2022年1月に起きた埼玉・白岡15歳少年暴行死事件では、被害者の加藤颯太さんの生い立ちや実家の家族も話題です。
今回は加藤颯太さんの生い立ちや家族(母親・内縁の夫・兄弟)、学校を不登校だった理由、犯人や真相を紹介します。
この記事の目次
- 加藤颯太は「埼玉・白岡15歳少年暴行死事件」の被害者
- 加藤颯太の生い立ちや実家の家族① 母親は看護師で実父はDVで逮捕
- 加藤颯太の生い立ちや実家の家族② 母親は実家から絶縁されていた
- 加藤颯太の生い立ちや実家の家族③ 母親の異性問題で家庭はメチャクチャに
- 加藤颯太の生い立ちや実家の家族④ 兄弟の面倒を見るために学校を不登校に
- 加藤颯太の生い立ちや実家の家族⑤ 貧しいながらも礼儀正しいことで知られていた
- 加藤颯太の生い立ちや実家の家族⑥ 母親の内縁の夫との折り合いが悪かった
- 加藤颯太が死亡した「埼玉・白岡15歳少年暴行死事件」の真相や犯人
- 加藤颯太が死亡した「埼玉・白岡15歳少年暴行死事件」のその後
- 加藤颯太のまとめ
加藤颯太は「埼玉・白岡15歳少年暴行死事件」の被害者
加藤颯太さんは、2022年1月15日に起きた痛ましい事件「埼玉・白岡15歳少年暴行死事件」で亡くなった被害者少年です。
事件当日の午前4時50分頃、自宅1階のリビングで加藤颯太さんが意識不明の状態で倒れているのを発見した母・Aさんは、すぐに119番通報をします。
しかし既に急性硬膜下血腫を起こしていた加藤颯太さんは、3日後の1月18日に搬送先の病院で亡くなりました。
わずか15歳の若さで急死した加藤颯太さんの体には、日常的に暴行を受けた痕跡があり、中学生しては細く小柄だったため、警察は事故ではなく事件として捜査を開始しています。
・頭に強い衝撃を受けたことによる急性硬膜下血腫
・肋骨の骨折
・複数個所のあざや傷
・古い骨折の痕
加藤颯太の生い立ちや実家の家族① 母親は看護師で実父はDVで逮捕
「埼玉・白岡15歳少年暴行死」の被害者である加藤颯太さんですが、子沢山家庭に育っており、8人兄弟の長男(第2子)でした。
加藤家は母方の実家が会社を経営する裕福な一族で、母親Aさんは看護師として真面目に働いていました。
ただし、母親が20代前半の頃、加藤颯太さんの父親となるBさんとできちゃった結婚をしたことで、転落人生が始まります。
Bさんは半グレ風な見た目だけでなく、定職に就いていなかったようで、結婚後は加藤家の家業を手伝っていたものの、トラブルばかり起こしてAさんの家族に迷惑をかけ続けていました。
背景には颯太くんの父でもある、恵さんの前夫の存在があるようだ。恵さんは20代前半で前夫と結婚し、家業を手伝ってもらっていた時期もあるというが、他の従業員とけんか騒ぎを起こしていた前夫について「あまりいい印象はなかった」と父親は言う。恵さんのきょうだいが保証人になり車を購入するも、踏み倒されたこともあった。
そんなBさんは家庭内でも暴君だったようで、Aさんに対するDV容疑で逮捕されました。
なお、Bさんは前科持ちだったため、DV事件後は刑務所で服役しています。
加藤颯太の生い立ちや実家の家族② 母親は実家から絶縁されていた
BさんのDV問題などもあり、加藤颯太さんの両親は離婚しています。
その後、一時期は埼玉県内の家賃5万4000円程度のアパートに一家4人(母と子供3人)で暮らしていましたが、家賃を滞納して夜逃げも経験しているようです。
看護師であった母親Aさんが家賃を支払えなかった理由は分かりませんが、当時は0~4歳の幼子を抱えた状況だったため、フルタイムで働けず生活が困窮したのかもしれません。
ちなみに、家賃の滞納は2010年から始まり、2012年に夜逃げしています。
そのため、連帯保証人になっていたAさんの実家が100万円以上を肩代わりしたようで、その後、Aさんは実家から絶縁されたようです。
