府からヤクザまで幅広い人脈を持ち、日本の食肉業界を牛耳ていたハンナングループ元会長の浅田満さんは「ハンナン事件」により逮捕・服役しました。
この記事では、浅田満さんの嫁と息子や娘など家族、自宅、そして現在までの情報について詳しくまとめましたのでご紹介します。
この記事の目次
「ハンナン事件」浅田満のプロフィール
浅田満利(あさだ みつる)
通称: 食肉業界のドン
生誕: 1938年12月6日
出身地: 大阪府羽曳野市
職業: ハンナン元会長、大阪府同和食肉事業協同組合連合会元会長、部落解放同盟大阪府連合会向野支部元副支部長
ハンナングループの会長を務めていた浅田満さんは、政府や官僚、暴力団など幅広い人脈を駆使して日本の食肉業界を牛耳っており、浅田満さんが首を縦に振らなければ食肉流通は動かないとまで言われた「食肉の帝王」たる存在でした。
ハンナングループは輸入牛肉の扱い以外にも、土建や金融等の分野でも影響力を持ち、関西圏においては確固たる地位を築いていましたが、「ハンナン事件」により逮捕され、懲役6年8ヶ月の実刑判決を受け現在は服役中です。
「ハンナン事件」浅田満の生い立ちと経歴…部落解放同盟にも所属していた
浅田満は部落解放同盟にも所属していた
第二次世界大戦終了直後の1947年に、浅田満さんの父親である浅田浅太郎さんは「浅田商店」を開業しましたが、長男の清美がおとなしい性格で商売に向いていなかったことから、 大阪の三国にある食肉小売店「神戸屋」に奉公に出ていた次男の浅田満さんが家業を継ぐこととなりました。
その後食肉業界で力をつけた浅田満さんは、1964年に日本ハム会長の大社義規さんに掛け合って、日本ハムの子会社である「日本ミート(元・日本マトラス)」に入り専務に就任しました。
そして、浅田満さんは1967年12月に「浅田商店」を「株式会社阪南畜産浅田商店」に改組して取締役に就任し、これが後のハンナングループになっていきます。
浅田満さんはとてもマメな性格で、気配りもうまいことから年長者に気に入られるタイプで、人の観察眼にも優れていたことから店の利益になると感じた相手にはお金を使って取り込むことでのし上がっていきました。
家系はもともと部落地区ではなかったようですが、当時の政府が差別からの脱却を目指し同和対策事業社を支援する政策をとっていたため、それに便乗するために同和解放同盟に所属したようです。
1970年には部落解放同盟の大阪府連向野支部副支部長に就任し、同組織の協力を得て大阪同和食肉事業協同組合を設立し、浅田満さんは専務理事に就任しました。そしてさらに、1976年に全国同和食肉事業協同組合連合会を設立して専務理事に就任しました。
また、ハンナングループの北海道進出の際に、ご当地議員である故中川一郎さんや鈴木宗男さんなど農林族議員をはじめ、農林水産省や畜産振興事業団などにも太いパイプを広げていきました。
浅田満さんはこのように人脈をフル活用して様々な業種に手を伸ばし、最終的には不動産屋ゴルフ場、美術品販売、清掃業、廃棄物処理業など60社を超えると言われる大グループに成長させました。
「ハンナン事件」詳細① きっかけは日本でも発生した狂牛病(BSE感染牛)
BSE感染牛の発生が後のハンナン事件につながった
2001年9月に、いわゆる「狂牛病」と呼ばれる「BSE感染牛」が国内で初めて確認されました。
この「BSE」とは、「牛海綿状脳症」と呼ばれる症状を発症する恐ろしい病気で、欧米圏を始めとした牛肉の食文化のある国々を恐怖のどん底にたたき落としました。
牛の脳がスポンジ状になり、足腰がたたなくなるなどの運動機能の破壊以外に、神経・精神状態の悪化など深刻な症状を引き起こす病気です。
症状: 脳の組織にスポンジ状の変化を起こし、攻撃的あるいは沈鬱状態となり、体重減少、異常姿勢、強調運動失調、麻痺、起立不能等の症状を示します。(遅発性かつ悪性の中枢神経系の疾病です)
潜伏期間: 2~8年程度で、発症すると消耗して2週間から半年ぐらいの間に死亡します。(英国では3~6歳牛が主に発症しています)
原因: 脳などの神経組織や腸などに存在する「プリオン」と呼ばれるタンパク質が異常化するためとされています。牛が異常型プリオンを含む餌などを摂取すると、それが脳に達して元々脳内に存在するプリオンを次々に変性させるため、異常プリオンが脳に蓄積し2~8年の潜伏期間を経てBSEの症状が出ます。
さらにこの病気の恐ろしいところは、「BSE感染牛」を人間が知らずに食べると、同様に脳がスポンジ状になる「新変異型クロイツフェルト・ヤコブ病」を発症する可能性があるところで、この「BSE感染牛」が発生した国々の人々は恐怖に陥れられました。
