石井琢朗さんは横浜や広島で活躍し、コーチとしても有能と言われている元プロ野球選手です。
今回は石井琢朗さんのプロフィールや経歴、成績や年俸、結婚した嫁や娘、有働由美子さんとの関係、現在の活動をまとめました。
石井琢朗のプロフィール
出典:kanaloco.jp
石井琢朗
生年月日:1970年8月25日
出身:栃木県佐野市
身長:174cm
所属:元横浜ベイスターズ
投球・打席:右投げ・左打ち
ポジション:ショート
活動:元プロ野球選手、野球指導者
石井琢朗さんは、横浜ベイスターズや広島カープで活躍したプロ野球選手で、通算2432本安打を記録している大打者で、盗塁王も4回達成しています。
現役を引退後は、コーチとして活動していますが、コーチとしてもかなり有能であり、各球団からのオファーが途切れることがないと言わています。
「石井琢朗」というのは登録名であり、本名は「石井忠徳」と言います。
石井琢朗の経歴
プロ入り前
出典:column.sp.baseball.findfriends.jp
栃木県佐野市出身の石井琢朗さんは、小学校3年生の時から野球を始めます。その時からプロ入りを志していて、クラスの文集にも「巨人にドラフト1位で入りたい」と書いていたほどです。
プロ入りのためには甲子園に出場するのが近道と考え、栃木県内の強豪校である足利工業高校に進学し、2年生の時にはピッチャーとして夏の甲子園に出場しました。
その後、東洋大学への進学が決まっていましたが、他の選手を見学に来ていた大洋ホエールズのスカウトが石井琢朗に惚れ込み、強引にドラフト外で大洋に入団させることになりました。
ドラフト外で高校生がプロ入りするというのは、時代を感じさせますね。
大洋・横浜ベイスターズ時代
出典:kanaloco.jp
ドラフト外で大洋ホエールズに入団した石井琢朗さんですが、この時のポジションはピッチャーでした。スカウトも、石井琢朗さんが投げるボールに惚れ込んだんです。
高卒1年目から一軍で登板し、シーズン終盤には初先発・初勝利を飾ります。しかし、それ以降は伸び悩み、結果が出ませんでした。
プロ入り3年目で、自ら野手転向を申し入れた石井琢朗さんは、1992年からは内野手登録になります。
シーズン後半にはサードとしてレギュラーを獲得し、野手転向2年目でショートに固定、タイトルを獲得するなど、結果を残していきます。
1996年シーズンからは、1番ショートになり、マシンガン打線の切り込み隊長として定着します。その後も安定した成績を残し、2006年には2000本安打を達成しました。
2006年オフに膝の手術をしたこともあり、2007年からは出場機会が少なくなり、2008年オフはチームの若返りを図る目的もあり、引退勧告されることになりました。
広島カープ時代
出典:jiji.com
引退勧告を受けた石井琢朗さんでしたが、まだ現役にこだわっていて、国内外問わずに移籍先を探し、広島カープへの移籍が決まります。
全盛期のようにはいかないものの、広島移籍後も好成績を残します。2012年には選手兼コーチとなり、シーズン終了後には引退を発表しています。
現役引退後
2012年に現役を引退すると、そのまま広島カープの一軍内野守備・走塁コーチに就任します。そして、野手を育て、広島カープの黄金時代の基礎を作り上げました。
2017年オフには広島を退団して、ヤクルトスワローズに移籍します。
広島時代はずっと石井琢朗さんは単身赴任をしていて、子供の事情もあり、家族5人で住めるのは今だけであり、家族5人で住むべきタイミングではないかと判断したようです。
広島退団発表後、すぐにヤクルトでコーチをすることが決まりましたので、石井琢朗さんのコーチとしての手腕が高く評価されていることは間違いありません。
石井琢朗の成績や年俸の推移
石井琢朗の成績
石井琢朗さんについて、大洋ホエールズ入団から広島カープで現役を引退するまでの成績を見ていきましょう。
出場試合 | 打率 | 本塁打 | 打点 | OPS | |
1989年 | 17 | .400 | 0 | 0 | .800 |
1990年 | 2 | .000 | 0 | 0 | .000 |
1991年 | 10 | .500 | 0 | 0 | 1.000 |
1992年 | 69 | .269 | 3 | 23 | .664 |
1993年 | 121 | .266 | 5 | 36 | .712 |
1994年 | 130 | .251 | 3 | 40 | .676 |
1995年 | 124 | .309 | 2 | 41 | .789 |
1996年 | 129 | .282 | 1 | 26 | .722 |
1997年 | 132 | .319 | 10 | 44 | .815 |
1998年 | 135 | .314 | 7 | 48 | .820 |
1999年 | 131 | .292 | 8 | 58 | .775 |
2000年 | 134 | .302 | 10 | 50 | .785 |
