63年という史上1位の現役棋士記録を持ち、2017年についに引退した将棋界のレジェンド・加藤一二三。
現在は”ひふみん”と呼ばれてバラエティ番組やCMに引っ張りだこなタレントとしても活躍しています。
加藤一二三さんの現在までの活躍について総まとめしましたのでご紹介します。
加藤一二三のプロフィール&生い立ち・若い頃や伝説エピソード
”ひふみん”こと加藤一二三九段は何故すごい?
その愛らしいかわいいルックスとユニークなキャラクターからメディアに引っ張りだこな加藤一二三さん。戦前生まれとしては唯一存命の名人経験者であり、「1分将棋の神様」「神武以来(じんむこのかた)の天才」と”将棋界の神様”とも言える活躍をしてきました。
”ひふみん”こと加藤一二三さんについてのプロフィールはこちら。
名前: 加藤一二三(かとう ひふみ)
生年月日: 1940年1月1日
プロ入り年月日: 1954年8月1日
棋士番号: 64
出身地: 福岡県嘉麻市
師匠: 剱持松二九段
段位: 九段
戦績
タイトル獲得合計: 8期
一般棋戦優勝回数: 23回
将棋界で最も有名な人物は羽生善治竜王ですが、藤井聡太四段が華々しいデビューを飾ったプロ第一戦は加藤一二三九段であり、将棋界では”伝説的な棋士”だと言われています。
羽生善治竜王は2017年12月5日に「永世竜王、十九世名人、永世王位、名誉王座、永世棋王、永世王将、永世棋聖」という将棋界初の永世七冠に輝き、翌年1月には「国民栄誉賞」を国から贈られています。
単純な戦歴だけを見れば圧倒的な天才は羽生善治竜王ですが、”ひふみん”と愛される加藤一二三九段は”九段”ながら「神武以来の天才」と称されています。
加藤一二三九段の何が凄いのかを総まとめしましたのでご紹介していきましょう。
加藤一二三、スラムダンクでいう安西先生だと思ってるしひふみんを弄ってゲラゲラ言ってる芸能人は安西先生へのリスペクトが足りてなかった頃の桜木花道だと思っている
— じんちく (@can_chiku) 2018年1月12日
加藤一二三の生い立ち&経歴
加藤一二三は将棋を指すために生まれた
加藤一二三さんは元旦に生まれました。物心ついた頃には将棋を指していたようで、同世代の子供と打っても必ず勝つためつまらないと思っていたそうです。
加藤一二三さんは1951年に南口繁一さんに弟子入りし、3級として関西奨励会に入りました。
2017年に藤井聡太四段に記録を塗り替えられるまでは、加藤一二三さんは1954年に14歳7ヵ月という将棋界で史上最年少でプロ入りをしました。
中学生棋士となった加藤一二三さんでしたが、当時は現在ほど世間の反響は無かったようです。
14歳でプロの棋士となった加藤一二三さんは、対局日に学校に投稿できなかったことから同級生の女子にノートを取って貰っていたそうですが、この女子が現在の妻である紀代さんであり、1971年に結婚しました。
こうしたエピソードも加藤一二三さんの伝説を彩っている感じがしますね。
【伝説】加藤一二三九段が天才と言われる理由① 新人棋戦史上最年少優勝
「神武以来の天才」と呼ばれるようになった加藤一二三
「神武以来の天才」とは、当時が「神武景気」と呼ばれた神武天皇が就任した時以来の好景気だったことから「神武以来の○○」という呼び方がブームになっており、中学生棋士として目覚しい活躍をしていたことから加藤一二三さんもそう呼ばれるようになりました。画像を見る限り若い頃は精悍な顔立ちをしていたようですね。
加藤一二三さんは1957年1月24日の「高松宮賞争奪選手権戦」にて17歳0ヶ月で優勝し、これは公式戦において史上最年少の快挙でした。
そして、デビューから4年連続で順位戦に勝利した加藤一二三さんは、18歳でA級8段に昇格するという快挙を成し遂げたことから「神武以来の天才」と称されるようになりました。
加藤一二三さんは20歳で初めてのタイトル戦を迎えましたが、大山康晴名人との七番勝負にて1勝4敗で敗れています。
この頃、加藤一二三さんは朝日新聞朝刊で連載されていた漫画『サザエさん』で、活躍している若い世代の代表として後の横綱・大鵬幸喜さんと共に「将棋の加藤八段」と称されていました。
加藤一二三さんは棋士として活躍しながら高校に通い、生徒会長を務めていたようで、図書室でよく読書をしていたそうです。
加藤一二三、初タイトルを獲得
初の2冠を獲得した加藤一二三
加藤一二三さんはプロ25年目にして初の2冠を達成しました。本当に若い頃は男らしい印象をしています。
加藤一二三さんは1960年代からタイトル戦で超えるべき存在は初タイトル戦でも敗けた大山康晴名人でした。
この頃大山康晴名人は全盛期の時期であり、ほとんどのタイトルを奪取していたようです。
