フリーアナウンサーとしで活動をしている生島ヒロシさんですが、その生い立ちは壮絶で、妹を東日本大震災で亡くしています。
今回は、生島ヒロシさんの兄弟や妹など家族情報、また結婚した嫁と息子(長男・次男)についての情報も詳しくまとめました。
この記事の目次
生島ヒロシのプロフィール
名前:生島 ヒロシ(いくしま ひろし)
本名:生島 博(いくしま ひろし)
生年月日:1950年12月24日
出身:宮城県気仙沼市
生島ヒロシさんは宮城県気仙沼高等学校卒s業後、法政大学経営学部に入学するものの20歳の夏の1971年、大学紛争を機に渡米します。
アメリカへ留学中は、日本人らしく植木屋や庭木の剪定などのアルバイトで生計を立てながら過ごし、1975年にカリフォルニア州立大学ロングビーチ校ジャーナリズム科卒業し、1976年4月にTBSにアナウンサーとして入社します。
その後、生島ヒロシさんはTBSアナウンサーとして活躍したものの、1989年3月にTBSを退社し独立。
自身の個人事務所である株式会社生島企画室を設立し、最高経営責任者となりました。
現在の生島企画室は所属タレントも増え、女優の浅野温子さんやタレントの優木まおみさん、中村里砂さん、朝比奈彩さん、元貴乃花、若乃花関の母親である藤田紀子さんなど数々の有名人が所属するまでに成長しています。
生島ヒロシ、バブル崩壊で7億円の借金~救世主は優木まおみ
実は生島ヒロシさんは多額の借金を背負ってしまったことがあります。
その借金の総額は7億円と普通では絶対に返済できない程の額です。しかし、TBSを退社し、フリーとなった最初の頃はかなり収入が増えていたそうです。
TBSで局アナとして13年に渡って活躍した後、38歳だった1989年3月に退局。フリーに転身し、プロダクション「生島企画室」を設立した。退局後すぐにフジテレビの帯番組のMCを担当するなど仕事は順調で、「どんどんチャンスが増えてきて、こんなに忙しくてどうしよう」という絶好調の日々だったという。局アナ時代に約1200万円だった年収はうなぎ上り。フリー転身1年後に10倍、2年後に20倍、3年後には何と30倍の3億6000万円を稼ぎ出すまでになった。
引用:生島ヒロシ 7億円借金を背負った過去 救世主は“エロかしこい”女性タレント― スポニチ Sponichi Annex 芸能
これほどまでに稼いだのに、何故7億円もの借金を背負ってしまうことになってしまったのか?それはバブル景気が関係しているようです。
生島ヒロシ、バブル期のマンション投資で7億円の借金
生島ヒロシさんの借金の原因はバブル時代に購入したマンションなどが原因だそうです。バブル時代はなんと借金をすれば倍になって返ってくるなどと言われていたのです。
「フリーになって調子が良くてガンガンいけるな、と思っていた」と“イケイケ”だった時代を振り返った生島。当時は日本中が好況に沸き「借金をすればお金が増えて返ってくる」というバブル景気。生島も世田谷の高級住宅街に自宅を4億円で購入したほか、恵比寿に事務所を2億円、「どんどん上がると言われて」ワンルームマンションを複数購入し、最大7億円の借金を背負うことになった。
引用:生島ヒロシ 7億円借金を背負った過去 救世主は“エロかしこい”女性タレント― スポニチ Sponichi Annex 芸能
この事務所やマンションを購入した後にバブルが弾けてしまったということでしょう。バブル世代の人間であれば、生島ヒロシさんと同じような経験をした方もいるはずです。
生島ヒロシ、所属タレント・優木まおみのブレイクで借金返済
生島ヒロシの救世主・優木まおみ
普通ならば7億円もの借金を簡単に返すことは出来ません。いくら芸能人だからと言っても7億円もの借金を返済するのはかなり難しいことでしょう。しかし、そこで救世主となった存在が優木まおみさんです。
「僕も一生懸命働きましたけど、救世主は優木まおみちゃん。事務所のオーディションで集まった200人のなかにアナウンサー志望の彼女がいたんですよ。一番光っていたからグラビアもこなすマルチタレントとして出したら、『エロかしこい』で大ブレイク。ビックリしました(笑)」
優木まおみさんは生島ヒロシさんの事務所に所属しているので、優木まおみさんがブレイクすることで生島ヒロシさんの元にもお金が入ってきて無事返済できたというわけです。
しかし7億円もの借金を返せる程のブレイクということですし、当時の優木まおみさんのギャラなどはそうとう高かったのでしょう。
生島ヒロシの家族・兄弟情報~妹は震災で津波の被害に
生島ヒロシさんは3兄弟の長男で、下に弟が二人、そして妹もいます。その中で唯一の女性の妹さんは一般人で、妹さんは結婚し義弟もいました。
生島ヒロシ、妹は東日本大震災で被災し亡くなる
生島ヒロシさんの妹夫婦は東日本大震災で被災し亡くなってしまいました。
東日本大震災後に夫とともに行方不明となっていた妹・亀井喜代美さんの遺体が今月21日にDNA鑑定によって確認された生島は「神様はひどいことをするなと思ったけど、こういう形で見つかってよかった。ほっとした」と安堵の表情を浮かべた。
震災後には生島ヒロシさんのこの件がニュースになったりもしましたが、このように芸能界関係でも震災の被害者は多くいました。
生島ヒロシの弟・生島隆は生島企画室社長
実際に借金を背負った時にも弟の支えがあったからこそ乗り越えれたと生島ヒロシさんも語っています。
