半グレグループ「怒羅権」の影のボスとして君臨していた大偉(ター・ウェイ/本名・佐藤威夫)ですが、現在は母国・中国に戻り、実業家に転身しているとの情報もあります。
この記事では、大偉の経歴や兄弟の小偉など情報に加えて、現在の様子についてまとめてみました。
この記事の目次
大偉(ター・ウェイ/本名・佐藤威夫)のプロフィール
大偉(ターウェイ)に関しては、本名は佐藤威夫(中国名:リウ・ウェイ)といい、1966年に中国・黒竜江省に生まれています。
父親が中国共産党の地方幹部で母親は中国残留孤児という複雑な家庭に育った大偉は、幼少期は日中ハーフであることを理由に周囲の子供たちから激しいイジメを受けていたとか。
そんな鬱屈した日常の中でも、腕力で周囲を屈服させる方法を覚えていったという大偉は、イジメられっ子とは真逆なワイルドな男に育って行くことになりました。
勉強嫌いが災いし、中学を卒業後は高校に進学せずに人民解放軍に入隊した大偉ですが、上官を殴ってしまったことが原因で1年程度で除隊処分を受けています。
その後も喧嘩三昧に暮らしていたと言われている大偉ですが、このままでは息子が刑務所行きになると心配した父親より、母親たちと一緒に日本へ移住することを命じられたため、19歳の時に来日したそうですね。
大偉の経歴… 怒羅権の裏ボスとして君臨して違法行為で大金を稼いだ
大偉、来日後は貿易会社を設立して儲かっていた
来日後の大偉については、当初は東京で清掃の仕事やトラック運転手などをしていました。
その後、23歳の時に友人だった「怒羅権」のメンバーと一緒に貿易会社を立ち上げることとなった大偉ですが、資金の方は中国にいる父親から500万円ほど借りたとか。
大偉が立ち上げた貿易会社については、中古品(土木機械や車のエンジン・タイヤ、家電など)を中国へ輸出するシンプルな商売だった一方で、元手がただ同然だったこともありかなり儲かっていたと言われております。
一方で、顧客からの要望に応えるために盗品のバイクを取り扱うこともあった大偉は、この頃から違法ビジネスにのめり込むようにもなっていったそうですね。
大偉、怒羅権の裏ボスになれた理由とは?
大偉に関しては、1990年頃には事業の多角化に成功しており、貿易会社の事務所を開いていた江東区内のビルの一角でスナックを経営していたそうですね。
バブル崩壊後とはいえ、まだ景気が悪化する以前の時代ということもあり、スナックの月商は1000万円を超える月すらあったと言われております。
OBではなかった大偉が「怒羅権」に影響力を持ち始めたのもこの頃だったそうで、経済的な余裕が出て来たため、無職でお金困っていた「怒羅権」メンバーたちにお小遣いをあげていたところ、兄貴分的存在になっていったとか。
その後は、「怒羅権」のメンバーたちを手下に引き連れて、本格的に闇社会に進出していった大偉は、「大偉グループ」と呼ばれている自派閥まで存在する半グレ界の大物になって行きました。
「怒羅権の組織内では吉林、遼寧、黒竜江省の中国東北部の出身者が力を増していくようになった。このころ残留孤児2世、3世の集団から黒社会とよばれる本格的な中国マフィアに変貌した。そして大偉(ターウェイ)という男を統括役に頂いていくつかのグループに枝分かれしていった」(同)
大偉、そのシノギは多岐に渡っていた
「大偉グループ」のシノギについては、パチンコの裏ロムや偽造ハイウェイカードの販売といった違法行為から、高級車や貴金属の窃盗といった犯罪行為まで多岐に渡ったそうですね。
最終的には風俗店の経営にまで乗り出した「大偉グループ」は、最盛期には歌舞伎町を拠点に錦糸町や葛西、上野にまで勢力を伸ばしていたと言われております。
おおっぴらに非合法ビジネスに手を染めていた「大偉グループ」でしたが、住吉会などの地元ヤクザとは協調関係にあったため、潰されることもなかったとか。
警察サイドにも最重要人物として徹底マークをされていた大偉ですが、直接は犯罪に手を染めず部下を手足の如く利用してお金儲けをしていたため、中々逮捕されることもなかったそうですね。
大偉の右腕兼兄弟の小偉(シアオ・ウェイ)とは?…逮捕歴がないため詳細は不明だった
最盛期には200人を超える構成員がいたと言われている「大偉グループ」ですが、腹心に関しては小偉(シアオウェイ)と呼ばれていた2歳年下の実弟だったそうですね。
小偉に関しては、大偉同様に直接的な犯罪に手を染めるタイプではなかったためか、これといった武勇伝などはない状況となります。
また、本名などについても逮捕歴がないため不明となっておりますが、大偉と一緒に1986年に来日した際にはすでに結婚していたとの情報もあります。
大偉には、小偉の他にも一緒に来日した姉もいるそうで、都内で中華料理店を経営しているとか。
大偉の現在…逮捕後に中国へ帰国していた
大偉、2005年に覚せい剤取締法違反で逮捕されていた
大偉に関しては、警察の執念が実り、2005年2月に「覚せい剤取締法違反(使用)」の容疑で逮捕されています。
逮捕時の大偉は、東京・葛飾区内のマンションに住んでいた他に無職との肩書だったため、貿易会社などの事業はすでに手放していたようです。
逮捕後の大偉は、実刑判決を受けて1年半ほど服役した後、2008年1月頃に中国へ帰国したと言われております。
大偉の突然の帰国劇は、出所後の暗躍を警戒していた警察にとっても予想外の出来事でした。
大偉、帰国の理由は仲間割れか?
日本での権力を手放して突然帰国してしまった大偉ですが、服役中に他のメンバーに利権を奪われてしまい、「怒羅権」内で失脚してしまったゆえの帰国だったとの説も存在します。
ちなみに、本人の言い分によると、日本で違法行為に手を染めるよりも中国でまともに事業を展開した方が儲かる時代になったため、母国へ戻ったという話になっています。
実際の話、帰国後の大偉は、人民解放軍時代の知人や日本時代に世話をした留学生たちの人脈を使い実業家として成功を掴んでおり、プールやサウナ付きの豪邸で暮らしているそうですね。
現在は東北地方を中心に、都市再開発や鉄鉱石の採掘と製鉄、株式投資にいそしむ。軍隊時代の友人や支援した留学生がいまの仕事に役立っている。「軍や地方政府、銀行支店の上層部に入った彼らから、あらゆる情報が入る。3億円はもうけた」と話す
大偉についてまとめてみると…
大偉については、「怒羅権」の裏ボスとして君臨しながらも現在は中国へ帰国して実業家として活躍中ということになります。
そのため、大偉が再び日本へ舞い戻って来ることはなさそうです。