から嫌われ続けて育った結果、殺人をも他人事のように感じてしまう解離性障害を引き起こしたようです。
半年ほど前にタクシーに乗ったら運転手が秋田出身の方で、何と2児童連続殺害事件の畠山鈴香無期懲役囚と同じ高校出身。「あいつ、いじめられっ子でねえ。めちゃくちゃいじめてやりましたよ。変な奴だったから仕方ないんですよ」と運転手さん。
— 三枝 玄太郎 (@SaigusaGentaro) June 18, 2019
畠山鈴香の父親は逮捕翌年に病死、母親は生活保護を受けていた
畠山鈴香の逮捕後に両親は離婚、逮捕の翌年の2007年に父親は病死しています。一方の母親は生活保護を受給しているようですが、畠山鈴香の公判にはかかさず通っていたようです。
ちなみに、畠山鈴香は友人からお金を盗むトラブルも起こしており、友人がお金を返してもらうために出向いた際に母親も一緒にいたことを語っています。
彼女は、知人と一緒に鈴香の実家に出向くことになった。
「鈴香はお母さんと一緒に玄関先に出てきました。その場で彼女はまた『盗ってない』って言い出し始めたんです。なので私が、『さっき自分で盗ったって認めたでしょうが』と言ったところ、やっと諦めたのか、『ああ、はい』っておカネを返したんです。横のお母さんは黙ったままで、私に対する謝罪の言葉は一言もありませんでした」
畠山鈴香、父親から逃れるため温泉旅館で働き始める
高校卒業後に父親の虐待から逃れた畠山鈴香
畠山鈴香は父親の暴力から逃れるために、高校卒業後は友人に紹介されて交際していた男性と栃木県へ移住し、現地の温泉旅館で住み込みで働き始めました。
畠山鈴香は仲居やコンパニオンとして働いていましたが勤務態度はすこぶる悪く、いつも薬品の臭いをまとっておりシンナーを吸っているという情報を得た雇い主は、父親を呼んで引き取ってもらおうとしましたが、父親が手土産を持って謝罪に来た時には他の旅館に勝手に移っていました。
畠山鈴香のせいで人生を台無しにされた弟の現在
犯行を疑われていた畠山鈴香が取材を受けていた頃、弟はモザイクなしでテレビに映っていました。
そのため、その後弟は友人が離れて行き、当時交際していた彼女に危害が及ばないように連絡を絶ち、孤独な人生に転落したことをインタビューで答えていました。
2006年の秋田児童連続殺害事件の犯人・畠山鈴香(44才)の弟は、事件からおよそ2年後に本誌・女性セブンの独占取材に応じた。
弟は事件当時にモザイクなしでテレビに映り、運転代行の仕事中に見知らぬ客から、「テレビで見たぞ。お前、人殺しの弟なのによく笑っていられるな」と罵倒された。交際中の女性を巻き込みたくなくて自ら連絡を絶ち、のちに仕事を解雇され、生活保護を受けるようになった。弟は記者にこう語った。
「仲のよかった友達もみんな離れていき、ショックで人間不信になりました。今は友達も親戚もゼロです」
畠山鈴香の結婚と離婚~元旦那が語る離婚原因とは
旅館を追い出されるように辞めた畠山鈴香は、21歳の時に実家の二ツ井町(現能代市二ツ井町)に戻って男性と結婚し彩香ちゃんが誕生しました。しかし結婚生活は長く続かず、彩香ちゃんが生後5ヶ月の時に離婚しています。
元旦那は畠山鈴香は家事を一切せずに、お金にだらしなくパチンコばかりしていたと語っています。その一方で、元旦那の浮気が離婚原因との情報もあるようです。
畠山鈴香は“売女”だった
畠山鈴香、生保のセールスレディ時代は枕営業で契約
畠山鈴香は枕営業をしていた売女だった
離婚した畠山鈴香は、コンパニオンや生命保険のセールスレディ―として働いていました。当時は色仕掛けで契約を勝ち取っていたようですが、1年弱で辞めてしまったようですね。
「先輩のお客さんに対して、平気で体を張った“枕営業”をかけては客を奪っていたんです。それが問題となって、1年も経たないうちに辞めています」
畠山鈴香、デリヘル嬢や自宅売春もしていた
畠山鈴香は2003年に自己破産、生活保護受給者となり、食事はカップラーメンを娘の彩香ちゃんに与えていたようです。
また、デリヘル嬢として家に客を呼び、その間は彩香ちゃんを外で遊ばせていたようです。
「鈴香は大館市のデリヘルで“人妻風俗嬢”として大人気でした。1回1万5千円で生本番までさせていた。とにかく、一度鈴香と関係をもった人は彼女のテクにぞっこんになってしまうほどいいものをもっていたそうです。鈴香容疑者の“顧客”と名指しされる3名の警察関係者も、デリヘルで知り合い『自宅売春』に通うようになったようです。警察以外にも能代市議会議員も複数名いたといわれ、警察の事情聴取を受けた人もいます」
彩香ちゃん殺害後の数か月後には、自宅での売春も再開していたことも明らかになっています。
畠山鈴香に殺害された米山豪憲くんの心霊写真が話題に
週刊誌「週刊ポスト」が報じた心霊写真
週刊誌「週刊ポスト」2006年11月24日号にて、 『豪憲くんの父も絶句した「鈴香宅の<心霊写真>」 』という記事が掲載されました。
もちろんこれは心霊写真などではなく、家の周辺に集まっていたカメラマンなどの報道陣の一人が写り込んでいただけで、それがたまたま心霊写真のように見えてしまったというだけのようです。
確かに童顔で子供のようにも見えますが米山豪憲くんではなく、よく見ると成人男性であることが分かります。
畠山鈴香のその後現在~無期懲役で服役中
畠山鈴香、福島刑務所に服役していた
畠山鈴香は無期懲役で服役中
畠山鈴香は、無期懲役の実刑判決を受けて福島刑務所で服役しているといわれています。
畠山鈴香のラウンジ時代の友人が2008年2月に面会に行った時の印象では、決して刑務所内で上手くやれているというわけではなかったようです。
「拘置所の鈴香と面会したのは08年2月の後半です。黒くなった髪を束ね、明るい色のトレーナーを着て面会室に入ってきた鈴香と目が合うと、笑顔はなく、ちょっと涙目になっているのがわかりました。そこで私が『元気か?』と尋ねると、『うん』とだけ答えてました」
鈴香の外見について、逮捕前より頬の肉が落ち、若干痩せたとの印象を抱いたそうだ。
無期懲役囚は最低でも30年以上の服役が必要で、その後もよほどの模範囚にならなければ出所はできませんので、恩赦でも無い限りほぼ一生服役することになるでしょう。
畠山鈴香「秋田児童連続殺害事件」についてまとめると…
・畠山鈴香は小学校時代から父親の虐待と学校でのいじめを受けていた
・畠山鈴香の父親は2007年に病死、母親と弟は生活保護受給しながら生活している
・畠山鈴香はデリヘル嬢や自宅売春をしていた“売女”だった
・畠山鈴香に殺害された米山豪憲くんの心霊写真と週刊誌が掲載するも、実際は成人男性が写り込んだ写真の可能性が高い
・畠山鈴香は無期懲役判決により、福島刑務所に服役している
畠山鈴香のようなモンスターを生んだのは虐待をしていた父親だと言えますが、同情する面はあったとしても2児を殺害した罪は少しも軽くなることではないでしょう。