1986年にイギリスにおいて初めて症例が確認され、その後アイルランドやポルトガルなど近隣国をはじめ、ドイツ、デンマークと相次いで確認されましたが、2001年9月についに日本国内で初めて確認されました。
これが国内の食肉流通を牛耳っていたハンナングループのドンである浅田満さんの頭を悩ませることとなります。
「ハンナン事件」詳細② 浅田満、鈴木宗男を使い農水省に圧力かける
浅田満に忖度した農水相の対策事業「国産牛肉買い取り事業」
浅田満は農水族議員の鈴木宗男に働きかけた
国内で初めて「BSE感染牛」の確認がされると、その3ヶ月後には農林水産省は国内の食肉牛の全頭検査に踏み切りました。
さらに、すでに市場に流通していた牛肉は消費者が不安から買い控えをされていたため牛肉の消費が一気に冷え込み食肉業者が大ダメージを受けたため、農林水産省は食肉業者保護政策として税金を使って国内の在庫全てと一気に買い上げ焼却処分としました。
この国内の国産牛肉全てを買い上げ、焼却処分するのには総額293億円もの国費が投じられました。
この食肉業者にとって破格の待遇は農水族議員と言われた鈴木宗男さんら議員が農林水産省の担当官僚に「国が引き受けますと言えばいい。簡単なことなんだよ」と強引に迫ることで実現したと言われています。
浅田満が293億円もの国費を引き出せた理由
浅田満の農水族議員への根回しは完璧だった
この293億円を国費から捻出させた張本人は鈴木宗男さんら農水族議員ではなく、それらに多額の政治資金を流していた浅田満さんの圧力でした。
浅田満さんの弟2人は山口組系暴力団組員であり、闇社会から政財界にまで資金力に物言わせた支配を行っていました。
父親が地元の羽曳野で肉の仲買業を営んでおり、弟2人は山口組系の暴力団組員だった。羽曳野市を中心に、食肉とアンダーグラウンドの人脈を培う素地があった。そこを入り口に、畜産、建築、農林水産と、裏社会から政財界まで人脈を広げていった。鈴木宗男氏や松岡利勝氏ら農水族議員らを資金援助し、知事や地方議員をアゴで使うまでになり、農水省からは補助金も出させていた。
一方で、山口組五代目の渡辺芳則組長を“なべちゃん”と呼ぶほどの仲でした。表と裏の人脈を最大限利用していた
なお、もともと浅田満さんは当時中川一郎元農水相の支援者でしたが、自殺して亡くなったことから同人の秘書を務めていた鈴木宗男さんがその立場を受け継ぐこととなりました。
浅田満さんと鈴木宗男さんは深い蜜月関係にあり、鈴木宗男さんが1983年に衆議院議員に初当選したときの政治資金の支援に始まり、2002年に鈴木宗男さんが斡旋収賄罪により逮捕された直前まで乗っていたセルシオは、ハンナングループの名義で購入した車でした。
さらに、鈴木宗男さんの政治団体「大阪食品流通研究会」の大阪連絡会の事務所は、浅田満さんが社長を務めていた「南大阪食肉畜産荷受」の建物内に入っていました。
「ハンナン事件」詳細③ 浅田満、偽装牛肉で助成金をだまし取り逮捕
「BSE感染牛」の対策として国が国内に流通している国産牛肉すべてを買い上げると言う食肉業者保護政策を打ち出した際に、浅田満さんは国内の食肉業界を牛耳っていた情報網から「買い上げた牛肉は全て焼却処分される」と言う情報を得て、詐欺で儲けられると言うことに気づきます。
それは回収した牛肉が全て焼却処分されると言う事は証拠が残らないと言うことであり、格安の偽装牛肉を国に買い取らせてその差額で儲けようと思い立ちました。
浅田満さんは「時間がないからとにかくどんな肉でも集めろ!」と社員に対して命令を下し、本来なら国の買い上げ対象は国産牛だけであるところ、輸入牛肉などの安価な肉を偽装した書類で国に買い取らせました。
こうした浅田満さんによる不正は2001年から2002年にかけて、対象外の牛肉434トンについての買い上げと処分費用を申請され、これにより約50億4000万円の助成金がハンナングループに入ることとなりました。
しかし、浅田満さんの不正は明るみとなり、2004年4月17日に「BSE感染牛」の買い上げ制度を利用した助成金の不正受給により多額の利益を得ていたとして、詐欺罪等の罪で浅田満さんは逮捕されました。
2005年5月27日に大阪地方裁判所で判決公判が開かれましたが、補助金適正化法違反の罪により浅田満さんは懲役7年が言い渡されました。
しかし浅田満さん側はこの判決を不服とし、詐欺をするつもりはなかったとして控訴しました。
