大学駅伝界の名将でありテレビコメンテーターとしてメディアでも活躍する原晋さんですが、年収や名言も話題です。
今回は原晋さんのプロフィール、若い頃の学歴と経歴、名言や年収、結婚した嫁や子供など家族情報をまとめてみました。
この記事の目次
原晋のプロフィール 【青学の駅伝監督&テレビコメンテーター】
原晋(はら すすむ)
生年月日:1967年3月8日
出身地:広島県三原市
原晋さんと言えば、「箱根駅伝」において青山学院大学に6度の優勝をもたらしたことでお馴染みの陸上長距離の指導者です。
そんな原晋さんは、「真相報道 バンキシャ!」や「情報ライブ ミヤネ屋」の準レギュラーであり、コメンテーターとしても活躍しています。
陸上指導者としても超一流の実績を持つ原晋さんがTV出演を開始した理由は、陸上の普及と発展のための広告塔役を意識しているとか。
「メディアに出演することは、悪いことではないと思っているんです。私たちは陸上競技というステージで戦っていますが、いくら勝利しても、そこから発展しなければ面白くないですよね。勝っても報われない世界だったら面白くない。勝利したチームが、その業界をもっと世間に普及させなければなりません。誰になんと言われようと、テレビに出るのは悪いことではないと思っています」
この記事では、原晋さんのこれまでの経歴や年収、家族情報などについて紹介します。
原晋の若い頃の経歴や学歴① 学生時代は全国区で有名なランナーだった
少年時代はスポーツ万能
原晋さんは広島県三原市で生まれ育ちます。
小学2年生の頃、漁港で遊んでいる最中に足を複雑骨折し、長期入院を余儀なくされますが、その後、リハビリも兼ねて町内を毎日ジョギングする習慣だったそうです。
幸運にも怪我の後遺症は残らず、小学校時代は、地元のソフトボールチームのエースで4番を務めた他、相撲の少年団でも主将でした。
そんなスポーツ万能少年だった原晋さんが陸上を始めたのは、中学生時代でした。
中学では野球部に入るつもりだった原晋さんですが、近所に住む幼馴染の勧めもあり、陸上部へ入部。
その後、めきめきと頭角を現した原晋さんは、県総体の1500mで2位に輝くなど、広島県内でもトップクラスの陸上選手として活躍しました。
原晋の若い頃の経歴や学歴② 高校時代に高校駅伝で全国2位
中学を卒業後の原晋さんは、広島県立世羅高等学校に進学し、陸上部に入部しています。
世羅高校陸上部といえば、駅伝の名門として有名ですが、原晋さんが在籍していた頃も全国的な強豪でした。
原晋さんは3年時に主将を務め、「全国高校駅伝」で準優勝を経験するなど、全国区の長距離選手として活躍しています。
ちなみに、アフリカ人留学生制度は1980年代後半から2000年代前半の低迷期を経て導入されたシステムで、原晋さんの時代には存在しなかったようです。
原晋の若い頃の経歴や学歴③ 中京大学でも陸上部で活躍
大学時代に遊びを覚えるも、成績はしっかり残していた
高校卒業後の原晋さんは、愛知県名古屋市にある中京大学に進学しています。
高校時代に全国2位の実績を持つ原晋さんが、関東の箱根駅伝常連校に進学しなかった理由については、恩師のアドバイスがあったからだそう。
今では考えられない話ですが、実は「箱根駅伝」が日本を代表するスポーツイベントになったのは、日本テレビが中継を開始した1990年代以降。
そのため、当時は箱根駅伝のために関東の大学に進学する、といった価値観は一般的ではなかったと思われます。
大学時代の原晋さんは、これといった目標がなかったことから遊びを覚えてしまい、パチンコやコンパに明け暮れる日々だったとか。
そんな中でも、3年時には日本インカレの5000mで3位に輝いていますから、原晋さんの陸上の才能は本物でした。
原晋の若い頃の経歴や学歴④ 実業団時代には挫折も経験
素行不良でクビになっていた
大学卒業後の原晋さんは、広島県広島市にある中国電力に入社し、実業団選手として活動します。
中国電力が陸上部を創設したのは、原晋さんが入社した1989年で、原晋さんは中国電力陸上部の記念すべき第1期生でした。
入社2年目には全国都道府県対抗男子駅伝に出場した他、入社4年目にはチームを全日本実業団駅伝に導いています。
当時の私は、入社するときに会社と約束したことは果たした、と思い込んでいたのです。その約束とは中国駅伝に出場する、というものでした。それほど高いレベルの目標ではなかったので、プレッシャーを感じることもありませんでした。ちなみに、中国駅伝とは現在の全国都道府県対抗男子駅伝、通称「ひろしま男子駅伝」の前身です。
引用:なぜ青学の選手には拘束がなくても“覚悟”があるのか? 原監督が後悔を告白「パチンコ、コンパに明け暮れるダメな陸上部員だった」
ただ、実業団時代も遊び癖が抜けず、飲み会や合コンにうつつを抜かすなど生活態度の悪さから周囲の反感を買っていたため、故障を口実に27歳で実業団を引退に追い込まれています。
原晋、敏腕営業マンとして再起を果たす
実業団を引退したものの中国電力には残れることができた原晋さん。
同期たちが本社勤務だったのに対して、山口県周南市にある営業所に飛ばされる屈辱が待っていました。
そんな中でも腐らずに、企業向け省エネ空調機の営業マンとして奮闘した結果、社内のトップセールスマンとなり、新規事業の立ち上げを任されるほどになりました。
ちなみに、この新規事業は立ち上げ当初は5人でスタートしたものの、2015年頃には120人もの社員が集まる大所帯に成長したそうです。
原晋の若い頃の経歴と学歴⑤ 指導者に転身したきっかけは高校の後輩
中国電力の営業マンとして成功していた原晋さんに転機が訪れたのは、36歳の頃でした。
