天才テレビプロデューサーであり「船長」の愛称でDJも務める佐久間宣行さんですが、なぜ独立したのか理由が話題です。
今回は佐久間宣行さんの経歴や学歴(磐城高校や早稲田大学)、身長や年収、結婚した嫁や子供など家族を紹介します。
この記事の目次
佐久間宣行は愛称「船長」の天才テレビプロデューサー
佐久間宣行(さくま のぶゆき)
生年月日:1975年11月23日
出身地:福島県いわき市
佐久間宣行さんといえば、「ゴッドタン」や「あちこちオードリー」といった人気バラエティ番組を手掛けるテレビプロデューサーです。
テレビ東京の社員時代から、異色な活動が目立っていた佐久間さんは、2019年から「佐久間宣行のオールナイトニッポン0」のメインパーソナリティも務めています。
当時、テレビ東京制作局CP制作チーム部主事だった佐久間さんが、ラジオとはいえ、冠番組を持つことになったのは、ニッポン放送からのオファーがきっかけでした。
ただし、佐久間さん本人も学生時代から深夜ラジオ好きだったらしく、就活でニッポン放送にエントリーしたこともあったとか。
そんな佐久間さんは、リスナーから「船長」と呼ばれて親しまれ、2021年1月には自前のイベントまで主催することになりました。
ちなみに、「佐久間宣行のオールナイトニッポン0 リスナー小感謝祭2021〜Believe〜」と銘打たれたこちらのイベントは、配信チケットが1.6万枚も売れるなど大盛況でした。
【ライブ(配信)】1/11「佐久間宣行のオールナイトニッポン0 リスナー小感謝祭2021~Believe~」。佐久間さんのイベントに興味があったので見ました。矢作さんもおっしゃってたけど、ほんと佐久間さんはお喋りが好きだな!(褒めてます)。裏方とは思えない凄すぎる。矢作さんとのトークも面白かった!
— あきぞう (@fried_oysters) January 19, 2021
その後、2021年3月いっぱいでテレビ東京を退社した佐久間さんは、現在はフリーのテレビプロデューサーとして活躍しています。
そんな佐久間さんは、YouTubeチャンネル「佐久間宣行のNOBROCK TV」を開設するなど、新興メディアにまで活動のフィールドを展開。
佐久間宣行さんのYouTubeチャンネルはこちら→佐久間宣行のNOBROCK TV
ちなみに、「佐久間宣行のNOBROCK TV」は、2022年2月現在で、登録者数こそ35.3万人なれど、総再生数が6000万回(76本)を超える人気ぶりです。
この記事では、そんな佐久間さんのこれまでの経歴や家族情報、テレビ東京から独立した理由についても紹介します。
佐久間宣行の経歴や学歴① 磐城高校出身でアニメや演劇好きだった
福島県いわき市に生まれ育った佐久間宣行さんは、中学卒業後は地元にある県立磐城高校に進学しています。
磐城高校は福島県下でも3本の指に入る進学校であり、歴代OBにはタカラ(現タカラトミー)の創業者の佐藤安太さんやピア創業者の矢内廣さんなどがいます。
そんな名門校に通っていた佐久間さんですが、アニメと演劇好きの高校生だったそうです。
佐久間さんのサブカル好きは進路にも影響していたそうで、先端のポップカルチャーを満喫するために、絶対に東京の大学へ進学しようと思っていたのだとか。
東京ではアニメの映画が単館でやっていたり、演劇だと野田秀樹や東京サンシャインボーイズがあり憧れのため上京を決意。東京の大学を受けたいと思った。流行っている芝居やライブに行きたいというだけのモチベーションで早稲田大学に入学したので当時は作り手になるとは思ってもみなかったとのこと。
引用:佐久間宣行
佐久間宣行の経歴や学歴② 早稲田大学時代は弾けていた
高校卒業後の佐久間宣行さんは、早稲田大学商学部に進学しています。
そんな大学時代の佐久間さんは、クリエイターを目指して広告サークルに所属していた時期もありました。
ただし、同期には後に「大映テレビ」の社長となる渡邉良介さんがいたりと、凄腕すぎるクリエイター志望がわらわらといたために、心が折れてサラリーマンを目指すことにしたそうです。
また、大学時代の佐久間さんは、高校時代の夢を叶えるべく、芸能系のイベントや興行を存分に満喫していました。
でも、学生時代も今と変わらずエンタメを見るのが大好きで、とにかくさまざまなジャンルのコンテンツを見ていましたね。フジロックをはじめ、代表的なロックフェスの初回にはほとんど行っているし、舞台も当時盛り上がっていた三谷幸喜さんや大人計画さんの作品はほとんど観ている。
