元プロ野球選手であり野球解説者の金石昭人さんですが、経営する寿司屋などのお店も話題です。
今回は金石昭人さんの経歴、選手時代の成績と年俸、嫁の陣内貴美子さんとの馴れ初めや結婚、子供の有無、現在の活動をまとめてみました。
この記事の目次
金石昭人は元プロ野球選手で野球解説者 【これまでの成績も紹介】
金石昭人
生年月日:1960年12月26日
出身地:岐阜県
金石昭人さんは、野球解説者としてテレビやラジオ、新聞などで活躍しています。過去には情報番組「やじうまワイド」にてスポーツキャスターを担当していた時期もありました。
そんな金石さんは、1980年代から90年代にかけて活躍したプロ野球の投手です。
1978年にドラフト外で広島カープに入団し、1軍初登板が1982年、1軍初勝利が1985年とかなり遅咲きの選手でした。
1986年に12勝6敗、防御率2.68、奪三振105の好成績を記録しますが、成績が伸び悩み、1991年オフに日本ハム・ファイターズにトレード。
日本ハム移籍1年目となる1992年に14勝12敗、防御率3.77、奪三振98の成績を残します。その後、チーム事情でリリーフに転向しています。
以降はリリーフエースとして4年連続の活躍を見せますが、寄る年波には勝てず、37歳のシーズンとなった1997年オフに日本ハムを解雇。
その後、読売ジャイアンツに移籍し、1998年は13試合、2敗2セーブ、防御率5.68の成績に留まったため、ジャイアンツから戦力外通告となり、引退を決意しています。
出典:wikipedia
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金石さんの現役20年間の通算成績は、72勝61敗80セーブ、防御率3.38、奪三振610となっています。
なお、金石さんは現在までに監督・コーチ歴はありません。
金石昭人はプロ野球の名門一族の出身
叔父は金田正一
金石昭人さんは、日本球界屈指の名門一族出身なんです。
伯父(母親の兄)である金田正一さんは、国鉄スワローズや読売ジャイアンツで活躍した伝説の名投手です。
日本唯一の400勝投手であり、タイトル歴も豪華絢爛で、最多勝3回、最優秀防御率3回、最多奪三振10回、沢村賞3回の実績を誇っています。
現役引退後は、ロッテ・オリオンズの監督を務め、通算8年指揮を執って、優勝1回を含むAクラス4回と指導者としても成功しました。
金田正一さんの弟である金田高義さんや金田星雄さん、金田留広さんも、プロ野球入りをしています。
特に、金田留広さんは東映フライヤーズやロッテ・オリオンズで活躍し、2度の最多勝を含む128勝の通算成績を残しました。
金石昭人の経歴① 高校は野球の名門・PL学園
PL学園に金田正一のコネで入学
金石昭人さんは、大阪府富田林市内にあるPL学園野球部の出身です。
1970年代中盤のPL学園野球部は甲子園優勝こそなかったものの、新井宏昌さん(2000安打&首位打者1回)や加藤秀司さん(2000本安打&首位打者2回+打点王3回)を輩出する名門校。
そのため、シニアリーグやボーイズリーグではなく、中学の軟式野球部に所属し、これといった実績がなかった金石さんが入学するには狭き門でした。
しかし、伯父である金田正一さんがPL学園を運営するPL教団の教祖と知り合いだったため、特別にセレクションを受けることができ、入学できたそうです。
PL学園野球部の同期には、法政大学卒業後に広島カープで活躍した西田真二さんや、同じく法政大学を経て阪神タイガースで活躍した木戸克彦さんなどがいます。
金石昭人、PL学園では3年春までバッティング投手をしていた
金田正一さんのコネのおかげでPL学園野球部に潜り込めた金石昭人さんですが、周囲は猛者ばかりで、レギュラー争いにはなかなか加われず、バッティング投手をしていました。
そんな中でも腐らず、真面目に練習に打ち込んだ金石さんは、2年生の春の近畿大会府予選決勝で先発の大役を任され、当時大阪の強豪校だった浪商高校相手に勝利しています。