ハンナングループは納得しなかった。ヤメ検の黒田修一弁護士を主任とした一審の弁護団を入れ替えて、06年5月頃から始まる控訴審に臨むことになった。
詐欺するつもりなどなかった、というのが控訴に踏み切った第一の理由。そして、現実問題として7年にも及ぶ「ドン不在」は、グループを解体しかねない、という懸念を浅田被告のみならず関係者が持っていることが第二の理由である。
「ハンナン事件」浅田満の家系図と家族(嫁・娘・息子)情報
引用:https://19730619.at.webry.info
浅田満さんの家系図は上記の画像となります。確認すると浅田満さんには嫁との間に息子はいませんが3人の娘がおり、長女の旦那は元九重部屋の力士だった若の富士のようです。
実家の家族に話を戻すと、浅田満さんの弟2人が指定暴力団「山口組」系組織の構成員で、三男・照次は「白神組」の幹部、四男・英教は直参「山健組」の舎弟である「浅田会」の組長を務めていたことから、その人脈を利用して裏社会にもパイプを持つようになっていきます。
「山口組」と言う国内最大の暴力団と深い関係にある浅田満さんは、次第に政財界やマスコミにおいて圧力をかけられる存在となり、当時の社会に多大な影響力を持つ存在でした。
「ハンナン事件」浅田満の自宅…聊娯亭(りょうごてい)と呼ばれる迎賓館
「ハンナン事件」で社会を大いに騒がせた浅田満さんですが、その自宅は大阪府羽曳野市にある 「浅田御殿」とも呼ばれる「聊娯亭(りょうごてい)」に住んでいます。
これは浅田満さんが政財界や裏社会の来賓を招くための迎賓館でもあり、庭を含めて約3000坪の広大な敷地を持つ圧倒的な豪邸で、豊富な敷地を持つ庭には豊かな森林があ庭石等も贅の限りがつくされた「食肉の帝王」と呼ばれるにふさわしい装いのようです。
この浅田満さんの自宅は、瓦葺き造りの2階建てで、延床面積は1559平米、土地・建物の取引価格は10億円以上とも言われていますが、自宅の敷地は市の所有地であり約3000m2を月1万円という法外に安い賃料で借りていたことが問題となりました。
「ハンナン事件」浅田満とハンナングループの現在
浅田満、2016年11月に刑務所に強制収容
浅田満は現在も持病を抱えながら服役中
浅田満さんの現在ですが、2015年4月8日に懲役6年8ヶ月の実刑判決が確定しています。
食肉卸大手「ハンナン」グループによる牛肉偽装事件で、詐欺罪などに問われた同社元会長、浅田満被告(76)について、最高裁第3小法廷(岡部喜代子裁判長)は、被告の上告を棄却する決定をした。証拠隠滅教唆罪は無罪とし、詐欺と補助金適正法違反の罪で懲役6年8月の実刑を言い渡した大阪高裁の差し戻し控訴審判決が確定する。決定は8日付。
なお浅田満さんは病気を理由に収監が見送られていましたが、2016年に検察側の判断により収容に耐えうるとし、同年11月23日付で浅田満さんは強制収容されました。
この時浅田満さんは77歳となっていましたが、事件から12年余りが経過しついに「ハンナン事件」が幕引きとなっています。
ハンナングループの経営は順調だった
浅田満さんが刑務所に収監されて会長不在となっているハンナングループですが、盤石な経営体制により業績は好調だと言われています。
また、ハニューグループの中核企業であるハンナン株式会社は2019年5月にハニューフーズ株式会社に社名変更。同時にグループ会社の埴生フーズを埴生ミートサービスに、阪南畜産を埴生ミートパッカーに社名変更しています。
現在のハンナングループを引っ張っているのは浅田満さんの甥にあたる浅田勘太郎さんで、取締役社長として健全な経営を行っており、浅田満さんの時代のような暴力団とのつながりや政財界との癒着はないと言われています。
「ハンナン事件」浅田満についてまとめると…
・浅田満には嫁との間に3人の娘がおり、実弟2人は山口組系の暴力団員であった
・浅田満の自宅は聊娯亭と呼ばれ、敷地にうち1000坪を所有者である羽曳野市から月1万円の破格の値段で借りていた
・浅田満は2015年4月8日に懲役6年8ヶ月の実刑判決が確定し、2016年11月に刑務所に強制収容されている
現在のハンナングループが政財界や暴力団との癒着がないと言うのは表向きの話であり、浅田満さんが不在のためそれらに対する圧力はなくなったのかもしれませんがパイプは残っている可能性があるでしょう。
もしかしたら、獄中の中から浅田満さんが経営に対して何らかのアドバイスをしている可能性も考えられるかもしれません。
とは言え、浅田満さんはすでに後期高齢者となっているため、出所する頃には80歳超えており現場に復帰することは難しいでしょう。