加藤一二三さんは6度目のタイトル戦でようやく大山康晴名人をフルセットの末に下し、プロデビュー以来15年目にして初のタイトル獲得となりました。
その10年後である1978年の王将戦でタイトルを獲得し、加藤一二三さんは自身初となる二冠王となりました。
【伝説】加藤一二三九段が天才と言われる理由② 一般棋戦優勝数史上1位
加藤一二三、2度目の二冠制覇と一般棋戦優勝数最多に
まったく衰えることを知らない加藤一二三さんの闘志により、30年の棋士キャリアで一般棋戦において優勝数が史上最多となる記録を打ち立てました。
加藤一二三さんは1980年に行われた第40期名人戦で、3度目の挑戦で名人戦史上歴史に残る名勝負と言われた対局を制して、プロデビューから22年目にして念願の名人位を獲得しました。
これにより加藤一二三さんは十段位と合わせて自身2度目の2冠を達成しています。
しかし、この時が加藤一二三さんの全盛期であり、1984年の第25期王位戦ではタイトルを奪取されてしまい、それ以降はタイトル戦に絡むことは無くなりました。
加藤一二三さんは一般棋戦においては1993年の「NHK杯将棋トーナメント」で優勝したことで、1960年~1990年の5つの十年記において優勝を記録したことから、一般棋戦優勝数が史上最多の1位となりました。
【伝説】加藤一二三九段が天才と言われる理由③ 史上初の通算1000敗を記録
加藤一二三の凄いところは敗けても萎えない闘志
加藤一二三さんが天才だと言われる所以は、輝かしいタイトルの数々よりも、史上最多敗北数を記録しながらも棋士としての闘志が全く衰えないところだと言われています。
加藤一二三さんは1989年8月21日に大山康晴名人に次ぐ史上2人目の通算1000勝を達成しました。
この快挙により加藤一二三さんは特別将棋栄誉賞が贈られています。
2001年には史上3人目の通算1200勝を記録し、加藤一二三さんは九段しか無かった段位の上に「十段」の段位を新設することを提案したようです。
一方で、加藤一二三さんは2007年8月22日に開催された「朝日杯将棋オープン戦予選」において史上初の通算1000敗目を喫し、2013年に通算勝利数が1309勝と歴代2位になったのと合わせて通算敗北数も歴代1位となりました。
ここまでの偉業を達成したのは日本の将棋界において加藤一二三さんただひとりのようです。
そしてこの頃、加藤一二三さんを題材にしたスーパーファミコン用ゲーム「加藤一二三九段 将棋心技流」がゲームソフトメーカー・ヘクトから発売されています。
【伝説】加藤一二三九段が天才と言われる理由④ 史上最年齢差対決を実現
藤井聡太四段との対局で史上最年齢差対決を実現した加藤一二三
平成の天才少年棋士・藤井聡太四段のプロビュー初戦は奇しくも将棋界のレジェンドで最高齢の加藤一二三さんでした。
加藤一二三さんは2016年の「第30期竜王戦」の6組ランキング戦・初戦で史上最年少記録を塗り替えた藤井聡太四段のプロデビュー戦で対局しました。
結果は110手で藤井聡太四段の勝利となり、若き天才との世代交代を印象付ける対局となりました。
この加藤一二三さんと藤井聡太四段の対局は日本将棋連盟が世紀の対局としてわざと組んだのかもしれませんね。
【伝説】加藤一二三九段が天才と言われる理由⑤ 最高齢棋士記録を塗り替える
加藤一二三は最高齢現役棋士の記録を塗り替えた
加藤一二三さんは平成の天才少年棋士・藤井聡太四段と対局した翌年に最高齢現役棋士となりました。
加藤一二三さんはそれまで丸田祐三さんが持っていた77歳1日という最高齢現役棋士記録を、2017年1月3日に塗り替えました。
さらに最高齢対局記録であった76歳11ヶ月も塗り替えています。
【伝説】加藤一二三九段が天才と言われる理由⑥ 名人が規定により引退は史上初
加藤一二三は引退もらしいものとなった
加藤一二三さんは自ら引退宣言をすることなく日本将棋連盟の規定により引退することとなりました。
加藤一二三さんは順位戦C級2組にて引退が掛かった対局で、1勝7敗となったことから他の棋士が残り全敗する以外に降級を免れない状態でしたが、ひとりが勝利を収めたため加藤一二三さんは自動的に引退することになってしまいました。
日本将棋連盟の規定によって引退する名人経験者は初めてであり、加藤一二三さんは最後まで自ら諦めて引退することなく消えない闘志を見せ続けてきました。
1月20日に行われた「第88期棋聖戦二次予選」で飯島栄治さんと対局し、加藤一二三さんの現役最後の勝利となりました。
そして、加藤一二三さんは6月20日に行われた「竜王戦6組昇級者決定戦」で高野智史さんに敗北したことで現役最後の対局となりました。
