2022年3月に死去した作家の西村京太郎さんですが、山村美紗さんとの関係も話題です。
今回は西村京太郎の経歴や家族、山村美紗の子供(娘)である山村紅葉との関係、嫁・矢島瑞枝との結婚、年収や資産、死因など現在を紹介します。
この記事の目次
- 西村京太郎はトラベルミステリーの第一人者
- 西村京太郎の経歴と実家の家族① 父親は菓子職人・東京陸軍幼年学校出身
- 西村京太郎の経歴と実家の家族② 終戦後は公務員として勤務
- 西村京太郎の経歴と実家の家族③ 作家に転身した理由は結婚したくなかったから
- 西村京太郎の経歴と実家の家族④ 下積み時代にはパン屋や探偵なども
- 西村京太郎の経歴と実家の家族⑤ 作家デビューするも長く売れなかった
- 西村京太郎と山村美紗の関係① きっかけはファンレター
- 西村京太郎と山村美紗の関係② 京都の自宅は隣同士
- 西村京太郎と山村美紗の関係③ 未完の遺作を完成させる
- 西村京太郎の子供は山村美沙の娘・山村紅葉?
- 西村京太郎の資産や年収がすごすぎる
- 西村京太郎が結婚した嫁は矢島瑞枝
- 西村京太郎の現在はすでに死去/死因は肝臓がん
- 西村京太郎のまとめ
西村京太郎はトラベルミステリーの第一人者
西村京太郎(にしむら きょうたろう)
本名:矢島喜八郎
生年月日:1930年9月6日
出身地:東京都品川区
西村京太郎さんは、トラベルミステリーの第一人者であり、執筆作品の累計発行部数は2億部以上とも言われている大ベストセラー作家です。
売上も桁違いの西村さんですが、多作なことでも有名であり、半世紀に及んだ執筆活動の中で、647冊もの作品を世に送り出すことになりました。
そんな西村さんの代表作に挙げられる作品が、「十津川警部シリーズ」です。
「十津川警部シリーズ」は数十年に渡り2時間ドラマとして放送されたこともあり、幅広い世代で認知度が高い作品で、誰しも一度はタイトルを聞いたことがあるのではないでしょうか。
先ほどまで…
— メガネの親父 (@3927tama) November 27, 2021
こんばんは😃
ビデオ録画して有った
十津川警部のドラマを見ていました。
渡瀬恒彦さんで見てきた十津川シリーズですが、渡瀬さんの代わりを今回船越栄一郎さんになってどんな感じになるのか気になって、録画して有りました!
各々の個性は有り、楽しめました😃
さぁそろそろ寝ますzzz pic.twitter.com/32zk5DAIoc
ちなみに、複数のテレビ局で実写化されている「十津川警部シリーズ」は、主人公・十津川省三役には以下のビッグネームが名を連ねています。
・渡瀬恒彦
・高橋英樹
・内藤剛志
・小野寺昭
・高嶋政伸
西村京太郎の経歴と実家の家族① 父親は菓子職人・東京陸軍幼年学校出身
実家は貧乏だった
西村京太郎さんは1930年に東京都品川区に生まれ、父親は腕の良い菓子職人だったそうです。
ただし、雇われ職人の立場だったため、実入りはそれほど良くなく、4軒長屋に住む貧乏暮らしでした。
そのため、少年時代から友達とただ遊ぶだけではなく、自力でお小遣いを稼ぐ工夫が身についたそうです。
例えばベーゴマは駄菓子屋で1個2銭で売っていたのですが、友達との勝負に勝って手に入れたものを持っていくと1銭で買ってくれる。腕前は強かったですよ。ベーゴマは買ってきたままではダメで、背を低くし、かつ重くしないと勝てない。家の裏に住むおじさんが工場をやっていて、自分で鋳物のベーゴマに穴をあけ、削りカスの鉛を火であぶって溶かした後、穴に入れていた。その上に白や赤のろうそくの蝋(ろう)をたらしてカムフラージュすれば、相手には分からない。そんなことをして、小遣いの足しにしていましたね。
倍率100倍の難関をくぐり抜け、東京陸軍幼年学校に入学
戦中世代で東京育ちということもあり、西村京太郎さんも戦禍に巻き込まれた1人でした。
父親が双眼鏡のレンズを作る工場に徴用された他、西村京太郎さんも東京府立電機工業学校を中退して、1945年4月に東京陸軍幼年学校へ入学しています。
