山田邦子さんは、全盛期レギュラー番組14本を抱える超売れっ子の女芸人でした。しかし、1990年代後半以降から露出が減り、テレビから干された状態になっています。
この記事では、山田邦子さんが干された理由や2000年に結婚した旦那、そして現在の活動についてまとめています。
山田邦子さんのプロフィール
芸名:山田邦子(やまだくにこ)
本名:後藤 邦子(ごとう くにこ)
出身地:東京都板橋区
生年月日:1960年6月13日
身長:168cm
出身高校:川村高等学校
最終学歴:川村短期大学(現在の川村学園女子大学)
デビュー:1981年
所属事務所:太田プロダクション
と評されます。
高校1年生の時から素人参加番組の常連として活動していき、一時期落語家を目指したこともあったそうですが、向いていないと早々に見切りをつけ漫談家の道へ。大手芸能事務所の太田プロダクションに所属し、漫才ブームの流れにのり人気者になります。
デビュー以降、いくつもの冠番組を持つ司会者としても活躍しながら、女優・小説家デビューを果たすなどして幅広く活動しています。1980年代には一斉を風靡し、最高時にはレギュラー番組14本・月収だけでも1億円あったなどと、後々語っています。
しかし1990年代後半からは冠番組の打ち切りなどで徐々に露出が減り、以降、テレビではあまり見かけなくなりました。
乳がんで闘病、予後は順調
テレビ出演をきっかけに乳がんが判明。
山田邦子さんは、2007年4月に出演したテレビ番組「最終警告!たけしの本当は怖い家庭の医学 スペシャル」における乳がん自己検診にて違和感を覚え、その後の診断で「左乳房に1つ・右乳房に2つ」合計3つの乳がんが判明しています。
ステージは公表していませんが、いずれのがんも「小指の先程」の大きさとのことなので、ステージは初期(0期~1期)と思われます。
聖路加国際病院で2回の手術を行い癌を摘出し、その後の闘病の結果、再発もなく予後は順調のようです。
山田邦子(55才)は、がんを発症しやすい家系に生まれたのだという。自分で触診をしていたときにシコリを感じ、乳がんの検査を受けたところ2007年に「左乳房に1つ・右乳房に2つ」合計3つのがん細胞が見つかった。2度の摘出手術の後、ホルモン治療を続けた結果、5年後に乳がんを克服。乳がんの早期発見、早期治療を呼びかけている
山田邦子さんが干された理由とは?
本人曰く周囲の嫉妬だった?
干された理由を語った山田邦子さん。
一時期は、女芸人として初めて天下を取ったとまで言われた山田邦子さん。
全盛期の山田邦子さんといえば、誇張でもなんでもなく彼女をテレビで見ない日はなく、週に14本のレギュラーを持つ超売れっ子芸人でした。
現在の売れっ子有吉弘行さんですら、レギュラー13本ですからそれ以上と考えていただければ、その凄さはやはり並みではありません。
バブル時代の波にものり月収1億円、1回の打ち上げで200万円のお支払い、連休があればファーストクラスでニューヨークに渡り現地ではヘリをチャーターして夜景を楽しむといったビックリエピソードも満載です。
しかし、1990年代後半から徐々に露出が減り冠番組は打ち切られ、まさに”干された”状態になってしまいました。一体彼女に何があったのでしょうか。
山田邦子さん自身は、露出が減った当時のことを以下のように回顧しています。
山田は「寂しいなとは思いました。でも、こういうものなんでしょうし。ブームが終わったんじゃないですか」と笑顔を浮かべながら当時を思い返し、「たぶん出過ぎたんだと思うんです。『あいつばっかり』という時代があって。みんな悔しかったんじゃないですか。だから、しょうがないです」と淡々と語った。
さらに、「かなり激しいブロックにあいました」と告白するも、これも「しょうがない」と冷静に受け止めている。
周囲からの嫉妬に言及しています。かなりの売れっ子でしたから、妬まれていたということも十分にあり得そうですね。
1995年から始まった山田邦子の凋落
周囲の嫉妬があったと語った山田邦子さんですが、実際に彼女の1990年代の活動を抑えていくと、いくつかの凋落のきっかけとなるポイントがありました。
1995年NHK大河ドラマ「八代将軍吉宗」に生母・浄円院役で出演。
役柄が山田邦子さんにミスキャストということもあり、クレームが入ったと言います。
山田邦子さんの冠番組「山田邦子のしあわせにしてよ」の低視聴率。
1995年に山田邦子さんが結婚するまでという意気込みが語られ始まった番組でしたが1997年に打ち切り。
視聴者からのクレーム、そして低視聴率しか取れなかった冠番組…すでにこの頃から山田邦子さんの人気に陰りが出始めていたことを示すものではないでしょうか。
そして、この頃から徐々に週刊誌などによる山田邦子バッシングも加速していきました。
女性誌が「なぜ人気?」といった記事を立て続けに報道した。山田へのネガティブキャンペーンは、徐々に過熱し、「借金」「落ち目」「嫌われ女」と続いた。
干された直接的な原因は、不倫&暴言騒動?
