サニブラウン アブデルハキームは主に短距離を専門とする日本の陸上選手です。2019年6月にはアメリカで日本歴代1位となる100m9秒97をマークした陸上界のエースで、今後の活躍を期待される選手のひとりです。
ここではサニブラウンの国籍や父と母と兄弟など家族情報、身長、出身高校と大学など経歴、英語と日本語の語学力などについてまとめています。
この記事の目次
サニブラウンのプロフィール
名前:サニブラウン・アブデル・ハキーム
出身地:福岡県北九州市
生年月日:1999年3月6日
サニブラウンは短距離走専門の陸上選手です。
2019年6月現在、以下の日本記録を保持。
・100m 日本歴代1位(9秒97)
・200m 日本歴代2位(20秒08)
・60m 日本歴代1位(6秒54)※タイ記録
サニブラウンの国籍は日本~福岡生まれ東京育ちの日本人
サニブラウンの国籍は日本です。
父親はガーナ人で母親は日本人ですが、ガーナも日本も血統主義であり、両親のどちらかがその国の人であれば、その国の国籍を取ることができます。
つまり血統主義の国の両親から生まれたサニブラウンは、どちらの国籍も選択できるということになりますが、福岡生まれ東京育ちのため日本国籍となっています。
ちなみにサニブラウンの姓名の分け方は…
サニブラウン選手の母親の明子さんに聞くと、姓が「サニ ブラウン」で、名が「アブデル ハキーム」。なので「サニブラウンアブデルハキーム」とするのが正解? 弊社は名字と名前を区別するために「・」を打つことにしてますが、例えば「山田・太郎」とはしないので、うーん。。。つづく。
— 朝日新聞スポーツ部陸上担当 (@asahi_runner) 2015年7月24日
国際結婚では夫婦別姓が一般的のようですが、サニブラウンのお母さんは夫婦同姓を選択しているようです。
サニブラウンの家族~父親はガーナ人・母親は日本人のハーフ
サニブラウンの父親・ラティフさんは東京でスポーツバーを経営
サニブラウンの父親・ラティフさん
(父親の全名はサニブラウン アブデルラティフ)
以前、サニブラウンについてテレビ番組が特集を組んだ際に、父親の職業は「スポーツバー経営」と紹介していました。どこのスポーツバーかはわかっていませんが、東京都内の繁華街にあるようです。
彼の父親はもともとサッカーをしていたそうで、息子にもサッカーをやらせていました。
ポジションはFWで、サニブラウン自身もサッカーが好きだったそうですが、父親曰く向いてなかったとのことです。
ラティフさんはサッカーをしてほしかったが向いてなかったと話した。サニブラウン選手は走ることが最初はあまり好きではなかったと話した。
サニブラウンの母親・明子さんは元陸上選手だった
名前:サニブラウン明子
出身:福岡県宗像市出身(生まれは北九州市)
経歴:宗像高校時代に100m走と110mハードルでインターハイ出場経験有
今のサニブラウンがあるのは彼のお母さんの存在があってこそです。
サニブラウンが陸上を始めたのは小学校3年の時で、母親の薦めから。
僕は小学校3年生までサッカーをやっていました。でも、チームスポーツにはあまり向いていなかったみたいで。そこで母が陸上を勧めてくれました。好きで始めた感じではなかったのですが、中学生になってタイムが伸び始めた頃から楽しくなってきました。
お母さん曰く「(息子は)ガンガンいくタイプではなくサッカーは向いてなかった。ジグザグ走るのも得意じゃなかったんじゃないかしら」とのことです。
陸上を本格的に始めたサニブラウンを支えたのも、お母さんです。主に食事面や精神面のケアをしていたようです。
城西中・高陸上部でサニブラウンを6年間指導した、山村貴彦監督が語る。
「彼の生活や食事については、お母さんが全面的に面倒を見てきました。栄養士さんを学校に呼んで、父兄向けに食事の指導をしていたのですが、お母さんは熱心に参加していました。あのお母さんなくして今のハキームはないです」(山村監督)
母の明子さんから受け継いだ教えについて週刊誌のFLASHは、技術面は専門の指導者に任せ精神面や人としてについてを教育しているという。
その他、サニブラウンと母親の明子さんの逸話としては、
・中学時に一時引きこもりになってしまった息子を影からサポート
・サニブラウンが大学進学でより良い環境をと、アメリカを薦めたのも明子さん
・大学進学前にオランダで武者修行した際、そのクラブに直接コンタクトをとったのも明子さん
息子の可能性を誰よりも信じているのはこのお母さんなのかもしれませんね。
ちなみに2017年の世界陸上出場時、明子さんはIAAFのインタビューを受けましたが、英語がペラペラでした。意訳ですが「私は陸上を本当に愛していて、息子と一緒に、(息子が走る)その瞬間を共有したい」と話しています。
“I just want to share the moment”
— IAAF (@iaaforg) 2017年8月9日
Watching #IAAFworlds 200m heats with Akiko Sani Brown, mother of Japan’s Abdul Hakim Sani Brown pic.twitter.com/BZeU5OInFk
息子のサニブラウンも、これまでたくさんサポートをしてきてくれた母親に対し、2018年の母の日に感謝のツイート!
