2022年7月、遊説中に銃撃され非業の死を遂げた安倍晋三元総理。1987年に昭恵夫人と結婚していますが、2人の間に子供はいなかったようです。
ここでは、安倍晋三元総理と安倍昭恵夫人の馴れ初めから結婚、子供がいない理由、安倍元総理の死去についてまとめています。
この記事の目次
安倍晋三総理のプロフィール
名前:安倍晋三(あべしんぞう)
出身地:東京都新宿区
生年月日:1954年9月21日
学歴:成蹊大学法学部政治学科卒業、南カリフォルニア大学政治学中退
所属政党:自由民主党
日本の第90、96、97、98代の内閣総理大臣
安倍晋三さんは2度内閣総理大臣を務めた日本の政治家です。
成蹊大学卒業後はアメリカに留学していたこともありますが、1989年に帰国後、神戸製鋼所に入社し3年間勤めました。その後、父・安倍晋太郎の元秘書官を務めていましたが、1991年に父が急死したのちは山口県1区の地盤を受け継ぎ、衆議院に立候補し初当選を果たしました。
やがて内閣官房副長官、幹事長、官房長官などの要職を歴任し、2006年に第21代自由民主党総裁となり第90代内閣総理大臣に就任。しかし、その後の選挙敗北や体調悪化により退任しました。そして2012年に再び自由民主党の総裁、同年末に内閣総理大臣に就任。病気の再発により2020年9月に退任しましたが、連続在職日数2822日、通算在職日数は3188日と、いずれも歴代最長を記録しています。
安倍晋三元総理の病気については過去の記事でまとめています。
安倍昭恵夫人のプロフィール
名前:安倍昭恵(あべあきえ:旧姓松崎)
愛称:アッキー
出身地:東京都
生年月日:1962年6月10日
学歴:聖心女子専門学校卒業後、立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科修士課程修了
安倍昭恵さんは、聖心女子専門学校卒業後は電通に入社しましたが、安倍晋三さんとの結婚を機に寿退社しています。
安倍昭恵さんの曽祖父は森永製菓を創業した森永太一郎さんで、父親の松崎昭雄さんは同社の5代目社長でした。
安倍昭恵夫人の学歴や家族の家系図!若い頃から現在まで総まとめ
安倍晋三元総理と安倍昭恵夫人の馴れ初めから結婚~現在まで
安倍晋三元総理と安倍昭恵夫人の馴れ初め
安倍元総理と昭恵夫人は、1984年に知人の紹介で出会いました。
当時の印象をそれぞれが語っています。
安倍が昭恵と初めて出会ったのは1984年、原宿のパブでのことだった。当時、電通に勤務していた昭恵は、安倍の友人に「良い人がいる。会ってみないか」と紹介された。昭恵の第一印象を安倍は、こう語る。
「家内は約束の時間に30分ぐらい遅刻して来てね。ずいぶん待たせるなと、第一印象はあんまりだった(笑い)。だから最初は私もむっつりしていた。こっちは8歳も年上だしね。ただ、話は非常に合って、面白かった。印象は良かった。それで、もう1回会うことになり、その後は食事をしたり、一緒にゴルフに行ったりとか」
一方、昭恵の第一印象はこうだ。
「良い人だとは思いました。でも、政治家の家庭は大変な気がして、お付き合いをするのも最初は気乗りしませんでした」
昭恵夫人は、当初結婚する気はなかったそうですが、だんだんと惹かれていったようです。
安)私の上司と主人の知り合いが出会わせようと企んだんです。わたしは全然結婚する気がなかったので乗り気じゃなかったのですが、断る理由がなくて「じゃあご飯だけですよ!」と言って会ったというのが最初です。第一印象は、いい人だな〜と思いました。主人の父は当時外務大臣で、彼は秘書をしていたので全然別世界の人で、話が面白かったんです。
当時は、外務大臣だった義父(故・安倍晋太郎氏)の秘書官でしょっちゅう海外に行っていましたのでなかなか会えませんでしたが、いつもお土産を買ってきてくれました。それで、いい人だなぁって思って結婚したんです。冗談ですよ(笑)。
安倍晋三元総理と安倍昭恵夫人の結婚
そして1987年6月に結婚
政略結婚か?とも言われましたが、知人の紹介で知り合った恋愛結婚とされています。
紹介された相手がたまたま政治家一族であったり、森永の社長令嬢だったということは、なかなかないと思いますが…。
安倍晋三元総理と安倍昭恵夫人は仮面夫婦だった?