元々はメーカーや商社志望だった
大学3年になった佐久間宣行さんは当初、メーカーや商社を目指して就職活動をしていました。
そんな中、記念受験したフジテレビの面接で高評価を受けたことがきっかけで、マスコミ関連の就職にも挑戦するようになります。
学生時代は広告代理店の営業や商社のマーケティングの仕事を志望していたが、軽い気持ちで受けたフジテレビの入社試験に役員面接まで通過。フジテレビ側の面接官で、当時『踊る大捜査線』のプロデューサーであった亀山千広(後にフジテレビ社長、2021年現在BSフジ社長)に「君はテレビ現場に向いている」と言われたことがきっかけでモノづくりに興味をもつ。
引用:佐久間宣行
ただ、マスコミ業界は一般的に面接開始時期が他の業種よりも早いため、佐久間さんがマスコミを目指した時点でエントリー可能だったのはテレビ東京だけしか残っていなかったようです。
それでも入社試験を突破した佐久間さんは、1999年にテレビ東京に入社しました。
佐久間宣行の経歴や学歴③ 若手社員時代は挫折の連続だった
テレビ東京入社後の佐久間宣行さんは、深夜ドラマを作るチームにADとして配属されました。
元々はコント番組の制作希望だった佐久間さんでしたが、深夜ドラマ班のアルバイトAD2名が突然辞めてしまったせいで、畑違いの部門に配属されてしまったようです。
そんな深夜ドラマ制作の現場は、家に帰れないほどスケジュールがタイトなうえ、現場の監督や先輩に怒鳴られ続ける日々だったそう。
そのせいで、転職しようかと悩んだこともあったといいます。
入社3年目に飛躍のきっかけを掴む
入社早々我慢の日々が続いた佐久間宣行さんですが、2年目には、ADのままバラエティ班に異動となりました。
転属先となったバラエティ班の仕事は、VTRのほとんどを制作会社が作り、局側は番組の仕切りを行うだけでした。
そのため、ドラマ班時代とは真逆のホワイトすぎる仕事場だったそうですが、1年先に配属された同期たちが既に番宣作りまで任されていたこともあり、焦りも感じていたそうです。
そんな同期たちに追いつき追い越すために、佐久間さんは企画書作りに邁進することになりました。
佐久間さんの努力が実る時期は意外とすぐにやって来たらしく、入社2年目に社内公募に応募した企画が、翌年にはレギュラー番組化します。
また、自前企画の番組化ということで、プロデューサーに抜擢されました。
ただし、この時始まったバラエティ番組「ナミダメ」は、放送開始半年で打ち切られてしまうなど、それ相応の挫折も味わうことになったとか。
佐久間宣行の経歴や学歴④ おぎやはぎ・矢作のおかげでストロングポイントに気が付く
「ナミダメ」が短期打ち切りになったものの、同番組が全日本テレビ番組製作社連盟の新人賞を受賞したこともあり、佐久間宣行さんの社内での評価は下がりませんでした。
そのため、当時のテレビ東京の看板番組の1つだった「TVチャンピオン」のディレクターに抜擢されるなど、着実にキャリアを積んでいきました。
とはいえ、本人的には「ナミダメ」の失敗がトラウマ化してしまったらしく、自分はバラエティに向いていないのでは?と悩むこともあったそうです。
そんな佐久間さんのトラウマが癒えたのは、総合演出を手掛けた「大人のコンソメ」という番組がきっかけでした。
わずか半年で打ち切りになるなど、必ずしも成功したとは言えない「大人のコンソメ」でしたが、出演者だった「おぎやはぎ」の矢作兼さんから編集の上手さを褒められたそう。
そのおかげで、佐久間さんは初めて自分のストロングポイントに気が付くことができました。
初めて自前企画がヒットしたのは2005年「ゴッドタン」
佐久間宣行さんの出世の決定打となったのは、2004年3月から始まった「シブスタ S.B.S.T」という情報バラエティ番組です。
こちらの番組も1年程度で打ち切られた不人気番組でしたが、ディレクターを務めた佐久間さんの仕切りの上手さが、テレビ東京内で絶賛。
そのため、以降の佐久間さんにはフロアディレクターの仕事がガンガン入って来ることになったとか。
ただ、本人的には自前企画のバラエティ番組で成功したいという想いが強かったため、高評価に自惚れることもなく、社内公募用の企画書を練り続けていました。
そんな佐久間さんの念願が叶ったのが2005年から始まった「ゴッドタン」であり、現在まで続くヒット番組となっています。
佐久間宣行の身長は?若い頃はイケメンだった?