「完済しました。一生懸命やっていれば、良いことがあるだろうということで。あと、やっぱり弟がそばにいてくれたことがすごく助かりましたね。途中、ちょっと変なマネジャーが何人か来てしまって、僕の知らないところで、トラブルが起きたり、色んなことがあったけど、それは授業料ですね、仕方ないです」
弟であり社長である隆さんとはこのように二人三脚で事務所を経営しているのでしょう。
生島ヒロシの弟・生島淳はスポーツジャーナリスト
もう一人の弟は生島淳さんはスポーツジャーナリストをされています。
名前:生島 淳(いくしま じゅん)
生年月日:1967年8月7日
早稲田大学社会科学部社会科学科卒業後、広告代理店博報堂勤務と並行してライターとして活動し、1999年、スポーツライターを本業として独立します。
主にラグビー、水泳、卓球、駅伝など国内スポーツの取材・執筆活動のほか、NBAなどアメリカスポーツ関連の翻訳や番組キャスターをつとめています。
ジャーナリストとして雑誌や新聞のコラムを担当するほか、選手個人にスポットをあてたバイオグラフィー的な著作、選手の家族との共著などの著書があり、長谷川滋利投手や石井一久投手などの本では構成を務めています。
NHKのBSに出演する機会が多く、BS-1で放送されている「BSベストスポーツ」のキャスターを担当し、ラジオでは自らパーソナリティーを務めた「生島淳のアクティブスタイル」をはじめ「生島ヒロシのおはよう一直線」や「ストリーム」「荒川強啓 デイ・キャッチ!」「サタデー大人天国! 宮川賢のパカパカ行進曲!!」など、TBSラジオへの出演が多いです。
生島ヒロシが結婚した嫁は一般人女性
生島ヒロシさんは結婚時期は詳しい詳細は不明ですが、結婚相手は芸能関係ではなく一般の方だそうです。
しかし、嫁とのエピソードでは心温まるエピソードが多くあります。
「妻の言葉で印象的だったのは、ぼくがTBSを辞めてフリーになったとき。収入が安定するかどうかわからないぼくに対して、“大丈夫、100万人敵がいても、私があなたを守る”と言ってくれたんです。何よりの心の支えとなりました」
上記で生島ヒロシさんは弟に支えられたと語っている部分がありましたが、このように嫁にも多く支えられてきたのでしょう。この嫁の言葉を見る限り、嫁との仲はとても良い関係なのでしょう。
生島ヒロシの子供情報~長男と次男の息子たちも芸能の道へ
生島ヒロシさんと嫁との間には男の子が二人誕生しています。2人の息子の長男は生島勇輝さんという名前で、最初は生島企画室に所属してタレント活動をしていましたが、現在はケイダッシュに移籍して俳優として活動しています。
そして次男の生島翔さんはダンサーとしてアメリカを拠点に活動しています。
生島ヒロシの長男・生島勇輝は俳優として活動
名前:生島 勇輝(いくしま ゆうき)
生年月日:1984年4月4日
身長:177cm
体重:68kg
血液型:A型
長男の生島勇輝さんは最近ではテレビなどにも出始め、話題となることも多いです。そんな生島勇輝さんは元々はなんとラッパーになりたかったそうです。
ヒロシの「アナウンサーになってほしい」という願いとは裏腹に、「ラッパーになる」と宣言した勇輝は、それがもとで大げんかに発展してしまったと言う。
しかしラッパーとしての夢を諦め、アナウンサーを目指そうとしたところ、面接した局からは不採用になってしまったそうです。不採用になってしまったということは、そこで生島ヒロシさんの名前も使わなかったのでしょう。
現在はバラエティーのやドラマの脇役中心に活動しています。
生島ヒロシの次男・生島翔は俳優兼ダンサーとして活動
次男である生島翔さんは15歳よりアメリカ・カルフォルニア州にある寄宿舎制の芸術高校アイデルワイルド・アーツ・アカデミーに単身留学。
入学当初、本人は演劇専攻を希望したが、英語を話せなかったためダンスを専攻します。
高校を卒業後、ニューヨーク大学・ティッシュ・スクールオブジアーツに進学し、ダンスを専攻、同校を飛び級で3年間で卒業し、更に大学卒業後はアメリカでアーティスト・ビザを取得しダンサーとして活動を始めます。
ダンサーとしてはニューヨークを拠点にパリッシモやブライアン・ブルックス・ムービング・カンパニといったダンスカンパニーに出演し、振付家としても活動を始め、ダンスだけでなく演劇も学び始めます。
その後、ドイツ・カッセル州立劇場とソリストとして契約し、活動拠点をドイツに移し、2010年に帰国します。ダンサーを続けながら、新たに俳優として活動を開始、ミュージカルや舞台にも出演しています。
さらに生島翔さんはハリウッドデビューもしています。
生島翔が出演した『DARC』の一場面
フリーアナウンサー生島ヒロシさんの次男で俳優兼ダンサーの生島翔さん(32)がハリウッドデビューを果たした。5月1日からNetflix(ネットフリックス)で世界190カ国に配信する米映画「DARC(ダーク)」(ニック・パウエル監督)で準主役の日本人の若い暴力団員役を熱演。
これからの生島翔さんの活躍にも注目していきたいですね。
生島ヒロシについて総まとめをすると…
・生島ヒロシは一般人女性と結婚。子供は2人おり、長男の生島勇輝は俳優、次男の生島翔も俳優兼ダンサーとして活躍している。
生島ヒロシさんの家族を調べてみると、家族は有名人ばかりでした。
妹さん夫婦を津波で亡くすという辛い過去を乗り越え、最近ではライザップでダイエットにも成功しています。
息子さんたちも芸能界で大活躍中で、今後も生島ヒロシファミリーに注目ですね!