ちなみに、B29の空襲を受けながらの受験勉強の中、倍率100倍の難関を突破したそうです。
既に戦況は厳しく、毎日のように空襲がありました。学校は東京の八王子にあり、山に囲まれていたのですが、その上から急に米軍の艦載機が飛び出してくる。B29が来ればサイレンが鳴るけど、艦載機はそれがないので怖い。向こうもふざけており、帰るときに弾が余っているからといって銃弾を撃ち込んでくるのです。(乗組員の)顔が見えたという人もいました。
また、実家だった4軒長屋だけでなく、東京陸軍幼年学校の校舎までもが空襲で焼け落ちてしまったといいます。
西村京太郎の経歴と実家の家族② 終戦後は公務員として勤務
終戦後、被災したの西村京太郎さんは、家族が間借りしていた東京都調布市の家に合流します。
東京陸軍幼年学校も終戦とともに解散してしまったため、進駐軍の基地で荷物運びのアルバイトをしていた時期もありました。
その後、東京府立電機工業学校に復学し、卒業後は公務員試験を受けて人事院に就職します。
そんな西村京太郎さんは、公務員時代より職場の同僚が主催する同人誌の運営に携わっていたそうです。ただ、裏方作業が中心で、執筆活動まではしていなかったそう。
「パピルス」は1冊20ページほどで、自分は製本の手伝いが中心でしたが、19歳くらいのときに「√2の誘惑」という一文を書きました。29歳で仕事を辞めるまで、「パピルス」に書いたのはこの一つだけ。作品といっても小説ではなく、A4判の2ページくらいで、「√2」が特別な数字であるということを書きました。
西村京太郎の経歴と実家の家族③ 作家に転身した理由は結婚したくなかったから
若い頃に文学青年というわけでもなかった西村京太郎さんですが、作家に転身したきっかけは、職場のお見合い話だったそうです。
もともと役所勤めに息苦しさを感じており、「結婚したら仕事を辞められなくなる」と思い悩み、29歳の時に人事院を退職。
退職後の西村京太郎さんは、松本清張さんの『点と線』を読んで「俺にも書けそう」と思い立ち、退職金を元手に執筆活動を開始しています。
ただ、何の下積みもなかったため、執筆活動は大苦戦し、懸賞小説に応募しては落選の日々が続いたようです。
西村京太郎の経歴と実家の家族④ 下積み時代にはパン屋や探偵なども
下積み時代の西村京太郎さんは、実家暮らしな上に、人事院を退職したことを家族にカミングアウトできず、毎朝スーツを着て仕事に行くふりをしていたそうです。
出勤するふりをして毎朝実家を出た後は、東京都台東区上野にある図書館で執筆活動をするのがルーティーン化していたといいます。
しかし、そんな生活も長くは続かず、退職金が尽きた結果、パン屋で住み込みで働くことになりました。
家族に人事院を退職したことを告白したのもその頃で、母親には号泣されてしまったそうです。
パン屋を辞めた後は、探偵会社に勤めていた時期もあったそうですが、あまりに殺伐とした世界だったため、職場には馴染めなかったと語っています。
ただ、当時はインテリの中でもうまくいかない人が探偵会社に集まっていて、汚いことをすると儲(もう)かるような雰囲気でした。
例えば結婚調査を依頼され、調査対象となった相手の浮気が分かった場合、それをネタに相手をゆするわけです。給料が月給制ではなかったこともあり、お金への誘惑に駆られてしまう人が多かった。
そのため、1963年にオール讀物推理小説新人賞に選ばれたことをきっかけに、探偵会社は1年程度で退職しました。
西村京太郎の経歴と実家の家族⑤ 作家デビューするも長く売れなかった
1961年、推理小説誌『宝石』に短編が掲載されて作家デビューした西村京太郎さんは、1965年には江戸川乱歩賞を受賞するなど、巧みな文章で当初から業界内での評価は高かったそうです。
しかし、内容がつまならいという致命的な欠点から、本はまったく売れなかったとか。
そのため、本当は時代小説が書きたかったにもかかわらず、原稿料のために色々なジャンルの作品を書いていたといいます。
そんな西村京太郎さんの転機となったのが、「十津川警部シリーズ」の第1作であり、1978年に発表した『寝台特急殺人事件』でした。
