音楽プロデューサーのつんくさんの妻である出光加奈子さんには、実は「出光興産の創業者一族」ではないかという噂がネット上で流れております。
この記事では、加奈子さんの「出光興産創業者一族説」の真偽の他、家族情報などに関してまとめてみました。
この記事の目次
出光加奈子のプロフィール
名前:出光加奈子(いでみつ かなこ)
生年月日:1980年11月30日
出身地:佐賀県玄海町
音楽プロデューサー・つんくさんの妻として有名な出光加奈子さんは、元々は福岡でローカルタレントをされていた方でした。
2017年で20周年を迎えた「ももち浜ストア」という、テレビ西日本の情報番組の旅コーナーに出演していた加奈子さんは、福岡では「いでみっちゃん」の愛称で知られておりました。
そのまま福岡でローカルタレントを続けていれば、いずれは東京進出も待っていたのかもしれない加奈子さんですが、つんくさんとの交際を機に、2005年に「ももち浜ストア」を降板しています。
そして、翌年の2006年にはつんくさんと結婚という急展開にて、一躍セレブ妻へと収まった加奈子さんは、子宝にも恵まれ、順風満帆な専業主婦生活を送ることになりました。
そんな加奈子さんの結婚生活に異変が起こったのは、結婚9年目となる2014年のことでした。以前から喉の不調に悩まされていたつんくさんが、病院で検査を受けた結果、喉頭がんを告知されるという悲劇が待っていました。
早期発見ながら、症状の急激な悪化のあったつんくさんは、結局声帯を摘出する憂き目となります。その後の加奈子さんは、子育ての傍ら、つんくさんのリハビリの手伝いや精神のケアなどにも追われる日々となっている模様です。
出光加奈子の実家の噂!出光興産の創業者一族なのか?
元芸能人といっても、福岡のローカルタレントだったため、出回っている情報は少ない出光加奈子さん。
出光加奈子さんには、ネット上で注目されているある噂があります。それは、加奈子さんの実家が出光興産の創業者一族ではないかという噂です。
出光興産といえば、国内の石油元売り大手の一角として、日本人ならば誰もが知っている大企業の1つだと言えます。
創業者である出光佐三さんは、累計400万部を超える売上を記録した、大ベストセラー小説「海賊とよばれた男」の主人公のモデルになったことでも知られています。
あまりに大物すぎる名前が出て来ているため、「本当なのか?」と疑いたくもなる加奈子さんの「出光興産創業者一族説」ですが、ネット上では広く流布されているメジャーな噂となっております。
この噂に一定の信憑性を与えているのが、芸能界に実在する有名実業家一族出身の芸能人たちの存在です。セレブに生まれついても、華やかな世界に憧れる人間は一定数出るものなのか、中には日本の芸能界を代表する大物となっている人物もいたりします。
意外に多い?有名実業家一族だった芸能人!
スポーツキャスター転身以前は、世界的なテニス選手だった松岡修造さん。
錦織圭さんが台頭する前は、日本の男子テニス選手で唯一のATPツアー優勝経験者だった実績もあります。
芸能界における有名実業家一族の末裔といえば、真っ先に名前が挙がるのが人気スポーツキャスターの松岡修造さんです。
父・松岡功さんも総合エンタメ企業・東宝の会長職にまで上り詰めた大物財界人であり、兄・松岡宏泰さんも東宝の取締役だったりする華麗なる一族と言えます。しかし、そんな大物な松岡一族すらも霞んでしまう超大物が、松岡さんの曽祖父にあたる小林一三さんとなります。
小林一三さんといえば、阪急東宝グループの創業者として知られている、戦前から戦後にかけての超大物実業家だったりします。
実業家としての活動に満足せずに、政界への進出にも意欲的だった小林さんは、戦前の近衛文麿内閣時代に商工大臣を務めた他、戦後の幣原喜重郎内閣時にも国務大臣を務めており、まさに政財界にその名を轟かせていた時代がありました。
松岡さんに続く有名実業家一族の芸能人といえば、総合食品メーカー・永谷園の創業者一族である歌手のchay(ちゃい)さんの名前が挙げられます。
chayさんは歌手デビュー後に、永谷真絵(まい)名義で人気リアリティ番組「テラスハウス」に出演したり、まい名義で人気ファッション誌「CanCam」の専属モデルデビューをしたりと、かなり恵まれた芸能人生を送っている人物として知られております。
ちなみに、Chayさんの父親はサンフレックス永谷園の社長である永谷喜一郎さんだとか。
その他にも、居酒屋チェーン「鳥貴族」の創業者である大倉忠司さんを父に持つ、関ジャニ∞の大倉忠義さんなどもおり、セレブな家系出身の芸能人というものは、調べてみると案外といることが分かりますね。
肝心の「出光加奈子=出光興産創業者一族説」はガセネタだった?