総理夫人になったことで、メディアでお見かけする機会も増えた安倍昭恵さんですが、自らSNS発信したり、居酒屋をオープンしたりするなど比較的自由な活動でも知られていました。
またそういった自由な行動だけではなく、夫の政策に対して真っ向から対立するなど、その有様はまるで「家庭内野党」と言われるほどでした。
(以下は、そう言われていることについてコメントしている昭恵夫人)
私は「家庭内野党」と言われている。以前は夫が言っていることは全て正しいと思っていた。だが、夫婦でも必ずしも意見が一致しないこともある。そうした意見を夫に言ったり、夫と違う意見の人と会って、その意見を夫に伝えようと思っている。
そんな二人には、「仮面夫婦説」が囁かれていたようです。
仮面夫婦?
2015年8月には週刊誌「女性セブン」で昭恵夫人と布袋寅泰さんが親しげにする姿が報じられたり、(安倍昭恵さん 深夜2時に布袋寅泰呼び出し酔って首筋にキス)
家庭内別居状態だと言われ、生活のすれ違いがあるともされていました。
2人は私邸の1階と2階で別々に暮らしている「家庭内別居状態」だといわれている。
「彼は夜9時半頃に帰るけど、私は外で飲むので帰るのは夜10時半頃。だから夜は話せないのよ」ファーストレディーの安倍昭恵さんは夫である安倍晋三首相との生活のすれ違いについて、周囲にそう漏らしている。夜だけではない。朝も、首相の母親の安倍洋子さんが同居中のため、夫婦の会話はほとんどないという。
それでも離婚しない理由には、お互いの政治利用のためといった見方まで。
“仮面夫婦”とヤユされ続けても離婚をしない理由は、お互いにとって「政治利用」する思惑があるからだとささやかれる始末。特に「私人」である昭恵夫人にとって「総理夫人」の肩書は大きく、最大限利用して友人知人の輪を広げてきた。「家庭内野党」を公言して、TPPや消費税反対など安倍総理の政策に異を唱えては興味が赴くまま自由奔放に行動し、居酒屋やゲストハウスの経営まで始めた。約2年前からは「医療用」や「祈祷用」の大麻解禁運動にも熱を上げている。
ただいろいろと見ていると、仮面夫婦という一言で片付けられるような間柄でもなかったようです。
安倍昭恵さんは、布袋寅泰とのキス騒動後に「主人は笑っていました」と回答。
「事実と違うところもたくさんあるんですが……。でも……酔っ払っていたことは間違いありません。もう、あの、何を言うつもりもなく反省を……。もちろん布袋さんと付き合ってるということはまったくないので。私は一ファンですから」
──首筋にキスを?
「酔っていたのは事実ですから、もしかしたら寄り添って、そういうふうに見えたのかもしれないですね」
──総理に怒られませんでしたか?
