紀子さまは秋篠宮文仁親王の妃で、眞子さま・佳子さま・悠仁さまの母親です。1990年に秋篠宮さまとご結婚されましたが、若い頃からとても美人でかわいらしい方です。
ここでは紀子さまの若い頃の画像と性格の噂をまとめています。
紀子さまのプロフィール
名前:文仁親王妃紀子(ふみひとしんのうひ きこ)
旧姓:川嶋紀子
生年月日:1966年9月11日
身位:親王妃(秋篠宮妃)
敬称:殿下
お印:檜扇菖蒲(ひおうぎあやめ)
皇族の家系図
紀子さまは秋篠宮文仁親王の妃で、眞子内親王、佳子内親王、悠仁親王の母親です。
幼少期は、父親の都合でアメリカや日本、オーストリアなどを転々とし、1979年に帰国し、父親が助教授を務める学習院の女子中等科に編入し、その後は学習院女子高等科・学習院大学文学部心理学科へと進学しました。
学習院大学で1つ年上だった秋篠宮文仁親王(当時礼宮文仁親王)と出会い、自然文化研究会などのサークル活動を通じて仲を深めます。1986年に求婚されるも即答はせず、1989年に紀子さまが大学院(社会心理学専攻)に進学した同年8月に婚約内定が報じられ、翌9月に皇室会議にて可決されました。
1990年1月12日の納采の儀を経て婚約成立し、同年6月に結婚の儀が行われました。
秋篠宮文仁親王との間には1991年10月に眞子さま、1994年12月に佳子さま、そして2006年9月に悠仁さまが生まれています。悠仁さまの皇室における男児誕生は、秋篠宮文仁親王以来41年ぶりで、また皇室としては初の帝王切開でのお産となりました。
紀子さまの若い頃が美人!昔の画像まとめ
綺麗な紀子さまは、若い頃から現在までずっと美人です。
紀子さまの若い頃:幼少期~大学生時代
七五三時。
かわいいです。
高校卒業時。
学習院大学時代。
私服に年代を感じますが、可憐です。
紀子さまの若い頃:婚約から結婚後~現在
婚約発表時(1989年9月)
紀子さまは、この時学習院大学大学院生でした。
結婚式
美男美女カップル。
結婚式
和装も洋装もお似合いです。
紀子さま
どの角度から見ても美人は美人です。
赤ん坊の眞子さまと。
赤ん坊の佳子さまを抱く紀子さま。
睦まじい家族写真ですね!
悠仁さまの着袴の儀(ちゃっこのぎ)※数え5歳時
家族写真(2011年)。
秋篠宮さまは違いますが、悠仁さま、紀子さま、佳子さま、眞子さまと鮮やかな和装がお似合いです。
2017年5月
髪型などもありますが、落ち着いた大人の女性という感じですね。素敵です。
2021年
現在も落ち着いている大人の女性です。
紀子さまの身長
162cm説が有力
紀子さまは身長を公開していませんが、他の皇族との比較から162cm説が有力となっています。
ざっと調べたら、天皇陛下、皇后さま、紀子さま162cm、皇太子殿下163cm、雅子さま164cmで、秋篠宮さまは178cmです。
紀子さまの性格はきつい&怖いという噂…エピソードまとめ
紀子さまの性格について調べてみると、ネットでは「性格がきつい・悪いのでは?」といった見方をされることもあるようです。
もちろん紀子さまは皇室の方で芸能人のようにテレビに出てペラペラとしゃべってくれるわけでもありませんが、これまでに紀子さまの性格にまつわる内容の報道等を見てみましょう。
紀子さまはきつい性格?秋篠宮家の元料理番による暴露報道
秋篠宮家料理番の暴露?
かねてから秋篠宮家の元料理番による暴露報道が出ています。
それには紀子さまの厳しい物言いや料理へのチェック、そんなことから”ご難場”と呼ばれることもあるという秋篠宮家。
秋篠宮家は職員の間で”ご難場”と呼ばれているらしいが、なかでも「料理番」は苛酷な環境にあるという。天皇家や皇太子一家のための「宮内庁大膳課」ではなく、宮家の技官として雇われているのだが、秋篠宮家の「元料理番」はその内情をこう証言している。「宮家仕えを一言で申し上げるなら、ブラックバイトのようなものですよ」
「(陛下の相談相手の宮内庁参与とのご懇談の席で)紀子妃殿下は、家屋の修繕などの”陳情”をなさったり、宮邸の職員、はては皇宮警察の担当官についても”お仕事ぶりがよろしくないので、どなたかに代えて頂けませんか”と単刀直入に仰ることがあります」
宮家職員や皇宮警察にまで苦言を呈すのだから、さらに身近な「料理番」は尚更だろう。昨年には「料理番」が解雇されるという一件も起こっていた。しかもその原因は紀子妃の「料理番」への不満が積もりに積もり、遂に逆鱗に触れたためだという。
さらに料理番ではありませんが、きつめな物言い(態度)をされていると報じられたことも。
相手がどんな立場の人であれ、紀子さまはときどき、にわかには信じられないようなお言葉を吐かれる。秋篠宮家の次女、佳子さまが学習院大学からICUに移られ、5月、新一年生が参加する一泊二日の合宿にタンクトップにジーンズ姿で現れ、周囲を騒がせた。彼女には“ファン”がついており、お化粧法、服装など細かくチェックされる。このときのファッションは、たちまちネットにあふれた。
そのころ、ある会合で美智子さまは紀子さまにこう注意されたという。
「少し控えめに…」
「国民の皆さんに不快な感情を与える恐れのないように」
ところが紀子さまは「もう時代が違いますから」と返されたという。
別の機会に、周囲から悠仁さまの教育について助言されたとき、紀子さまは「私はこれから皇后になる人です。みなさんにどうこういわれる筋合いではありません」とピシャリ。「みなさん、平民に……」ともいわれたともいう。
紀子さまは以前、周りから指摘されると、「わかりました。そのようにいたします」と応じられておられた。それがこの数年で変わられた。嫌なことをいわれると、すぐ横を向き、「舌打ち」されるようになった。
ここまでくると逆に信ぴょう性が低くなるような言動ですね。
またこれ以外にも”紀子さまは厳しい”といった記述の報道が見受けられるものもあります。ただ一口に厳しいといっても、たとえばですが悪く言えば「きつい・性格が悪い」よく言えば「規律正しい」など、言い方によってだいぶ印象が変わるものでもあります。
紀子さまはきつい性格?雅子さまとの軋轢報道
不仲?