ただ、高校時代は絶対的エースだった西田真二さんにどうしても勝てなかったそうで、3年生の春にPL学園が甲子園に出場した際もベンチ外でした。
その後、3年生の夏にようやく背番号10をもらい、ベンチ入りメンバーに。
チーム自体はPL学園初の甲子園制覇を達成した一方で、金石さんは登板機会なしといった悔しい思いもしています。
金石昭人の経歴② 実業団に内定していたものの、ドラフト外で広島に入団
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高校3年間を不完全燃焼で終わった金石昭人さんですが、名門校で背番号を勝ち取った選手としての実績を認められ、卒業後は三協精機の実業団への入社が内定していました。
そんな金石さんが、ドラフト外とはいえプロ野球へ入団するサプライズが起こったのは、叔父である金田留広さんのコネが影響していました。
ですが、ちょうどそのときに伯父さんの金田留広さん(正一の実弟・最多勝2回)がロッテから広島にトレードされた。それで古葉竹識監督に「うちの甥っ子、将来性を買って面倒をみてくれませんか」と頼んでくれて、それでドラフト外で広島に入ったんです。
なお、広島カープの同期入団組には、仙台育英高校のエースで当時高校生ナンバーワンとの評価を誇った大久保美智男さんなどがいましたが、プロで実績を残せたのは金石さんだけでした。
金石昭人、焼酎で体作りをしたこともあった
広島カープ入団当初の金石昭人さんは、身長は190cmを超える大柄な右腕だったものの、球速の方はMAX135km程度だったため、猛練習をして体作りに勤しむ毎日でした。
特に、体重が全然増えないことに悩み、焼酎の力を借りて何人前ものご飯を食べてプロ用の体を作ったそうです。
金石: 当時、身長190センチを超えていましたが体重は60キロ台とガリガリでした。もっと体をしっかりさせるには食べなきゃいけない。量を食べるのならお酒も一緒だと食も進むんじゃないかと考えたんです。
また、金石さんが入団した当時のカープは、池谷公二郎さんや北別府学さんが在籍する投手王国だったため、2軍でいくら結果を出しても1軍から声がかからなかったそう。
ただ、実力を買ってくれた他球団の2軍コーチなどから励ましの言葉をかけてもらえるなど、腐らずに練習を続けることができたことを明かしています。
二宮: そういうときはヤケ酒でしたか?
金石: いや、ヤケ酒はしなかったですね。それよりも慰めになったのは他チームのコーチの言葉でした。「金石、お前はうちに来たら1軍で投げられるのになあ」とウエスタンの試合で散々、声を掛けられました。
金石昭人の年俸 【日本ハム初の1億円選手だった】
1982:260万円
1983:300万円
1985:300万円
1986:720万円
1987:1650万円
1988:1600万円
1989:1600万円
1990:2200万円
1991:2500万円
1992:3500万円
1993:6200万円
1994:9800万円
1995:1.3億円
1996:1.5億円
1997:1.5億円
遅咲きだったことや、1980年代のプロ野球界の年俸水準がサラリーマンに毛が生えた程度だった事情もあり、金石昭人さんの年俸が初めて1000万円を超えたのは27歳の時です。
ただ、広島カープ時代は年俸が伸び悩み、1991年オフにトレードに出されるまでの最高年俸は2500万円でした。
その後、日ハム・ファイターズ時代になると、プロ野球が年俸バブルに突入。
金石昭人さん自身もリリーフに転向して活躍したこともあり、6勝3敗18セーブ、防御率2.51の好成績を上げた1994年オフに球団史上初の1億円選手になっています。
金石さんの現役最高年俸は、2勝3敗25セーブ、防御率2.02を記録した1995年オフとなっており、1.5億円もの高年俸に達しました。
