ゴルフ界のレジェンドである「ジャンボ尾崎」こと尾崎将司さんが亡くなりました。その人生と輝かしい功績・経歴に注目が集まっています。
尾崎将司さんののプロフィールや身長、ジャンボ尾崎の由来、若い頃のプロ野球選手としての経歴、プロゴルファーとしての経歴や成績・生涯獲得賞金、破産した過去や結婚した嫁との離婚、子供・息子、死因や現在をまとめました。
この記事の目次
尾崎将司はレジェンドのプロゴルファー
尾崎将司(ジャンボ尾崎)
本名:尾崎正司
生年月日:1947年1月24日
没年月日:2025年12月23日
出身:徳島県海部郡宍喰町
活動:プロゴルファー
尾崎将司さんは日本のレジェンドのプロゴルファーです。「ジャンボ尾崎」と呼ばれ、ゴルフ界の発展に貢献しました。
1980年代~1990年代にかけて圧倒的な強さを誇り、通算優勝回数113回は世界プロツアー最多記録で、世界ランキングの自己最高位は5位。さらに、2010年には世界ゴルフ殿堂入りを果たしました。
2010年代からはジャンボ軍団を結成し、後進の育成に取り組み、多くの若手ゴルファーを輩出しています。
尾崎将司はなぜ「ジャンボ尾崎」?
尾崎将司さんは、「ジャンボ尾崎」というニックネームで親しまれていました。このジャンボ尾崎というニックネームは、公式のゴルフランキングでも「Masashi Jumbo Ozaki」と表記されるほど浸透しました。
このジャンボという名前の産みの親はスポーツニッポンの樋口恭記者です。プロデビュー後すぐにスポーツニッポンの紙面で、「ジャンボ・プロ誕生」と記し、これが一気に広まって、ジャンボ尾崎と呼ばれるようになりました。
樋口記者は尾崎将司さんの大柄な体格から放たれるドライバーショットをジャンボジェット(ボーインク747)に例えたのです。当時は、ジャンボジェット機は想像を絶する大きさであり、それになぞらえたんですね。
尾崎将司さんは3兄弟の長男です。次男は尾崎健夫さん、三男が尾崎直道さんもプロゴルファーになり、ニックネームが付きました。
・長男:尾崎将司=ジャンボ尾崎
・次男:尾崎健夫=ジェット尾崎
・三男:尾崎直道=ジョー尾崎
尾崎将司さんのジャンボ尾崎というニックネームが定着したので、2人の弟も「J」から始まるニックネームがつき、「尾崎三兄弟」として名を馳せました。
ちなみに、ジェット尾崎は、ジャンボ尾崎にちなんだもの。ジョー尾崎の由来はファンからの公募でした。
ジェットはショットの豪快さ、力強さがあったからそれに続いて。ジョーは「J」を頭文字にして、当時契約していたブリヂストンがファンからニックネームを募集したものだった。
引用:ジェットとジョーの由来は 尾崎三兄弟の物語/ゴルフ昔ばなし 【国内男子ツアー JGTO】 |GDO ゴルフダイジェスト・オンライン
ジャンボ尾崎というニックネームが浸透したのは、「ジャンボ」が尾崎将司さんのイメージにピッタリだったこともありますが、尾崎将司さんが圧倒的な強さを誇ったからだと思います。
尾崎将司の身長
尾崎将司さんの身長は181cmです。
現在の感覚だと、スポーツ選手で身長181cmというのはごく普通と思うかもしれませんが、尾崎将司さんがプロデビューをした1970年当時はかなり高い部類に入りました。
特に、尾崎将司さんは身長が高いだけでなく、肩幅もあり、ガッシリした体格をしていましたから。
その大柄な体格から打ち放つドライバーショットは、まるでジャンボジェットが離陸する時のような弾道を放っていました。
尾崎将司は若い頃はプロ野球選手だった
尾崎将司さんは若い頃はプロ野球選手でした。
徳島県出身の尾崎将司さんは、高校は県立海南高校に進学し、1964年に選抜甲子園に出場して優勝しています。
そして、1965年に西鉄ライオンズに入団しました。