1995年12月に週刊誌「FOCUS」にて不倫報道!
写真週刊誌『FOCUS(フォーカス)』で、妻子ある男性との不倫をスクープされたことが決定打だろう。
ただでさえ不倫は許されないにも関わらず、「結婚願望が強く、もてないキャラ」の邦子の不倫はイメージと真逆ゆえに視聴者の嫌悪感を煽った。
さらには、この不倫報道についてしつこく付きまとった芸能レポーター・井上公造さんに対する暴言もありました。
芸能レポーターに追い回されて嫌気がさしていた邦子は、芸能レポーターの井上公造にぶちギレた。「お前、もてないだろう」「バカじゃないの」などと罵倒したシーンが繰り返しワイドショーで放送され、好感度も人気も急降下した。
お笑い芸人というよりも、ただ一人の不倫してしまった女性のヒステリックな対応ですね。
実際に1996年発表時には1位だったNHKの「好きなタレント調査」では、1997年には6位、1997年には14位と急落していきました。そして1997年には冠番組「山田邦子のしあわせにしてよ」が打ち切りとなり、これを境に急激にテレビ露出が減っていったということが指摘されています。
人気の陰り&不倫スキャンダルで”扱いにくいタレント”に
以上のことをまとめると、山田邦子さんは扱いにくいタレントとなってしまったのではないでしょうか。たとえば、すでに大物として複数の冠番組を持ったこともあるため気軽に呼びにくいことや、人気低下・不倫スキャンダルの影響等で視聴率の数字を稼げないなど、タレントとしては致命的な”扱いにくさ”があったことが考えられます。
ただ「井上公造さんへの暴言騒動」がありましたが、当時はSNSなどの普及もありませんでしたので、今以上にマスコミにとって都合の良い情報だけを報じられていた面が指摘され、必要以上に悪役にしたてられバッシングにあっていたという見方もされています。
山田邦子さん、不倫略奪婚した旦那との現在は?離婚の噂はあるの?
旦那は番組制作会社社長・後藤史郎さん
山田邦子さんと旦那・後藤史郎さん。
山田邦子さんは、2000年に「ゴッズダイナミックワールド」という番組制作会社社長・後藤史郎さんと結婚しています。
ゴッズダイナミックワールドは、1995年に後藤史郎さんが設立した会社で、これまで「中居正広の金曜日のスマたちへ」(TBS)、「5時に夢中」(東京MX)、「うたばん」(TBS)、「明石家さんまちゃんねる」(TBS)などに制作協力しています。
旦那とは不倫略奪婚
山田邦子さんは、不倫相手であった後藤史郎さんと2000年に結婚しています。
2000年には不倫相手の番組制作会社社長との愛を実らせ結婚。都内の一等地に8億円の豪邸を購入。仕事が激減しても、莫大な蓄えもあるだろうし、夫は会社社長、お金に困ることはないはずだ。
旦那にはもともと妻子がいましたが離婚し、その後山田邦子さんと再婚。そんな経緯もあってか、結婚にあたっては一部であまり穏やかではない噂が流れていることも…。
112: 可愛い奥様 2013/04/24(水) 16:58:08.66 ID:AYR15VwN0
山田邦子と略奪相手の挙式の日に、相手の娘が自殺未遂したんだよね。
どんだけひどい奪い方したんだろう。
- 113: 可愛い奥様 2013/04/24(水) 16:59:32.01 ID:nUJaScJW0
- >>112
え!
男側が邦子のところに転がりこんでたよ。
また山田邦子さんは2007年に出演していた「オーラの泉」では、結婚式にまつわるビックリエピソードを披露しています。
2000年になる時に結婚式をしたかったという山田邦子さんが、旦那(当時恋人)に相談もせずに一人で式場等を抑えたと言います。(以下より「オーラの泉」でのやり取り)
国分「相手はご主人ではなかったんですか?」
山田「その時は、結婚と思ってなかったんで。」
国分「ええ~!相手がいない状態で式場を押さえて。」
山田「誰に申し込みに行こうかしら?くらいな。」
国分「ええ?」
山田「おバカでしょう?