加藤颯太の生い立ちや実家の家族③ 母親の異性問題で家庭はメチャクチャに
アパートから夜逃げした後の加藤一家は、母親Aさんの勤め先の病院があった埼玉県蓮田市内にある借家で暮らしていました。
蓮田市時代のAさんには、前夫から受けた精神的な打撃が癒えたのか、新しい彼氏Cさんができました。
Cさんは当時30代で、関西の大学を卒業して東京で就職していた人物でした。
また、Cさんは学習塾を開業する夢も持っていたようで、一見すると前夫であるBさんとは真逆のまともな社会人でした。
しかし、このCさんにもBさん同様にDV癖があり、結局、加藤さん一家はDVシェルターに避難せざるを得ない状態に追い込まれています。
母親Aさんはよほど恋愛体質だったのか、その後も懲りずに別の男性との交際を繰り返し、交際男性が病院に嫌がらせをしたせいで、勤務先を退職に追い込まれたことまでありました。
「以前、彼女が顔に青あざを作って病院に出勤したことがあったそうです。DVを働いたのは今の内縁夫なのか前夫なのか当時の交際相手なのかは分かりませんが、患者さんの前に出せないほどのひどいあざだったそうです。その後、男から病院にものすごい数の電話がかかってくるといった騒動になり、彼女は病院を辞めたと聞いています」
母親の内縁の夫Dも問題がある人物だった
「埼玉・白岡15歳少年暴行死事件」時には、母親は当時50代だった内縁の夫Dさんと同居していました。
Dさんは埼玉県上尾市出身で、中学時代よりグレており、大宮のディスコで黒服をしていた過去がありました。また、大柄で格闘技の経験もあり、金髪でロン毛といういかつい外見でした。
そんなDさんには前妻の連れ子が1人いて、Dさんとその連れ子、さらに一時期はDさんの舎弟Eさんも加藤家で同居するなど、颯太さんは想像以上に複雑な家庭で育っていたようです。
ただし、この時期に大変だったのはEさんで、顔に青アザを作っていた他、真冬に薄着で外に締め出されている姿を近所の住民が目撃しています。
さらに2013年1月、Eさんは高熱による肺浮腫で急死しました。そのため、警察が加藤家を事情聴取したようですが、最終的には「事件性なしの病死」で処理されたようです。
加藤颯太、家賃滞納で白岡市に引っ越していた?
同居男性が変死するといった大騒動に巻き込まれた加藤家ですが、その後すぐには引っ越すことなく、そのまま蓮田市内の借家に住み続けていました。
そんな加藤一家が、蓮田市を離れて事件が起こる白岡市に引っ越したのは、2017年頃でした。
引っ越し理由は、借家だった自宅の家賃滞納が原因だったと言われています。
なお、引っ越し先の白岡市の自宅も借家で、築40年程度の木造2階建ての一軒家でした。
加藤颯太の生い立ちや実家の家族④ 兄弟の面倒を見るために学校を不登校に
小学4年頃から学校に通っていなかった
前述のエピソードからも分かるように、加藤家は経済的に恵まれない状況が続いていました。
加藤颯太さんは小学低学年頃、小さな魚を兄弟で分けて食べていると周囲にこぼしていたといいます。
それでも礼儀正しくて活発な性格だった加藤颯太さんには、友達が多かったようですが、小学4年頃から学校に不登校でした。
颯太さんが不登校になった頃、6人目と7人目の兄弟が立て続けに生まれ、颯太さんたち年長の兄弟が面倒を見なければならず、学校に行けなくなったと見られています。
不登校は母親の方針でもあった
子守りのために不登校児になってしまった加藤颯太さんですが、不登校の原因には、母親Aさんの学校嫌いも影響していたようです。
そのため、学校関係者が自宅を訪問し、「子供たちを学校に登校させて欲しい」と説得しても、聞く耳を持たなかったと言われています。
また、近所の住民には「自分はほとんど小中学校に行かなくても看護師になれた。だから、子供たちも学校に行かせなくていい」と豪語していたとか。
