立憲民主党の参議院幹事長を務めていた羽田雄一郎さんが2020年12月に53歳の若さで急逝されました。
この記事では羽田雄一郎さんの学歴など若い頃の経歴や、死因のコロナ感染症と持病との関係、暗殺・他殺説のデマ、父の羽田孜さんや母、結婚した嫁などの家族などについてまとめました。
この記事の目次
羽田雄一郎のプロフィール
羽田雄一郎のプロフィール
生年月日:1967年7月29日
没年月日:2020年12月27日(享年53歳)
出身地 :東京都世田谷区
羽田雄一郎(はたゆういちろう)さんは、立憲民主党の参議院幹事長を務めていた元参議院議員です。2012年の民主党政権(野田内閣)時の国土交通大臣、民主党参議院国対委員長などを歴任し活躍されましたが、2020年12月27日に53歳の若さで急逝されました。
今回はこの羽田雄一郎さんについて見ていきます。
羽田雄一郎の死因は新型コロナウィルス感染症
羽田雄一郎さんは2020年12月27日に53歳で亡くなりました。死因は「新型コロナウィルス感染症」だった事が、所属していた立憲民主党を通じて発表されています。
27日に53歳で亡くなった立憲民主党の羽田雄一郎参院幹事長の死因は検視の結果、新型コロナウイルス感染症だったことが28日、わかった。
新型コロナウィルス感染症を死因として現役の国会議員が亡くなったのは、羽田雄一郎さんが初めての事例です。
立憲民主党幹事長の福山哲郎さんによると、羽田雄一郎さんは、12月24日の午前に国会の診療所に「自分自身に症状はないものの近場の人に新型コロナ感染症の陽性が出た。」として、PCR検査が可能な病院の問い合わせを行っていたという事です。
その日の深夜、羽田雄一郎さんは38.6度の熱を出し、翌25日には都内の民間医療機関にPCR検査の予約を行い、27日にはPCR検査を受ける予定だったそうです。
そして、その27日の朝には羽田雄一郎さんは36.1度の平熱に下がっていたという事です。しかし、秘書の運転する自動車でPCR検査を受けに向かう途中の車内で容態が急変して呼吸が荒くなり、「俺肺炎かな?」と話したのを最後に会話が途切れ、その場で意識を失ったという事です。
羽田雄一郎さんは、それからすぐに秘書が呼んだ救急車で東大医学部付属病院に緊急搬送されましたが、病院に到着した時にはすでに心肺停止の状態だったとの事で、同病院にてその日の午後4時34分に死亡が確認されました。
羽田雄一郎さんは一時は平熱に下がっていたにも関わらず突然に容態が急変して死去されたという事などから、陣内賢さんという医師の方は「女性セブン」の取材に対して、羽田雄一郎さんの死因は「新型コロナによる血栓症によって引き起こされた脳梗塞」ではないかという見解を示されています。
羽田さんの場合も、ほとんど苦しむことなく急死したことを考えると、新型コロナによって血栓症を起こして脳の血管が詰まったことによる脳梗塞が死因だと考えられ、サイトカインストームの関与も否定できません。
羽田雄一郎には糖尿病・高脂血症・高血圧などの持病(基礎疾患)があった
新型コロナウイルス感染症は糖尿病や高血圧、心血管疾などの持病(基礎疾患)があると、重症化するリスクが高まる事が発表されていますが、羽田雄一郎さんには糖尿病、高脂血症、高血圧などの持病(基礎疾患)があったと報じられています。
福山哲郎幹事長によると、27日午後4時半すぎ、東京都文京区の東京大医学部付属病院で亡くなった。糖尿病、高脂血症、高血圧の基礎疾患があったという。
関係者からの情報によれば、羽田雄一郎さんは酒やタバコは嗜まないものの、若い頃からかなりの大食漢で甘党だったという事で、これが糖尿病などの持病に関連しているといった見方をする報道も一部あるようです。
羽田雄一郎の死因は「暗殺」「他殺」「刺された」などのデマが浮上
羽田雄一郎さんの死因はコロナと公表されていますが、ネット上では「暗殺」「他殺」「刺された」などのデマが浮上しています。
一時期は羽田雄一郎さんのWikipediaに「刺殺」などと編集されたこともありました。
三浦春馬暗殺と同様の政権による報道管制か。羽田雄一郎の死亡記事。刺殺による他死からコロナ病死へ。真相は闇。 pic.twitter.com/pZjaAmPDAI