そんな金石さんの生涯年俸は、8億円弱となっています。
金石昭人が結婚した嫁は陣内貴美子 【馴れ初めも紹介】
金石昭人さんは、現役引退後の2001年8月、元バドミントン選手でスポーツキャスターとしても活躍している陣内貴美子さんと結婚しました。
陣内 貴美子(じんない きみこ、1964年3月12日 – )は、日本のスポーツジャーナリスト・タレント、ニュースキャスター。元バドミントン選手である。本名、金石 貴美子(かねいし きみこ)旧姓、陣内。熊本県八代市出身。熊本中央女子高等学校(現・熊本中央高等学校)卒業。
陣内さんは「NNNニュースプラス1」や「NNN Newsリアルタイム」に出演していた他、現在は「news every.」のメインキャスターを務めています。
2人の馴れ初めは、金石さんが現役時代に参加していた沖縄・名護市での春季キャンプに、陣内さんがスポーツキャスターとして取材に訪れて、初めて顔を合わせました。
その後、金石さんが陣内さんを交流会に誘ったことで、2人は頻繁に顔を合わせる気の合う仲間同士に。
そんな2人の関係に変化が訪れたのは、陣内さんがシドニー五輪関連の仕事で1か月ほどに豪州に滞在した2000年夏がきっかけでした。
陣内さんのいない日々に寂しさを感じた金石さんは、帰国後にその想いを打ち明けて交際・結婚に至ったのです。
陣内:帰国したら彼がプレゼントをくれたんですよ。
金石:何かあげたくなって。
陣内:「わしからの金メダルじゃ!」って。プラチナのブレスレットだったんですけど、箱を開けた瞬間、色を見て「あれ、金じゃない」って言っちゃった(笑)。
新婚早々に強盗に遭遇するも、夫婦で撃退
2人で同棲先に帰宅したところ、キッチンから包丁を持った強盗が襲いかかってきたというホラー映画顔負けの展開だったそう。
しかし、アスリート系のカップルだったことが功を奏し、何とか強盗を取り押さえて110番通報しました。
ただ、陣内貴美子さんは右手に全治2週間の怪我を負ってしまったようです。
ちなみに、強盗はマンションの内装工事を請け負った作業員だったそうで、工事中に無断で合鍵を複製して犯行を企てたことが分かっています。
金石昭人と嫁・陣内貴美子には子供はいない
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金石昭人さん・陣内貴美子さん夫妻は、結婚時にそれぞれ40歳と37歳という晩婚夫婦でした。
年齢的に自然妊娠が難しかったこともあり、陣内さんが39歳から45歳までの6年間、不妊治療に取り組んでいたことを明かしています。
タイミング法を経て体外受精にもチャレンジしますが、子宝には恵まれなかったようです。
以上のような経緯もあり、金石さん夫妻には子供はいません。
金石昭人の現在 【寿司屋などのお店を経営する実業家に】
金石昭人さんは現役引退後、野球解説者としての活動の他に、実業家としても成功しているんです。
金石さんが経営する飲食店は、東京都品川区に寿司店『寿司 かねいし』が1店、港区に寿司屋と広島風お好み焼き・鉄板焼き屋『かねいし』が1店舗ずつあります。
かねいし – 麻布十番/お好み焼き | 食べログ(3.63)
ちなみに、金石さん夫婦が直接顔を見せる店で、評判の方は上々のようです。
元バドミントン選手の陣内貴美子さんと元プロ野球選手の金石昭人さんご夫妻が経営する鉄板焼き店に行ったとき、2人とも全テーブルを回ってご挨拶していた。
— 山川カズカゼ (@kazukazeymkw) February 11, 2018
なんと、毎日やっているらしい。
今でもTVに出ている有名人だし、そりゃファンは嬉しいから通うよね。
もちろん大盛況ですよ。
金石昭人のまとめ
金石昭人さんは、野球界の名門・金田一族の出身でプロ野球で活躍した後、現在は野球解説者や実業家として成功しています。
金石さんの今後より一層の活躍を祈りつつ、この記事のまとめとさせて頂きます。