「主人は笑っていましたよ~」
安倍元総理は潰瘍性大腸炎という持病を持っていましたが、そんな旦那さんを昭恵夫人が気遣うコメントもしていました。(以下は、第一次内閣退陣後のインタビューより)
安倍 首相現職中の後半は、体調も相当良くなかったようです。辞任後、入院中の主人に「政治家を引退してゆっくり暮らしましょう。」と提案したのですが「いや、それは違う。皆の代表として選んでいただいた以上、責任がある」と言って、ベッドの上で山積みの書類に目を通していました。政治家としての責任の重さを改めて感じましたね。
心身の健康を考える
安倍 主人の体調を回復させるためにいろいろな健康法を試してみましたが、今でも続けているのが「朝食を少なめに摂ること」です。時には果物だけだったり、人参とりんごのジュースだけだったりということもあります。昼はお蕎麦など軽めのもの、夜は基本的に好きなものを食べます。ただ、朝食に限らず少食にすると体調が良いようですね。
2017年の正月は昭恵夫人とともに、六本木のグランドハイアット東京で過ごしています。
安倍晋三首相は3日、正月休みの最終日を迎えた。午前中は、昭恵夫人とともに静養先のグランドハイアット東京周辺や六本木ヒルズ内の毛利庭園などを、約40分間散策した。記念撮影を求める通行人には終始穏やかな表情で応対するなど、普段にも増してリラックスした様子だった。
2014年正月も、昭恵夫人と同ホテルと過ごしたりと仲むつまじげな様子が目撃されています。
「総理が公務から解放された年末年始、2人は片時も離れることはありませんでした」(自民党番記者)
六本木の高級ホテル「グランドハイアット東京」に連日、宿泊。
映画『永遠の0』を鑑賞したり、ステーキや和食、中華料理に舌鼓を打ったり、連れだって地元・山口に帰省したり、夫唱婦随そのものと見えた
安倍昭恵夫人の自由奔放な言動からか仮面夫婦説が囁かれていましたが、実際の仲は良かったようでおしどり夫婦とも言われていたようです。
安倍晋三元総理と安倍昭恵夫人に子供がいない理由とは
不妊治療などもしていたが、子供を授からなかった安倍夫妻。
安倍晋三元総理と昭恵夫人の間には子供がいません。
昭恵夫人は、雑誌のインタビューで不妊治療をしたことや周囲からのプレッシャーがあったこと、養子をとることまで考えていたと話しています。
昭恵さんが安倍首相と結婚したのは24歳の時。当初は「子どもは自然にできるだろう」とのんびり構えていたが、そうはならなかった。
当初は笑顔もみせながら質問に答えていた昭恵さんが涙をこぼしたのは、不妊治療のつらさや周囲からのプレッシャーについて話し始めたとき。言葉を詰まらせ、ほおを伝う涙をハンカチでぬぐいながら、選挙区の後援者らとの酒席で「嫁として失格だ」「ワシが教えにいっちゃる」などと責められた過去を明かした。
首相とは養子という選択肢についても話し合ったが、
「そこまでする必要があるのかなと。養子をもらって、その子1人にすべてを捧げるより、もしかしたら違うことをやるべきなのかもしれない、と思った」という。
今は完全に吹っ切れ、過去のインタビューで、「政治家の一族だから後を継がなきゃいけない、地盤を継がなくてはいけないというものではない」と語っている。
昭恵夫人曰く、義両親・両親からそういった催促はなかったそうですが、後援者から言われることが多かったといいます。
またそういった声を気にしないようにしていた昭恵夫人ですが、それ以外に安倍晋三元総理の兄(安倍寛信:現三菱商事パッケージング社長)に子供がいこたことが救いになっていた部分もあったようです。
安倍 もちろん、安倍晋三の子どもはいないわけですが、主人には兄がいて、彼には男の子がいるんです。ですから、安倍家が途絶えることはない。そのことが大きなプレッシャーにつながらなかった理由かもしれませんね。もし男が主人一人で、何としても安倍家の後継を! 政治家の後継者を! ということでしたら二重のプレッシャーがあったと思います。
安倍晋三元総理が銃撃され死去
出典:https://comedydouga.com/
遊説中に銃撃される
2022年7月8日午前、安倍晋三元総理が奈良市で演説中に銃撃されるという衝撃的なニュースが飛び込んできました。