現在は中年太りしてしまったため、人の好さそうなおじさんにしか見えない佐久間宣行さんですが、実は若い頃はかなりのイケメンだったことでも有名なんです。
そんな佐久間さんの若かりし頃の写真がこちら。
確かに痩身だった時代は、俳優顔負けのさわやかなイケメンですね。
おまけに、身長も183cmもあったため、女性にはさぞモテたのではないかと思われます。
佐久間宣行はなぜテレビ東京から独立したのか?
このままテレビ東京に残り続ければ、取締役以上の地位は確実だったように見える佐久間宣行さんだけに、独立した理由も気になりますよね。
社員の身でありながらラジオDJもやらせてもらえるなど、テレビ東京とは良好な関係にあった佐久間さんが独立した理由は、管理業務問題でした。
いつまでも現場で仕事がしたかった佐久間さんですが、このままテレビ東京に残り続けると、管理職に昇進し、管理業務がメインとなってしまう未来が待っていました。
そのため、妻に独立したいとの胸の内を明かしたところ、「私が会社で働くから。いざとなったら食わせるから。好きにやれば」と後押しをしてくれたため、独立を決めたといいます。
佐久間宣行の年収 【独立後も仕事は絶好調だった】
独立後の佐久間宣行さんですが、社員時代に手掛けていた「ゴッドタン」などの3番組は、引き続き担当しています。
また、ネットフリックスで2022年3月より配信される「トークサバイバー!〜トークが面白いと生き残れるドラマ〜」の企画・プロデュースも手掛けています。
その他にも日本テレビの特番「東京03とスタア」も手掛けるなど、独立後も仕事は絶好調。
そんな佐久間さんの年収は、テレビ東京の3番組は包括契約で、社員時代と比べてギャラは上がっていないそうです。
しかし、「佐久間宣行のNOBROCK TV」の収益や独立後に手掛けている番組のギャラなどを踏まえると、年収は数千万円以上なのは確実でしょう。
佐久間宣行の家族:結婚した嫁と子供(娘)の情報
やり手のテレビマンだった佐久間宣行さんですが、結婚の時期は案外早く、2002年に27歳の若さで同じテレビ東京の社員と結婚しています。
その後、2006年に長女も生まれている佐久間さんは、娘が幼い頃はツィートも娘関連の話題を連発していました。
3歳の娘が公園に行くとき、「お砂場で遊ぶから、くつしたは安物でいいよ」だって。これを成長と呼ぶべきか。
— 佐久間宣行 (@nobrock) April 25, 2010
ピラメキーノの会議がなくなったので、娘のバレエに付き添い中。お友達とヒソヒソ話で爆笑してる。もう、完全に女の子だなー。
— 佐久間宣行 (@nobrock) January 22, 2011
現在はこの娘も思春期になり、「私のツィートをされるのは恥ずかしい」と言われてしまったため、娘の行動をつぶやくのは控えているそう。
ただし、佐久間さんの娘への愛情は不変なようで、仕事の合間をぬってお弁当を作ってあげたり、一緒に映画を見に行ったりしているそうです。
佐久間宣行のまとめ
佐久間宣行さんはテレビ東京の元天才プロデューサーであり、フリーに転身後も活躍が止まらず、家庭も円満のようです。
佐久間さんの今後より一層の活躍を祈りつつ、この記事のまとめを終了させて頂きます。