— 片山徹 (@_9105294027642) December 29, 2020
【デマ?】
— ゆーご【都市伝説系社会科学】 (@yugohonjo) December 31, 2020
立憲民主党の羽田雄一郎氏がコロナで亡くなってしまいましたが、彼が亡くなった後、ウィキペディアに死因が刺殺だと書かれてしまいました。
(今は修正されてるけど)
これはデマだとされていますが、今年亡くなった有名人には「暗殺されたのではないか」という噂が多かったんですよね。 pic.twitter.com/1pqx3MHJVI
アドレノクロム製造の為、拉致された14才以下の子供達。NY地下工場は戦車まで出動して米特殊部隊により制圧。米マフィアの下部組織「統一教会」に日本の豊島に代替施設建設を命じた。豊島疑惑を知った三浦春馬、芦名星、竹内結子のクローゼトドアノブ首吊自殺偽装暗殺。調査した羽田雄一郎刺殺。 pic.twitter.com/Nprip9j5x2
— 片山徹 (@_9105294027642) December 31, 2020
ネット上では陰謀論が好きな人が存在しており、三浦春馬さんなど芸能人の死でも暗殺などのデマを流している人がいます。
羽田雄一郎さんの死因はコロナと公表されており、基礎疾患もあったことから、死因はコロナで間違いないでしょう。
羽田雄一郎の学歴や政治家になるまでの経歴
続いては、羽田雄一郎さんの学歴について見ていきます。
羽田雄一郎さんは、都内でも有数の名門私立である「成城学園中学校」から、「敬和学園高等学校」へと進学されています。
成城学園は中高一貫校なので、成城高校へ進学したとの説もありましたが、羽田雄一郎さんが新型コロナによって逝去された事を受けて、敬和学園高等学校のホームページにて「お悔み」の言葉が発表されており、出身高校は敬和学園高校で間違いないようです。
先日12月27日、元国土交通大臣、羽田雄一郎参議院議員がご逝去されました。
羽田氏は、本校16回卒業生であり在籍中は生徒会長を務め、新潟教会にて受洗されました。また、ご卒業後も周年行事にご参加いただくなど、敬和学園の発展のためご尽力賜りました。
羽田雄一郎さんは敬和学園高校卒業後、玉川大学文学部芸術学科へと進学され同学科の児童専修課程を卒業されています。羽田雄一郎さんは大の子供好きだった事から、大学時代には保育士の資格も取得されています。
羽田雄一郎さんは大学卒業後は子供文庫助成事業などに取り組む伊藤忠記念財団に勤務されて全国を回って子供を持つ母親の悩みなどに接し、衆議院議員だった父の羽田孜(元首相)さんを通じて中央省庁に陳情された事もあったようです。
そうした経験から1997年からは父の羽田孜さんの公設第1秘書になり、1999年10月に参議院長野県選挙区補欠選挙に出馬し初当選しています。その後は亡くなられた2020年12月まで、5期にわたって参議院議員を務められていました。
羽田雄一郎の家族① 父は羽田孜元首相
羽田孜のプロフィール
生年月日:1935年8月24日
没年月日:2017年8月28日(享年82歳)
出身地 :東京府東京市蒲田区(現在の東京都大田区蒲田)
羽田雄一郎さんの父は、第80代内閣総理大臣、農林水産大臣、大蔵大臣、外務大臣などを歴任した大物政治家の羽田孜(はたつとむ)さんです。
父(羽田雄一郎さんの祖父)の羽田武嗣郎さんも政治家で、自民党所属の衆議院議員として党副幹事長など務めました。
この羽田雄一郎さんの父・羽田孜さんは、大学卒業後は一般のバス会社(小田急バス)で働いていて、その仕事にやり甲斐を感じていたため政治家になるつもりはなかったそうですが、父の羽田武嗣郎さんが脳出血で倒れて半身不随になったためその後を継ぐ形で選挙に出馬し衆議院議員になりました。
その後は自民党議員として農林水産大臣、大蔵大臣を務めたのち、1993年6月に自民党を離党して新進党を結党し、1993年8月に成立した細川護煕内閣に外務大臣として入閣、1994年4月の細川内閣退陣に伴って内閣総理大臣に就任しますが、少数与党での政権運営に苦しみ、自民党から内閣不信任案が出されわずか2ヶ月で退陣しました。
この羽田内閣の在職日数64日は、日本国憲法下では現在のところ最も短命だった内閣です。