加藤一二三さんは現役最後の対局終了後に、インタビューのために控えていた記者や日本将棋連盟の幹部を振り切って無言でタクシーに乗り込み帰ってしまいましたが、ショックだったからではなくいの一番に将棋人生を支え続けてくれた家族にお礼をするためでした。
その後、加藤一二三さんはツイッターで以下のような感謝のコメントを発表しています。
「天職である将棋に、生涯を懸け全身全霊を傾け打ち込むことができました。幸せな棋士人生をありがとうございました」
60年近くも加藤一二三さんの将棋人生を支えてくれた妻の紀代さんに、誰よりも先に感謝の言葉を言いたかったのでしょう。
加藤一二三さんのこういうところも”伝説の棋士”という姿が見えるようです。
加藤一二三さんの引退会見が6月30日に東京・将棋会館で行われ、約40社・100名あまりの記者が押し寄せての注目された会見となりました。
加藤一二三さんは1954年8月1日に四段になってから引退するまで、現役としての勤続年数は将棋界で史上1位となっています。
経歴だけをみれば羽生善治竜王の前人未到の快挙も伝説ですが、加藤一二三さんはひとりの棋士として尽きることのない将棋への情熱を見せ続けてくれた、まさに”将棋の神様”と呼ばれるにふさわしい棋士でしょう。
【伝説】加藤一二三九段が天才と言われる理由⑦ 引退しても教授・タレントとして活動
何歳になっても新しいことにチャレンジする加藤一二三
加藤一二三さんの消えない闘志は将棋だけに限ったことではなく、高齢になってからも物怖じせずに芸能界に飛び込み、バラエティ番組に出演したり歌手デビューも果たすなど新しいことにチャレンジしていく姿勢は凄いと言えます。
加藤一二三さんは将棋界引退後の2017年6月23日に次女が通っている縁で仙台白百合女子大学の客員教授に就任しました。
そして7月1日には芸能事務所ワタナベエンターテインメントとマネジメント契約を結び、タレントとしての活動をスタートさせました。
加藤一二三さんはテレビ番組『スッキリ!!(日本テレビ系)』や『第68回NHK紅白歌合戦』などに出演し、CMは日本郵便の「年賀状印刷」やNTTドコモの「会長編」などテレビでよく見るようになりました。
【伝説】加藤一二三九段が天才と言われる理由⑧ 「1分将棋の神様」と呼ばれる
誰よりも”長考”することから生まれた「1分将棋」の極意
「1分将棋の神様」とは1分で勝負をつけるわけではなく、加藤一二三さんの誰よりも”長考”するスタイルから生まれたものでした。
加藤一二三さんは最善手を考え込むタイプのため、対局序盤から長考することが多い棋士でした。
そのため、対局終盤になってくると持ち時間が少なくなっているため考える時間が無く、秒読みでの一手を打つ必要が生じていました。
このことから加藤一二三さんは瞬間的なヒラメキで勝ちをもぎ取っていく「秒読みの神様」や「1分将棋の神様」と呼ばれるようになったようです。
【伝説】加藤一二三九段が天才と言われる理由⑨ 変わった逸話が多すぎる
加藤一二三の最も”天才”たる所以は変わり者だから?
加藤一二三さんの言動からはもはや”天才”としか言いようのない独特なものがあります。
加藤一二三さんがここまで愛されているのもそのユニークな性格にあると言っていいでしょう。
現役時代に加藤一二三さんが見せた面白い言動は以下のようなものがあります。
・みかんを1分で3個食べることができる
・対局の解説中にコーラを飲んでゲップをしながら解説する
・エアロバイクに耐荷重オーバーで乗れないからダイエットができないと言う
・一手に最長7時間かけたことがある
・ここぞという一手(王手)は両手で駒を将棋盤に叩きつける(駒が跳ねて相手に当たったことがある)
・電気ストーブの温風を相手の顔に当てて嫌がらせをしたと思われた(実際は寒くないようにという思いやりだった)
・絶好調の時に咳払いをしすぎるため理事会から空咳をしないように注意された
・外で流れている滝の音がうるさくて集中できないため「滝を止めろ」と言った
・自宅マンションで野良猫に餌付けをしたところ、管理組合や住民から訴訟を起こされて204万円の慰謝料を支払った(加藤一二三さんは「猫の命を助けるためなのに理解できない」と言っていた)
・猫に「将棋に興味あるのかい?」と話しかける
・対局時のお昼ご飯は必ず「うな重」を注文する
・対局中に軽く10枚は板チョコを平らげる
・ネクタイが異様に長すぎる(必ず腰下まである)
・ヒラメキを得るため対戦相手の背後に回って覗き込むように盤面を見る
こうしたユニークな棋士だった加藤一二三さんは2000年4月29日に国から紫綬褒章を受章しています。
加藤一二三と羽生善治は実はラブラブだった?
