1980年代に「おニャン子クラブ」の会員番号40番として活躍し、CM制作会社のプロデューサー・佐山智洋と結婚した生稲晃子さん。
2015年には乳がんを告白しましたが、夫との離婚説や子供とのエピソードなど、現在までの様子について詳しく総まとめしましたのでご紹介します。
この記事の目次
生稲晃子のプロフィール
生稲晃子、おニャン子クラブのメンバーとして芸能界デビュー
元「おニャン子クラブ」会員番号40番のアイドル
生稲晃子さんは1980年代に一世を風靡したアイドルグループ「おニャン子クラブ」の会員番号40番として芸能界デビューし、1987年にはメンバーの工藤静香さん、斉藤満喜子さんとのユニット「うしろ髪ひかれ隊」でもデビューするなどトップアイドルとして活躍していました。
2003年にCM制作会社プロデューサーの佐山智洋さんと結婚し、2006年3月に第1子となる長女を出産しました。
本名: 佐山 晃子(さやま あきこ)
生年月日: 1968年4月28日
出身地: 東京都小金井市
血液型: B型
身長: 158 cm
体重: 非公開
デビュー: 1986年
ジャンル: アイドル
所属グループ: おニャン子クラブ
著名な家族: 佐山 智洋(夫)
他の活動: 歌手、女優
事務所: プロダクション尾木
引用:Wikipedia – 生稲晃子
生稲晃子の結婚した夫は佐山智洋氏~子供は娘が1人!
生稲晃子、2003年にCMプロデューサーの佐山智洋氏と結婚
夫・佐山智洋との詳しい馴れ初めなどは不明
生稲晃子さんは2003年にCM制作会社プロデューサーの佐山智洋さんと結婚しましたが、馴れ初めについては語られていないもののCMでの仕事で一緒になった際に知り合った可能性が高いでしょう。
2008年には夫の佐山智洋さんが株式会社Maholoを立ち上げ、芸能事務所のほかに企業広告の企画、制作、ウェディング映像の企画・制作、アパレル製品の企画・制作などを手がけています。
また、生稲晃子さんと佐山智洋さんは夫婦経営で鉄板焼き店「佐吉」をオープンさせており、まずまずの評判のようです。
生稲晃子、2006年に第1子長女・遥香ちゃんを出産
生稲晃子と子供の遥香ちゃん
オフィシャルブログからはとても仲が良い親子だと分かりますが、それでも生稲晃子さんは子供と喧嘩してプチ家出をしたことがあると報じられていました。
生稲晃子さんは2006年に第一子となる長女を出産し、名前はオフィシャルブログなどで「遥香」ちゃんと明かしており「はーちゃん」という愛称のようですが、ブログ上では目を隠して投稿しています。
遥香ちゃんは「東洋英和女学院小学部」に通っていると噂されており、この学園は幼稚園から大学まで一貫校でありお嬢様学校で知られています。
元おニャン子クラブの生稲晃子さんはある日、小学生のお子さんと喧嘩をして、4時間の「プチ家出」をしたのだそう。しかしお子さんは、ママがまさか家出をしたとは思っていなかったようで、ご飯を作って待っていてくれたそうで、なんともほほえましい結果に‥‥。
生稲晃子さんは一人娘の遥香さんの学校行事には積極的に参加しているようですね。
生稲晃子が壮絶な乳がん治療を告白~闘病を支えた夫と離婚危機の噂も?