しかし、2年間はあまり一軍で登板機会がなく、打者としての才能を評価されたことで、プロ3年目からは内野手登録になります。
3年目の1967年には2軍で4番を務め、32試合で打率2割9分8厘・本塁打9本の成績を残しましたが、1軍では結果を残すことができませんでした。
そして、1967年のシーズンオフに退団を申し出ました。
退団の理由は、同期入団の天才投手・池永正明さんの存在でした。池永正明さんは2年目で15勝を挙げるなど結果を残していたスター選手です。尾崎将司さんは野球では池永正明さんに勝てないけれど、違う世界で勝ちたいという理由で野球を離れる決心をしたそうです。
野球を辞める時に球団と揉めた
尾崎将司さんは3年目のシーズンオフに、球団に退団を申し出ましたが、すんなりと退団できたわけではありませんでした。
入団してまだ3年と若かったこと、打者に転向して1年しか経っていないこと。さらに打者としては光る才能を持っていたことことから、球団は尾崎将司さんを全力で慰留したのです。
しかし、尾崎さんは翻意しなかったため、球団社長は激怒して、「辞めるなら契約金と年俸を返せ」と詰め寄ります。社長にそんなこと言われたら、普通は退団を踏みとどまるかもしれませんが、尾崎将司さんは「契約金なんてもう使って残っていない」と言い放ちます。
球団社長は泣き落としも試みましたが、まったく効果はなく、揉めた状態のまま最終的に尾崎将司さんは西鉄ライオンズを退団することになりました。
このメンタルの強さがゴルフに活かされたのかもしれません。
尾崎将司のゴルフの経歴
プロテスト合格まで
尾崎将司さんはプロ野球の西鉄ライオンズを退団した後、プロゴルファーを目指します。
ゴルフに転向するきっかけは、ライオンズの打撃コーチだった花井悠さんでした。花井さんがプロゴルファー転向を勧めたことで、本気で目指すようになります。
退団後、プロゴルファーを目指して九州のカントリークラブに勤めますが、西鉄ライオンズ退団時に揉めたことで、そのカントリークラブをクビになってしまいます。西鉄ライオンズが九州内で尾崎将司さんが活動することをよく思わなかったようです。
そのため、千葉の習志野カントリークラブに就職しました。
習志野カントリークラブの研修生になった尾崎将司さんは、1970年にプロテストに一発合格します。1968年1月にプロ野球を引退して、約2年でプロテストに合格。すごい才能、すごい身体能力です。
日本のトッププロに
プロ2年目で日本プロゴルフ選手権大会で初優勝を果たすと、その後とんとん拍子に5勝を挙げ、1971年には海外初優勝を飾りました。
その後も国内外で活躍し、青木功さん・中嶋常幸さんとともに「AON」と呼ばれ、さらに尾崎3兄弟で人気になり、日本ゴルフ界を牽引していました。
JPGA優勝は94回、優勝回数は113回。これは世界プロツアー最多記録です。
青木功さんと中島常幸さんなどの同世代のプロゴルファーはシニアツアーに参戦する中、ジャンボ尾崎さんはレギュラーツアーにこだわり、2002年の全日空オープンで最年長55歳でツアー優勝を果たしました。その後もツアー出場回数は減ったものの、2019年までレギュラーツアーに参戦していました。
ゴルフでの実績とゴルフ界発展の功績を評価され、2010年には世界ゴルフ殿堂入りを果たしています。
後進の育成に尽力する
2010年代に入ると、尾崎将司さんは後進の育成に力を入れるようになり、2018年にはNPO法人JUMBOスポーツ・ソリューションと「ジャンボ尾崎ゴルフアカデミー」を設立しました。
ジャンボ軍団女子部・ジャンボ尾崎アカデミー出身者には次のような女子プロゴルファーがいます。
・原英莉花(超有名女子プロ)
・西郷真央(アカデミー1期生・海外メジャー制覇)
・笹生優花(全米女子オープン優勝2回)
・佐久間朱莉(年間女王)
・香川友(史上最年少プロ転向)