2001年 | 140 | .295 | 8 | 36 | .768 |
2002年 | 140 | .274 | 8 | 49 | .709 |
2003年 | 115 | .231 | 6 | 26 | .618 |
2004年 | 131 | .295 | 10 | 43 | .773 |
2005年 | 146 | .255 | 8 | 40 | .666 |
2006年 | 146 | .288 | 6 | 32 | .724 |
2007年 | 108 | .275 | 2 | 13 | .644 |
2008年 | 98 | .262 | 2 | 18 | .635 |
2009年 | 89 | .227 | 2 | 18 | .638 |
2010年 | 74 | .318 | 0 | 20 | .734 |
2011年 | 61 | .250 | 1 | 4 | .685 |
2012年 | 31 | .167 | 0 | 2 | .446 |
次に、石井琢朗さんのNPBでの通算成績を紹介します。
・通算安打数:2432本
・通算ホームラン数:102本
・通算打点数:670点
・通算打率:.282
・通算OPS:.728
通算安打数が2432本というのは、NPBの日本人歴代14位の素晴らしい成績です。
次に個人タイトルです。
・最多安打:2回
・ベストナイン:5回
・ゴールデングラブ賞:4回
2000本安打を記録しながらも、首位打者を1回も取っていないのはちょっと意外ですが、盗塁王と最多安打王を取っているのを見ると、理想的な1番打者と言えるのではないでしょうか。
石井琢朗の年俸
次に、石井琢朗さんの年俸の推移を見ていきます。
・1990年:480万円
・1991年:460万円
・1992年:520万円
・1993年:1120万円
・1994年:3000万円
・1995年:4000万円
・1996年:8000万円
・1997年:8500万円
・1998年:1億3000万円
・1999年:1億7000万円
・2000年:1億7000万円
・2001年:2億5000万円
・2002年:2億5000万円
・2003年:2億5000万円
・2004年:2億円
・2005年:2億円
・2006年:1億7000万円
・2007年:1億7500万円
・2008年:1億2500万円
・2009年:2000万円
・2010年:2500万円
・2011年:2700万円
・2012年:2000万円
総年俸は24億5340万円となります。契約金は1500万円ですから、プロ野球選手として稼いだ合計金額は24億6840万円です。
時代的なこともありますし、ドラフト外での入団ですから最初の年俸が非常に安いですね。
石井琢朗が結婚した嫁は2人
石井琢朗さんは2回結婚しています。また、現役時代から女性への手が早いという噂がありました。
石井琢朗さんが結婚した嫁の情報を見ていきましょう。
嫁① 瀬能あづさ
瀬能あづさ
生年月日:1973年4月3日
出身:神奈川県厚木市
身長:156cm
血液型:B型
活動:元アイドル
石井琢朗さんが最初に結婚したのは、瀬能あづささんです。瀬能あづささんは、アイドルグループのCoCoのメンバーでした。
1996年に石井琢朗さんとの婚約を発表し、芸能界を引退します。そして、2人は同年に結婚しますが、2000年に離婚しました。
瀬能あづささんは石井琢朗さんと離婚後にセミヌード写真集を出版していますが、その後の活動は不明です。
嫁② 荒瀬詩織
荒瀬詩織
生年月日:1975年11月10日
出身:徳島県鳴門市
身長:166cm
所属:フジテレビ
血液型:O型
活動:元アナウンサー
2000年に瀬能あづささんと離婚した石井琢朗さんは、当時フジテレビアナウンサーだった荒瀬詩織さんと2001年に結婚しています。
瀬能あづささんと離婚した翌年に荒瀬詩織さんと結婚しているので、荒瀬詩織さんの略奪婚ではないかとも噂されました。
荒瀬詩織さんは1998年にフジテレビに入社し、2001年に退社しています。
退社の理由は「大学院進学のため」ということですが、同年に石井琢朗さんと結婚していることを考えると、結婚準備のためだったのかもしれません。
石井琢朗さんは嫁の荒瀬詩織さんの退社について、2010年のブログで「退社してすぐに僕とすぐに結婚してしまったから周りではウソとか言われた」と書いています。
まぁ、実際に大学院進学のために退社したとしても、入社3年で大手企業を退社して、その後すぐにプロ野球選手と結婚したら、そのように思われるのは仕方がないことかもしれません。
そんな石井琢朗さんと荒瀬詩織さんの間には、3人のお子さんがいます。
・次女(2005年8月生)
・長男(2013年7月生)
引退セレモニーには嫁の荒瀬詩織さんと長女・次女が来ていました。長男は、この時はまだ生まれていないですね。
石井琢朗の娘はテニスで活躍している
石井琢朗さんの娘は、現在テニスで活躍しています。