生稲晃子、2011年の誕生日に乳がんが発覚
2011年4月28日の誕生日に乳がんが見つかる
生稲晃子さんは43歳の誕生日である2011年4月28日に乳がんが見つかり、同年5月6日に腫瘍部分だけを切除する乳房温存手術を受け投薬と放射線治療をしていました。
生稲晃子、2012年夏に乳がんが再発
しかし、生稲晃子さんは2012年夏に乳がんが再発してしまいその時のことについて闘病について初めて明かした週刊誌「女性自身」で語っています。
再発という言葉を病院の先生からお聞きした時は、息ができないくらいショックでした。でも私には、まだ10歳にも満たない子供がいる、私の元に生まれてきてくれたこの子が成人するまでは負けてはいられない、頑張らなくてはとくじけそうになる自分に言い聞かせてきました
生稲晃子さんも語っているようにがんの再発というのは初めてがんが見つかった時よりも絶望を感じることが多いと言われていますが、生稲晃子さんも10歳の子供がいる親の身としてせめて育て上げるまでは死ねないと強く気持ちを奮い立たせたことが闘病生活に向き合う覚悟につながったようです。
生稲晃子、3度目乳がん手術で右乳房摘出
生稲晃子さんは2013年10月に3度目の乳がんの切除手術を受け、同年12月27日に右乳房全摘出手術を受けました。
生稲晃子さんは2015年10月27日に右胸の再建手術を受けて、同年11月に発売中の週刊誌「女性自身」で乳がん告白をしていることに合わせて10日付けのブログでも報告しました。
11月10日付けのエントリー「乳癌」では、「今日皆さんにお伝えしたいことがあります。2011年に乳癌と診断され、この5年弱の間、手術と治療を続けてきました。最初の手術から2度の再発、一昨年、右乳房全摘出手術を受けました」と報告。
今回、雑誌で病気を公表したことについては「今までお話できなくてごめんなさい。そして突然の公表で、皆さんにご心配をおかけしてしまい、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。長年レギュラーを務めさせていただいた健康番組でのお仕事がこの秋終了したことと、先月、失った右胸の再建手術をしていただいたことで、自分の中でひとつ区切りがつき、皆さんにお話させていただくことにしました」と説明している。
生稲晃子さんは3度目の乳がん再発をした時に真っ先に思い浮かんだのが当時7歳だった子供の遥香さんだったと語っており、成人するまで見届ける義務があるという思いから右乳房全摘出にも踏み切れたと語っています。
乳がん闘病の辛さを紛らわせるために生稲晃子さんは仕事に打ち込んで、必要以上に元気に振舞っていたそうですが、家に帰ると不安に押しつぶされそうだったと語っています。
生稲晃子さんの乳がんは他の場所に転移はしていなかったようで現在までに再発していないようで、2016年4月27日には闘病記として「右胸にありがとう そして さようなら 5度の手術と乳房再建1800日」も出版しています。
生稲晃子、乳がん闘病を告白した理由
自分のけじめと同じ悩みを持つ人へのエールとして公表した生稲晃子
生稲晃子さんは5年の闘病生活を公表せずにいたことのファンへの罪悪感や、同じ乳がんで苦しむ人々に勇気を持ってもらうために公表したことを明かしています。
公表を決めたのは、乳房の再建手術を受けるとき。「公表することで、同じように苦しんでいる人に勇気を持ってもらえればと思ったんです」
しかし「本当は自分もつらかった。隠しごとをしているようで、罪悪感も感じていました。でも、公表して自分も楽になりました。前より明るくなったって言われるようになりました」とも。
引用:zakzak – 生稲晃子、壮絶“がん体験”語るワケ 乳がんで右乳房の全摘&再建手術 「経験を話して頑張ろうと思ってもらえれば」
生稲晃子さんは元々アイドルグループ「おニャン子クラブ」のメンバーとして注目を集め続けた経験がある分、乳がんの闘病で社会から隔絶された時の疎外感がとても辛かったようで、がん闘病の際の教訓として語っています。
「一番大切なのは、自分が社会に必要とされていると思えること。がんになると孤独感や疎外感にさいなまれ、社会から置いてけぼりになった気持ちになってしまう。これでは闘う気力すら失いかねません。私自身、闘病しながらも家族の支えを受けて働いていたことが大きな力でした」
引用:zakzak – 生稲晃子、壮絶“がん体験”語るワケ 乳がんで右乳房の全摘&再建手術 「経験を話して頑張ろうと思ってもらえれば」
生稲晃子さんは子供の存在や夫・佐山智洋さんなど家族の支えがあって乳がんを乗り越えることができたようですが、ネット上では以前からにわかに離婚説が囁かれていました。
生稲晃子、闘病を支えた夫・佐山智洋と離婚危機もあった?
生稲晃子と夫・佐山智洋の夫婦仲は?