尾崎将司さんはプロゴルフ選手としてはもちろん、指導者としてもすごい実力の持ち主だったのです。
尾崎将司のゴルフの成績と生涯獲得賞金
尾崎将司のゴルフの成績
尾崎将司さんのゴルフの主な成績はこちらです。
・優勝回数:113回(世界プロツアー最多記録)
・JPGA優勝回数:94回(歴代最多記録)
・メジャー大会20勝(歴代最多記録)
賞金王には12回。この12回の賞金王も歴代最多記録です。世界ランキングの最高位は5位、マスターズの最高順位は5位、全英オープン最高成績は6位タイ、全米オープン最高成績は10位タイです。
尾崎将司さんの日本ゴルフツアー優勝回数は94回。これは歴代1位の記録です。優勝回数ランキングを見てみましょう。
・1位:尾崎将司 94回
・2位:青木功 51回
・3位:中嶋常幸 48回
・4位:尾崎直道 32回
・5位:片山晋呉 31回
尾崎将司さんが圧倒的であることがわかります。尾崎将司さんは最強のプロゴルファーと言って良いかもしれません。
尾崎将司さんは、野球では池永正明さんに勝てないから違う世界で池永さんに勝つために、プロゴルファーに転向しました。その結果、歴代1位の記録を残し、26億8800万円以上の賞金を稼ぎました。
その一方、池永正明さんは入団から5年で99勝を挙げる大活躍を見せました。しかし、1969年のシーズン途中に野球選手の八百長疑惑が浮上し、同年オフの黒い霧事件が発生しました。池永さんもこの黒い霧事件に関わっていたことが判明し、永久追放になりました。
野球では負けて、早い段階で野球には見切りをつけて新しい道に進んだ尾崎将司さんは歴代1位のレジェンドとなり、稲尾和久の後継者と言われた池永さんは八百長に手を染めて永久追放。なんとも皮肉な結果ですね。
尾崎将司の生涯獲得賞金
尾崎将司さんの生涯獲得賞金は、2,688,836,653円(26億8883万6653円)です。
2位の片山晋呉さんは約22億8800万円、中嶋常幸さんは16億6400万円、尾崎直道さんは15億4500万円、石川遼さんは13億5400万円ですから、これも圧倒的な1位ですね。
尾崎将司は破産していた…
プロゴルフ選手として生涯獲得賞金が26億8883万6653円にもなった尾崎将司さんですが、実は一度破産しています。
破産したのは2005年のこと。2005年11月1日にゴルフ場開発などで負債が50数億円(一説には100億円近く)にもなり、東京地裁に民事再生法適用手続きを申し立てました。
この負債の原因はゴルフ場開発や不動産投資、ゴルフスクールの経営失敗とのこと。尾崎将司さんの全盛期はバブルの頃です。バブルの頃に賞金をがっぽり稼いで、そのお金をゴルフ場開発や不動産投資に回していたら、バブルが崩壊して、多額の借金が残ったようです。
尾崎将司さんは保証人という立場だったと語っていますので、誰かにうまくそそのかされて、お金を投資したものの、その人に逃げられたのかもしれません。
そして、「(債務は)すべて保証人としての立場からこうなった」と説明しながらも、「保証人になったことは自分のミス」と自己の責任を認める。
この破産前の2~3年はいろいろなトラブルがあり、精神的なダメージを常に負っていたと話していました。
尾崎将司さんはこの民事再生法適用手続きを撮ったことで、債務は16億円に減額されました。減額されたものの、債務は16億円。尾崎将司さんは習志野の豪邸を手放すことになり、獲得賞金もこの債務返済にほとんど使われることになりました。
それでも、尾崎将司さんはゴルフができればそれで良いと考えていました。
別にオレは金に執着があるわけじゃないし、別になくったって自分がゴルフを純粋な気持ちで追求できれば、それでいいわけだから。
引用:GDO Back9
尾崎将司さん。とてもカッコいいですね。
ただ、お金に執着しないからこそ、怪しい投資を持ちかけてくる人が近づいてきてしまったのかもしれません。