有名芸能人2世程度でも、芸能界デビューは大々的に飾れることを考えれば、有名実業家一族出身の女性がローカルタレントをやっているわけはありませんよね。
前述の有名実業家一族の芸能人たちの存在が一定の信憑性を与えてしまっている、出光加奈子さんの「出光興産創業者一族説」ですが、結論を言ってしまうとデマである可能性が濃厚です。
加奈子さんの「出光興産創業者一族説」の根拠には、出光興産の創業者である出光佐三さんと加奈子さんが、同じ福岡県宗像市出身であることが挙げられていたわけですが、実はそれ自体がデマだというオチだったりします。
加奈子さんの本当の出身地は、佐賀県にある玄海町であり、玄海原子力発電所のある街としても知られております。
加奈子さんが福岡県宗像市出身というデマが流れた理由には、福岡県にかつて存在した玄海町という自治体が関係しています。こちらの玄海町が、隣接していた宗像市と2003年に合併しており、このことが加奈子さんの出身地に関する誤情報の発生原因となったのだと思われます。
出光加奈子の旦那はつんく♂!その馴れ初めは?
名前:つんく♂
本名:寺田光男(てらだ みつお)
出身地:大阪府東大阪市
生年月日:1968年10月29日
学歴:近畿大学商学部卒業
身長:170cm
デビュー時期:1992年
所属事務所:TNX
出光加奈子さんがつんくさんと結婚をしたのは、2006年のことでした。
加奈子さんとつんくさんの馴れ初めに関しては、仕事で福岡にやって来たつんくさんが加奈子さんを見初め、芸人の博多華丸さんを通じてアプローチをかけてきたというものです。
30代後半の大物芸能人が、福岡のローカルタレントを気に入って声をかけてくるシチュエーションは、限りなく「つまみ食い」を連想させる行為だと言えます。
しかし、実際のつんくさんは、加奈子さんとメールや電話で交流を始めるという、大学生より清いやり方で加奈子さんを口説こうとしたと言われております。
そんな大物芸能人の意外な一面にほだされたのか、加奈子さんは、交流開始から3ヶ月後につんくさんとの交際を承諾しました。その後の加奈子さんですが、東京でつんくさんと一緒に暮らすために、福岡でのタレント活動を休止して上京しています。
出光加奈子とつんく♂のスピート結婚の理由は?
イメージと違って、女性にかなり誠実だと言えるつんくさん。
女性関係に奔放な音楽プロデューサーが多い中、最早変わり者と言える領域なのかもしれませんね。
つんくさんとの交際のために上京した出光加奈子さんですが、その同棲生活はかなり不安が付きまとうものだったようです。
加奈子さんと同棲を開始した直後のつんくさんですが、福岡からやって来た恋人との甘い日々を優先するということはなく、ワーカホリック気味に仕事を続ける毎日だったと言われております。
当時の音楽プロデューサーといえば、小室哲哉さんや小林武史さんを筆頭に、女性関係にだらしない男の代名詞でもありました。
そのため、「もしかして都合の良い愛人扱いされているのでは?」と悩んだ加奈子さんは、実家の母親に泣きながら電話をかけるなど、かなり精神的に不安定だった時期もあるとか。
そんな加奈子さんの様子に心を痛めたつんくさんは、男としての責任を取るために加奈子さんとの結婚を決意します。こうして2人は、2016年1月に、交際わずか半年未満で結婚するというスピード婚を迎えました。
ちなみに、2人の結婚式ですが、西本願寺にて双方の親族だけを集めて執り行うという、芸能人らしからぬ簡素なものだったそうです。
出光加奈子の子供は3人?アレルギーに悩む子供がいる?