生稲晃子さんは乳がん闘病の際に夫に支えて貰っていたことを語っていますが、なぜか離婚説がネット上で囁かれていました。
芸能人が結婚すると必ず浮上するのが”離婚説”なので、生稲晃子さんと夫・佐山智洋さんに離婚に繋がるようなトラブルの情報がまったく無いことからデマのようです。
生稲晃子さんは乳がん闘病中である2013年末頃に出演した番組『今夜くらべてみました(日本テレビ系)』に出演して自宅を公開しましたが、まるでモデルルームのように綺麗な2億円の豪邸に住んでおり、夫・佐山智洋さんと娘・遥香さんと幸せに生活している様子を公開していました。
それ以降も夫婦仲を疑わせるエピソードも一切なく、生稲晃子さんと夫・佐山智洋さんは現在までに離婚とは無縁で関係は良好のようですね。
生稲晃子の現在~がんに関する啓蒙活動を精力的に続けていた
生稲晃子、がん闘病者の治療と仕事の両立のサポート策を提言
生稲晃子はがん闘病について講演を続けている
生稲晃子さんは2017年7月9日に都内で行われた「平成29度 がん検診受診率向上全国大会」に出席してがん闘病について講演しました。
5度の乳がん手術を経験した生稲晃子さんは、2016年に政府の「働き方改革実現会議」の有識者委員に選ばれ、がん闘病者の社会との関わり方の重要なことについて提言してきました。
「がんになった社員に対して、主治医、会社、産業医・心理カウンセラーの『トライアングル的な連携サポート』ができるのではないか」
生稲さんは、首相官邸4階の大会議室で安倍晋三首相を前に切り出した。2011年に乳がんを発症。摘出手術を受け、今も治療を続ける。がん治療の副作用には、抗がん剤による脱毛やむくみのように周囲から見えやすい症状だけでなく、別の治療による倦怠(けんたい)感やのぼせ、軽いうつ症状など「他人に見えにくい副作用」がある。このため、働く意欲を維持し続けることが大変で、モチベーションの低下を理由に会社を辞めてしまう人も多い、と指摘した。
生稲晃子さんはがんは早期発見が重要であるため、病状が深刻化する前に定期的ながん検診を受けて欲しいと自らの教訓を元に語っています。
また、2017年に乳がんで亡くなった小林麻央さんのことについても触れ、乳がん患者が希望を失わないように勇気づける言葉を贈りました。
「(麻央さんの)ブログに勇気づけられていた(がんの)患者さんがいっぱいいます。すごく励みにしていた方が、気を落とさないようにしてほしいと、同じ乳がん患者として思います」
生稲晃子さんは現在でも再建手術をしたとはいえ全摘出手術をした右胸の傷跡を見て涙することもあるようで、その切実な思いを同じ乳がん患者が体験しなくていいように現在までに啓発運動に取り組んでいるようですね。
ピンクリボンフェスタ2016
— サコ☆6月20日2ndアルバムリリース!@レディオサイエンス (@sakoence) 2016年10月2日
終了しましたー!!!
演奏もしつつ
今年も勉強させて頂きました!!
男性も乳がんにかかることを
初めて知ったので
セルフチェック俺もします!
ご一緒した生稲晃子さんと写真撮らせて頂きました(*^^*) pic.twitter.com/QVTDJTHtXm
電車の中で喧嘩してるサラリーマンの上でヒラヒラしてる中吊り広告に「生稲晃子、三度の乳がん…」って、あってお前ら(サラリーマン)そんな事してて恥ずかしくないのか⁉︎と思いました。
— リョー (@ryo2k) 2015年11月10日
生稲晃子について総まとめすると…
・生稲晃子には子供は1人おり、2006年にひとり娘の遥香ちゃんを出産している。
・生稲晃子は2011年の誕生日に乳がんが発覚。その後、再発し3度目の手術で右乳房全摘出した。
・生稲晃子は現在、自身の闘病生活を語る講演活動やがんに関する啓蒙活動を精力的に続けている。
元「おニャン子クラブ」メンバーとして活躍した生稲晃子さんの家族や乳がん闘病について総まとめしてきました。
突然幸せな生活を奪ってしまう癌ですが、有効な治療法の開発も進んでいることから早く確実に治る病気になって欲しいですね。