Its mother’s day! Need to thank my mom for waking me up for not doing things right! And also the mysterious lady too😁 #track-mom
— Hakim SaniBrown (@Hakimsanib) 2018年5月13日
サニブラウンの弟・ハナンも将来有望な陸上選手だった
サニブラウンの弟(左)
サニブラウンには弟が一人いて、名前はサニブラウン アブデルハナンです。小学校の陸上大会で優勝経験があるそうです。
2019年現在は中学校1年生ぐらいと思われ、サッカーと陸上をやっているとの噂です。
運動面においてかなり優秀なサニブラウン兄弟。遺伝子レベルで優秀なのかもしれません。
スポーツ遺伝子に詳しい順天堂大学准教授の福典之氏が解説する。
「遺伝的にはスポーツで高いパフォーマンスを発揮するには、これまでアフリカン×アフリカンの組み合わせがいいと思われていました。しかし、アメリカのスプリンターの遺伝子(ミトコンドリアDNA)を解析した結果、最もいい成績を出していたのは父方がアフリカ系、母方が非アフリカ系というミックスだったのです。つまり瞬発系運動能力についてはハーフという要素が与える影響は少なくないと考えられます」
「運動能力に関係すると見られる遺伝子は100種類以上あり、とくにACTN3という遺伝子が強い影響を与えています。中でも、瞬発系競技に有利なのがRR型とRX型。この遺伝子を持つ割合は日本人の7~7.5割に対しアフリカ人は9~9.9割に達する」
サニブラウンの身長は188cm
サニブラウン(右端)の身長は188cm
日本人の有力スプリンターのなかでもひときわ大きいです。たとえば山縣亮太=177cm、桐生祥秀=175cm、ケンブリッジ飛鳥=180cm等、他の人も決して小さい訳ではありませんが、そのなかでもダントツです。
サニブラウンは中学時代に身長が20センチ以上伸び、成長痛で大会に出れないこともあったほどだとか。サニブラウン家は父親も母親も身長が低くなさそうですから、これもご両親から受け継がれたものなのでしょう。
身長の高さ(足の長さ)は、短距離走において一つのキーとなります。
桐生祥秀が9秒98で走ったときの歩数は47.1歩、山縣亮太選手は通常さらに多い48.5歩だという分析結果がある。これに対して、サニブラウンは44歩。あのボルトは42歩だという。当然、ストライドが長い。サニブラウンは2メートル40センチを超えるという分析結果もある。
以下は主に桐生選手に関して書かれた2018年頃の記事ですが、これによるとサニブラウンはスライドが長く、ピッチ)がやや遅いという指摘をされています。
記録と数字からみた「9秒98」や「9秒台」についての“超マニアックなお話” 第3回「桐生選手のピッチ、ストライドの年別の変化/日本歴代上位選手とのピッチ・ストライドの比較」
サニブラウンの学歴~城西大学附属城西高校から米・フロリダ大学へ進学
サニブラウン、城西大学附属城西中学・高等学校を卒業
サニブラウンは陸上を始めた時から所属していたアスリートフォレストTCのコーチ(五輪出場経験を持つ大森盛一)の薦めで、城西大学附属城西中学・高等学校に進学しました。
中高ではその大森さんの大学時代の後輩である山村貴彦さんが、サニブラウンの指導に当たりました。
中学時代はいろいろと身体的にも精神的にもうまくいかない事があったようですが、高校時代にはいくつもの大会で優秀な成績を納めます。
・2014年の第69回国民体育大会100m優勝(10秒45)
・2015年の第9回世界ユース陸上競技選手権大会100m(10秒28)・200m(20秒34)で優勝
・2015年の世界陸上競技選手権大会で日本代表選出し、100mで準決進出
サニブラウンを指導した山村貴彦監督は彼の高校時代を以下のように語ります。
サニブラウンを中学1年生の時から指導する、シドニー五輪400メートル出場者の山村貴彦監督は「大舞台になるほど強い」とメンタルの強さに目を見張る。
山村監督は「あくまで高校生。勉強をしっかりやらせています」と、サニブラウンとほかの部員とで対応を変えることはしない。「中学時代は身長が伸びていて、成長痛もあって、あまり練習させませんでした。高校では成長痛もなくなり、筋肉も付いてきて、練習もしっかりしています」と、体ができてきたことが記録に結びついたと見ている。
中学時代の彼は少しやんちゃな面もありましたが、学年が上がるにつれて落ち着いてきて、勉強にも練習にもじっくり取り組む姿勢からは、大人びた雰囲気を感じることもあります。
彼は中学時代から、憧れの先輩たちの背中を自分なりに、必死になって追いかけながら成長し、先輩たちもまた後輩のハキームをかわいがり、励ましてくれました。
学校生活はあくまで学業が中心という学校側の方針だったようですが、高校時代にはいくつもの超高校級の記録を出し頭角を表し始めた頃でもありました。
サニブラウンは高校卒業後、数々の大学からの誘いを受けながらも、進学したのはアメリカにあるフロリダ大学です。また秋から学校が始まるため、高校卒業後から大学入学前までは、オランダにわたりオランダ代表コーチのレイナ・レイダーの指導を受けました。
サニブラウン、日本の大学ではなくフロリダ大学進学した理由
日本ではなく海外を選んだ理由は?