母校・世羅高校の後輩で青山学院大学のOBだった人物から、同大学の指導者に就任しないかとのオファーがあったのです。
実業団時代に不完全燃焼だった原さんは、現役時代のリベンジを込めてオファーを承諾。
ちなみに、指導者としては実績がなかったことから、当初は3年契約の嘱託職員でした。
また、当時の青山学院大学は、4半世紀以上箱根駅伝に出演していない弱小校で、有力選手からはリクルートを断られるなど、前途多難でもありました。
結果が出ずにクビ寸前に
現在では大学駅伝界きっての名指導者として名を馳せる原晋さんですが、青山学院大学の陸上競技部長距離ブロック監督に就任した当初は、結果が出ない日々が続きました。
そのため、最初の契約期間が切れる3年目に、クビ寸前になったこともあったそう。
そんなピンチも持ち前の話術でなんとか乗り越えた原晋さんは、とうとう就任6年目となる2009年、青山学院大学を33年ぶりの箱根駅伝出場に導いています。
その後、大学側に掛け合って専用トラックやコーチングスタッフ、移動用のマイクロバスなどを整備し、2015年に大学史上初となる箱根駅伝総合優勝を達成しました。
有力選手をリクルートできない状況だったにもかかわらず、選手の強化に成功した背景には、サラリーマン時代のノウハウを選手育成に生かしたからだそうです。
その中で築いた指導理念は「自立」。「サラリーマン時代のノウハウを陸上に当てはめた」と選手には週、月、年単位で目標設定させ、互いに達成度をチェックさせるなど会社員としての営業経験も生かした。「素人が故にできることもある。固定観念がないからいろいろなアイデアが浮かぶ」と語った。
原晋の名言集
名指導者である原晋さんだけに、独自の経験と哲学を基にした名言も多く残しています。
この項では、そんな原晋さんの名言を抜粋して紹介します。
陸上選手の名言
— ただの陸上好き (@Kamekame8Kein) April 25, 2016
伸びる選手は
「妄想」を抱いていない。
目標と妄想は違います。
目標は
手の届く「半歩先」に置き、
それを目指して練習する、
その繰り返しだと思います。
原 晋 pic.twitter.com/uPIPxHk14K
おはようございます。広島に行くので、広島の有名人の名言。
— まつさか✋手相・人相・気学鑑定7万人PJ (@matskzm) August 23, 2019
目標を数字や言葉にすれば嫌でも考える。何度も口にすれば浸透するし、目標の達成意識も強くなる。
ハイしか言わない生徒はダメ。思考回路が止まっている。自分で喋ることで責任感が生まれる。
原晋(青学駅伝監督)#おはよう戦隊0824
今日の気になる名言
— 135キロ (@GU58724682) January 3, 2018
青山学院 原晋監督
「こんな練習をしたい」と提案してきた選手に、ハナから「そんな練習はダメだ」と言ってしまえば、もう二度と自分から提案することはないでしょう。私自身、自分の情報だけで指導していては、私のキャパシティ以上の組織にはならないと思っています。
原晋の年収とは?
陸上指導者として日本有数の成功を収めている原晋さんだけに、その年収が気になっている読者の方も多いと思われます。
原晋さんは駅伝での実績が認められた結果、2019年より青山学院大学の地球社会共生学部の教授に就任しています。
そのため、監督業(平均年収487万円)+教授職(平均年収1100万円)の報酬相場を参考にすると、青山学院大学から受け取っている給料だけでも1600万円程度はあることになります。
また、成功者特有の名声が名声を呼ぶ状況にも突入しており、下記の多種多様な役職の持ち主でもあります。
・スポーツ産業化推進議員連盟アドバイザリーボード
・GMOアスリーツ・アドバイザー
・埼玉医科大学・客員教授
・関東学生陸上競技連盟・評議員
・HLBスポーツ・顧問
・バディ企画研究所・社外取締役
・アスリートキャリアセンター・代表理事
その他、講演会社「Speakers」の「2021年上半期人気講師ランキング」で1位に輝くなど、講演依頼なども殺到しているようです。
原さんのこれらの収入源を踏まえると、年収は1億円を突破しているとの説もあります。
原晋の家族:結婚した嫁は青学の寮母で子供はいない
原晋さんは既婚者で、妻・美穂さんは元証券会社社員であり、現在は青山学院大学陸上部の寮母を務めています。
2人の馴れ初めは、美穂さんの友人のことが気になっていた原晋さんが、デートに誘おうと電話をかけたところ、たまたま部屋にいた美穂さんが受話器を取ったことだそう。
原晋さんからすれば、予期せぬアクシデント発生といったところですが、なんとそれに動じずに美穂さんをデートに誘うことに変更したとか。
偶然から交際が始まった2人ですが、よほど相性が良かったのか、1年後にスピード結婚しています。
その後、広島に家を建てた原夫妻でしたが、2000万円の住宅ローンが残っている中、原晋さんが青山学院大学の監督に転職することになります。
美穂さんは広島に残って会社員を続けるつもりでしたが、陸上部強化のために美穂さんに寮母に就任して欲しかった原晋さんに説得され、会社を辞めて2人で上京しました。
そのため、まさに二人三脚で名指導者の地位を勝ち取った原夫妻ですが、子宝には恵まれなかったようで、子供はいません。
原晋のまとめ
原晋さんは青山学院大学の陸上競技指導者です。
大学時代に覚えた遊び癖のせいで、実業団時代は挫折も経験しましたが、営業マン時代に得たノウハウで名指導者としての地位を不動のものとしています。
原さんの今後より一層の活躍を祈りつつ、この記事を終了させて頂きます。