羽田雄一郎さんはこの羽田内閣崩壊後の1997年に父・羽田孜さんの秘書になっています。
羽田雄一郎の家族② 母は羽田綏子さん
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羽田雄一郎さんの母は、羽田綏子(はたやすこ)さんという方です。
1996年には「首相公邸 ハタキたたいて64日」という本も出版されています。
羽田雄一郎さんの母の羽田綏子さんは、元カルピス株式会社会長の津下紋太郎さんの孫。また、化成品大手のオカモト株式会社の元副社長の津下綱平の長女です。
羽田雄一郎さんの母・羽田綏子さんと、父・羽田孜さんとの夫婦仲はとても良かったそうで、家ではお互いに「つとむさん」、「ママさん」と呼び合っていたそうです。
羽田綏子さんは特に、羽田孜さんの健康面に気を配り、玄米のおかゆと、霊芝茶と玄米の粉を豆乳で溶いた特製のジュースを毎朝欠かさず用意していたのだとか。
また、羽田雄一郎さんの母・羽田綏子さんは、夫の羽田孜さんをとても尊敬していると話されていました。また、羽田孜さんも羽田綏子さんをとても頼りにしていたのだそうです。
私はまず、主人を人間として尊敬しています。夫を尊敬できることは妻としてとても有難く、素晴らしいことだと思っています。もっとも、主人が私を尊敬していたかは分かりませんが。ただ、人づてに入ってくる話では、『とても頼りにしているんだ』ということでした
羽田雄一郎の家族③ 結婚した嫁は羽田七栄さん
羽田雄一郎さんは、2000年に岡山県出身の女性と結婚されています。
羽田雄一郎さんの結婚した嫁は羽田七栄さんという方で、学習院大学法学部を卒業された才女で、大学卒業後はJAL(日本航空)の国内線で客室乗務員をされていたという美しい方です。
また、羽田雄一郎さんの嫁の羽田七栄さんの実家は岡山県の大手建設業者「株式会社大本組」だと言われています。
羽田雄一郎さんと嫁の羽田七栄さんの結婚式には、元長野県知事の田中康夫さんや石井一元参議院議員ら、政界の大物が大勢出席されたようです。
羽田雄一郎の家族④ 子供は娘1人と息子2人の3人
羽田雄一郎さんは2000年に結婚した嫁の羽田七栄さんとの間に3人の子供に恵まれています。
上の画像は長女の後ろ姿の画像です。2019年の中日新聞の記事でこの長女が3歳だと書かれているので、2021年は4歳か5歳になられていると思われます。
長女(3つ)と触れ合い、趣味の宝塚歌劇団の観劇をして英気を養う。
嫁の羽田七栄さんのFacebookには、子供の写真が掲載されており、2人の息子さんの写真も投稿されていました。
2014年に投稿された息子さんの写真には「2人とも大きくなったね、もう小学5年生になるね」というコメントがついていたため、2021年には高校生か大学生くらいになっていると思われます。
羽田雄一郎さんは子供が好きで保育士免許も取得されたほどなので、自身の3人の子供も可愛がられていたようです。女性セブンには、永田町関係者のコメントとして以下の内容が掲載されていました。
保育士の資格を持つ珍しい経歴で、3人の子供を何よりもかわいがる父親の一面も持ち合わせた人
まとめ
今回は、2020年12月に53歳の若さで急逝された立憲民主党所属の参議院議員・羽田雄一郎さんについてまとめてみました。
羽田雄一郎さんは、玉川大学文学部芸術学科卒業の学歴を持ち、卒業後は伊藤忠記念財団での勤務を経て、内閣総理大臣も務めた父・羽田孜さんの秘書となり、1999年に自身も参議院議員になりました。
国会議員としては、国土交通大臣、民主党参議院国対委員長、立憲民主党参議院幹事長などを歴任され活躍されていましたが、2020年12月27日に突然この世を去りました。死因は新型コロナウイルス感染症と発表されており、糖尿病などの持病との関連も報じられています。
羽田雄一郎さんは2000年に結婚されており、嫁との間には3人の子供がいました。羽田雄一郎さんは大の子供好きとして知られ、子供をとても可愛がられていたという事なので、現在、残された家族はとても悲しい思いをされているのではないかと思います。
最後になりましたが羽田雄一郎さんのご冥福をお祈りします。