近年、注目を集めている子供のアレルギー問題。
学校給食などで対応するだけの教師でもかなり苦慮しているらしいですが、母親ともなれば、なおのこと日々の食事に神経を使っていることだと思われます。
出光加奈子さんには、2017年10月現在、つんくさんとの間に3人の子供が生まれております。
2008年に双子として生まれてきた長男と長女に関しては、幼稚園からインターナショナルプレスクールに通わせるなど、かなりの英才教育を施している模様です。
一方で、情操教育なども重視している加奈子さんは、小さなうちから子供たちに家事手伝いを義務付けるなど、子供たちが健やかに育つようにと気を配っていることで有名だったりします。
2011年に生まれた次女は、卵と乳製品に対するアレルギーを持っています。
卵と乳製品に対するアレルギーといえば、多くのお菓子が食べられなくなったりもしますから、子供にとっては辛いことが多い症状となります。
加奈子さんは、少しでも次女が普通の暮らしを送れるようにと、生クリーム抜きのクレープを作ったりするなど、日々工夫しながら料理を作っているとか。
次女のアレルギー症状には、その他にも「眠くなると体温が上がり、体が痒くなる」といったものまであるようで、育児面で加奈子さんにかかる負担は大きいようですね。
2015年に長女が歌手デビューした
つんくさんにそっくりな長女の「Hotzmic」(ホツミック)さん。
一般公開されていない長女の名前ですが、ネット上では「みずほ」説が囁かれています。
出光加奈子さんの長女に関しては、2015年に歌手デビューを果たしていたりします。長女の歌手デビューの場となったのが、つんくさんが音楽プロデューサーを担当していた「リズム天国」シリーズというCSゲームです。
「リズム天国」シリーズの第4作目となる、「リズム天国 ザ・ベスト+」に収録されていた「I’m a lady now」という楽曲。
この曲のボーカルを担当していた「Hotzmic」(ホツミック)さんが、実は加奈子さんの長女でした。
「リズム天国 ザ・ベスト+」自体が70万本の大ヒットとなったこともあり、YouTubeに公開されたHotzmicさんの「I’m a lady now」のPVは、2017年10月21日現在、再生数約160万回と中々の反響を呼んでおります。
ちなみに、「Katzmic」(カツミック)という名義で次女(写真左)もPVに登場していたりと、ファミリー中3人が携わった記念すべき作品が「I’m a lady now」となっていますね。
PV野撮影現場には、加奈子さんも同行したことでしょうから、娘たちの成長ぶりに目を細めていたのかもしれませんね。
出光加奈子の人生に異変!夫であるつんく♂が喉頭がんに倒れた
酒やタバコをやらないバンドマンはいないということで、ロックバンド出身のつんくさんも酒やタバコが大好きな人物でした。
結婚後は、家族のために酒もタバコも封印したものの、時既に遅しという展開が待っていました。
出光加奈子さんの幸せな結婚生活に異変が生じたのは、2014年のことになります。兼ねてから喉の不調に悩まされていたつんくさんですが、2014年3月に咽頭がんの診断を下されるという、予期せぬアクシデントが待っていました。
早期発見ではあったものの、発覚当時46歳という若い時分でのがんだったことが災いしたのか、放射線治療に失敗してしまったつんくさん。
2014年10月5日に行われた、モーニング娘。’14のニューヨーク公演。このとき、つんく♂さんの喉は、放射線治療で治りきらなかった癌が肥大化、飛行機に乗り長時間気圧の変化の影響を受けることで、窒息死してしまう可能性があるほどまでに悪化していたのだといいます。
小さな子供たちを3人も残して死ぬことは出来なかったつんくさんは、喉頭がん治療の最終手段である、声帯摘出手術を選択することになりました。
以降は声を失うこととなったつんくさんですが、持ち前のバイタリティを活かして、「食道発声法」という方法でリハビリをした結果、現在は家族との間で会話が可能な状態になっているとか。
偶然にも、つんく♂さんのスタッフの1人が過去に同じく声帯を全摘出していたんです。でも今も変わらず仕事を続けている。肺ではなく胃にためた呼気を逆流させて発生する『食道発声法』という方法で、日常会話に支障はない程度に声は出せるんです。つんく♂さんは彼の影響で、この発声法の練習を始めているそうです。今はまだ歌うことは考えていない。話すために頑張ると言っているそうですよ」(前出・芸能関係者)
出光加奈子の現在!ハワイに移住
どんなタフな人間でも声帯を失うなどのアクシデントがあれば、心は傷つきますから、癒やしの期間は必要ですよね。
結婚9年目で夫が喉頭がんを患うなど、波乱万丈な展開が待っていた出光加奈子さんですが、2016年に一家でハワイに移住しています。
加奈子さんたちのハワイ移住理由に関しては、声帯摘出後のつんくさんの体や心のケアが目的なようです。
花形の音楽プロデューサーとして長年活躍していたつんくさんにとっては、自身が喉頭がんで声帯を失ってしまったことが知れ渡っている日本で暮らすことは、精神的に厳しかったのかもしれませんね。
また、在りし日の姿と比べるとガリガリにやせ衰えた姿が心配されているつんくさんには、ハワイを「終の棲家」とするために移住したのではないかという憶測まで飛んでおります。
最近は、がんで亡くなる有名人が多かったりしますので、つんくさんの本当の体調に関しては、ネット上でも大きな注目が集まっている状況です。
まとめ
本人が病気になったわけではないといえ、「人生一寸先は闇」という言葉を体現してしまっている状況だと言えそうな出光加奈子さん。
「30代でハワイ移住なんて、セレブで羨ましい!」なんて声もある出光加奈子さんですが、夫の術後のケア目的という切実な理由での移住となりますから、内実は優雅な日々とは程遠いことだと思われます。
つんくさんのがんが再発することもなく、加奈子さん一家が末永くハワイで幸せに暮らせることを祈りつつ、この記事のまとめを終了させて頂きます