サニブラウンはフロリダ大学を選んだ理由を”競技面のレベルの高さはもちろんのこと、将来を見据えた学業がしっかりとできる”からと話しています。
アメリカの大学に行く1つの理由は、設備やスタッフだけでなく、学業面のサポートの充実が、将来の夢であるスポーツマネジメントを目指す自分にとって最良だと考えたからです。
世界的に使用できる資格を取れる。国際的に仕事ができれば。競技面では数々のオリンピアンを育てているコーチがいて、選手1人1人に練習メニューを出してくださる。後輩達に選択肢を広げられる先駆者になれれば
一部ではサニブラウンが日本陸連に嫌気がさしたからという記事もありましたが、アメリカの大学進学はすでに自分の第二の人生まで見据えての行動だったようです。またフロリダ大学進学の背景には、サニブラウンの母親など周囲の人々の薦めもあり、決心したそうです。
サニブラウン、文武両道の環境で100m日本記録樹立
高いレベルでさらなる高みへ!
アメリカの大学の多くはトップ選手であろうと、一定の成績以上を取得できなければ大会に参加できないというルールがあるそうです。そのためサニブラウンもフロリダ大学でしっかりと講義を受け勉強をし試験を受けているとか。
1100を超える大学が加盟するNCAAは学業優先を掲げ、有力選手でも一定の成績を収められなければ大会に参加できない。
フロリダ大の講義は1コマ50分。スポーツマネジメントを学ぶ考えを持って進学したサニブラウンは1年時、基本的に1日3限を受け、2限1セットの月曜は2セット分の計4限を受講した。家庭教師のような制度が整っているのが特徴で、講義で理解が行き届かなければサポートを受けながら学べる。
その他、「2日で100ページを読むよう言われた、ディスカッションもある、宿題が多い……」等々、学生らしい愚痴をこぼしているインタビューもありました。
また、フロリダ大学は”アスリート”にとっても最高の環境が揃っています。
アメリカの大学は選手のレベルが高く、高い技術を持っている選手といっしょに練習できることは貴重な経験になると思っています。
コーチはしっかり話を聞いてくれるし、英語とか言葉のバリアーはないと思う。この環境は日本では体験できない。こういうところでチャレンジしてくる人が増えたらいい
そしてサニブラウンは学業と陸上を両立しながら、2019年に数々の日本新記録を樹立。
・NCAA室内陸上競技選手権大会60mで3位(予選で日本タイ記録の6秒54マーク)
・5月の大会で9秒99をマークし、翌6月のNCAA屋外陸上競技選手権大会で100m3位(日本記録の9秒97マーク)200m3位(日本記録2位の20秒08マーク)
素晴らしい記録を次々とマークしたサニブラウン。しかしいずれも優勝となっていないところが、また彼にとっては良い環境と言えるのかもしれません。
サニブラウンの語学力~日本語と英語が話せるバイリンガルだった
サニブラウン、母・明子さんの方針で家の中では英語
アメリカの大学でもすっかり馴染んだサニブラウン!
大学の陸上部の一員として他の生徒ともコミュニケーションが取れているようです。
サニブラウンは、英語と日本語が話せます。日本語を話している姿を見た事がある人は多いと思いますが、幼少期からお母さんの方針のもと英語を嗜んでいました。
母・明子さんの方針で小学1年まで「家の中は英語」。自宅を訪れる両親の友人は外国人が多く、英語は身近な存在だった。
その他にも学生時代は海外映画や海外アニメを英語のまま見たり、逆に日本のアニメは英語を覚えるため禁止だったそうです。
高校時代の得意教科は”英語”と話すほどで、渡米するため日本では塾に通っていたこともありました。
その結果、アメリカでは2年目以降に言語能力が向上し、今では周囲とのコミュニケーションもバッチリだそうです。
入学当初は大学側が手配した通訳に頼ることも多かったそうだが、2年目に語学力が向上。周囲と積極的にコミュニケーションを取るようになったという。エイト氏は「最初は自分の殻にこもるようなこともあったが、今は違う。米国の生活に順応できたことも、競技に集中できる要因となった」と目を細めている。
言語の壁なんてぶっちゃけないし作っているのは自分だし、コミュニケーションは完全に自分次第でなんとかなる!伝えたいとい気持ちが一番大事
— Hakim SaniBrown (@Hakimsanib) 2019年6月16日
サニブラウンについてまとめると…
・サニブラウンは福岡生まれ東京育ちで、国籍は日本である
・サニブラウンは城西大学附属中学・高等学校を卒業し、陸上の本場アメリカのフロリダ大学に進学した
・サニブラウンは英語と日本語を操るバイリンガルである
サニブラウン アブデルハキームの国籍や家族情報、経歴、語学力についてまとめました。まだ若いので、現役選手としてどこまで記録が伸びるのか、またその後の第二の人生がどうなるのか注目です!