いろいろと対照的なお二人。やがて軋轢やライバル視しあっているなんていう見方をされることも。
紀子さまが雅子さまに「私は病気ではありませんよ」発言。
雅子さまがある会合に出られて、久しぶりに笑顔を見せられていたとき、紀子さまが雅子さまの前で「私はご病気ではありませんよ」といわれたこともあった。ライバル意識と言えばそれまでだが、雅子さまからその後、しばらく笑顔が消えた。
ただかと思えば、雅子さまが紀子さまを牽制するような発言があったとも言われます。
順序が違うのではありませんか
平成24年(2012年)2月18日天皇陛下心臓冠動脈バイパス手術は世に大きく伝えられたが、その後のお見舞いを巡って、まともに打診もせずぐずぐずしていた東宮家の雅子が、秋篠宮妃殿下からのお見舞いスケジュール打ち合わせのための打診を知ったときに強い不快を示したと伝えられる台詞。
果ては、さまざまなメディアでの「雅子さま上げ、紀子さま下げ(逆もまた然り)」は、彼女たちの権力争いの余波ではないかという深読みまで存在します。
紀子さまには悪い噂ばかりではない!
紀子さまの性格について見てみると、上記でご紹介してきたように、きつそうな言動が取り上げられていることがあります。ただもちろんそれだけではありません。
これまでの歩みや、紀子さまのご両親の教育方法を讃えるもの。
紀子妃は、ご成婚の際、さまざまないわれのないバッシングをお受けになった。たとえば、学習院の職員宿舎育ちの世間知らずとか、在学中に秋篠宮殿下に近づいて意図的に妊娠したというとんでもないものもありました。それでも、紀子妃は笑顔を絶やさなかった。それは男性に守ってもらうためではなく、女性がみずからを守るために必要な笑顔だったと思います。あのたくましさ、あの覚悟はもっと高く評価されるべきです。幼い頃や学生時代は少々頼りなく見えた秋篠宮殿下が、あれほどご立派にご公務を果たしているのは、紀子妃の支えあってのことだと思います
紀子妃の父親の川島辰彦教授は、ご成婚の記者会見のとき『自由闊達に育てた。オールウェイズ・スマイル』と言いましたが、その直後、お母様が『あまり自由過ぎるのもどうかと存じます。私はある程度の規制を持って育ててまいりました』とおっしゃった。紀子妃は、ユーモラスなお父様にのびのびと育てられながらも、あのお母様から、徹底的に『妻』としての教育も受けた。非常に人としてバランスよくお育ちになられたのだと感心しました。
そして紀子さま自身の子供達への教育方針は、固定概念にとらわれずに自由に。そしてもっとも大切にしていたのは「あいさつと感謝の心」だといいます。
眞子さま然り、秋篠宮家のお子さま方は学業も優秀である。ところが勉強は、「周りが強要しない」「本人がやる気を見せるまで待つ」、と驚くほどのびのびとした方針を軸に据える。逆に、秋篠宮ご夫妻が大切にするのは、「朝にはきちんと起きる」「決まった時間が来たら学校へ行く」――、など生活のリズムを守ることだ。
そう教えてくれたのは、先の髙清水さん。「両殿下は全てのお子さまに『早期教育』を実践なさっています。しかし、それはいわゆる英才教育や能力開発ではありません」
秋篠宮家の早期教育。その柱は、「あいさつ」と「感謝の心」。この2本柱を身を持ってお子さま方に示す。なかでも生後数カ月から習慣化させるのは、あいさつである。
悠仁さまがまだ赤ちゃんの頃の話だ。紀子さまは毎朝、赤ん坊の悠仁さまを抱っこしてまずは、父の秋篠宮さまのところへ、「おはようございます」とあいさつに行く。お姉さま方、そして水槽の魚や庭の草花と順番に回っていたそうだ。
早期教育の2つ目の柱である、「感謝の心」。佳子さまが小学校の卒業文集に寄せたある文章を見てみよう。「自分が通うスケート場ではリンクの管理をする人や救護員など多くの人に支えられてスケートが出来ることに感謝の気持ちを忘れずに滑りたい――」
まとめ
紀子さまの若い頃の美人画像や性格の噂についてまとめました。
皇室の方の文書・ニュース等により聞くお話は、いずれも模範的な印象で紀子さまも普段どんな性格をしているのかなというところまでは読み取りづらく、こういったゴシップ的な話が出回るのみでどこまでを信じて良いのか難しいですね。
ただ紀子さまのこれまでの行動を見ていると十分すぎるほどその役割を果たされてきたのではといった印象も受けますし、実際のところはどうであれ、そこまで突っ込む必要もないように思います。(また日本人の高い関心をひく皇室のお話ということで、メディアの皇室ネタは売上・話題のためといった話も聞きますね…。)
今後皇室は天皇陛下の譲位をはじめ変革の時を迎え、秋篠宮家も深く関わっていくものになりそうです。これからの紀子さまにも注目です。