実際に、1988年には暴力団のパーティーに出席したことが報じられましたし、1997年にはブリジストンとの契約を打ち切って、賭博で逮捕されたこともある人物が経営する「ワールドワン」という無名の会社と契約したこともありました。このワールドワンはその翌年に倒産しています…。
それでも、尾崎将司さんはその言葉通り、ゴルフを続け、後進の育成に力を注ぎました。
尾崎将司が結婚した嫁は義子さん
尾崎将司さんは1968年に義子さんという女性と結婚しています。
1967年オフに西鉄ライオンズに退団を申し出て、1968年1月に球団ともめながらも任意引退選手として公示され、現役を引退しました。その後、福岡のゴルフのカントリークラブをクビになって、上京して習志野カントリークラブに就職します。
つまり、結婚した時には尾崎将司さんはトラブルを抱えているほぼ無職の状態でした。
義子さんはプロ野球選手と交際していたはずなのに、現役を引退して、しかも球団ともめて、九州では活動できなくなった男性と結婚したことになります。
しかも、プロゴルファーになれるかどうかなんてわからない状態です。義子さん、凄すぎです。尾崎将司さんの才能を見抜いていたし、信じていたのでしょうか。
ちなみに、1968年に結婚した尾崎将司さんは、新婚早々単身赴任になりました。
九州では活動できなくなった尾崎将司さんは、千葉県の習志野カントリークラブに移籍しましたが、当時は独身じゃないと研修生になれなかったんです。だから、新婚の妻の義子さんを九州に置いて、「3年待て」と言い残して1人で上京しました。
無事にプロテストに合格した後、義子さんはジャンボ尾崎さんを精神的に支え、家庭を守ってきた良妻です。
元妻は尾崎さんの“黄金期”を支えた人物。家庭を守り、夫を精神面でも長らくサポートしてきました。
尾崎将司さんが圧倒的な強さを誇ったのは、義子さんの内助の功があったことは間違いないでしょう。
離婚は破産が1つの原因
尾崎将司さんは1968年に義子さんと結婚しました。結婚してからずっとジャンボ尾崎さんを支えてきましたが、2006年に協議離婚しています。
この時、尾崎将司さんは59歳。結婚して38年目での離婚ですので、「熟年離婚」になるでしょう。離婚の原因は、2005年の尾崎将司さんの破産が関係しているようです。
離婚の背景には複数の要因があるとされていますが、特に大きかったのは尾崎さんの事業面での失敗かもしれません。
普通に考えれば、今まで必死に夫を支えてきたし、お金に困らない生活をしてきたのに、突然夫が50億円超の借金(最終的には減額して16億円)を抱えて、自宅を売却しなければいけなくなったことに耐え切れなくなったのかもしれません。
自宅も抵当に入っており「習志野のホワイトハウス」と呼ばれた豪邸を手放し、練習場を備えた簡素な住居に引っ越した。
引用:【記事全文】ジャンボさん ゴルフ人気高めた功労者 私生活では苦労絶えず 経済的破綻も経験 – スポニチ Sponichi Annex スポーツ
「ホワイトハウス」とまで呼ばれた豪邸から簡素な住宅に引っ越すのは、60歳前後の女性にはかなり精神的にキツイのではないでしょうか。
しかし、尾崎将司さんの借金には妻の義子さんも関わっているという噂があります。妻が不動産投資に失敗して、多額の借金を作ったようです。もし、妻の不動産投資の失敗も尾崎将司さんの破産の1つの原因となれば、離婚の原因は尾崎将司さん側にあるのか、義子さん側にあるのかは変わってきます。
ただ、尾崎将司さんの熟年離婚のきっかけは、2005年の破産だったことは間違いないでしょう。
尾崎将司の子供は3人?息子1人はゴルフ界にいる
尾崎将司さんには子供が3人います。
・第一子(長女):恵里さん(1968年12月生まれ)
・第二子(長男):智春さん(1971年4月生まれ)