安倍元総理は心肺停止の状態で奈良県立医大病院病に搬送され蘇生措置が行われましたが、同日午後5時3分に失血死のため亡くなられています。67歳でした。
昭恵夫人は安倍元総理が搬送されてから約4時間半近く後となる午後5時前に病院に到着し、「晋ちゃん、晋ちゃん!」と何度も名前を呼びかけていたといいます。しかし、昭恵夫人の判断もあり安倍元総理の人工呼吸器が外され死亡が確認されました。
「晋ちゃん、晋ちゃん……」
そろそろとベッドに近寄り、手を握った。握り返してくれた、そう昭恵さんは感じたという。
「晋ちゃん、晋ちゃん、晋ちゃん、晋ちゃん!」
振り絞るように声をかけ続ける。しばらくすると、静かに「もう結構です」と医師に伝え、人工呼吸器が外された。午後5時3分に医師により死亡確認が行われるまで、到着からわずか8分間の別れだった。
出典:https://topics.smt.docomo.ne.jp/
安倍元総理を銃撃した山上徹也
安倍元総理を銃撃した山上徹也という元海上自衛隊員の男は、「母親が、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)にのめり込み、多額の寄付をして家庭が崩壊した。団体のトップを狙おうとしたが難しく、安倍氏とつながりがあると思ったから襲った」などと供述していたとのことです。
容疑者は2019年10月に開設したツイッターで母親が世界平和統一家庭連合(旧統一教会)に多額の献金をして家庭や人生が壊されたとして「憎むのは統一教会だけ」と投稿した。この頃に来日した旧統一教会トップの韓鶴子総裁を火炎瓶で襲撃しようとしたが、果たせなかったとされる。事件直前に送ったとされる手紙では、旧統一教会の創設者一族の殺害は「不可能だ」とつづり、「安倍は本来の敵ではないのです。現実世界で最も影響力のある統一教会シンパの一人に過ぎません」としていた。
身勝手な犯行により突然夫を失うことになった昭恵夫人には、国民から心配の声が寄せられていました。
実際、安倍元総理の遺体とともに自宅へと帰った昭恵夫人は、弔問客への対応をしながらも憔悴した様子を見せていたようです。
出典:https://article.auone.jp/
斎場に向かう昭恵夫人
7月12日には安倍元総理の葬儀が、東京・芝公園の増上寺で営れました。
昭恵夫人は涙を流しながら、棺の中の安倍元総理に頬ずりしていたといいます。また、関係者に
「こんなに優しい人はいなかった。いつもいつも私を守ってくれていた。」と語っていたそうです。
「前日のお通夜での昭恵さんは、関係者への挨拶などで休みなく動いていました。涙は一切見せず、こちらが心配になるほどに気丈でしたね。でも、その姿は明らかに憔悴しきっていて、いつもの彼女とはまったく違っていました」(参列者のひとり)
だが、翌日の告別式では喪主の昭恵さんが挨拶に立つと、言葉を紡ぐごとに涙が止まらなくなった。
「あまりにも突然のことで、まだ夢の中にいるようです。あの日は、朝8時にご飯を一緒に食べてお見送りをした。そうしたら11時半過ぎに撃たれたと連絡がありました。主人は家では優しい人で、人を喜ばせるのが本当に好きな人、人のためにするのが好きな人なので、こんなにたくさんの人が葬儀に参列してくれたことを喜んでいることでしょう。安倍晋三を支えてくれて、本当にありがとうございました」
7月21日には安倍派の会合や岸田総理大臣の元を訪れ、涙ぐみながらも気丈に振る舞い、関係者に葬儀への参列などについて感謝を伝えるとともに、安倍元総理の思いを「皆さんで引き継いでほしい」と語ったとのことです。
出席者によりますと、昭恵夫人は「いまだに信じられない思いです」と現在の思いを語り、「派閥の会長としてやりたいことがたくさんあったと思う。ぜひ皆さんで引き継いでいただきたい」と話したということです。
35年の結婚生活がこのような形で終わりを迎えることになった昭恵夫人の悲しみは、察するにあまりあります。様々な声があった安倍夫妻ですが、お互いが大切なパートナーであったことは間違いないでしょう。
安倍晋三元総理のご冥福を心よりお祈り申し上げます。