長女・次女共に幼い頃からテニスを習っていて、週5回のレッスンを受けていたとのことです。
長女は、将来やりたいことができたとのことでテニスを辞めていますが、次女の石井さやかさんは「プロの選手になりたい」と本格的にテニスに打ち込んでいるんです。
小学6年生の時には、12歳以下のテニスランキングでは関東トップ、全国でも上位にランクインしている実力者です。
小学校は青山学院初等部に通っていましたが、より本格的にテニスに打ち込むために公立中学校に進学しました。
嫁の荒井詩織さんは、テニスがうまくいかなかった時に受験なしで進学できるよう、青山学院中等部への進学を希望したそうです。
ですが、石井琢朗さんが「楽な道を残すな。退路を断て」と言って、公立中学校に進んだとのこと。
2019年に行われたU-15全国選抜ジュニアテニス選手権大会では、石井さやかさんは優勝を飾っています。
いくらプロ野球選手の親から引き継いだDNAを持っていても、公立中学校に通ってテニスに打ち込んでも、結果が出ないことも多いですが、娘さんは全国優勝をするほどに成長しています。
将来は本当にプロテニスプレーヤーになって、お父さんの石井琢朗さん以上に稼ぐ選手・ワールドワイドに活躍する選手になるかもしれませんね。
石井琢朗は有働由美子とも熱愛の噂があった
石井琢朗さんの最初の嫁は元アイドルの瀬能あづささん。そして、再婚した嫁は元フジテレビアナウンサーの荒井詩織さん。
さすがプロ野球選手!と言いたくなるほど、派手な女性関係に見えますが、実は元NHKアナウンサーで、現在はフリーで活躍している有働由美子さんとも熱愛の噂があったんです。
石井琢朗さんと有働由美子さんの熱愛スクープがあったのは、2000年9月のこと。瀬能あづささんと離婚が成立してからのことですので、一応不倫ではありません。
有働由美子さんが石井琢朗さんの自宅を訪ねたところをスクープされたのですが、この時の有働由美子さんはサングラスをしていただけでなく、巻き髪のウィッグをつけていました。
巻き髪&サングラスで変装した有働由美子さんが合い鍵を使って、石井琢朗さんのマンションに入っていったのですが、熱愛については否定しています。
『(石井の)お姉さんに借りた本を返しにいっただけ。本命の彼とは別れるハメになった』と弁明。その後もウケ狙いで、忘年会のたびにそのカツラをかぶっていたそうです」
ただ、本を返しに行くだけで、巻き髪のウィッグとサングラスで変装はしないですし、わざわざ部屋を訪ねていかないですよね。おそらく、熱愛は本当だったのだと思います。
そして、石井琢朗さんと有働由美子さんの熱愛で注目すべきは、その時期です。
2000年9月に2人の熱愛はスクープされていますが、「合い鍵」を持っているくらいなので、その前から交際していたと考えられます。
石井琢朗さんは、詳細な時期は不明ですが2000年に瀬能あづささんと離婚しています。そして、2001年には荒瀬詩織さんと再婚しています。
離婚から再婚まで1年と短く、「略奪愛では?不倫していて時期は重なっていたのでは?」と言われているのに、離婚から再婚までに有働由美子さんとの熱愛もあったなんて、すごいです。
石井琢朗さんは女癖が悪くて、手が早いなんて言われていますが、それは事実なのかもしれませんね。
ただ、荒瀬詩織さんと結婚してからは、不倫・浮気などの噂はありませんので、夫婦円満・家庭円満なのだと思います。
石井琢朗の現在
出典:hochi.news
石井琢朗さんは、広島カープを引退後にそのまま広島カープの内野守備・走塁コーチに就任し、広島の黄金時代を築いた後、ヤクルトでコーチをしています。
広島を退団した理由は先ほども説明したように、単身赴任を辞めて家族と一緒に住むためで、在京球団への移籍を希望していた石井琢朗さんは、ヤクルトからのオファーを受けたのでしょう。
ヤクルトでコーチに就任した1年目は、チーム打率を3分も上げ、総得点を200点も上積みするなどの結果を残します。
2年目は、高卒2年にしてホームラン36本という若き大砲の村上宗隆選手を育て上げています。
2019年オフにはヤクルトスワローズを退団し、巨人に移籍することが発表されました。巨人での役職は一軍野手総合コーチです。
広島・ヤクルトで実績を残してきた石井琢朗さんが、巨人でどんな成果を上げるのか、プロ野球界全体が注目しています。
まとめ
石井琢朗さんのプロフィールや経歴、成績や年俸、結婚した嫁やテニスで活躍する娘の情報、フリーアナウンサーの有働由美子さんとの熱愛、現在についてまとめましたが、いかがでしたか?
・2000本安打を達成し、盗塁王を4回獲得
・元CoCo瀬能あづささんと1996年に結婚
・2000年に前妻と離婚して、翌年に元フジテレビアナウンサーの荒井詩織さんと結婚
・娘の1人がプロテニスプレーヤーを目指していて、将来有望
・フリーアナウンサーの有働由美子さんと熱愛の噂があった
・2019年オフからは巨人のコーチに就任
石井琢朗さんが巨人でどんな実績を出すのか、今後も注目していきたいですね。