トラベルミステリーというジャンルを切り開いた『寝台特急殺人事件』は、西村さんにとって初の増刷作品で、初月10万部、最終的に200万部を超える大ベストセラーになりました。
西村京太郎の鉄道推理小説は、1978年発表の『寝台特急殺人事件』から1980年代半ばにかけてのものが味わい深い。
— ニセアカシアの林 (@abayashi) March 6, 2022
国鉄がJRに解体される前夜。末期国鉄がやらかした無駄とも思えそうな奇っ怪な列車運行ダイヤ。
そんなのがトリックの種にもなってたりして面白い。
西村京太郎と山村美紗の関係① きっかけはファンレター
西村京太郎さんは、1歳年下の女流作家・山村美紗さんと愛人関係にあったとも噂されていました。
山村美紗さんと言えば、代表作「キャサリンシリーズ」や「女検視官 江夏冬子シリーズ」など、執筆作品の累計発行部数が3000万部以上と言われている女流ベストセラー作家です。
作家デビューをしたもののまったく売れなかった時代の西村京太郎さんに、初めてファンレターをくれたのが山村美紗さんだったと言われています。
その後、京都でのお見合いが不調に終わった西村京太郎さんが、京都在住だった山村美沙さんに観光案内でもしてもらおうと連絡を取ったことから交流が生まれたそうです。
出会った時期は、山村美沙さんが京都で中学校の国語教師をしていた頃で、西村京太郎さんがデビューした1961年から、山村美沙さんが中学校を退職するまでの1964年の間だと思われます。
ちなみに、山村美沙さんが独身だと思い込んでいた西村京太郎さんは、既婚者で娘もいた山村美沙さんにプロポーズしたこともあったそうで、当然断られています。
とはいえ、それで2人の関係が壊れたりすることはなく、西村京太郎さんは1980年になると住み慣れた東京を離れて、山村美紗さんがいる京都に引っ越してきています。
西村京太郎と山村美紗の関係② 京都の自宅は隣同士
西村京太郎さんは1986年になると、山村美紗さんと実質的な同居も開始しています。
京都にある元高級旅館の本館に山村美沙さん、別館に西村京太郎さんが住んでいたんです。
山村紅葉さんの母 山村美紗さんは、西村京太郎さんとは親しい仲(かなり)であるのは有名。
— fanbot (@tomosatoyuyabot) May 5, 2013
山村美紗さんが、自宅にする為に、京都の高級料亭旅館を買い取る際、規模が大きいので、半分、西村京太郎さんに買わせて住まわせたのは有名な話。
この家 pic.twitter.com/TR0MXELZ0k
ちなみに、山村美沙さんの夫は同居しておらず、近所のマンションで別居していたと言われています。
そのため、西村京太郎と山村美紗の中は公然の秘密状態で、愛人関係だったとも言われています。
西村京太郎と山村美紗の関係③ 未完の遺作を完成させる
西村京太郎さんと山村美紗さんの別れは唐突にやって来ます。
1996年9月、執筆中だった作品の追い込みのために、帝国ホテル東京のスイートルームに宿泊していた山村美沙さんは、心不全で急死してしまったのです。
西村京太郎さんはその後、山村美沙さんが亡くなったことで未完となっていた遺作を受け継いで完成させています。
また、同居先だった元高級料亭の買い取りを遺族に提案したようです。
西村先生は、京都の豪邸の名義を美紗さんにあげていました。しかし美紗さんの死後、『思い出の場所として持っておきたい』と、購入時よりも高額で買い取ると美紗さんの夫に提案したそうです。結局、夫が拒否して実現しなかったらしいのですが、
買取は実現しなかったようですが、同業者というレベルを超えた並み並みならぬ愛情が感じられますね。
西村京太郎の子供は山村美沙の娘・山村紅葉?
女優・山村紅葉が子供説も浮上
西村京太郎さんには、山村美紗さんの長女で女優の山村紅葉さんが隠し子では?との噂も存在しています。
50 :NAME OVER:2005/05/08(日) 00:59:19 ID:???