将棋界のレジェンド2人は仲が良かった?
将棋界で伝説の棋士と言えば加藤一二三さんと羽生善治竜王ですが、ふたりはとても波長が合うようです。
加藤一二三さんはインタビューで「無人島にひとつだけ持っていけるとしたら何を持っていく?」という質問に「羽生さん」と答えているそうです。
無人島でも羽生善治竜王となら将棋を指して生きているということで、まさに「ノー将棋ノーライフ」な答えをしていたようです。
加藤一二三さんと羽生善治竜王はとても話がよく合うようで、2時間喋り通しでも全然飽きないそうです。
羽生善治竜王も自著『決断力』の中で、加藤一二三さんに対して自身を全く曲げない姿勢を尊敬していることを書いているようです。
その尊敬の念の中には加藤一二三さんのユニークな言動ももちろん含まれており、加藤一二三さんが話している姿を微笑ましい顔で見ている羽生善治竜王の姿をテレビで確認できます。
加藤一二三さんも羽生善治竜王への尊敬の念は非常に大きいもので、過去に対局した際に羽生善治竜王の「神がかりの一手」で敗れてしまい、そのことから「羽生善治論 天才とは何か」という著書を書いています。
羽生善治竜王も「無人島に持っていく物」の質問をされた時に、加藤一二三さんを受けて「加藤一二三先生」とお返しの返答をしていましたが、加藤一二三さんはそれに対して「私はモーツァルトのCD」と茶目っ気たっぷりに言うあたり、将棋界での漫才コンビのような掛け合いも面白い関係でしょう。
羽生善治論(加藤一二三著)読了
— 杉本悟 (@sugimoto_satoru) 2018年1月15日
著者は神武以来の天才と呼ばれた棋士である。
この本を書いた理由を三点あげている。
1)羽生善治の圧倒的強さの秘密はどこにあるのか。
2)羽生善治とはいったい何者なのか。
3)羽生善治はどこに向かおうとしているのか。
だ、そうである。 pic.twitter.com/tbV57IK2wD
加藤一二三の家族、嫁や子供の情報まとめ
加藤一二三の家はキリスト教を進行している
日本の将棋界のレジェンドとしては意外ですが、加藤一二三さんはキリスト教の熱心な信者でした。
加藤一二三さんは先述した中学校時代の同級生である紀代さんと結婚し、1男3女の子供に恵まれました。
加藤一二三さんは2012年に聖イグナシオ協会で金婚式を挙げているようです。
敬虔なカトリック教徒である加藤一二三さんは、”パウロ”という洗礼名を貰っていることから、”ひふみん”という愛称の他に”パウロ先生”という呼ばれ方もしていたようです。
加藤一二三さんは1986年にローマ法皇ヨハネ・パウロ2世から直接聖シルベストロ教皇騎士団勲章を受章しているそうです。
加藤一二三さんの家は妻と4人の子供たちもキリスト教徒であり、ミサに参加したり、食前の賛美歌と夕食後の祈りを毎日していたそうです。
加藤一二三さんは妻とともに教会で結婚講座を開いており、長男と長女はカトリック系である上智大学を卒業、次女は修道女になり白百合女子大学の講師をしています。
三女はスペインにある聖フランシスコ・ザビエル教会で結婚式を挙げており、まさにキリスト教一家として生活をしているようです。
大好きなプロ棋士の加藤一二三さん(ひふみん)にいいねしてもらったんだけど!!!(((o(*゚▽゚*)o)))
— シーグラス✼ネットプリント1/22 23:59まで (@seaglass_illust) 2018年1月11日
とっても嬉しい!!! pic.twitter.com/zVhFKUqRZu
加藤一二三について総まとめすると・・・
将棋界において「神武以来の天才」と称され、藤井聡太四段と世代交代するまで史上最年少棋士の記録を保持していたレジェンド・加藤一二三さんについて総まとめしてきました。
テレビで見せる姿はまさに愛らしいおじいちゃんと言った感じですが、その棋士としての生き様は誰よりも闘志に満ちた、まさに天才と呼ばれるにふさわしいものでした。
CMでも加藤一二三さんらしいユニークな姿を見せてくれていますが、今後はドラマなどにも出演して欲しいですね。