・第三子(次男):貴春さん
この3人の子供の中で、長男の智春さんはゴルフに関わる仕事を選びました。10歳からゴルフを始め、1999年からツアーに参戦しましたが、プロテストに合格できず、ツアーに参戦しても結果を残すことができませんでした。
しかし、マネジメントの才能があったようで、尾崎将司さんの個人会社であり、ジャンボ尾崎アカデミーのマネジメントを行っている「尾崎エンタープライズ」の代表取締役を務めています。
尾崎将司さんは破産しても「お金に執着はない」と語るほど、お金に無頓着なタイプなので、マネジメントの才能がある息子の智春さんがいたから、ジャンボ尾崎アカデミーが軌道に乗り、トップ女子プロゴルフ選手を輩出できたのかもしれません。
ちなみに、智春さんの息子(尾崎将司さんの孫)は、2021年時点でアメリカでNFL選手を目指していました。
孫の尾崎将哉さんは身長193cm、115kgの恵まれた体格で、大学時代から渡米してアメリカの軍事学校でアメリカンフットボールの選手として活躍し、NFLを目指していたんです。ジャンボ尾崎さん以上の恵まれた肉体!しかも、運動能力も高いはずです。
娘の恵理さんは表立った活動はないようですが、子供の頃にCMで親子共演を果たしたことがあるという情報があります。次男の貴春さんに関する情報はありませんが、尾崎将司さんのブログに加圧トレーニングの道具を持ってきたという記述がありました。
昨日、次男貴春が持ってきた加圧
トレーニングをしたんだが、今日の
ラウンド中身体は動かないわクラブが
重い事重い事!
このような記述を見ると、尾崎将司さんは息子2人とは良い親子関係を築いている可能性がわかります。
尾崎将司が死去!死因は大腸がん
尾崎将司さんは2025年12月23日に死去しました。死因はS状結腸がんです。78歳でした。
尾崎さんは2024年にS状結腸がんのステージ4と診断され、その後は自宅療養をしていました。ジャンボ尾崎さん本人の強い希望で、入院ではなく、自宅療養を選択し、家族に見守られながら息を引き取ったそうです。
本人の希望で、葬儀は家族・近親者のみで執り行われ、後日にお別れの会が行われる予定とのことです。
尾崎将司のゴルフアカデミーの現在
2025年12月23日に尾崎将司さんが亡くなったことで、気になるのは尾崎ゴルフアカデミーの現在です。尾崎ゴルフアカデミーは今や女子プロゴルファーの登竜門と言われるほどの存在で、尾崎ゴルフアカデミーに入りたいという選手はたくさんいます。
尾崎将司さんが亡くなったことで、ゴルフアカデミーはなくなってしまうのでは?と思うかもしれません。実際、2026年度のセレクション(入学試験)の募集はありません。
また、尾崎将司さんのキャディーを務めていて、ゴルフアカデミーのYouTubeを運営している宮下修さんのSNSはストップしていました。
このまま尾崎ゴルフアカデミーはなくなってしまうのかと心配しましたが、2026年1月10日にゴルフアカデミーが始動した動画がYouTubeにアップされました。
千葉にある若い選手たちがイキイキと練習している動画でしたので、尾崎将司さんのスピリットは次の世代にもしっかり受け継がれていくのでしょう。
尾崎将司のまとめ
「ジャンボ尾崎」こと尾崎将司さんのプロフィールや身長、若い頃のプロ野球選手としての活動、ゴルフの経歴・成績と生涯獲得賞金、破産した過去、結婚した嫁や子供(息子・娘)や死因と現在をまとめました。
ツアー優勝回数・生涯獲得賞金共に歴代1位のジャンボ尾崎さんは、まさにレジェンドであり、ゴルフの求道者のような存在でした。今後、尾崎ゴルフアカデミーから、尾崎将司さんを超えるような選手が現れるかもしれません。
ジャンボ尾崎さんのご冥福をお祈りいたします。





