西村京太郎、今は熱海だかに住んでるんだよね。
紅葉は旦那さんと、美紗と京太郎のふたりで
日本料亭をまるまる買い取ったという、例の京都の家に
住んでいるのだろうか。
(玄関にはデカデカと山村美紗の写真が飾ってあるらしい)紅葉は美紗と京太郎との隠し子という噂もあったな、そういや…。
2人の間にそのような噂が発生してしまったのは、西村京太郎さんの作品が実写化されるたびに必ずと言って良いほど紅葉さんが出演しているためでした。
しかし、山村紅葉さんは1960年生まれであり、西村京太郎さんと山村美沙さんが出会う以前のことです。つまり、2人の間に血縁関係はないことは確実で、噂はデマです。
ちなみに、西村京太郎さんの作品に山村紅葉さんがキャスティングされる頻度が高い理由は、生前から山村美沙さんより「娘のことをお願い」と頼まれていたからと言われています。
山村美紗の次女が隠し子との噂まであった
西村京太郎さんには、山村美紗さんの次女こそが隠し子だという噂まで存在します。
41名無しさん@恐縮です2022/03/06(日) 13:35:03.56ID:I26DQvSZ0
山村美紗との関係は謎のまま59名無しさん@恐縮です2022/03/06(日) 13:36:23.43ID:P7fjCaNE0
>>41
山村の次女が西村にそっくりだから、まあそういう事やろ。
ただ、こちらの噂もただの都市伝説のようで、実際の次女は西村京太郎さんと山村美沙さんの関係を嫌っており、父親側についていたといいます。
そのため、山村美沙さんの死後も西村京太郎さん宅に遊びへ行くほど親しい間柄だった姉の紅葉さんとは違い、西村京太郎さんとは疎遠だったようです。
西村京太郎の資産や年収がすごすぎる
累計発行部数2億部超の大作家であった西村京太郎さんだけに、その資産や年収も気になりますよね。
売れっ子になったのは40代後半という遅咲き作家でしたが、1982年の長者番付の作家部門に初ランクイン、そして1998年から2004年までの間は1位に輝く偉業を達成しています。
そんな西村京太郎さんさんの最高年収は7億円、累計の印税額だけでも120億円以上だと言われています。
西村京太郎が結婚した嫁は矢島瑞枝
長年独身を続けた西村京太郎さんですが、2001年に10歳年下の矢島瑞枝さんと結婚しています。
矢島瑞枝さんは、もともと西村京太郎さんの秘書だった女性で、私生活の世話までする愛人同然の間柄だったと言われています。
また、矢島瑞枝さんは生前の山村美紗さんとも面識があり、公認の間柄でもあったようです。
そんな2人が結婚に至ったきっかけは、西村京太郎さんの病気が関係しているといいます。
山村美沙さんが急死した1996年、西村京太郎さん自身も脳梗塞で倒れたことで、左半身に麻痺が残り、車椅子生活になっていました。
その後、リハビリや療養のために神奈川県湯河原町に引っ越すことになりますが、そんな西村京太郎さんを献身的に支えてくれたのが矢島瑞枝さんだったそうです。
ちなみに、脳梗塞で倒れて麻痺が残ったものの、西村京太郎さんは右利きで、手書きで原稿を書いていたこともあり、影響は少なかったようです。
そのため、1997年は年間10冊以上の作品を発表するなど、脳梗塞で倒れる以前のペースに戻っています。
西村京太郎の現在はすでに死去/死因は肝臓がん
2021年に発表した作品が10冊と、超人の域に達していた西村京太郎さんでしたが、病気には勝てず、2021年の年末頃から体調を崩して入院していたそうです。
その後も容態は回復せず、2022年3月3日、91歳で亡くなりました。死因は肝臓がんでした。
西村京太郎さんの訃報に対し、ネット界隈でも多くのファンたちが哀悼の意を捧げていました。
悲しいニュースが飛び込んできた。大好きな西村京太郎氏が死亡。数年前まで著書は全て買って読んだ。ここ数年は作品に切れ味が感じられず購入していなかった。寂しいなあ。寂しい。十津川警部の活躍がもう読めなくなる。十津川警部は俺の青春だった。一番印象に残っている→ https://t.co/YkPZtrnT4g
— でかまる (@Ig33P) March 6, 2022
西村京太郎先生死去。
— Shiokaze Ishizuchi (@44164416mura) March 6, 2022
小学校高学年の頃から、十津川警部や亀井刑事と旅をするのが大好きでした。西村先生の推理小説を読むことで、拙いながらもそれなりの文章力が身に付いた様に感じています。
三橋達也さんや愛川欽也さんと共に、あちらでも鉄道サスペンスの世界を繰り広げて下さい。#西村京太郎 pic.twitter.com/WNE81kJqso
西村京太郎のまとめ
西村京太郎さんはトラベルミステリーの巨匠であり、山村美紗さんとのゴシップで世間の注目を集めたこともある大ベストセラー作家です。
西村京太郎さんのご冥福を祈りつつ、この記事のまとめを終了させて頂きます。