ただし、Aさんの実父によると、学生時代のAさんはごく普通の優等生でした。
中学ではソフトボール部に入っていました。不登校になることもなかったし、成績も普通でした。子供たちには“携帯代くらいは自分で払いなさい”と言っていたから、高校時代は長崎ちゃんぽんの店とかでバイトして払っていました。高校を出て看護学校に行き、看護師をやっている頃までは本当に普通の良い子でしたよ。
母親Aさんの頑固すぎる思い込みのせいで、加藤家の下の子供たちは、幼稚園や保育園にも通っていない状況でした。
加藤颯太の生い立ちや実家の家族⑤ 貧しいながらも礼儀正しいことで知られていた
白岡市に引っ越して以降の加藤家は、母親Aさんも内縁の夫Dさんも働いておらず、生活保護を受給して暮らしていたのでは?言われております。
表に出てきている情報を総合すると、少なくとも6人目以降の子供はAさん・Dさん夫妻の実子でしたが、結婚はしていませんでした。
また、両親があまりに放任主義で、深夜になっても家の前で子供たちが遊んでいる姿が度々目撃されていたそうです。
ただ、颯太さんはグレたりすることもなく、日課のゴミ出し中に近所住民と顔を合わせた際には、笑顔で挨拶をするような礼儀正しい少年でした。
地域の集会所で行われた子供向けの人形劇を加藤家の子供達が見に来た際、颯太さんの性格が分かるエピソードが残っています。
「颯太くんは小学6年生でした。お姉さんと一緒に下の子たちを連れて、子供だけで来ていたんです。ほかの子たちが騒いで親に叱られるなか、彼だけは正座して、小さいきょうだいを膝に乗せてじっと見ていた。しかも、終わると座布団を持ってきて“どこに片づけますか?”と。しっかりしていて感心しました」
加藤颯太の生い立ちや実家の家族⑥ 母親の内縁の夫との折り合いが悪かった
母親Aさんの内縁の夫であるDさんは、近所住民たちに対して威圧的だったようです。
子供達との関係も良くはなかったようで、加藤颯太さんたち年長組はDさんのことを「お父さん」ではなく「同居人」と呼んでいました。
また、母親AさんもDさんとの間に生まれた子供達のことばかり可愛がっているような状況だったとか。
近所住民も気にかけていたようで、加藤一家が庭でバーベキュー中、足を引きずる颯太さんの姿を見かけた近所住民が、その様子を動画に撮り、児童相談所に通報したこともありました。
加藤颯太が死亡した「埼玉・白岡15歳少年暴行死事件」の真相や犯人
「埼玉・白岡15歳少年暴行死事件」の犯人はまだ逮捕されていません。
母親Aさんは、加藤颯太さんが意識不明になる数日前、怪我をして血だらけで帰ってきたと警察や親族などに語っていることが分かっています。
ただ、警察は家宅捜査を実施するなど、自宅内で起こった事件の可能性もあるとして捜査しているようです。
加藤颯太が死亡した「埼玉・白岡15歳少年暴行死事件」のその後
「埼玉・白岡15歳少年暴行死」後、残った加藤家の家族はマスコミの目を逃れるために、近所の集会所に避難しています。
ちなみに、町内会費を支払っていなかった加藤家は、本来なら集会所を利用する権利がなかったものの、町内会の人々の好意で使用出来るようになったとか。
このような状況の中、集会所で子供達の面倒を見ているのは、母親Aさんの親戚を名乗る夫婦だと言われています。
加藤颯太さんの兄弟達は事件後も特にショックを受けた様子はなく、元気にしているようですが、幼い兄弟たちは加藤颯太さんがいなくなったことを理解できていないのかもしれませんね。
加藤颯太のまとめ
加藤颯太さんは、恵まれない家庭環境の中で懸命に生きていたものの、「埼玉・白岡15歳少年暴行死事件」で命を落とした少年です。
加藤さんのご冥福を祈りつつ、この記事のまとめを終了させて頂きます。