『式場が取れるしドレスも間に合うんだけれども。 元旦に結婚する?』って言ったら。
『ああ、しようか。』って。」
国分「じゃあ、プロポーズは邦子さんが言ってることになりますね。」
山田「そうだよね。でも今、7年たって『これが運命だったんだな。』って思う。
年々間柄がよくなっていて
『こんなに結婚がいいんだったら、もっと早くすればよかった。』って思ってる。」
2010年にはアニバーサリーパーティー&10年婚も
山田邦子さんのアニバーサリーパーティーの内容は「50歳、芸能生活30年、結婚10年のお祝い」でした。
山田邦子さんと旦那さん。
山田邦子さんは身長168cmありますので、旦那さんも相当背が高そうですね。
山田は、これまでの芸能生活を振り返り「30年あっという間。山あり谷ありいろいろあったんですが、脳天気なので、ぱーっと過ぎた感じ」と振り返る。今年50歳の節目を迎え、「(50歳に)なってみると案外元気ですね。病気もしたし、この後(の人生)はお釣り。おまけの人生と思って」と心境を告白。「まだ現役の80歳や90歳の先輩方と比べれば半分ですから、まだまだ若手でいられる」と、今後の人生に向け熱い意気込みを見せた。
旦那さんとは変わらず仲も良さそうでした。
「みんな婚活してる割には独身貴族が多いね。結婚は面白いよ!」と結婚生活を勧め、「嫌なこともあるけど、2人でいると辛いと思うこと半分、面白いこと2倍になります」と笑顔で語った
仲は良さそうですね。2016年現在も離婚の噂すら出ていませんので、不倫略奪婚カップルですが、仲良く暮らされているのではないでしょうか。
《おまけ》8億円豪邸・鎌倉の別荘等を所持
山田邦子さんの8億円の豪邸。
於・東京都四谷。
鎌倉に別荘もあります。
旦那さんと山田邦子さん。
山田邦子さんの現在
山田邦子さんが2016年10月現在レギュラー出演しているのは、NHKラジオとテレビショッピングのみ。(山田邦子 太田プロダクションより。)
あまりテレビ露出がありませんが、2007年の乳がんの経験をもとにそれに関連した活動をされているようです。
2007年には乳がんが発覚したが、摘出手術と放射線治療でがんを克服。その後、お笑いライブや舞台などのタレント活動のかたわら、がん早期発見の啓もう活動や講演、本の執筆など、精力的に活動をしている。
また全盛期に稼いだお金や制作会社社長の旦那、すでに豪邸・別荘も所持していますので、現在は悠々自適に生活されているのではないでしょうか。
2015年3月に出演した「サワコの朝」では、現在の生活について触れていました。
時間に余裕ができてからの生活は「有意義」で「すごく楽しいです」。舞台や講演、チャリティーなどで精力的に活動する中で、散歩や喫茶店でコーヒーを飲むような何気ない時間に「こんなことしてなかったんだなぁ」としみじみと感じているという。
業界には山田邦子復帰待望論も?
ただ近年の芸能界における、ヒロミさん、DJ KOOさん、森脇健児さんらのようなかつての大物タレントが再ブレイクしている中で、山田邦子さんの待望論が出ているという話もあります。
それには、最近の女芸人事情も関連しているようです。
今のテレビ業界でMCができる女芸人がいないんです。その最右翼だった久本雅美(56)は、入信している宗教に入れ込みすぎてイメージが悪くなり、これ以上の上昇は見込めない。また、今まで青木さやか(41)、元オセロの中島知子(43)、友近(41)といった“ポスト山田邦子”と呼ばれた芸人も一様に失速気味。一時期”女有吉”と呼ばれたオアシズ・大久保佳代子(43)も未だにエロキャラから脱却しきれず、ゲスト止まりです。
まとめ
■山田邦子は1990年代後半よりテレビの露出が激減した。その原因として、周囲からの嫉妬、決定打となったのは妻子ある男性との不倫略奪婚である。
■山田邦子は2007年4月に出演したテレビ番組で乳がんが発覚。2度の手術を受け、現在は再発もなく順調である。
2〜3年前から復帰待望論もありますが、2016年現在もそれがないところを見ると、以前のようにまたバリバリ第一線でということはないのかも。今まで味わえなかった余暇を現在は堪能しているのかもしれません。
ただ未だ57歳(2017年現在)ですので、先はわからないですね。